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吉田東伍と石塚三郎

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印刷用ページを表示する 掲載日:2014年12月1日更新

石塚三郎

略歴
石塚三郎石塚三郎
(1876-1958)

 1876(明治9)年、北蒲原郡安田村(現阿賀野市保田)で生まれた石塚三郎は、我が国歯科医学界の重鎮の一人であると同時に、世界的細菌学者野口英世の親友で、明治・大正期に活躍したアマチュア写真家の先駆けとして知られている人物です。
少年時代、吉田東伍の実家である旗野家に奉公していたいたことから、東伍、東伍の長兄旗野餘太郎から多大な影響を受けて成長しました。

当博物館開館準備中の1996(平成8)年、石塚氏の親族から、石塚氏旧蔵の写真ガラス乾板約2,500枚と多くの関連資料が寄贈されました。1998年11月から1999年2月には特別展「活写(うつ)された世紀開幕」を開催し、写真ガラス乾板の一部を公開いたしました。
さらに2006(平成18)年には、(財)野口英世記念会ならびに石塚氏のご遺族のご配意により、野口英世関連の原版写真を含むガラス乾板約500枚が寄贈され、2007年8月から9月に、これらの写真を紹介する企画展「わが友野口英世」を開催し、好評を得ました。

ツベタ牧場

大隈重信
         ツベタ牧場 所蔵N014-6                                  大隈重信 所蔵N068-16

1876(明治9)年新潟県北蒲原郡安田村(現阿賀野市保田)に生まれる。
1893(明治26)年医師の資格取得を目指して上京する。
一時帰郷し、新潟の歯科医師中村勇三郎の門下に入り義歯の技術を専門に学ぶ。
1896(明治29)年再上京し、医学院主事血脇守之助の元へ足繁く通い入門を懇願する。
1897(明治30)年4月同院の「玄関番」として採用される。
前年から学僕をしていた野口清作(のちの英世)と起居を共にして勉学に励む。
1898(明治31)年4月歯科医師開業試験に合格、歯科医師の資格を取得。
一時血脇守之助に随って中国大陸に渡り、卓越した治療技術で評判を呼ぶ。
帰国後長岡市で開業。
1907(明治40)年新潟県歯科医師会初代会長に選任される。
次いで日本聯合歯科医師会理事にも就任。
新潟、柏崎、東京に歯科病院・診療所を開院。
1915(大正4)年福島県猪苗代で野口英世の母シカを撮影し、帰国を促す手紙を添えてアメリカの野口に郵送。
野口の一時帰国を助け、帰郷の様子を撮影。
1924(大正13)年衆議院議員を2期勤める。
1928(昭和3)年野口がアフリカで殉職すると「野口英世記念会」の設立・運営に参画する。
新潟県歯科医師会会長、東京歯科大学、大東文化学院理事などを歴任する。
1958(昭和33)年東京で死去(享年82歳)