それぞれの想い
まもなく夜が明ける。
それが開戦の合図となるだろう。
皆の様子を見て回ろうと、俺は階段へ赴く。
すると、微かに話し声が聞こえてきた。
最上階からだ。俺は階段を上がっていった。
「……今日、ちょっとミッドヘイズを見て回ったんです」
「どうだった?」
半分の魔剣の前でレイとミサが話していた。
他には誰もいない様子だ。
「なんだか本当にいつも通りで、もうすぐ、戦争が始まるなんて信じられませんでした……」
「そんなものだと思うよ」
レイはいつもの笑顔を崩さず、そう言った。
「みんな、まだ実感がないんじゃないかな。本当に戦争が起きるなんて信じられなくて、戦火が広がって、自分がそれに巻き込まれて、ようやく気がつくんだと思う」
ミサの目はぼんやりと半分の魔剣を見つめていた。
「気がついた頃には、きっとなにもかも手遅れなんだろうけどね」
レイは静かに拳を握る。
「ディルヘイドの魔皇は殆どがアヴォス・ディルヘヴィアのもとへ集ったみたいですね」
「暴虐の魔王が先陣を切ったのに、自分の城でただ待っているわけにはいかないんだろうね。それが、魔族の戦い方だ」
国を治める魔皇が自ら戦場に赴く。なにかあれば国が傾きかねないが、そうでなければ示しがつかぬのが、魔族の世界だ。有事のときに城に引きこもっている支配者に、誰がどうしてついていくというのか。
平和になったとはいえ、変わらぬものもある。
「大丈夫だよ。アノスも言っていただろう。僕は誰も殺すつもりはない」
すると、ミサは目を丸くした。
「……えっと…………」
「君のお父さんが、そこにいるかもしれないからね」
「あ……」
恥じるようにミサが顔を背ける。
「ごめんなさい」
「どうして?」
「だって、レイさんは、一人でディルヘイド軍の大部隊を……」
その憂いを吹き飛ばすように爽やかに彼は笑った。
「今から戦争を止めに行くっていうのに、僕は少しも緊張していないみたいだ」
「そう、なんですか……?」
「僕は二千年前の大戦を経験したんだと思う。だから、僕の体は、僕の根源は、知ってるんじゃないかな。これぐらい、大したことはないって」
いつものように飄々と、変わらぬ調子でレイは言う。
「帰ってくるよ。必ず、君のもとに」
ミサの視線がレイの瞳にすっと吸い込まれていく。
二人の体がゆっくりと近づいていき、彼女は目を閉じた。
レイはミサの首に腕を回した。
それから、首飾りの貝を手にする。
「レイさん?」
「もらっていい?」
ミサの顔が真っ赤に染まる。
一つ貝の首飾りは、二つに分かれるようになっている。そして贈った一つ貝の首飾りを、二つに分け、その片方を自分が身につけることで、求婚する意味があるのだ。勇者学院の授業でも習ったことである。
「きっと、お守りになるから」
こくり、と彼女はうなずく。
二つに分けられた首飾りを、レイは自らの首に提げた。
「いつだったか、君は言ったよね」
思い出すようにレイは言った。
「……いつかなんて、待てない。今救いたいんだって。今、一人でも多く、苦しんでいる人を助けたいって思えないなら、いつかが来たって、きっと命なんてかけられないって」
ほんの少し恥ずかしげな様子で、ミサはうなずく。
「あのときに、僕は君のことが好きになった。君があまりに、眩しかったから」
爽やかにレイは笑う。
「ただ剣を振っていられる毎日なら、それでいいと思っていたんだよね。だけど、僕は色んなことに流されるばかりで、優しくもなければ、強くもなかった」
ミサは首を左右に振った。
「レイさんは自分のことを知らないんです。あなたは、誰よりも優しくて、強い人です。いつも自然体で、誰にでも分け隔てなく接することのできる人です」
「そうかな?」
「……そうですよ。だから、わたしは……」
一瞬俯き、ミサはきゅっと唇を噛む。
それから、顔を上げて言った。
「だから、レイさんのことが大好きになりました」
ほんの少し、目を丸くした後、レイは微笑む。
「ありがとう」
ふむ。戦地へ赴く覚悟はできているようだな。
俺は踵を返し、階段を降りていく。
すると、反対側からミーシャとサーシャがやってきた。
「上は取り込み中のようだ。用があるなら、もうしばらくしてからにするといい」
ミーシャはふるふると首を左右に振った。
「アノスを捜してた」
「なにかあったか?」
「別になにもないけど……」
そう言って、サーシャは自分の手をぎゅっと握る。
それが僅かに震えていた。
「なんだ、サーシャ、震えているのか」
「こ、これはっ、違うわよ。そういうわけじゃ……」
「なに、初陣ならば無理もない。かくいう俺とてそうだったぞ」
言いながら、俺は階段を降りていく。
ミーシャとサーシャは後ろに続いた。
「本当に? アノスでもそんなことがあったの?」
「ああ。情けない話、ついつい気が急いてしまってな。奴らに目にものを見せてやると奮い立つあまり、武者震いが止まらなかった。俺としたことが冷酷に徹しすぎて、必要以上に敵を殺してしまったぞ」
サーシャの足が止まる。
振り向けば、白い目で彼女は俺を見ていた。
「あのね……誰がそんな武勇伝を聞かせろって言ったのよ……」
「ん?」
「ん、じゃないわよ。暴虐の魔王に相談したわたしが間違いだったわ」
なるほど。
「なんだ、サーシャ、脅えているのか? くははっ」
「なっ、なんで笑うのよっ。戦争っ、戦争に行くのよっ?」
「これが笑わないでいられるか? くくく、お前が脅えるのか? それだけの力を秘めておきながら、またずいぶんと慎重なことだな」
呆気にとられたようにサーシャが俺を見返す。
「一週間、自習でお前を鍛えた。俺しか相手にしておらぬからわからなかったかもしれないがな。いくら多勢に無勢とはいえ、今のお前はこの時代の魔族に後れを取るような実力ではない」
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<破滅の魔眼>を制御できるようになった今のサーシャは、そんじょそこらの魔族なら、一睨みで勝敗を決するだろう。
「それにお前は一人ではあるまい。同等の力を持つ者がそばにいるのだからな」
サーシャはミーシャの方を見る。
こくりと彼女はうなずいた。
「安心して。サーシャは死なせない」
サーシャは気恥ずかしそうに俯いた。
自分だけ怖じ気づいていると思ったのだろう。
「手を貸すがいい」
「え……ちょ、ちょっと……」
震えるサーシャの手を、手の平で包み込む。
「落ちつけ」
「……はい…………」
「俺が配下をみすみす死地へ向かわせると思ったか?」
「……思わないわ……」
「自分が信じられぬのなら、俺を信じろ。臆することはない。お前は死なぬ。のこのこと遅れて軍に加わろうとやってきたマヌケどもに、俺の配下の力を見せてやれ」
サーシャははっきりとうなずく。
「わかったわ」
手を放せば、彼女の震えは止まっていた。
「ふむ。頬が紅潮しているようだが、まだなにか心配事があるのか?」
「なっ……これは、なんでもないわっ! ちょっと興奮してるだけよ」
「なるほど。勇ましいことだ」
「……か、顔を洗ってくるわ……」
サーシャは勢いよく階段を降りていった。
「ありがとう」
ミーシャがそう言った。
「戦争で平常心というのは無理だがな。しかし、恐怖に飲まれれば、どんな強者もあっけなく死ぬ」
決して、死なせぬがな。
「お前もだ、ミーシャ」
その小さな手を取る。指先がごくごく僅かに震えていた。
「……わかった……?」
「わからぬわけがないだろう」
「……ん……」
「恐いのか?」
「恐い」
「なにが恐い?」
ミーシャは考える。
そして、言った。
「ぜんぶ」
戦場が恐くない者などいない。
敵を殺すのも、味方を殺されるのも、なにもかもが恐ろしいものだ。
虚勢を張らず、恐いと言える者は強い。
「……お前には恐れるなとは言わぬ。その恐れを乗り越え、味方にせよ。お前の
こくりとミーシャがうなずく。
「守るから」
ミーシャが言う。
「アノスが守った平和を、わたしは守る。だから」
彼女の指先の震えが、ぴたりと止まった。
「二千年前の決着をつけてきて」
なにも言っておらぬというのにな。
いつもながら、よく見ているものだ。
「ああ。任せたぞ」
くっ、こいつら、死亡フラグみたいなことばっかり言いやがるっ……!
次話はいよいよ戦場です。
そういえば、昨日は七夕でしたよね。短冊書かれましたか?
私は『WEB小説を毎日更新しますので、心に響く物語を書けますように』って書きました。
叶うといいのですが(ついに面白さを神頼みし始める作者)