二千年前の誓い
ディルヘイドとアゼシオンを跨る広大な森林、トーラの森。
国境の東、アゼシオン側に布陣を敷いているのはガイラディーテ魔王討伐軍である。
その中には根源を複製した少女たち、一万人のゼシアがいる。
彼女たちは皆、鎧兜で顔を覆い、光の聖剣エンハーレを身につけ、ディルヘイド軍の襲撃に備えている。
一方国境の西側にはディルヘイド軍の先遣隊、皇族派の魔族たちの姿があった。魔皇を筆頭にその配下の正規軍が各部隊を構成している。
森にはそびえ立つような巨大な魔王城がいくつも創られていた。
両軍の距離はまだ遠く、今は睨み合いといった状況だ。
だが、その膠着状態は長くもつものではないだろう。
どちらか仕掛ければ、戦火は瞬く間に広がる。
両軍を接触させるわけにはいかない。
ディルヘイド側の国境の手前にはレイが身を潜めている。
あの男ならば、決して先遣隊に国境線を踏ませまい。
先遣隊が布陣を敷く場所の更に西、エイヤンの丘にはディルヘイド軍の本隊が駐屯している。数は約二万といったところか。恐らくここに敵の七魔皇老もいるだろう。
俺はエイヤンの丘に建てられた漆黒の魔王城を睨む。
「行くぞ。お前たちは雑魚に目をくれるな。常時四人で行動し、七魔皇老だけを狙え」
「御意」
敵の部隊へ向かい、まっすぐ歩いていく俺の後ろに、メルヘイスたち七魔皇老四人が続く。
「……止まれっ、何者だっ?」
アゼシオン側からやってきた俺たちに魔族の兵たちが魔剣を構える。
「待て。あれはメルヘイス様じゃないか……?」
「アイヴィス様と、ガイオス様、イドル様も……」
「じゃ、これで七魔皇老全員が、この戦いに参戦するってことなのか」
魔族の兵たちは表情を明るくし、剣を納めた。
戦場にいるというのに、甘いことだ。
一番先頭にいた男の顔面を俺はわしづかみにした。
「ぐおっ……な、なにを……!?」
「知った顔だからといって油断をするな。味方とは限らぬぞ」
その男の全身を魔法障壁で覆う。そして、そのまま持ち上げた。
「なっ……はっ、放せっ……」
「ああ、今放してやる」
軽々とその男を持ち上げ、ディルヘイド軍の兵が密集したその場所へ向かい、勢いよく投げつけた。
「なっ……うっ、ああああああああああああああああああああああぁぁぁっ!?」
ディルヘイド軍による魔法障壁が張り巡らされるが、俺の魔法障壁に包まれたその男は砲弾の如くそれを貫き、ズゴゴォォンッと軽く二百人は吹き飛ばした。
「てっ、敵襲っ……!!?」
「……馬鹿な、アゼシオン軍がいつの間にここまでっ?」
「あ、アゼシオンではありませんっ。あれは魔族ですっ!!」
「なんだと、暴虐の魔王を裏切ったというのかっ? どこの手の者だっ!? 統一派かっ!?」
「そ、それが……七魔皇老、メルヘイス様たちが……」
「なにぃっ……!?」
浮き足だった指揮官らしき男の前に俺は立つ。
「裏切ったと言ったか?」
険しい表情で指揮官は魔剣を構える。
部下たちも俺を油断なく見つめていた。
「違うな。こちらが真の魔王軍だ。アヴォス・ディルヘヴィアに伝えるがいい。本物がやってきたとな」
「たかが四人でなにが魔王軍だっ!? 突撃せよっ。押し潰せっ!!!」
「しかし、メルヘイス様たちがっ!!」
「七魔皇老が暴虐の魔王に弓を引くわけがないっ! 偽物に決まっているっ! やれぇぇっ!!」
やれやれ、困ったものだ。
「わからぬのなら、教えてやろう。四人だろうと、一人だろうと――」
足を上げ、そして思いきり地面を踏む。
「俺が魔王軍だ」
ドッガガガガガガガガガガガガッと大地が震動し、兵士たちは皆体を激しく揺さぶられる。この二千年間、ディルヘイドを襲ったことがないであろう未曾有の大地震を前に、彼らは次々とその場に転倒していく。
「なっ、ぐあぁぁぁっ、な、なんだこれはっ……!!!」
「ぐおっ、ぎゃああぁぁぁっ……!!」
「だ、大地が割れ……うおぉっ……!!」
「怯むな、空だ。飛べっ!」
兵士たちは一斉に<
しかし、すぐに彼らは失速し、地面に墜落しては体を叩きつけられた。
「とっ、飛べなっ……ぐああぁ……!!」
「な、なんだ、魔力場が乱れて……うおぉぉぉっ……!!」
「く、くそぅっ、いったい、なにがどうなって……!?」
そのままゆるりと足を踏み出し、俺は言った。
「地震の影響が空に及ばぬとでも思ったか」
俺が歩く度に、大地へ伝わった魔力が大地震を巻き起こす。その震動が大気を震わせ、空の魔力場を乱しているのだ。
「覚えておけ。魔王の進軍とはこういうものだ」
まっすぐ、エイヤンの丘に建てられた魔王城へ向かい、俺は歩みを進めていく。
それだけで俺の半径数キロメートルの兵は地面に膝をつき、頭を大地に叩きつける。
まるで俺の前にひれ伏すように。
魔族の大軍が瞬く間に倒れていく。
そのときだ。
魔王城から<
魔力の多寡からいって、七魔皇老だろう。
「ふむ。来たか。メルヘイス」
「お任せください」
メルヘイスたち四人は、<
「ミーシャ、そちらはどうだ?」
<
「順調」
<
目の前には砂漠が広がっていた。
そこへディルヘイド軍に加わろうという魔族の集団が向かってきているのだが、次々とミーシャが<
魔法を使おうにも、そこは身を隠す場所もない一面の砂漠だ。サーシャの<破滅の魔眼>に一望され、思うように術式を組み立てられぬ様子である。
<破滅の魔眼>は魔力の消耗が大きい。今のサーシャでは、それを長時間維持することはできないが、彼女は器用にも展開される魔法陣の術式の一部にだけ魔眼の効力を及ぼしている。
構成中の術式の一部を破壊されると、そこだけを修復するのは難しく、魔法陣は自ずと瓦解する。手練れの術者であれば、立て直すことも可能だが、俺が睨んだ通り、後から集まってきた者たちは人数こそ多いが、実力には欠けるようだ。
それでも、数万規模の兵だ。数で押されれば、次第に後退を余儀なくされるだろう。
どこまでもちこたえられるかは、二人の力と戦い方次第だ。
「サーシャ。流砂の中。魔法術式を確認。<
「障害物を作って、<破滅の魔眼>を避けるつもりね。そうはいかないわ」
サーシャが<破滅の魔眼>をミーシャが指さした方向へ向け、魔法術式を破壊する。障害物があろうと魔力さえ見えれば効果が働くが、<破滅の魔眼>を発動しながら、深淵を覗くのは難しい。元よりサーシャはそこまで魔力を見るのは得意ではない。
しかし、それをミーシャが補うことにより、死角をなくしているのだ。
指揮系統がはっきりとしない魔族たちは、戦況がつかめない様子で、その殆どが混乱している。
次々とミーシャが創った<
「ふむ。こんなところか」
自分の視界に目を移せば、周囲にはひれ伏した魔族の兵がガタガタと震え、頭を垂れている。
まだまだ自力で立っている魔族は残っているが、彼らの足は竦んでいた。
これが戦争でなければ、立ち向かってこられる実力者はそれなりにいただろう。だが、この二千年間、ディルヘイドは平和だった。初めての実戦で、味方がバタバタと倒れていく光景を見れば、怖じ気づくのも無理はない話だ。
自分より強者がなすすべもなく倒れたのかもしれぬ。そう思ってしまえば、体は動かない。
恐怖に飲まれれば、どんな強者とてあっけなく死ぬのだ。ミーシャに語った通りのことが、今目の前で起きていた。
七魔皇老をメルヘイスたちが押さえていなければ、こうはいかなかっただろうがな。
俺は自らの姿を見せつけるように、<
「いつまで引きこもっているつもりだ? 出てこい、アヴォス・ディルヘヴィア」
魔法陣を一門描き、そこに魔力を込める。
漆黒の太陽が魔法陣から出現した瞬間、ギィ、と音を立て、魔王城の扉が開いた。
俺はその奧を覗く。神々しい光が、俺の反魔法を破り、体を突き刺す。
霊神人剣エヴァンスマナが、そこにあるのは間違いない。
「ふむ。入って来いということか」
躊躇なく、俺は魔王城の入り口へ歩を進ませる。
「アノス様っ……!」
ミサから<
「どうした?」
「レイさんとの<
なに?
魔眼を働かせ、確認する。
「ふむ。<
つい先程までは、レイの視界も共有できていた。
俺が魔王城の扉の奧に意識を集中したその刹那の間に、レイの身になにかが起きたのだろう。
とはいえ、あの男は魔法が得意ではない。
魔法線をつなげることができないからといって、そう易々とやられるとは思えないが。
「アノス様、七魔皇老の三人を捕らえました」
メルヘイスからだ。
妙だな。思った以上に早い。
「融合していた敵の根源はどうなった?」
「……それが、どうも体を捨てて逃げたようでございます」
逃げた?
このタイミングで、七魔皇老の体を捨てる理由があるか?
それがなくては、浮き足だった軍を立て直すこともできまい。
「アノス様っ、先遣隊が、国境を越えようとしていますっ!」
「レイ君の姿はっ、まだ確認できませんっ」
ファンユニオンからの<
「国境の方は我らがなんとかしよう。我が君はアヴォス・ディルヘヴィアを」
アイヴィスが言う。
俺は魔王城の奧へもう一度視線を向ける。
レイが易々とやられるとは思えぬ。
あの男ならば、多少は追い込まれたところで、すぐにやり返すだろう。
この戦争で一番の脅威は、霊神人剣を持つアヴォス・ディルヘヴィアだ。そして、間違いなくその剣はこの魔王城の中にある。奴から目を離すわけにはいかぬ。
となれば、国境はレイを信じ、メルヘイスたちを向かわせるのが最善か。
だが――
胸騒ぎがする。
妙な違和感を覚えていた。
敵の狙いはなんだ?
なぜ七魔皇老三人はこのタイミングで体を捨てた?
なぜアヴォス・ディルヘヴィアはわざわざ集めた兵が戦意喪失するのを黙って眺めていた?
なぜ、魔王城の扉を自ら開け、霊神人剣がここにあることを俺に知らせた?
いったい、なぜ――?
「……ふむ。なるほど。そういうことか」
俺は<
「メルヘイス。霊神人剣を魔王城ごと<
視界が真っ白に染まり、俺はトーラの森の国境付近に転移した。
アゼシオン側である。
ちょうどそこには木々が生えておらず、森の中でぽっかりと穴が空いたように、広大な草原となっている。俺の背後を抜ければ、もうまもなく、ガイラディーテ魔王討伐軍が布陣を敷く場所が見える。
耳をすます。
すると、声が聞こえた。
「進軍せよ、我が同胞。人間如き、恐れることはない。余は一人とて死なせはせぬ。この背中についてくるがいいっ!」
アヴォス・ディルヘヴィアだ。
奴の声に反応するように、森中から先遣隊の雄叫びが聞こえる。
予想通りか。
ならば、奴の狙いも、その目的も。
奴が何者かということも。
すべて、わかったかもしれぬ。
俺はその場に立ちつくし、待った。
やがて、そこに一人の男が現れる。
仮面をつけた、アヴォス・ディルヘヴィアが。
奴は俺に気がつくと、足を止めた。
声を発することなく、アヴォス・ディルヘヴィアは俺を見据える。
瞬間、その魔力が一気に膨れあがった。
言葉を交わすことなく、アヴォス・ディルヘヴィアは俺に襲いかかってきた。
猛然と振るわれたその手刀を受けとめ、逆に俺は右の指先を突き出した。
奴はまるで消えるような速度でそれを避け、俺を蹴り飛ばす。
元いた場所の数メートル後方に、俺は着地した。
更に追撃をしかけようとアヴォス・ディルヘヴィアは姿勢を低くする。
一気に勝負をつけるつもりだった奴に、俺は言った。
「二千年ぶりだな、勇者カノン」
驚きをあらわにするように、アヴォス・ディルヘヴィアの魔力が、一瞬揺れた。
俺の魔眼を持ってしても、目の前の男の根源を見抜くことはできない。
仮面のせいかと思っていた。だが、違う。
根源魔法は勇者カノンの得意とするところだ。
それには俺とて及ばない。生身の状態でも、奴は俺にその根源の正体を悟らせないことができた。
「いや、そうでもないか」
俺は握った拳を開いた。
手の平にあるのは、一つ貝の首飾り。その片割れである。
アヴォス・ディルヘヴィアが身につけていた物を、先の衝突の際に奪ったのだ。
「レイ。どうやらお前はすでに誓いを果たしにきていたようだな」
なーんちゃって!
とか次話で言ったらぶっ殺されますかね……。
コツコツと書いてきた伏線が、次でようやく明かされます。