『東北タイにおける精霊と呪術師の人類学』
Posted on 2020.07.04 Sat 13:25:35 edit
創作の設定などにどうぞ。
日本語圏では他とかぶりにくいだろう。
呪術師の弟子になって呪術修行して
呪術について研究するのは人類学に分類されるのが面白い。
津村文彦著『東北タイにおける精霊と呪術師の人類学』東京,めこん,2015年
冒頭で訳語問題に触れているのが素晴らしい。
なぜこう訳したのかがきちんと書いてある。
p9から
タイ語のピー(phi)は、
一義的には「霊」一般を表す。
死んだ人間の霊を指すこともあれば、
村の守護霊や自然環境に棲む霊、
また特定の機会に発生する悪霊まで含まれる。
ひとまずはこれらを一括して「精霊」と呼ぶ。
仏法(thamma)
積徳行(thambun)
12から
ピーポープ(phi pop)という悪霊は
人に取り憑いて病や死を引き起こす生き霊である。
呪術師モータムが、取り憑いたのがピーポープか判定する。
場合によっては、ピーポープの本体は誰か、
誰に由来するピーポープかを占ったのち、
取り憑いたピーポープを祓除(ばつじょ、ふつじょ)する。
本書では、
モーと呼ばれる伝統的な知識を用いた専門家を「知識専門家」と呼び、
知識専門家のうち、特に呪術的な実践をもっぱら執り行なうものを「呪術師」と呼ぶ。
主に薬草を用いる知識専門家の中には呪術的実践を行なわない者もおり、
彼らを「呪術師」とは呼べない。
そのため、
呪術師を含む広義の伝統的な知識の専門家モーを「知識専門家」と表記する。
調査村周辺では、
モータム、占い師(mo du)、
毒吹き消し師(mo pao)、
薬草師(mo ya samunphrai)などの多種の知識専門家が活発に活動を行っている。
p21から
東北タイでは、ピーが人類学で伝統的に精霊(spirit)と呼んできたものにあたる。
本書で、ピーを精霊と呼ぶことの第1の意図は、訳語としてのわかりやすさからである。
ピーは多様な超自然的存在を指す。
死んだ親族の霊、村落守護霊、餓鬼のような存在、吸血鬼のような悪霊など、
多様なものを含む。
霊と訳すと日本語では「死んだ人間の霊的な顕現」としての含意が強すぎる。
33から
ナーン・ナークの物語を元にした
1999年の映画『ナンナーク』。
難産で、赤ん坊もナークもともに死んでしまった。
その夜、
モーピーと呼ばれる呪術師がナークの墓にやって来た。
産褥死した母親の遺体から惚れ薬のプラーイ油(namman phrai)を採るためである。
墓場を掘り起こし、呪文を唱えるとナークの死体は起き上がり、
呪術師の前に座り込んだ。
呪術師は蝋燭を死体の顎にかざし、惚れ薬を採ろうとしたが、
怒ったナークの霊は呪術師の首を絞め殺した。
話は最終的に、
ナークの霊を調伏したしるしにナークの額の骨を切り取り、
ベルトのバックルに作り替えて、片時も離すことなく持ち歩いた。
この後、バックルは幾人かの手に渡ったが、
現在の在処はわかっていない。
(他の人に渡しちゃ駄目じゃん)
タイでは通常の死に対して、
異常死を表す「ターイホーン」(tai hong)という言葉がある。
交通事故死、殺人、自殺、産褥死、悪霊に殺された場合、
すなわち病死や老衰や自然死でない場合はターイホーンとみなされる。
ターイホーンでは死者の霊が現世に未練を持つとされる。
死者の霊は凶暴な悪霊ピーターイホーンに変化し、
親族や村落に災難をもたらすとして恐れられる。
葬儀も通常とは異なり、死後直ちに墓地に埋葬される。
葬儀に徳積行としての意味づけは見られない。
死体は3カ月から2年のあいだ地中に埋められ、
異常死の危険な力が排除されたと考えられると、遺体が掘り返され火葬される。
ようやく通常の葬儀の形式をとり、
死者に徳(ブン bun)を送るために供物が捧げられる。
(いきなり焼かない。
埋めないと浄化できないらしい。
徳は死者に送ることができる)
注
輪廻転生の死生観を持つタイでは、
通常死の場合、速やかなより良い生まれ変わりを促すため、
遺族たちは葬儀の前後に、
短期出家や徳を積むための儀礼を行なうことが一般的である。
異常死の霊ピーターイホーンの中でも最も恐れられているのが、
出産時に死んだ若い女性の霊とされている。
ナークの死は言うまでもなくターイホーンである。
しかも出産途中に母子が共に死んでしまうという最も凶悪な部類のターイホーン。
この種の産褥死は「ターイタンクロム」と呼ばれる。
タンは両方、
クロムは完全に を意味し
母と子が両方とも死ぬことを指す。
ターイタンクロムは凶悪なピーを生成するとされ、
遺体の処理にはとりわけ注意が払われる。
胎児が生まれ出る前に母子ともに死亡した場合、
村の呪術師モーピーが埋葬前に母親の腹を裂いて胎児を取り出す。
母子を別々に埋葬し、
悪霊ピープライが発生するのを防ぐ。
胎児の遺体は素焼きのツボに入れられ、
呪文の描かれた護符で封印される。
ツボは墓地に埋めたり、川に流したりした。
この死産児の処理の仕方は、
モーピーが悪霊を捕らえた時と同様で、
死んだ胎児は悪霊の様に扱われる。
ターイタンクロムで死んだ霊は、
ピープラーイになるという。
妊婦が死ぬと胎児はピープラーイに変質し、
妊婦の血を吸うといわれる。
ターイタンクロムの時に、
母親の遺体から胎児を取り出さないで母子を一緒に埋葬すると、
死んだ胎児がピープラーイとなり、
出産時の妊婦や大けがをした人などの血を飲みあさる。
こうして分娩時の大量出血はピープラーイに帰せられ、
ピープラーイ払いの儀式が行なわれる。
プラーイ油(namman phrai)は妊娠中や出産中に死亡した若い女性の死体から採れるという。
ターイタンクロムの死者が出ると、
プラーイ油(namman phrai)を狙う呪術師は夜中に遺体が埋葬された墓地に向かう。
聖糸を周囲に廻らしては結界を作り、
呪文を駆使して死者を呼び出す。
墓場から起き上がった死者は、手を前に突き出して呪術師を抱えるように座り込む。
呪術師は蝋燭を死体の顎にかざし、
熱せられて流れ出す油を瓶に集める。
(なぜ顎なんだろう)
十分な量を集めると、
今度は蝋燭の火を死体の肘にかざす。
そうすると死者は呪術師を抱え込んでいた手を放して、
自ら墓場に戻っていく。
集められた油は素焼きのツボの中に入れ、
呪文を描いた護符で封印。
ツボは家の高い棚に置かれ、一日に2度の食事を供える。
怠ると腹を空かせたピーが逆に呪術師を襲い、
内蔵を食べてしまうと信じられている。
このプラーイ油(namman phrai)は惚れ薬である。
塗られたり、食事に混ぜられたりすると、
その人は呪術師の思い通りに恋に落ちる。
プラーイ油(namman phrai)を使ってピープラーイを操り、
敵を攻撃したり、敵に憑依させたりすることもできるという。
(
プラーイ油(namman phrai)って操作油と意訳できるのでは?)
87
現実のピーポープ伝承の中では、発生理由が大きな関心事となる。
ピーポープは神秘的知識であるウィサー(wisa)を保持する者が、
適切な振る舞いを怠った場合に発生すると考えられている。
ウィサーには、恋愛成就や商売繁盛に関わるような利己的な利益を招く呪術が多く含まれ、
そうした呪術は効力を維持するために守るべきタブー(khalam)が課せられる。
そのタブーを破った場合にピーポープが発生すると考えられており、
男性にも女性にも起こりうる事態である。
115から
ピーについての在俗専門家はタイのほか地域ではモーピー(mo phi)と称されることが多いが、
東北タイではモータムがその代表。
モー(mo)=知識を持った専門家、
タム(thamma)=仏法。
村人に取り憑いて病や災厄を引き起こすピーに対して、
仏法に由来する力によって対処する俗人男性の宗教専門家がモータム。
モータムには呪文に加えて薬草などの伝統医療の知識を持つ者も多い。
患者からの謝礼だけで生計を立てているのではなく、
他の人びとと同様に稲作を営むことが多い。
世襲的に伝承されるというよりは、
個人が個別に師匠について学ぶ。
神秘的な力の源泉は仏法であり、
仏教戒律やその他のタブーの順守が求められる。
そのためモータムには若者より高齢者が多く、
日常的に生肉の食事や飲酒、殺生の禁止などを守っている。
モータムは敬虔な仏教徒。
モータムは在俗。
東北部村落における呪術的な宗教専門家には次のような類型がある。
モーソンmo song(予言者)、
モードゥーmo du(占師)、
モーモーmo mo(紛失物の所在を知る人)、
モーヤーmo ya(薬草治療師)、
モーラムmo lam(ピーファーの霊媒)、
モータムmo tham(悪霊祓除師)、
モークワンmo khwan(魂の専門家)、
チャムcham(守護霊の仲介)、
ティアムtiam(霊媒)。
現在のNK村ではモータムとモーヤーのみが見られる。
日常語としては「モー」は「医師」を指す。
病院の医師もモー、
村落に居住して薬草や呪術などの伝統的技術によって治療を行なう伝統医療師もモー。
121
事例5-1 2000年1月 NK村
モータムは持参した竹ひごの束と石灰を塗ったキンマの葉を取り出す。
患者の娘が、ろうそくや白色の花を5組、10バーツ硬貨を盆に入れて供物として差し出す。
※モータムが儀礼を行なう際の供物のセットで、
カンハー(khan ha)と呼ばれる。
これとは別にモータムに謝礼として少額(20~100バーツ程度)の現金を支払うのが一般的。
(今調べたら1 バーツ は3.38 円)
モータムは供物盆を持ち上げ、周囲には聞こえない程度の小さい声で呪文を唱える。
竹ひごを1本手に取り、呪文を唱えて竹ひごに息を吹きかけたあと、
その竹ひごを端から少しずつ折り曲げる。
原因がピーで、誰のピーかを調べる。
患者の女性に憑いているピーは2人で、
女性の伯母のピーと兄のピーだということが
竹ひごの占術で判明。
ピーの要求を聞く。
以下略。
特に両親の霊の場合はたとえピーであっても敬うべきで、
モータムは呪力(タンマ)を行使すべきではないとされる。
NK村で語られる悪霊には、
ピーポープ、
ピープラーイ、
ピーファー、
ピーパー、
ピーナー、
ピーソンなどがいる。
一般的なピーの分類では、
ピーファーという天の精霊、森のピー、田圃(でんぽ)のピーなどの
自然霊は「善霊」と分類されることが多いが、
これらの「善霊」はしばしば人に取り憑いて病いを引き起こすため、
現在のNK村の住民には「悪霊」とみなされることが多い。
ピーファーというピーを駆使して治療を行なう専門家はモーラムピーファーと呼ばれ、
東北タイに多い。
ピーファーは守護霊の中でも最高位にあるとされ、
自らの宿り主となる人物を選んで病気にさせ、
その人をモーラムピーファーにさせることが多い。
ピープラーイは頭頂部から身体に侵入するので、
最初は頭痛、のちに身体じゅうの痛みに苦しむ。
これはピープラーイ特有の症状だという。
事例5-3
かつて夫に愛人ができた時に、
自分の身体に呪的な入れ墨を施して、
愛人と別れさせたことがあると噂されている者。
その呪的な入れ墨を受けた時に、
一緒にタブー(khalam)を授かった。
タブーを守っているあいだは呪的な効力を持っていたが、
守ることができなくなり、ピーポープが発生した。
入れ墨を施した呪術師は既に他界しているので、誰にも救うことはできない。
ピーポープは呪術的入れ墨(sak yan)を持ちながら守るべきタブーを遵守しなかったために発生した。
いずれの悪霊も正常な秩序からの逸脱によって発生したと位置づけられる。
一般に悪霊とされるピーに対しては、
常にそれを祓除(ばつじょ、ふつじょ)する、捕獲する、殺すのいずれかの手段を取る。
善霊へのようにピーの要求を尋ね、宥めるのではなく、
悪霊はモータムにとって常に敵で、
追放し退治することが唯一の解決法とされる。
ピーが満足すれば、見返りによって守護される。
(見返りとしての間違い?)
供物を通じて契約をあたかも行っているようであり、
人間のように扱われている。
142から
どう解釈するかという方法論の検討がある。
(かなり重要。オリエンタリズムなどへの反省)
悪霊の中でも村人たちの話題を最も集めるピーがピーポープ。
ピーポープは自然発生するのではなく、
2通りの発生経路があるという。
1つは家系を通じてから継承される「家筋のポープ」で、
もう1つは呪術師モータムなどがタブーを破った時に生じる「普通のポープ」。
家筋のポープはピーポープを持った人間が死ぬまえに、
唾液を介して継承する。
ピーポープを持つと噂される人によって出された飲食物は、
唾液を混入しているかもしれないので避けるべきだとNK村では語られる。
普通のポープはモータムなどの宗教専門家が、
タブー(khalam)を破った時に、
その人が持つ神秘的力 ウィサー(wisa)が変質して発生するとされる。
モータムには多くのタブーが課せられる。
たいていのタブーは守れなくてもウィサーが弱まるだけで、
ピーポープは発生しない。
だが動物の生き血を口にすることは厳しく禁じられており、
破るとウィサーがピーポープに変質すると言われている。
牛の血を使う料理を口にしてはならない。
儀礼を途中で止めた場合、呪文で病を引き起こした場合、
治療儀礼に過剰な見返りを要求した場合、師匠を敬わなかった場合などにも発生。
148から
(事例がいろいろ紹介されている。
貨幣経済の流入が原因だとみられるピーポープ事例がある)
事例6-1 2000年
僧侶L師と、呪術に長けた僧侶R師。
両者ともに宝くじの番号当て占いを行ない、
R師が当てて以来、二人の僧侶は不仲になった。
L師が体調を崩すと、R師が自分に呪術をかけたと訴えた。
仲たがいは激化してRは村を去った。
村人がもち米をのどに詰まらせて死ぬという異常死がきっかけに大事に。
モータムはLのピーポープが原因と断言。
Lが村を去る。
村ぐるみの祓除儀礼を行なう。
4体のピーポープを捕らえ、竹筒に入れて呪符で封をして墓地に埋めた。
3ッ日間のあいだ、日の暮れたあとは村の中で買い物禁止になった。
だがすべての村人が言いつけを守らないでいると、
数日後30代女性にピーポープが憑いた。
翌日、僧侶P師が、終日の村内での買い物を禁止し、
その後はピーポープに煩わされることなく村は平穏を取り戻している。
村外から村内に流入する貨幣への不信感を見て取ることもできる。
村外出身のRが、呪的サービスによってコーンケーン市からもクライアントと寄進を集めた。
そのことへのLの妬みが両僧侶のあいだの確執の根本を形成しているといえる。
最終的に混乱を収めた僧侶Pが村内での買い物を禁じることで収拾した語りは、
村落外部から訪れた何かが村落内部の人間関係を破壊するという意味で、
ピーポープと貨幣を同一視する見方を内包する。
貨幣が「それまでの人間関係を瞬時に無化してしまう道具」であるならば、
伝統的価値観に支えられた人間関係は、
貨幣で媒介された途端に弱体化されてしまうと言える。
貨幣経済の急激な浸透が、
従来の村落共同体の価値観やモラルに対する脅威であったことを考えると、
外来の貨幣経済とピーポープのあいだに共通するものを見出すのは
さほど無理なことではない。
(
貨幣経済が悪霊扱い)
呪的入れ墨を施して神秘力ウィサーを手に入れることができるが、
タブーが課される。
守れないとピーポープが発生。
(
戒律で悪霊にならないように力を制御)
155から
ターイホーン(異常死)の場合、
NK村では僧侶を招いての火葬ではなく、
すぐに墓場に移動して棺に入れて遺体を埋葬する。
半年から数年後に掘り出して火葬し、
親族が積徳行(善徳をブンという)で死者に徳を送る。
埋めているあいだに異常死ターイホーンがもつ怖(おそろ←本文にはルビなしなので私の補足)しい力が
大地の女神メートーラニーに
吸収され浄化されると説明される。
178
産婆も按摩師もモー。
タムは仏法。
クワンは魂、霊魂。
ヤーサムンプライは薬草。
モータムは仏法を背景に力を用いる。
タイでは制度的に男性しか出家が認められていないので、
モータムは男性に限られている。
182から
著者自身がモータムであるT氏のもとで弟子入りをして、
秘匿的知識を学んだ。
モータムは必ずしも僧侶(phra)や見習僧(nen)としての出家経験は求められない。
T氏も出家経験がない。
身体の不調や村落における不幸な出来事など、
何らかの災厄に見舞われたことが契機となって、モータムを志す場合が多い。
林行夫によると、自分と家族・親族を悪霊の災禍から守るためにモータムとしての学習を志したと語るモータムが多く、
彼等のほとんどはもっぱら親族内部での活動に終始するという。
NG村、NK村の事例もこのことを裏付けており、
T氏やBR氏のように父親がモータムであったためにモータムを志し、
親族以外に多くのクライアントを持つモータムはむしろ例外的。
林は、このようなクライアントを親族の外部に拡大していくタイプ、
〈クライアント拡大型〉のモータムはより専業的な職能者としての性格を帯び、
謝礼額もより大きくなると指摘する。
謝礼は、T氏の流派では、
通常の治療儀礼でクライアントが支払う謝礼はおよそ10バーツから100バーツ程度である。
謝礼の額はクライアント次第で、
モータムが自ら金額を要求することは多くの流派でタブーとされている。
悪霊ピーポープを村ぐるみで祓除する儀礼では、
より大きな謝礼が支払われることもある。
たとえば、1999年にT氏がNK村でピーポープを祓除した際には
6体のピーポープを祓除して、
6000バーツを謝礼として受け取った。
一方、親族や村落内で活動を行なうモータムの場合、
クライアントは1回あたり5~20バーツ程度の謝礼を支払う程度で、
依頼の数も非常に少ない。
クライアントと弟子の数の多寡が、
モータムとしての名声と直接に結びついており、
多くのクライアントと弟子を抱えるモータムは結果的に優れたモータムとして語られる。
病の治療に訪れるクライアントも、
モータムとしての知識を学ぶ弟子も、
タイ語でともにルークシット(luksit)と呼ばれる。
弟子にとっての師匠はタイ語でクルー(khru)または
アジャーン(achan)と呼ばれる。
(グルと阿闍梨)
単発的な治療で数回程度の訪問で終わるクライアントは単に患者であって、
ルークシットとは呼ばない。
定期的に師匠のもとを訪問するかどうかで区別する。
たとえばモータムT氏のルークシットは、
少なくともタイ正月、入安居、出安居の年に3回は
T氏の自宅を訪れて、供物を捧げる。
水かけ祭りとして有名なタイ正月ソンクラーンは4月13日で、
タイでは一般に太陽暦の元日や中国正月よりも盛大に祝われる。
また陰暦8月の満月から3カ月は、
僧侶は寺に籠って修行に専念する期間とされており、
それを雨安居(phansa)と呼ぶ。
雨安居が始まる日を入安居(カオパンサー)、
雨安居が終了する日を出安居(オークパンサー)と呼び、
特に出安居の日には大きな蝋燭を寺院に献上する祭が各地でみられる。
(
タイは太陽暦だけどテーラーワーダーは今も月系。
太陽派のキリスト教と新キリスト教は気に入らんだろうな)
タイ正月は伝統的に年長者や僧侶の手に水を掛けることで敬意を表すためのもの。
モータムT氏によると、志願する者をすべて弟子として受け容れるわけではない。
重要なのは「誰かを救いたい」という真摯な思いがあるかどうかだという。
師匠は、志願者になぜモータムの知識を学びたいのかを尋ねる。
「自分の身を守るため」というだけでは不十分であり、
「家族の病いを癒したい」「村人を助けたい」というように他者を救済する目的がなければ
弟子として受けいれられないとT師は語る。
2009年9月、筆者の師匠の1人であるモータムBR氏を5年ぶりに訪ねたとき、
筆者が最初に言われたのは「最近どうしてる?」ではなく
「最近人を癒しているか?」であった。
モータムの知識は何よりもまず人を助けるために使うべく認識されている。
モータムには道徳的な清廉さが求められる。
金銭のためにモータムの術を行なうのではなく、
人を救うのが自分の義務と感じることが必須であるという。
モータムには多くの厳しいタブーが課せられており、
タブーの順守によって、モータムは村人からの信頼を得る。
年老いたのちも、長老として村内の重要な決定事項に関わることが多いのもそのためである。
モータムになるための過程は、
アジアの多くの宗教専門家に見られるような直観的で体験的な行為による修行というよりは、
知識の獲得が中心である。
かつて東北タイでは、知識ウィサーを学ぶため、
東北タイの各地や、同じラオ系民族が居住するメコン川の向こうの現在のラオスを、
数カ月から数年かけて遍歴する伝統が見られた。
より神聖(saksit)なる知識の噂を聞きつけると、
その持ち主を訪ねて新たな知識を学ぶ。
そのため、モータムは複数の師匠を持つことが多い。
また学ぶ知識も悪霊払いの呪文だけではなく、
病治しに効力があると聞くと伝統医療の専門家からも知識を学ぶ。
時には薬草師や毒吹き消し師(mo pau)のもとで呪文や薬草についての知識をも学ぶ。
そうして複数の師匠から得た知識を場面に応じて使い分ける。
モータムでありながら薬草師であり毒吹き消し師であるというように、
多種のモーを兼ねることは珍しいことではない。
より多くの知識を学び、自らの知識の種類と量を増やすことに満足を覚えるような人物が
モータムに多い。
他のモータムの知識や技術を批判的に語ることが多い。
彼等は村で噂として語られる他のモータムの治療や祓除の成果をよく記憶していて、
他のモータムが自分より優れているかどうかを敏感に把握している。
自分の知識や力で対処しきれない場合には、
クライアントに自らが信頼するモータムや師匠のモータムを紹介することもある。
足が痛くてクライアントの家まで行けなかったモータムTが、
「モータムのTが来るぞ」と患者の家のまわりで私の名前を叫びなさいと指示を出したら、
それだけでピーは患者から出て行った。
ピーも私のことをよく知っているのだ。
191から
ある人が師匠から知識を学ぶことが許されたあとの学習過程は、
呪文の学習、
ヨッククルー儀礼、
タブーの遵守と大きく3つに分けられる。
(タブーの遵守が力の源泉の一つ。
ハンター×2を思い出したがこの漫画は西洋魔術由来だろうな。
タイ魔術の文献は少ないからね)
呪文とはモータムが治療や悪霊祓除の儀礼で用いる経文のことで、
パーリ語の詩文を指す「カーター(khatha)」、あるいは
仏陀の威光を意味する「クンプラ(khunphra)」と呼ばれる。
呪文はモータムが学ぶもの以外にもあり、
それらはカーターと呼ばれる。
たとえば息を吹きかけることで治療行為を行なう呪医モーパオは、
治療に用いる経文をカーターと呼び、クンプラと呼ぶことはない。
彼等はモーパオの力は仏教とは関係がないからだと説明する。
それに対し、仏法の力に由来するモータムの呪文は、
カーターであり同時にクンプラである。
通常、入門者は師匠の自宅を訪ねて呪文を学ぶ。
師匠が唱えた呪文、あるいは師匠のノートに書かれた呪文を、
自分のノートに書き写し、暗唱できるようにする。
呪文はイサーン語の部分もあるが、パーリ語やサンスクリット語で書かれた部分も多く、
たとえ師匠であっても詳細な意味がわからないことが多い。
ノート自体は神聖ではないが、
呪文が書かれることで神聖な力が付与されると考えられ、
ノートは通常仏壇を安置する仏棚の上に保管されている。
モータムの知識は師匠から弟子へと筆者を通じて伝承されるが、
伝承過程で一部が誤って書かれたり、
脱落したりすることは頻繁に起こる。
筆者がモータムT氏のもとで呪文学習をしていた際にも、
数カ所の間違いが見つかった。
※モーウィサーと呼ばれる知識専門家には、
呪文を書き写すことを禁じる流派もある。
書かれてしまうと力が失われるとされる。
また伝統文字のコーム文字を用いて呪文を書く場合にも
元の意味がたどれないほど崩した字体で書かれたりする。
コーム文字は古代クメール系文字で、主に碑文や仏教文書に用いられた。
ノートに書かれた文字、表記が正しいかどうかを師匠が見て確かめることはない。
文字はあくまでも音声を書き留める道具にすぎず、
確認や訂正は常に音声を介して行われる。
呪文が実際に使われる場面では、本人にしか聞こえない程度のささやき声で
唱えられるだけである。音声を介した伝承の正確さが確認される局面はなきに等しい。
表題が付いた呪文もあるが、ほとんどは最初の数フレーズをもって、
その呪文の呼び名にする。
多くのモータムは呪文の意味を断片的にしか理解していない。
東南アジアの伝統的な書承文化では、
書かれた文字情報よりも、
読まれた音声に重点が置かれることが多い。
(
ほとんどの人が使わない文字は呪文用文字になる。
呪語、呪字。
呪文の文言って何でもいんじゃないの?
こういう効果があると思っていれば構わないのでは?
意味が重要な呪文と
音声が重要な呪文があるけど、
意味と音声すら重要ではなく、
唱えて場を異質にできれば構わないのでは?)
197から
呪文を暗記することは、聖なる力を身体の中に取り込むことをも意味する。
まさに「呪文の学習は身体を変容」させる。
(
呪文を覚えること自体が呪力(魔力、法力)をため込む修行。
ハリーポッターとかだと覚えること自体は魔力増加にならないので新鮮)
T氏の 流派では、一定の数の呪文を暗唱できるようになると、
ヨッククルー儀礼を行なう。
師匠(khru)を崇める(yok)という意味。
師匠とは眼前にいる師匠のモータムを指すが、
その師匠の師匠、さらにその師匠も意味し、
究極的には師匠の祖であるブッダを含意する。
以下、筆者が体験したヨッククルー儀礼。
※筆者の師匠であるT氏は死去したので、
以下の儀礼の師匠はT氏の兄であるBR氏。
2004年、
弟子である筆者と師匠は、
ともに左肩に布(pha sabai)をかけて、仏日に寺院を参詣するのと同じ正装に整える。
パーサバイを肩に掛けるのは仏日の参詣だけでなく、
モータムが治療儀礼などを行なう時には、
必ず何らかの布を左肩にかける。
この布1枚を身につけることで、
モータムは日常的なモードから宗教的なモードに切り替わる。
筆者の背中に、師匠が息を吹きかける。
なぜか吹きかけられた息がとても熱く感じられ、
その熱さが脊椎をじわじわと伝わっていく感覚がする。
そのあと、師匠はイサーン語で仏像に向かって弟子である筆者の説明をする。
「このたびトゥムラがモータムになる。モータムを志したのは、
村人を助けたいからである。これからはトゥムラを守ってください」
さらに師匠が筆者に語りかける。
「目の前のブッダを見なさい。今後苦しいことがあったら、
このブッダの顔を思い浮かべなさい」
(タイ語およびそれに似た言語話者はツが発音できないらしい。
息を吹きかける技術の発想の源流はバラモン教だろう。
息は霊であり命であり他者にも移せるという思想。
煙を吹きかける術がどこかの魔術にあるはず。
”第一章
5・17-21
(父から子への)遺贈の儀式
父が自分はまさに死のうとしていると考えるとき、
次のように息子に言う。
「お前はブラフマンである、
お前は祭祀である、
お前は世界である」と。
息子は
「わたしはブラフマンである、
わたしは祭祀である、
わたしは世界である」と答える。
父が世を去る時に、
父は生気(=生命の機能。プラーナ)と共に
彼の息子の中に入る。
父によって何かあることが誤ってなされたとしても、
息子はそのすべてからこの父を解放する。
それゆえに、彼は”息子”(putra)と名づけられる。
息子によってのみ、父はこの世において確立されている。
それから、これらの神的な不死の生気が息子の中に入る。
神的な言葉、神的な思考、神的な息が息子に入る。
神的な息は揺らめきもしなければ傷つけられもしない。
死のせいで言語も視覚も聴覚も疲れる。
しかし、真ん中にあるこの息――まさに、これに死は到達しなかった。
(音声言語、つまり声を出す。
音声言語は口から出る。
息は口から出入りする。
肉体が変わるだけで中身が同じって思想!
プラーナは不死。
息は不死。
不死なる息が代々父から息子に継承される。
…
第一章最後の個所
6・3
身体(アートマン)は三重であるけれども、
一つであり、この自己(アートマン)である。
自己は一つであるけれども、この三重であるものである。
これは不死であって、真理によって覆われている。
不死なるものはまことに息である。
真理は名称と形態である。
この息は、それらの二つによって覆われている。
(アートマンは不死。
息は不死。
不死なる息を覆うのが名称と形態)
…
”3・5
しかるに息、および自己の内部にある、この虚空は形態を具えていない。これは不死である。これは運動している。これはティヤムである。右の目の内部にいる、この人間――これは、この形態を具えていないもの、この不死なるもの、この運動しているもの、このティヤムの精髄である。なぜなら、これはティヤムの精髄であるからである。”
p.45
(右目は息の象徴だとわかる。
この章の前後に左目は~という記述はない)”
)
ヨッククルー儀礼の中で、ブッダあるいは師匠から弟子に分け与えられ、
弟子の身体に宿る力はクンプラと呼ばれる。
師匠から教わる呪文も同じくクンプラと称される。
クン(khun)は功徳、
プラ(phra)とはブッダや僧侶を指し、
クンプラがブッダがもたらす神聖なる功徳を意味する。
(
ヨッククルー儀礼で師匠が弟子にエネルギーのある息を吹きかけて
クンプラ=力(息あるいは息の力+ブッダパワー)を分け与える。
クンプラは意訳したら「法力」かなあ。
日本の大乗系呪術と上座部系呪術は原理が違うかもしれないので
法力という訳語はよくないかも)
T氏によると、モータムの知識の全体を木に喩えると、
幹にあたる部分がクンプラであり、
枝葉の部分がウィサーだという。
護符の作成はウィサーであり、
敵の身体に水牛の額の皮を送り込んで攻撃する術もウィサーである。
(すごい術が出てきたぞ。
脳に送られたらヤバいじゃん)
ウィサーは両義的な力で、
病を引き起こしたり、恋愛呪術に用いたり、
悪い目的に使われる場合もあるのだが、
クンプラはブッダの功徳であり、常に善の側に置かれている。
呪文を暗記することで身体に呪文に宿っているクンプラが蓄積し、
それに加えてヨッククルー儀礼を執行することで
師匠=ブッダからクンプラが分け与えられる。
ヨッククルー儀礼を経ることによって、
弟子の身体内に既に蓄積されているクンプラという神聖なる力が実効性を持つ。
呪文の学習とヨッククルー儀礼は、
どちらが欠けても不十分であり、両者が組み合わさることによって、
モータムの力が本来の効果を発揮すると考えられている。
ヨッククルー儀礼を終えると、モータムの力の根源たるクンプラが弟子の身体に宿り、
技術的な知識ウィサーも使用可能になる。
さらにクンプラやウィサーを良い状態で身体に保持するためには、
カラムと呼ばれるタブーを遵守する必要がある。
タブーは流派によって異なるが、
共通するのは仏教における五戒である。
また洗濯物を干す紐の下をくぐり抜けてはならない、
女性の巻きスカートに触れてはならない、
雨安居の期間は自宅で就寝しなければならないなど、
日常生活に関わるさまざまなタブーが課せられる。
病死の獣肉が禁じられるほか、
十種の獣肉(人、熊、獅子、
トラ、豹、大トラ、
馬、
象、犬、猿。
流派によっては蛇や猫が含められる)、
いくつかの野菜、さらに生の血が入った食事が禁じられる。
ラープディップという生の牛肉や水牛肉をミンチにした料理が
東北タイではしばしば食される。
タブーを守らなければ神秘的な力が失われ、
治療儀礼が効かなくなったり、
自分自身の寿命を短くしたりする。
タブーを破り、モータムとしての潔癖さが損なわれると、
自分の身体に保持するウィサーが悪霊ピーポープに変質し、
災厄を及ぼすとも考えられている。
(
呪力の制御を規則の遵守で行うのも新鮮。
イメージで制御という記述が確かなかった。
きちんと守れば、イメージより安全に制御できそう。
人同士の呪術戦の予防にもなる。
ピー相手と違って実体化の過程が不要なので人同士の戦いはヤバそう。
戒律のおかげで殺し合いにはなりにくそうなのが救い。)
200から
悪霊を可視化する技法
細く切った竹の棒で占う、シアンモーという卜占。
竹の棒の束を持って、
まわりの人に聞こえない程度に呪文を唱え、
竹の束に向かって息を吹きかける。
その時モータムは卜占の内容を頭の中で思い浮かべる。
たとえば
「奇数ならピーが病の原因、偶数ならそうではない」と声に出さずに決めて、
竹の棒を1本手に取り、端から折り目を付けてゆく。
端まで折ったあと、折り目の数を声を立てずに数える。
同じことを3回繰り返して、
折り目の数が奇数の棒が多ければピーが原因であり、
偶数の棒が多ければピーは原因ではないことがわかる。
(
他にも卜占方法が紹介される。
自分で判断基準をきっちり決めることが重要で、
他は重要ではない気がする)
村人は通常は見ることのない道具を目にする。
日常的なコンテクストから切り離されて用いられることで、
そこに卜占という日常性から離れた場が生成する。
モーパオはアジャーン・パオ(パオ先生)とも言う。
パオ(pao)とは息を吹きかけることで、
病を治療したり毒を払ったりする。
宗教儀礼の成りゆきは、
目の前の道具を介して、
目に見えるかたちで示される。
つまり呪術的な力は可視化される。
その意味で卜占が人びとにとって感知され、説得力を持つためには、
道具は不可欠な要素と言える。
患者の首と両手首、両足首を聖糸で縛り、
供物の花の上で、ろうそくの火を回しながら呪文を唱えて、
患者に息を吹きかける。
聖水を飲ませ、体に浴びせかける。
ピーポープの本体の名前と居住地、
何体のピーポープがいるかなどを聞き出す。
ピーポープは強力なものほど数が多い。
3体以上が合わさって初めてピーポープとして発現し、
もっとも強力なピーポープでは、1人の患者の中に9体が潜んでいるという。
ピーポープが口にした名前と住所によって、
異界の存在たる悪霊が、
現実の空間に占める座標を確定する。
本体を明らかにしたピーポープはもはや理解不能な存在ではなくなり、
世界に具象化される。
事例7-15
かつてモーラムピーファー(精霊ピーファーの力を借りて、
踊りによって病治しなどを行なう女性の知識専門家)だったが、
やめたあともピーファーに悩まされた女性。
正気を失ったように何かを叫んでいた。
聖糸を首と手首・足首に巻き付け、
呪文を書きつけた棒で身体を押さえつけ、
鉄筆で額に呪文を書きつけた。
聖水をかけてピーファーを追い出した。
だがピーファーは血筋に沿って発生するので、
また憑かれるかもしれない。
いずれの祓除儀式でも、呪文だけでなく、
モータムの用いる道具が決定的な役割を果たしている。
日常の中のありふれた道具を
モータムが用いることで、
日常的な次元から離床し、異界の存在と直接に触れ合う
特殊な道具、呪具となり、
それを介してピーの存在が保証される。
いわば、ピーは道具を介して可視化される。
ある手順をとることで、日常生活の中にある道具が呪具へと変容する。
治療儀礼や祓除儀礼では、道具を両手で挟み、
合唱(wai)のかたちで口元にものを添え、
まわりの人に聞こえないぐらいの小声で呪文を唱える。
呪文を詠唱した直後、
合掌した手に持った道具にフーッと息を吹きかける動作が頻繁に観察できる。
呪文の詠唱と息の吹きかけこそが、
道具を聖化する技法である。
(
息を非常に重視しているのはバラモン教由来だろうな。
仏教もバラモン教のこの概念は継承したっぽい。
だからこそ音声重視)
211から
仏教的な力を媒介としない超自然的な力、
サイヤートと呼ばれる呪術もある。
サイヤートには、
敵を殺す術、
水牛の皮を敵の腹の中に送り込む術、
人を好きにさせる術、
嫌いにさせる術、
失くしたものを見つける術、
犬に言葉を食わせる術(うまく話せなくさせる)などがある。
モータムの力は、サイヤートをかけるためではなく、
解くために、つまり積徳のために用いるべきだとT氏は言う。
215
暗記による呪文の身体化と、
呪文と息による神秘力の道具への転化、というモータムの宗教実践の2つの特徴。
そうした特徴は、
仏教伝統を標榜するモータムに限られたものではなく、
サイヤサート(saiyasat)という東北タイにおける神秘力の観念に広く共通したものである。
(
倒せるように物理化させる。
物質化、可視化して物理で叩けばいい)
220から
タイの伝統医療の祖と目されているのが、
ジーヴァカ・コーマラパットである。
ブッダと同時代の治療師とされ、
仏教経典にもジーヴァカの治療の様子が記されている。
19世紀以前の医療状況についての記録はあまりないが、
アユタヤ王朝期(1351~1767年)には既にインドや中国、
西洋の医療が影響を与えていたようで、寺院では医療教育も行なわれていた。
医療師は宮廷医と民間医に区別されていた。
宮廷医の知識が19世紀末以降に公的な「伝統医学」としてまとめあげられていく。
バンコク朝以降は、インド起源のアーユルヴェーダが伝統医療の中で卓越する。
ラーマ3世期(1824~51年)には、当時の宮廷医らの医療知識が集成されて、
ワットポー寺院に壁画や石刻文、彫像として収められた。
この時代は、東南アジア大陸部においてヨーロッパ諸国の影響が増してきた時代で、
列強の脅威にさらされるなか、
タイの伝統知識を有形化して内外に示す目的で医療知識が図像化されて集成された。
西洋医療がタイに伝わったのは1820年代以降のことである。
特に1830年代以降に医療伝道を重視したプロテスタントの活躍が活発化すると、
近代医学の知識が王宮を中心に広がっていく。
タイで著名な伝道師で西洋医のブラッドレーは1835年に訪泰し、
天然痘の予防接種や、白内障の外科手術などをタイで初めて実践した。
タイで初めてタイ語印刷に成功したのもブラッドレーであり、
ラーマ4世との親交も深く、
英語や科学的な知識で国王に伝えたりもした。
(新約やマニで分かるように医療と布教はセット)
1923年に医療従事者登録が義務づけられると、
伝統医学の専門家は公的な医療の場から排除されてゆく。
しかし伝統医には公的な資格免許が発行されている。
第2次世界大戦前までは無試験で資格を取得することができたが、
戦後は公衆衛生省が設定した教育課程の修了と国家試験の合格が義務づけられた。
伝統医学は医学、薬学、産婆学の3科に分かれ、
免許保持者のもとで、医学は3年以上の、
薬学と産婆学は1年以上の訓練を受けたのちに国家試験を受験できる。
合格すれば、医師や看護師と同様に、
伝統医療師として公認される。
受験者は薬学が他の2つと比べて多い。
呪術的実践は排除された。
呪術的な土着医学は排除された。
タイにおける制度的医学は、19世紀以降の西洋由来の近代医学と、
同時期に公的に再編された伝統的な医学である伝統医学と、
公的な伝統医学から排除された呪術的な実践を含む土着医学という3つの流れを見ることができる。
もちろん、村落における医療現場では伝統医学と土着医学が混淆することも多く、
両者を総称して伝統医療と呼ぶ。
タイの伝統医療には、大きく2種の病因論が見られる。
人体を構成する四つの要素の内的平衡が乱されることによって病が生じるというものと、
外部から異物が身体に侵入することで病気が引き起こされるとするものである。
前者は、
インドのアーユルヴェーダと中国医学の影響を強く受けたものである。
上述の2つの伝統的な医療のうち、
制度化された正統的な伝統医学に見られる。
人体は、土、火、風、水の四大素から構成され、
それらのバランスが崩れると身体に異常が現れる。
季節、年齢、時間が病の主要な原因、
場所(所在地の気候)と
行為(通常の能力を越えて何らかの活動を行なったかどうか)が問題とされる。
後者では人体に外から何らかのものが侵入することで異常が発生すると考える。
悪霊や呪術などが外部からの異物とされる。
内部からの流出も健康状態に関連して想像される。
霊魂(khwan)が何かの機会に身体から離れてしまうと、
病気になったり精神的に不安定になったりする。
そのためクワンを身体につなぎとめるスークワン儀礼が執行される。
後者の病因論は非科学的として伝統医学から排除され土着医学として位置づけられながらも、
村落部で非公認の医療師によって継続されてきたと総括できる。
(
マジで呪術としか思えない症例はあるからなあ。)
ヤー=薬一般
サムンプライ=薬用植物
229から
テーワダーは地域全体を守護する神のような存在。
メートーラニーは東北タイに限らず、
タイ全国で信仰されている土地女神である。
ブッダの瞑想を邪魔しようとした悪魔を、その黒髪から絞り出した大量の水で
流し去ったと伝えられている。
長い黒髪から水を流している姿のメートーラニー像はタイ各地でみられる。
256から
ひとたび「○○ならざるもの」として呪術を捉えてしまうと、
呪術はその対立項の呪縛から逃れることが困難になり、
結果的に、呪術の中核を迂回した議論に向かわざるを得なくなる。
マリノフスキーは
「呪術が行なわれるとき、かならずあることばが発せられたり歌われたりし、
ある行為が行なわれる。そしてかならず儀礼をつかさどるものがいる」とし、
呪術の本質的側面として、
「呪文、儀礼、儀礼を行なうものの身分」の三つを挙げる。
(
呪術師が俗な存在でないと認識されることが重要)
師匠から弟子への限定的な伝授や、
厳格なタブーの存在によって、
モーの持つウィサーなる知識は、
身体性、秘匿性を帯び、
村落の普通の日常から離床した非日常性を帯びる。
多くの村人にとってピーが持つ意味を考える中で、
日常の中でのわからなさがピーの直接経験と合わせて語られることで
恐怖を生成し、理解不能なまま受けいれられて現実を構築している。
聖なる力が身体と道具に具象化されることで、
呪術的な力という不可視のものが操作可能なものとして現実の中で表現される。
ピーは「わからなさ」「理解不能性」を中核に持つ概念であるので、
「いるか/いないか」という捉え方にはそぐわない。
息の吹きかけの中で一つの呪術的な現実を生成させる。
息を吹きかける(パオする)とコブラによる腫れと痛みが引いていく。
タイの呪術的実践の中では護符や仏像を聖化するときに息を吹きかけることが多い。
280
モータムは悪霊祓除の儀礼の中で、ピーが取り憑いたとされる人の身体に呪文を書つけながら鉄筆で指し示すことによって、
見ることができないピーの所在を明らかにする。
聖水を吹きかけながらピーに詰問することで、
ピーの本体である生身の人間の居場所を現実の近隣の村落に定位する。
古くブッダから伝えられる特殊な知識に由来する聖なる力を、
自らの身体と呪文と息を通じて道具に付与し、
具体的な物体を通じて、
不可視で理解不可能な存在を、
現実世界に移行させて対処する。
p289から 用語解説
ウィンヤーン
サンスクリット語起源の霊魂を指す語で、
生きているものの内部にあり、
死んだあと身体から抜け出して、
新たな生を迎えるとされるもの。
クワン
生きているあいだ身体にとどまる霊魂。
驚いたり、病で衰えると、
身体から抜け出すことがあるため、
身体にクワンをつなぎとめるスークワン儀礼を行なう。
(ウィンヤーンとクワンは違うらしい。
ウィンヤーンはバラモン型輪廻の概念)
メモは以上。
参考資料
共同体内部での呪術師のあり方、生霊のような概念、
呪詛に対する考え方等は土佐いざなぎ流と似ていて大変興味深かった。
中盤で考察される、
20年前に村で起こった、仏教僧の邪念から発生した(とされる)悪霊ピーポープの祓除事件は必読。
文化人類学、フィールドワークの真骨頂。とても面白い本だった
幣束@goshuinchou
狂犬病、
アジアアフリカ地域では罹患した動物に噛まれたりして発症して
普通に毎年数万人死んでるヤバい病気なのでその辺りに旅行に行く人は予防接種を受けた方がよいのだが
これが高いし時間かかるのです、半年に渡って3回打たねばならず費用も3.4万くらいする。
予防接種打たないならとにかく外国、
特に東南アジアやアフリカなどでは犬猫等の動物にはたとえ飼われているのにも近付かないようにすることが大事です。(タイで野犬に追いかけられて噛まれそうになった私だ、面構えが違う)
幣束
@goshuinchou
タイのピー(精霊)信仰はとても興味深い。
上座部の坊さんが悪霊退治する話あるし
坊さんの邪念からやばい精霊が生まれたりするし土着信仰と混ざりあった仏教退魔師的な聖職者がいたりする。そしてやっぱピーの悪霊憑きは日本の筋、憑き物と同じような面があって共通するんだなぁ、と。
幣束
@goshuinchou
1月18日
小山田さんのツイートで前に読んだタイの精霊ピー信仰の本思い出した。普段村人も現代人でありあんまりそういう事を信じないが、そういう語りの場になって限定された空間になったりすると現実感と興味と恐怖をもって語られる、というやつ。考えてみたら国や地域がどうこうではないですね。
ピーの一種だと思って下さい。タイ東北地方で語られるピーで、しきたりや禁忌を破ったりその人の悪い感情等から発生するそうです。
最後のエヌ氏
@Xmashadie_hard
返信先:
@goshuinchou
さん
解説ありがとうございます。
ピーは幽霊とか精霊の印象がつよいのですが、ピーポープはイメージとしての「生霊」の言葉がふさわしいですね
幣束
@goshuinchou
2019年9月5日
RT メン・シーフーハーター。
4つ耳5つ目の、北タイで語られる伝説の怪獣。金のうんこをする事で知られる。との事。
金の
💩
これはタイの精霊ピーとはまた違うのか?面白いな。
ナーン(ナン)はMrs.に当たり既婚女性の敬称であり、ナーン・ナークでナークさん、ナークお母さんとかそんなかんじ
【ナーン・ナークの物語】
その昔、タイの都バンコクの東部プラカノーン地区にナークという女性が住んでいた。美しいナークは多くの男から求婚されたが、彼女には心に決めた人がいた。
その男の名はマーク(←ややこしい)。
ナークとマークは愛し合い、二人は結婚して幸福に暮らし、やがてナークは身ごもるが、マークは徴兵で遠方で軍務に就かなければならなくなった。二人が離ればなれになって半年後、ナークは出産するが大変な難産となり、ナークは赤ちゃん共々命を落としてしまった。
ナークはプラカノーン地区のマハーブット寺院のタキアンの木の下に埋葬されたが、それ以来、タキアンの木の下で子守唄を歌うナークの霊が目撃されるようになった。タイでは精霊や悪霊まで包括したこの世ならぬモノを「ピー」と呼ぶ。ナークはこの世に未練を残した悪霊ピーとなりマークの帰りを待った。
時が経ち、マークが家に帰ってくるとナークは優しく彼を迎えたがマークはナークがこの世のモノでは無いことは知らない。村人からナークが既に死んでいると聞いても耳を貸さなかったが、ある時、料理をするナークの手がめっちゃ伸びて落ちたライムを拾ったのを見て、ナークが悪霊ピーになったと確信した
マークは逃げ、悪霊ナークはそれを追いかけたが、マハーブット寺院の僧コン師の機転によってマークは事なきを得た。悪霊ナークは寺の僧を殺したりして荒ぶり寺に留まった。多くの僧や呪術師がナークの霊を調伏しようとしたが皆失敗した。村も寺も悪霊によって荒廃したが、バンコクから高僧トー師が来る
トー師はナークの霊と語り合い説き伏せ、ついに悪霊を成仏させた。そのしるしにナークの額の骨を切り取りベルトのバックルに造り変えていつも持ち歩いた。バックルはその後、タイの王族を含む幾人かの手に渡ったが今はどこにあるかわからない…。
以上がナーン・ナークの伝説の大まかな概要である。
(
ニホンでの桃太郎やかぐや姫レベルの知名度らしい)
文樹
@SjyMCP7KTqmuZp6
2019年9月5日
返信先:
@goshuinchou
内臓ぶら下げて飛ぶやつですか?
日本でいう四谷怪談な感じでしょうか?
幣束
@goshuinchou
2019年9月5日
内臓ぶら下がってるのはピー・グラスーっていうまた別のやつですねー。
四谷怪談とか皿屋敷みたいなかんじですが、もっと国民皆が知ってる話なイメージかもしれません。
2017年8月17日
@goshuinchou
ナーン・ターニー
ターニーという種のバナナの妖精。満月の夜にバナナの木の下に現れる美しい女性。
芳香を放ち美貌で人間を誘惑する
ターニー種は大きな葉が利用され妖精が宿ると言われる
前にツイートしたバナナの精と結婚した男の話と繋がった
若者は彼女と深く愛し合い、彼女は若者に幸運を約束した。しかし時がたちバナナの木が枯れていくと彼女もまた衰弱していき、木が倒れた時、彼女も死んだ。
若者は悲しみのあまり出家し、二度と女性を愛することはなかった。
「バナナの精と結婚した男」 タイの神話
夜な夜なバナナの木を抱く男。
そして隙あらば出家。さすがタイの神話。
慈永祐士@jiei_yushi
日本に来ているスリランカ僧が著書で「チベットに砂で絵を描く修行があるがああいうのはおかしい。
絵が上手い人ほど涅槃に近いなどというバカげたことがあるわけがない」という趣旨のことを言われていて、
当時読んだときはふうんそんなものか、それもそうかもなとそのときは思っていた。
後年、たまたまチベット僧の方に砂曼荼羅をちょっとだけやらせて頂いて、
その考え方がまったく誤りであると思った。考えてみれば当たり前のことなのだが、
砂で曼荼羅を描くわけだから、呼吸への細心の注意が払われていなければまったくできないことなのだ。
これはほんとうに素晴らしい修行だと思った。
青井硝子さんがリツイート
九蓮梓 a.k.a 師匠 @9ren_azusa
5月11日
占いとかその手のことにハマると、みんな結構ふわふわとして、
地に足がついてない軽い禅病・魔境入りかけみたいな状態になりがちですが、
そんなときはお財布のなかにあるお金を1円までちゃんと数えると治りますよ。
お金はエネルギーを固めて実体化させた現実を動かす圧倒的な力ですからね。
青井硝子@garassan
36分36分前
おっ、グラウンディング情報か?RT
酔い覚ましもグラウンディングもまだまだ完璧ではないので、情報あったら真偽に関わらず教えてください。実際試して判定します。
幣束@goshuinchou
5月12日
パワースポットって言葉、誰が考えて最初に言ったか知らんけどすごいと思う。
見事にその宗教的な場所が持つ歴史や意義や胡散臭さを打ち消してる
インガ@ingapyong
返信先: @goshuinchouさん
「スピリチュアル」は「オカルト」が持つ血の匂いを払拭したものだと言った知人がおりますが、似てるなーって思いました。
(呪術っぽさがある。
「叫ぶように息を吐く」「下腹部から絞り出し」をすれば
お腹に力が入るので実質同じ対処)
https://twitter.com/Chimaera925/status/814484239227854848
”首筋に寒気がしたら大声で叫ぶと大抵風邪をひかない。
大声を出すのが無理な環境ならば叫ぶように息を吐くだけでも問題無い。
他人は知らないけど、俺はこれで何とかなっている。
経験上、寒気がした時に息を飲み込むと失敗するような感はある。
叫ぶ時の発声は下腹部から絞り出し、唸るような声。甲高い折れそうな声は失敗な。
イメージで言うと、病魔が恐れるような声。
まあ、そんなもん存在しないだろうからあくまでイメージな。
感染から潜伏期間考えたら、感染した瞬間に発症なんざありえないお話だ。
免疫力や生命力を高めれば多少マシになる。”
野口整体の『風邪の効用』
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-340.html
"思い込みによる風邪
ハックションなどという時に
アッ風邪を引いたと思うとすーっと入ってしまうと風邪になる。
本当はハックションとやる時は風邪が出ていくとき。
…
まあ寒い!などとはっと思うと風邪を引くのだが、
その時お腹に力を入れると、
それだけでもう風邪を引かない。
…
ハッとしたらお腹に力をふっと入れる。
"
峨骨
@Chimaera925
2011年7月7日
本日は早上がり。昨夜は5時前に寝て7時起き。案外呼吸法でなんとかなるものだ。
代謝を高め、血中の汚れ(老廃物や酒精、二酸化炭素等)を効率良く排出しつつ、
適切な栄養を摂取し、脳内の血流と酸素濃度向上させてやれば良い。
ボーカル時代の研究がこんな所で役立つ。無駄なものなど何一つ無いのだな
2011年10月26日
賄賂代わりにホッカイロを同僚に差し入れしておく。
まとめ買いしたついでだから安いものだ。
首筋に近い肩付近や体幹部にカイロを貼ると脳は馬鹿なので暖かいと勘違いして末端まで体温を維持出来る。
ついでに激しい音楽と呼吸法でアドレナリン分泌と交感神経を活発にしてやれば完璧だ。脳って馬鹿だなー
2011年11月8日
@Kohakunotamago
吸う、吐くの繰り返しを意識したリズムでなく吐く、吐くのリズム。
合いの手は自然に任せる。
早く、深く息を吐き切って腹筋を緩めれば反動で早く吸える(入ってくる)。
しかし、深く早く吐く為には徐々に呼吸法で体を作り替えていく必要がある。
2011年11月29日
ロシア軍式格闘技、システマの呼吸法なかなか便利だな。
今までは空手の息吹や魔術のボックス呼吸法を応用していたが、
動きを止めずに息や心身を安定させるにはシステマの呼吸法が向いてるようだ。
素早く鼻から息を吸い、口から素早く細く吐く。
外気を取り込み、体内から老廃物を呼吸とともに吐き出すイメージで素早く繰り返すと痛みも散らせる。
いきなり実行してそこそこ使えるのはボイトレや他の分野での呼吸法の基礎があったからだろう。
深く吐くから深く息が吸えるのだ。
2011年12月24日
呼吸法と自己暗示に加え、顔面ひっぱたいてアドレナリンを分泌させ、倦怠感をブッ飛ばす。
体が闘争状態になるので機敏に動いてくれるのはいいが、
少々暴力性が増大しかねんので冷静な判断力を失わないように注意すべきだろう。そんなヤワな鍛え方はしちゃいないが、慢心は禁物だ。
怒りっぽいから冷静になりたいなと思えば、
深く息を吐くときに口から濁った赤黒い煙が出ていくのをイメージして、
吸うときに綺麗な青い色が口から入るようイメージする。
応用すると、空間をイメージで塗り潰して周囲の人間の印象を変えたりすることも。雰囲気ってやつだね。
鏡を見ながらその色に自分が包まれたイメージを重ねる事で自己暗示が強くなるので、
割かし使える。
ライブやってた時は色イメージも纏って外出していたな。
オーラだのカリスマだのってのは、そこまで難しい事じゃない。
あとは視線や指先の置き方、
動作の早さや緩急……才能や素質など不要だ。
人間が「あの人はオーラがある」とか「カリスマがある」と言うのは、
大抵は姿や声、後光効果。
一般人との違いは言語化されない細部。
暗示と模倣でそれを後付けするのは不可能ではない。
立場や役職が人を作るように、
自身の心理操作でそれを行う。大した違いはない。
存在感がある者も元は一般人。
他者にその色イメージを伝達するのは、
色イメージに従った自身の立ち居振舞いだったり言動だったり。
他には類感魔術の応用でいける。
類似したもの同士は互いに影響しあうってヤツな。
相互に影響されるから要注意だ、深淵を覗き込む者はなんとやら。
基礎を体得していなければ毒にも薬にもならないけどな
色云々ってのは自分自身の気付いていない一面や
気付いていて表面に出てこないような側面を
色やイメージで括って具体化する為の道具。
思考だけでなく視覚などの五感、複数のチャンネルを介する事で現実味が増す。
脳や意識を騙すための手段。この過程を踏んで自己暗示ってのは一種の安全装置でもある。
道具を使った認識の書き換え、誤認誘導なんてのは日常に溢れている。
誰も欲しがらない、誰も食べたがらないようなものを添加物や香料、着色料、宣伝等を用いて旨そうな食料に変え、
飽食の時代なんてものを作り出した。
棚に豊富に並んだ食料品を見て、まだ豊かな時代だと思っている。
2016年10月22日
呼吸法で息を止める時、よくありがちな間違いは流れは止めない。
息を吐ききって下腹部の筋肉が収縮した状態で静止する。
この時、肛門を腸に引き込むように閉めた状態。喉で息を止めるイメージは誤り。
緩めると息が入ってくる訳だ。緩めて空気が肺に入るに任せて、弛緩させたまま静止。喉で止めない。
水を一気飲みするみたいに喉は開けたまま。
これが極意。
歌うときもこうすると、歌がブツ切りにならない。
フレーズが途切れても歌の流れが続く。
歌わない箇所は休む場所じゃない。
歌わない箇所も歌の一部。ここで休むとそこまでの流れが途切れてしまう。
呼吸の訓練では流れを止めない。
息は生きること。
流れを止めないように意識するとやり易いだろう。
もっとも、俺の一番効率の良いやり方に最適化されているから流派(?)ごとにやり方があるだろうけども。
初歩段階では、上体に無駄な力を入れず脱力して息を吐く事を会得する。
これを飛ばして吸う段階に行こうとすると無駄な力が入る癖が取れない。
濡れた布を詰めた管楽器を思いっきり吹いても楽器は壊れはしないが、
声帯は故障する。
脱力して息を吐く事を体で覚えるまでは息を吸う事は意識しなくてよい。
一般的な腹式呼吸では腹を前後に膨らませるイメージだが、
実際には下腹部の末端から内臓を押し上げるように収縮させ徐々に下腹部が凹み、
次に腹部。
丁度、切れかけの歯みがき粉のチューブを絞るような感じだ。
上に押し上げるような動きだが、イメージでは体が沈み込むように。肩幅に足を開き行うと、
地に根が張ったかのような安定感が感じられるだろう。
意識と神経と筋肉を連動させて、
より長く細かく制御して段階的に吐けるよう体作りすることで、
限界まで声が振り絞ることができる。
声帯に負担をかけず、体に負担をかければかけるほど大きく強く高い声が出せる寸法。
2016年10月23日
ありがちな誤りが、大きく強く高い声が出そうとして上へ上へ意識を持っていくこと。
足を踏ん張って下へ下へ行くのが正しい。
喩え悪いけど、トイレで踏ん張るあの感じ。
両足上げては踏ん張り利かない訳で。意識を上へ上へ持っていくと息の制御が甘くなり、首周りにも力が入る。
呼吸の訓練はしっかりやっていれば必要な筋肉は勝手についてくる。
上体を脱力してから、
できるだけ時間をかけて徐々に筋肉を収縮させて息を吸い切った所で静止、
筋肉を徐々に緩め吸った時間と同じ長さ息を吸い、静止。
これを繰り返すことで発声に必要な繊細な息の制御が可能となる神経や肉体が作られる
中学の頃、ボーカルのトレーニング本を何冊も読んだけど、
まず腹式呼吸について書かれていても一頁程度。
具体的には書いてないし、それで身に付いたかどうかも解らない。
息が身に付かないのにトレーニングや技術の話。
スポーツで言えば競技に必要な知識や体作りが無いのにいきなり競技の技術練習。
下半身の強化は別途必要か。
俺の場合、スキー、スケート、
剣道、
陸上(短距離走と高跳び)でそれなりに鍛えていたから走り込みとスクワット、
たまに站樁功
くらいしかやらなかったけど、
粘り強く力強い足腰があった方が重心が安定して踏ん張りが効くしパワーも出る感はある。
身長で声帯の長さが決まる。身長が高いと声帯も長くなる。
声帯が長ければ長いほど低い声が出る。背が低いと短くなり高くなる。
高音域を出すには有利だが、低い声はそこまで出せない。
身長に体重、骨格、筋肉、これと癖で声は大体決まってくる。背格好や顔が似ていれば声は同じタイプになる。
似たような背格好、顔の人間が居たって完全に一致する訳ではないが、
カラオケ文化のせいか、何故か原曲の歌手に似ている歌い方や声が上手いとされる猿真似文化になってしまっている傾向がある。聴衆に受け入れられやすいからか、真似て下積みしてきたからか歌手もそうなりがちだけど、実に勿体無い。
日本では教養として芸術を鑑賞する文化や素養はなかなか育たないだろうな。
聴衆が芸術にシビアな評価を下して悪いものは悪い、素晴らしいものは素晴らしいと評価することも無いから、
子供騙しや流行った歌手に似た二番煎じみたいなヤツが流行る。
育成やプロモーションに時間も予算もかけられなくなって
来ているから、一発屋や昔流行った曲のカバー、
どこかで聞いたような曲、外国で流行した曲の和製模造品だらけになる。
単純にCDも売れなくなってきたし、
キャバクラ商法や短期に流行作って経費回収しつつ利益出すやり方になりがち。
利益の見込みが無いとGOサインも出ないだろうしな。
呼吸の補足:
息を吐ききったあとて脱力して自然と入ってくる過程を息を吸うと表現している。
腹を膨らませて吸う必要は無い。
脱力が身に付かない段階でそれをやれば息を吸おうとして余計な力が入りいつまでも脱力が体得できない。
肩が上がって胸式呼吸になってしまい本末転倒。変な癖が付くと遠回りだ。
歌手の歌真似して変な癖や喉を潰しかねない歌癖が付いてしまうと、なかなか治せない。
自分自身の手で自身の声の力、魅力を掘り起こさなくてはならないのに、誰かの劣化コピーになってしまいがち。基礎が無いのにそれをしようとすれば、喉を潰しかねない。百害あって一理無しだ。
役者は体作りから入るのに、歌はカラオケ等で誰でも歌えるから軽視されやすい。
昔と違ってマイクや音響機器の性能向上で声が拾いやすくなり、
編集やエフェクトも簡単に付けられるから声楽ほどは重視されないし、求められてもいないだろうが、何本もライブ演って持たないのはちょっとな。
あの呼吸法は精神状態や力を入れる箇所、呼吸の加減によってツボに嵌まると呼吸するだけで快楽や多幸感が得られるパターンがある。
ある種間違ってはいないがそのやり方はお勧めしない。
呼吸だけで賢者モードになり日常や健康に支障が出る。
それで悟ったなんて勘違いしても不味い。脳内麻薬の錯覚だ。
そのようにはならないように書いているので恐らく危険は無いだろうが、
偶然そうなる可能性もあるので。
これで得てしまった神秘体験や特別な体験に思えるものは脳内麻薬の産物で錯覚だ。
ほどほどに付き合って、快楽や優越感に溺れてはいけない。
それは破滅の第一歩。引き返せ。
敢えて心と書かないのは神秘主義やオカルトが入り込まないように。
人間、期待すると見たいものを脳内で作り出して見てしまう生き物なので。
そっちは無防備に踏み込むと実に危険で、
良いことなど何一つ無い。
カルトにハマるくらいならまだマシなくらいに。
タチが悪いのを拗らせると人間として終わる。
呼吸法で心身を健やかに、
歌唱力を向上させ本来持つ声の魅力を引き出す。
求めるのはこれくらいで充分だ。
神秘体験や特別な力は求めてはいけない。
欲や誘惑に囚われないと思っていても、
求めないのが無難だ。
そんなもの無くても人間は生きられる。
いや、手段に依存するくらいなら最初から無い方が良い。
ありがちなカルトのイニシエーションでまやかしの神秘体験をしてカルトにハマる者を見れば危険性は解るだろうから、これくらいで。
人間ってのは、ある環境や条件、前提となる知識が揃うと簡単に神秘体験のようなものを脳内で作り出して体験してしまうので、研究する側としては面白いのだけどね。
やってはいけない見本だ。それを悪用する連中は軽蔑に値する。風上にも置けん連中だ。恥を知れ、と。
白魔術だの黒魔術だの分類されているように見えるが本質は同じだ。
まじないにしても呪い。
どれも意識の変容の技術。使い方によっては他人の意思をねじ曲げる技術でもある。
戯れに手を出して効果が無ければ幸い、あれば最悪。
道具は使う者の倫理観に委ねられる。相手を幸福にするから白など単なる欲目。
カルトの教祖の下半身が大抵暴走するように、
精神を鍛えてもいない強い倫理観を持ってもいない欲にまみれた俗物がその手の技術を手にしても、
肥大化した強烈な自我や欲望を制御できずに破滅に向かう。
それならばまだマシだろう。破滅していないならば、破滅と厄災を振り撒き周囲を巻き込む。
呼吸法にしても筋トレ、表情筋にせよどの部位を鍛えるにせよ、
筋肉、骨、内臓などの人体の構造を知っているか知らないかで差が付く。
解剖学は必須だ。
喩えば、脚の一部位を鍛えたいと思って漠然とトレーニングするよりも、
この部位を使うトレーニングでそこに効いていると意識することで効率が上がる。
声帯にしても、どのような構造をしていて発声するとどのように震動するのか知っていると、
その震動を妨げずいかにして最適化された脱力をすれば良いのかがイメージできる。
課題の目的を理解し、いかにして最短でそれを体に染み込ませるか、
これが無ければ単にやっただけで終わりがちだ。
課題の目的や意図を理解しようとせず漠然と行うならば大して身にはならない。
それでもそれなりの効果を上げるだろうが、
受動的な訓練では与えられた課題でしかなく自分自身に課した訓練にはならない。
言われたままやるだけでは己の手で紐解いて噛み砕き理解することもなく、単なる模倣に終わる。
空いた時間に入門編をちょくちょく書いてみました。人に説明するように書くとやっぱり良い確認になるね。
実践する際は、脱力にはくれぐれも気を付けて。具合が悪くなったら中断を。
慣れない内は脳や神経、体に負担がかかるのでほどほどに。
("スゥームとは、ベセスダ・ソフトワークスのRPG『The Elder Scrolls』シリーズに登場する魔法の一種である。
表記は「Thu'um」。息、ブレス(Su'um)、ドラゴンシャウト (Dragon Shout)、ストームボイス(Storm Voice)とも。
…
タムリエル大陸の北部地域スカイリムに住んでいる人間の種族・ノルドに古くから伝わっている魔法であり、
「シャウト」「声秘術(せいひじゅつ)」「ドラゴンシャウト」とも呼ばれる。
もとは定命の者 [1] たちを支配していたドラゴンが使っていたもので、ドラゴン語を用いることで使用できる魔法である。
「スゥーム」というのはシャウトや叫びを意味するドラゴン語だが、ノルドをはじめとした定命の者の間でもそのままシャウトを意味する呼び名として使われる。
ドラゴン語ではその一語一語に力が宿っている。
スゥームは声を発動の鍵としており、それ一語だけでも力を発現できるが、単語を三つ合わせて一セットとして発音することにより、真の力を発揮する。
…
【Q5】 人間が作ったシャウトでもドラゴンなら使えるのでは?
シャウトの基本は「概念を理解している」ことである。
知識だけ持っていてもその意味を理解していないと扱えないため、たとえドラゴン語とシャウトの本家であるドラゴンだろうと、理解していないもの/理解できないものを習得することはできず、会話で用いる言葉ぐらいにしか使えない。
例えばドラゴンを空から叩き落とすシャウト「ドラゴンレンド」には定命・有限を意味するJor(ジョール)という言葉が含まれているが、不死の存在であるドラゴンには、人間/エルフなど生物がもつ寿命や有限という概念への理解がないため、シャウトを放つどころかその前の段階から不可能なのである。アルドゥイン側よりも人間達を理解しているはずのパーサーナックスでさえ、定命という概念について「我らには理解できない概念」と語っている。")
2016年10月23日
あんなプレハブで毒ガスなんざ作れないだろうが、北のお薬を加工したり、LSDの液体を紙に染み込ませるくらいはまぁやれただろうな。
陸上自衛隊化学学校wiki
>少量(10kgまで)の特定物質を保有し、実験を行うことを許可されている日本で唯一の機関である
>2002年から2012年にかけては、サリン、ソマン、タブン、ルイサイト、VXガス等の多種の特定物質を年間グラム単位で合成している。
2016年11月3日
サイレントドラムにしても、サイレントヴァイオリンにしても、全然サイレントじゃないんだよな。サイレントドラムなんて本当に近所迷惑になる。あれは酷い。打ち込み面倒臭いからパッと演奏して録音したいけれど、時代は変わったものだなァ。どれもこれも打ち込みだ。
音楽は才能云々よりも思いっきり音を出せる環境があるか無いかの方が大きい。
音が出せる環境が整っていなければ上達しにくい。出せないなりの練習もあるけど、音が思いっきり出せる環境があってこそ。
例えば、環境さえあれば世界一の水泳選手になれるような者でも、
近くに海やプール等の泳げる環境が無ければスタートラインにすら立てない。スケートの金メダリストだってスケートリンクが無ければ不可能だっただろう。第一に環境があって、それから。この時点で格差があり、機会は平等ではない。
それらの不利を必要最低限埋めて底上げするのが、
俺の言う呼吸法とイメージ、身体操作。
呼吸、あるいは身体操作によってイメージを現実的なものとして体感したり、
身体に影響を与えることができる。呼吸を掌握すれば身体や生命もある程度は掌握できるようになる。
老化速度を低下させたり、身体の操作の
効率を上げたり、呼吸を通して意識と身体を作り替え、
最大効率で自分の心身を灰にする技術。
半畳程の空間さえあれば、あとは知識と仮説、実験と観察、検証、
これの繰り返しと積み重ねで身につけられる。
オカルトや神秘、才能など介入する余地もない。純然たる技術だ。
無意識の動作を一度、意識下で全て制御し
動作と反応を丹念に調べあげ、
自分の望む通りに組み立てる事で、望む結果に近付ける。
一度組み立てさえすれば、自転車に乗るように無意識でそれらは制御されるようになるだろう。
それらによってイメージトレーニングの効率も上がるが、基本があってこそ。
VRを用いた職業訓練なんぞも出てくるだろうけど、
鍛えられるのは脳と筋肉を動かす為の神経。
身体能力は向上しないし、五感の一部しか利用しないから効率はそこまで高くはないだろう。
頭でっかちは危険だ。リアリティが破綻しないよう、
齟齬を埋める為の核となるイメージ素材があれば有用だろうけど。
2016年11月7日
寒いな。呼吸法で体温上げておこう。
2016年12月1日
ノートを一日一冊消費するにはコツがある。
まず筆記が思考と並ぶくらいの速度を出せなければ厳しいので、
やや大きめの字で書き、色分けしない。日時を頭に書いたら、頭に浮かんだままを分別せずにそのまま書く。アイデアマラソンみたいなものだ。慣れると時間の許す限り、いくらでも書けるようになる。
それを継続すると思考言語を挟まずに自動書記のようにペンが動くようになる。別段、自動書記など珍しくもなんともない。思考の前段階には無意識の準備がある。それが思考過程で言語に翻訳されて出力される。筆記による出力を繰り返すと、直感や閃きのように思考過程のタイムラグ無しで出力可能となる。
反復することで思考のショートカットができて思考を意識する前に言語化が完了する。
自分の中に無いものをは出てこない。自分の中にある既存の概念の組み合わせが出てくるだけだ。この組み合わせパターンを増やす為に読書をして、吐き出し、それを読むことで咀嚼すれば勝手に血肉になる。
スマートフォンではこの現象は起きないな。
文字入力速度や変換速度があまりにも遅すぎて思考言語の速度についてこれない。PCでも自分の最速で文字入力するとタイピング速度に文字表示速度や文字変換速度がついて来ない。ついてこれるのは紙とペンあるいは口述くらいか。
自動書記は呼吸法も組み合わせると、
更に楽に実現できるだろう。一日二日続けた程度では発生しないが、有るときふと、初めから答えを知っていたかのように手が勝手に動いて言葉を綴る現象が起きる。神秘でもなんでもないし、お告げでもないから、別段どうということはない。よくある。
自分の考えのパターンや癖、傾向が解る。
丹念にノートに書かれた内容を拾っていけば、自身の隠された願望や失敗する要因、長所、欠点等が見えてくる。ノートの山は自分自身の思考ログ、単なるビッグデータでしかない。あとはそれを使う者の料理の腕次第ってとこか。
それ以上掘り下げようとするならば、呼吸法と瞑想が役立つが、探しに行っても何もない。神秘体験はまやかしだ。神秘体験を求めるくらいなら、音楽や絵画等の芸術に挑戦するのがよい。筆記や言語化された思考の限界は自分の語彙の限界点。その先は言語化できない。
思考言語の枠内にはそれを指す言葉や定義が存在しないものもある。
それを名付けて括る事が出来れば、それを持ち帰る事ができるだろう。
活用できるかはまた別だけども。誰とも共有化されない、自分だけの定義だ。
言葉で括るってのは何も良い事ばかりじゃない。
括ればこちらも同じだけ括られる。ま、狂人の戯れ言だ。狂気の沙汰ほど面白いものはない。
最初から狂っていては面白いとも感じられんから、正気とされるものと狂気を自分の意思で行ったり来たりするのが良い。
狂気は飼い慣らすものであって、飲まれるものではない、ってな。
2017年1月31日
鼻歌は発声を鍛えるのに役立つ。
ゆったり丹田、下腹部を絞りながら、それ以外の無駄な力みを排除しつつ、
柔らかく息を流して鼻歌にする。鼻腔あたりにある共鳴を胸部まで下ろして、丁寧に低めの共鳴を作る。
次に口を軽く開いて、そのまま唇を動かさず舌のみ動かして発声に変換する。脱力しつつ母音や
子音が明瞭になるよう意識しつつ、口先でなく体で発声する。
普段、口先で発声している者が真面目に取り組むと体に負荷がかかる。
それだけ口先で発声しているということ。
あくまで声は体で作る、口先の動きは補助。これが形になれば、
あとは息を流して共鳴に変換する効率を上げてやれば歌になる。
無駄な力は要らない。力づくで息を叩き付けて発声しようとするのは非常に効率が悪い。全身に無駄な力を入れる癖が付いて脱力が身に付かず、無駄な息継ぎも増え安定せず、声帯にも負担がかかる。爪先から髪の毛先まで効率よく使って、最大の効率で息を声に変換する。息で種火を大きくするイメージか。
強く吹けば種火が消えてしまう。種火が消えないように、長く安定してそっと息を吹きかけるように、声帯を振動させる。これが安定してくると、共鳴を保ったまま話す声で歌に入ってシャウトもできる。強火も弱火も思いのまま。イメージできない事はできないが。
日本語は口先で音を作ってしまうから、変な力み癖が付きやすい。そのまま歌に入ると喉を痛める。そして、体で発声しないから発声に必要な筋肉が付かず、薄っぺらい声を息の強さで誤魔化して声量を保とうとしてしまう。歌っているのに歌っていない。楽器を歌わせず力ずくで楽器を鳴らすかのよう。
マイク、音響機材や編集機材の性能が向上して、そんな薄っぺらくて通りの悪いマイク乗りの悪い声でも拾うようになって、発声以前の共鳴は発音、息、声質はそこまで重要視されなくなった感がある。カラオケ文化やエコーかかったマイク、ドンシャリしたアンプとスピーカー。いい声は育てるには良くない。
発声がマラソンや短距離走で歌はフルマラソンのようなもの。息の制御や無駄の無い合理的な発音が身に付いて、必要な体作りをしていなくても、物心付いた頃から大抵の人は話せるし歌えてしまうけれど、実際にはまだ立って歩けないのにマラソンや短距離走をしているようなもので、基礎がおざなり。
スポーツ選手がイメージトレーニングや体作りをするように、発声の前にイメージトレーニングや体作りが必要。基礎や基礎を身に付ける為の土台作りをやらないで、実践的な練習。何人かは喉を潰して何人かはモノになるかもしれないが、それは技術ではなく斉能や運、巡り合わせ。それじゃ意味がない。
無駄に息継ぎせず、母音と子音を意識して、筋肉の無駄な強ばりが生じないように一音一音、息の流し方から息継ぎまで、ゆっくりと丁寧に行う。素早く数をこなしても雑。勢いで誤魔化せるから身に付かない。
本を朗読するように息で読むのも良い訓練になる。発声する息の吐き方で息継ぎは自然に、無駄なく
間を空ける時は流れを止めない。喉で締め付けるように息を止めるのではなく、発声する為に動かしていた筋肉をその状態で制止させる。そして息継ぎしないまま、次の発声に繋げる。
息継ぎは増やせば増やすほど、流れがブツ切りになる。サビの一フレーズごとに息継ぎしていたら迫るような迫力は出ない。
現代は録音して自分で簡単に確認できるから楽になったものだな。テープレコーダーみたいに、いちいち巻き戻ししたり頭出ししたりしなくて良いし、テープの劣化や容量も考えなくて良い。
自分の声を録音して確認するのは、
鏡を見て自分の表情筋が意図した通りに動いているか、
姿勢は正しく取れているか、動作に粗は無いか、見苦しくは無いか、
人前に立つに相応しいかと確認する作業と同じ事だ。鏡で自分の姿を見慣れていても、大抵の人は自分の声を聞き慣れていない。
2011年11月7日
肉や米を食わずとも、酒を飲まずとも、他のものから栄養を摂取すれば生きられるだろう。しかし常に呼吸せずには生きられない。よって、あれが体にいい、あれが精神にいいとあれこれ飲み食いしたり知識を詰め込むより先に呼吸を正すのが近道となるのだ。
2018年10月23日
これは……オトポール系列かな。隠す気も無いんじゃなかろうか。
もっとも、同じ陣営だと認識できなければ味方から撃たれかねない訳で。フレンドリーファイヤ防ぐためには目印みたいなものは要るか。便衣兵同士で潰し合うなんて洒落にならんだろうし。
プロトコールやマナー、儀礼作法も似たようなもの。規定の仕草や動作を守る事でその構成員であることを示す。それを知らないってのは部外者ってな。
知っていればガバガバな組織ならセキュリティ掻い潜って潜り込んだり情報が引き出せる。ボロが出ない程度なら。
チェックがユルい企業にスーツ着て関係者面すれば潜り込めるみたいにね。
スーツを着ている人はビジネスマンで身元も大丈夫だろうというガバガバな信仰が日本にはあるからなァ。
誰でもそう。警戒しなくても良いと無意識に思わせれば意識の外で透明人間になれる。
だからこそ、滅茶苦茶美形のスパイや探偵なんて目立つ奴は向いてない。
視線を惹き付ける事で目的を達成するなら別だけど、暗躍するには向かないね。ビジネスだったら顔を覚えられた方が有利だろうけど。
美形じゃなくても独特の存在感がある奴も不利だな。
一応、呼吸法と歩法、服装を活用すれば存在感をぼかすくらいは出来るけどさ。
昔は動物相手に練習したなァ。
2019年10月21日
幻覚やトリップは興味ねぇな。
人間の脳は条件がそろえば幻覚を見るし、特殊な呼吸法を行えばある種のトリップは出来るが、この世自体が幻覚みたいなものだし、別に有難がるようなものでもない。
2019年11月9日
呼吸法の修行に良いのが馬歩站椿功だけどお勧めはしない。
まともな指導者が居るならやるのも悪くないが、シンプルに見えてただ立つという事が非常に難しい。呼吸、特に歌唱では下半身が大事だから一石二鳥にも三鳥にもなるんだけどね。どっしりした下半身と脱力した上半身。
馬歩のほかに熊歩と弓歩、鶏歩もメニューに組み込んでいた。メニューだけ見ると一体、コイツは何のトレーニングをしているんだと今の俺でも思うがよくある事。
大抵が独学だから非常に遠回りしたな。何でも良い指導者が居れば師事するのが近道。遠回りする間に効果的なものを見付ける事もあるけど、それを探すよりも先人に基礎を学んだ方が良い。
人間の一生を遥かに越えた蓄積よりも自分の積み重ねが優れていると思える程、恥知らずではないよ。
教わったのは声楽のさわり程度だな。
どこまで行っても俺のやり方は邪道だから、より良いやり方があればそちらを推奨する。あくまでも俺自身の人生と体を使った実験結果でしかないからね。
その過程であらゆるジャンルに手を出したお陰で、それなりに楽しくやっているから結果オーライだな。
継ぎ接ぎだらけのこんな邪道な紛い物でも、くたばる時に何か一つ確信を掴み取ってくたばりたいものだ。紛い物でも貫き通せば真になるのなら、貫き通す価値がある。夢も希望も何もかも捨てたけど、これだけは捨てられなかったんだよなァ。捨てればきっと楽になれたのにな。
呼吸法ってのはインナーマッスルのトレーニングだから、文章や口頭で説明しにくいんだよな。
だから腹から声出せだの腹式呼吸しろだのという指導がまかり通る。一番解りやすいのはヨガかな
ヨガの呼吸法の一種、息を吸うときに腹を限界まで凹ませて、吐くときに膨らませる手法が解りやすい。その前に全身の脱力や立ち方も要るんだけど、この呼吸法で丹田あたりを意識して上体の脱力を保ちながら限界まで凹ませていくと筋肉の動きが体感しやすい。
内臓回りの血行も良くなるから、冷え性には使えるだろうけど
逆上せそうになったらさっさと止める事と
食後にやらず時間を開ける事が重要だ。使わない筋肉を使うからやりすぎも禁物。
腹を膨らませるのは意識しなくても良い。
大体、これをやれば息を吸おうとしなくても息を吐ききれば吐いただけ反動で勝手に空気が肺に入ってくるのが解るだろうけど。腹を膨らませるのは脱力が安定するまでは徐々に。急ぐと力む癖がつく。
Kumantong (古曼童)、タイのクマーン・トーン(中国道教の乾姪姪)
『道教の本―不老不死をめざす仙道呪術の世界 』と主に道教系魔術の資料。
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-63.html
タイの人造座敷童”クマントーン”
http://feidempire.blog71.fc2.com/blog-entry-632.html
”本日は世界の恐ろしい魔術の一例として
タイの人造座敷童”クマントーン”をご紹介しよう。
クマントーンというのはタイのお土産屋とかで
売っている、開運アイテムの置物で、
ミニチュアの仏像の様な形をしている。
ところで、所謂”開運グッズ”なので、お土産として
買った人は大体次ぎに紹介するブログの記事の
様なノリの認識が主流だろう。
ttp://plaza.rakuten.co.jp/ravia/diary/201007250000/
このブログ主は今時の女性または主婦のような感じ。
「座敷童ちゃんカワイイ〜。毎日お世話しちゃうわ〜!」
みたいなポジティブな反応だろうか。
しかし、このブログ主は実際にコレをどう作るのか
知らないのだろう。
日本で唯一これの作り方を知ってそうなブログがあった。
ttp://ameblo.jp/hiropomin/entry-11641421642.html
この方は実際にタイに住んでそうである。
ちなみに”クマントーン”の概要は以下のブログで。
ttp://khmersurin.blog62.fc2.com/blog-category-5.html
特に上のブログをしっかり読んで頂きたい。
「・・・その黒い所に埋めてあるんですよ
胎児を焼いた灰を」
「埋めてあるんですよ、胎児を焼いた灰を」
!?
そう、読み間違いじゃない。
造り物でもない。
本物の生きた人間の胎児を焼いて作るのだ!
実はタイというのは子供の誘拐事件が多い。
人身売買のマーケットが地下で発達しており、
実際に黒魔術用の材料として高額で取引されるのだ。
こういった例はナイジェリア等のアフリカの未開国家
でも行われている。
下記ブログでも紹介されている通り実際にニュースにも
取り上げられた事もある。
ttp://www.glitty.jp/2012/05/009460post_5097.html
※ちなみに逮捕された密売人がイギリス人である所に
注目頂きたい
”クマントーン”は一般的には一番上の仏像の形をした
物が大半だ。
ところが”クマントーン”にもグレードがある。
一番高い奴は胎児の死体を丸ごと使い、金箔を
貼って作る。
これが凄まじい”開運効果”なのだそうだ。
世界中の金持ち達が大金を積んででも、タイに
買い求めにやってくるそうだ。
しかも東南アジアの未開そうな金持ち達ではなく、
欧米先進国や香港からも金持ちが買いに来る。
当然、日本からも来ているだろう。
なぜ、そういった迷信を信じなさそうな欧米先進国の
教育豊かな大人達がこぞってこんな怪しい代物を
大金を出してまで買うのか。
実は商売をやられていたり、株等の投資経験の
ある方なら分かると思うが、
経済活動というのは不確定要素が多すぎる。
ノーベル経済学賞の理論でも説明不可能な
事象が日常茶飯事に起きる。
つまりビジネスで儲かるか、損するかは
本人の”努力”も確かに重要だが
それ以上に”運”の要素が強いのである。
だから長財布がお金を運んで来るという迷信が
一時期日本でも流行ったが、これは重要である。
この本では金持ちのアンケートを取っており、
お金持ちは長財布を使っている人が多いそうだ。
また財布の中に”お守り”を入れているケースが
多かったと報告している。
そう、商売が成功するか、しないかは誰にも分からない。
努力が実らない場合だってある。
だから金持ちは験を担ぎたがるのである。
これが”クマントーン”が世界中でベストセラーになる
理由だ。
ここまでは予備知識。
このコーナーは”フェイド大帝流魔術”なので
実際にこの”クマートーン”の作り方をお教えしよう。
これはフェイド大帝が茅山道教の勉強をして
入手した作成レシピである。
※前回書いた様に中国人は三国志の時代に
南蛮の呪術にこっぴどくやられた過去があり、
タイの呪術が逆輸入で道教にも取り入れられている
まず、
①近日中に死んだ赤ん坊の墓を暴いて
死体を手に入れる。もしくは
適当な赤ん坊を誘拐する。
生きた赤ん坊を使った方が効果が
高いので、後者が推奨される。
②火で加熱した金属網で攫った赤ちゃんを
生きたまま焼く
③火加減は弱火〜中火ぐらい。このくらいの
温度で焼くと赤んちゃんの脂肪が液体状に
なり、これを回収する
④この焼いた生きた赤ちゃんから採取した
脂肪を小さな瓶に詰める。
⑤この瓶を人通りのある公園等の大樹の
根元に埋める
⑥仏教僧(密教)が49日間お経を唱えながら
大樹の周りをグルグル回る。
※49日というのは仏教の有名な数字で
日本でも葬式等で耳にしたことがあるだろう。
人間が死んだ後、魂が体から抜けて輪廻転生
するまでの期間が49日であると言われている
⑦お経の効果は公園の周りを彷徨う
浮遊霊を脂肪瓶の中に閉じ込める効果が
ある。
※これは一種の呪術トラップである。
その辺を彷徨う成仏しない浮遊霊というのは
大半が悪霊であり、悪霊を瓶の中に
閉じ込めて捕獲し、これを使役して
術者の願望を叶えさせるというメカニズム
である
⑧悪霊を封じ込めた脂肪を瓶から取り出し、
仏像の置物に埋め込む
⑨クマントーンの完成
使用上の注意:
クマントーンは生きた”悪霊”を使うので
捕まえた”悪霊”が餓死しないように
毎日お供え物という食料をお供え
しなければならない。
お供え物を忘れると、悪霊はお腹が空いて
元気が出ないので、開運効果が落ちる。
※神道の神棚の仕組みも基本的には
クマントーンと同じである。
注意点はお供え物が豪華すぎると
悪霊が栄養を付け過ぎて、封印が
壊れる場合がある。
だから、お供え物の匙加減が重要なのである。
ちなみに神道の神棚では”塩”や”水”等の
粗品が多く使われるのは、一般人が間違って
悪霊”天照等の古代の亡くなった人物”に
お供え物を与えすぎると、
悪霊は家主に牙を向く危険がある。
”霊”というのは時間が経てば経つ程、強力に
なる性質がある。
※だから神道の神棚のお札は一年で強制交換
させる
だから、”クマントーン”は長期保有すべきではない。
これの処分の仕方が分からないと大変な事が起きる。
お土産で自国に持ち帰ったお金持ちがしばらく経つと
開運どころか、悪運に苛まされるのはこれが原因である。
であるので、”クマントーン”を使うのであれば、
タイの呪術者の知り合いが必要不可欠である。
以上だ。
フェイド大帝流魔術の導入編としては結構な
記事を提供出来たと思っている。
だが安心してほしい。フェイド大帝流では
基本的に黒魔術の類いは使用しない。
また、魔術の基礎からしっかり勉強して
いくつもりだ。
将来的にはこういった黒魔術の呪物を
払う退魔の技術も身につけていく。
※ところで、クマントーンの知識があると
サンデーのマギで大高が子供を焼いた
エピソードを描いたのが如何に危険か
良く理解出来たであろう。
テスが黒焦げになる前に、ウーゴが
変な呪文を唱えているのでこれは
確信犯である。”
(
母子とも死亡が最悪の死に方。
クマントーンの作り方の一つが母子殺害。
最悪の霊が誕生してしまう)
Kuman Thong
https://en.wikipedia.org/wiki/Kuman_Thong
”Kuman Thong (Thai: กุมารทอง) is a household divinity of Thai folk religion. It is believed to bring luck and fortune to the owner if properly revered. Kuman, or Kumara (Pali) means "Sanctified young boy" (female kumari); thong means golden.
Description
The veneration of Kuman Thong is not part of mainstream Buddhist practices, but it is popular in Thailand.
Origins
The authentic Kuman Thong originated in a practice of necromancy. They were obtained from the desiccated fetuses of children who had died whilst still in their mothers' womb. The witch doctors were said to have the power to invoke these stillborn babies, adopt them as their children, and use them to help them in their endeavours.
According to ancient Thai manuscripts used by practitioners of black magic (Thai: ไสยศาสตร์ Saiyasat), first the unborn fetus was surgically removed from the womb of its mother. Then the body of the child would be taken to a cemetery for the conduction of the proper ceremonial ritual to invoke a Kuman Thong. The body was roasted until dry whilst the witch doctor chanted incantations of magical script. Once the rite was completed, the dry-roasted Kuman was painted with Ya Lak (a kind of lacquer used to cover amulets and Takrut with gold leaf) and covered in gold leaf. Thus this effigy received the name of “Kuman Thong”, meaning “Golden Little Boy”.
Some Kuman effigies were soaked in Nam Man Phrai,[1] a kind of oil extracted by burning a candle close to the chin of a dead child or a person who died in violent circumstances or an unnatural death. This is much less common now, because this practice is now illegal if using fat from human babies for the consecrating oil. Occasionally there are still some amulets obtained through the authentic methods appearing in the market. Some years ago a famous monk was expelled from the Buddhist Sangha for roasting a baby. He was convicted, but later continued to make magic as a layperson after his release.[2]
Hong Phrai
In the case of a female spirit child, the effigy is not called Kuman Thong, but Hong Phrai (โหงพราย).[3]
In literature
The Kuman Thong is mentioned in the Thai legend of Khun Chang Khun Phaen, where the character Khun Phaen made one by removing the stillborn baby from the stomach of his wife, whom he had killed.[4]
Recent events
On May 18, 2012 a 28-year-old British citizen of Taiwanese origin, Chow Hok Kuen, was arrested in a Bangkok hotel room with six male fetuses that had been roasted and covered in gold. Police reported that Kuen intended to sell the fetuses in Taiwan for about 6,300 USD each.[5][6][7]
In 2011, a case was reported in Laos of a man murdering his pregnant wife, so as to use the fetus as a "Louk Lord".[8]
Hyper-realistic dolls of children (but not made out of real children), "Luk Thep" or "Look Thep" ("child angel"),[9] have recently (2015) become popular in Thailand.[10][11][12][13][14] Some people believe the dolls can be injected with the spirit of a child after being blessed by a Buddhist monk. Their owners provide such care as food, water and clothes "in the hope of receiving good fortune in return", and some companies offer owners of the dolls the option to reserve them their own seats and services.[15] ”
(グーグルブラウザ翻訳
”Kumanトン(タイ:กุมารทอง)の世帯の神性であるタイの 民間信仰。適切に尊敬されれば、所有者に幸運と幸運をもたらすと考えられています。クマン、またはクマラ(パリ)は、「聖化された少年」(女性のクマリ)を意味します。ひもは黄金を意味します。
クマントンの崇拝は仏教の主流の一部ではありませんが、タイでは人気があります。
起源
本物のクマトンは、ネクロマンシーの実践に由来します。それらは、母親の胎内でまだ死んだ子供の乾燥した胎児から得られました。魔女の医師は、これらの死産の赤ちゃんを呼び出す子どもとしてそれらを採用し、彼らの努力でそれらを助けるためにそれらを使用する力を持っていると言われました。
黒魔術の実践者(タイ語:ศ ยศาสตร์Saiyasat)が使用した古代タイの写本によると、最初に胎児の母体の子宮から外科的に摘出されました。その後、子供の遺体は、適切な儀式の実施のために墓地に連れて行かれ、クマン・トンを呼び出します。魔女の医者が魔法の台本の呪文を唱えている間、体は乾くまで焼かれました。儀式が完了すると、乾燥焙煎されたクマンはヤラック(お守りとタクルトを金箔で覆うために使用される一種のラッカー)で塗装され、金箔で覆われました。したがって、この彫像は「クマントン」の名前を受け取りました、「ゴールデンリトルボーイ」を意味します。
いくつかのクママンの像は、ナムマンプラーイ[1]に浸されていた。死んだ子供の顎の近くでろうそくを燃やすことによって抽出された一種の油、または暴力的な状況または不自然な死で死亡した人。これは、今ではあまり一般的ではありません。なぜなら、人間の赤ちゃんからの脂肪を奉献オイルに使用する場合、この慣行は今や違法だからです。時折、本物の方法で入手したお守りが市場に登場することがあります。数年前、有名な僧kが赤ん坊を焙煎したために仏教の僧angから追放されました。彼は有罪判決を受けましたが、釈放後も素人として魔法を作り続けました。[2]
ホン・プライ
女性の精霊の子供の場合、この彫像はクマン・トンと呼ばれず、ホン・プライ(โหงพราย)と呼ばれます。[3]
文学
Kuman Thongは、タイの伝説であるKhun Chang Khun Phaenで言及されています。KhunPhaenは、死んだ赤ん坊を彼の殺した妻の腹から取り出すことでキャラクターを作りました。[4]
最近のイベント
2012年5月18日、台湾出身の28歳の英国人チョウホククエンが、焼いた金で覆われた6人の男性の胎児がいるバンコクのホテルの部屋で逮捕されました。警察は、Kuenが台湾で胎児をそれぞれ約6,300米ドルで売却するつもりだったと報告した。[5] [6] [7]
2011年、ラオスで、妊娠中の妻を殺害した男性の事例が報告され、胎児を「ルークロード」として使用しました。[8]
子供のハイパーリアリスティックな人形(実際の子供で作られていない)、「Luk Thep」または「Look Thep」(「child angel」)[9]は最近(2015)タイで人気を博しています。[10] [11] [12] [13] [14]一部の人々は、仏教の僧kに祝福された後、人形に子供の精神を注入できると信じています。所有者は「見返りに幸運を得るために」食料、水、衣服などのケアを提供し、一部の企業は人形の所有者に自分の座席とサービスを予約するオプションを提供しています。[15]”
)
2013-10-18 23:23:06
金の針で幸運アップ術ฝังเข็มทอง体験記!その2一家に1人!座敷わらしなกุมารทองを
https://ameblo.jp/hiropomin/entry-11641421642.html
”チェンマイから来た僧侶様から
運気を上昇させるฝังเข็มทอง(ファンケムトーン)
という儀式を受ける事になったほへ太郎とお友達。
はたして、どんな儀式なの~~?
…
部屋の中は・・・
ฝังเข็มทอง
あら~とっても可愛くない
・・・おぉっと言い間違えたw
リアリティを追求したようなお人形さん達が沢山飾ってあります。
あらぁ~可愛いตุ๊กตา達ですねぇ~
(口から出任せほへ太郎w)
信者のオッサンが自慢気に答えてくれました
「でしょ!でしょ!
พระอาจารย์が
作って下さった可愛いกุมารทอง達なんですよ!
えぇと名前はね!
右からガイちゃん・ジョンちゃんに・・・何ちゃらちゃんに
何ちゃらちゃん・・・・」
…
「○○ちゃんでしょ?
そしてこっちがね、○○ちゃん、そしてあっちがね・・・
(以下延々と人形の名前を紹介してくオッサン)」
…
それにしても・・・ク・・・クマントン
・・・何だっけ・・・?この単語・・・?
…
黒魔術のオッサンが『守護霊』使役する時に使ってた単語だ!
そうだっ!あの単語だ!!
あの当時は言葉の意味は判らんがとにかくすごい自信だ
とキン肉マンな事を言ったの思い出した!!
そうそう!
กุมารทองって
勝手に『守護霊』と訳して書いたけど
おっちゃん確かに言ってました!
黒魔術師の占い館~その2~マシマロ吹き出しの巻
…
あの~~
ตุ๊กตา(トゥッカター)(和訳:お人形さん)とは言わないんですね。
กุมารทอง(クマントーン)って名称なんすねぇ・・・
・・・やっぱりพระอาจารย์(和訳:僧侶様)がお作りになるから
人形の僧侶用の尊敬語って事なんですか?
พระอาจารย์がにっこり笑ってご説明して下さいました。シメシメw
「・・・お人形・・・ではないですね。
ほら、ほへ太郎さん、
ちょっとそのクマントーンを一体持って。
そうそう。そしてその後ろを見てごらんなさい?」
あ・・・何か穴が開いてて・・・
あ~そこに黒い何かが埋まってるんだ~
ここに僧侶様のパワー注入~みたいな~?へぇ~~
(そのポイントをほじりながら)
「ほら、今ほへ太郎さんが触ってる所・・・
あ、あまりほじくり返さないでくださいね。
その黒いポイントあまり触らないでくださいね。(にっこり)」
あwwすみませんw
つい穴があったらほじる、それがほへ太郎(笑)みたいなw
自然にほじちゃうほじっちゃう。ねぇ!鼻くそじゃぁないんだからねぇ~
いやねぇもう本当手癖悪くってねぇ・・・(*ノω・*)テヘ
「・・・その黒い所に埋めてあるんですよ
胎児を焼いた灰を」
…
「・・・死んだ赤子の灰を
人形に封じ込めて魂を吹き込んだ
彼ら・・・
これがกุมารทองですよ・・・
扱いには本当にお気をつけて下さい。
彼らは生きているんですから。。。。」
…
กุมารทองクマントーン――
水子や胎児の霊を人形に封じ込め、
契約者のために使役させる日本で言う「座敷わらし」的お守り人形。
持ち主を幸せにする意味合いをもつ。
しかし!自分が持った場合必ず一体一体に名前を付けること。
また毎日欠かさずお菓子と飲み物(好物はน้ำแดง)を捧げる必要がある。
子供の霊だからお菓子が大好物なのだ。
現在では僧侶(もしくは徳の高い人物)によって、
そのような水子・胎児の魂を人形に封じ込める事により
供養と同等の意義を与え、見返りに持ち主に幸福を与えるラッキーアイテムとして
一般的にも流通してきたのも事実である。
しかし、
กุมารทองクマントーンは基本的に、
黒魔術的な呪いのアイテムとして使用する事が主であり、
タイの民話にもある通り、妊婦のお腹を生きたまま割き、胎児を取り出し殺してから
黒焼きにして人形に封じ込め、金箔で封じ込める数々の段階を踏む(他にも色々やるよ~ん)為、
非常に残虐性及び危険度の高い呪いアイテムであるため
クマントーンへ食べ物飲み物を与える事を怠ったり雑に扱う事は
契約破棄、いわゆる契約者に対し、不幸をもたらすという諸刃の剣的な事象になってしまう為
一般的には扱いにくいのも事実である。
また、なぜ飲み物は赤い水が好まれるか・・・
この契約者と交わした証、
いわゆる自分の子供(胎児)を
殺して守護霊とするという過去の因習により、
「血液」の代価としての意味が非常に強いと信じられているのである。―――”
2009/08/15
究極の呪い作用・水子霊を使役する
http://khmersurin.blog62.fc2.com/blog-category-5.html
”幼児霊を籠めた呪物は、カンボジアでKONKLO(コンクロ)・ラオスでLUEKLO(ルークロ)・タイでKHMANGTONG(クマントーン)という名で呼称されています。いにしえの呪い師は、この呪いアイテムを欲する者に対し(かつては男性)、まず妊娠した伴侶に対し「この腹の中の子は、俺の子だな?」と問いかけさせ
「もちろん、あなたの子です。」と答えたのを機に、一気に刃物で腹を裂き中の子供を取り出し、呪い師が持ち帰り、カラカラになるまで天日で干した後、然るべき儀式を施し魂を留めさせ欲した父親に授受するという手順が、
いにしえの唯一の方法でした。親父の幸運の為に、子と母親までも引き換えに供出しなければならないオゾマシイ方策しかなかったのです。時が流れ、仏教の教理が混入された事、更にいにしえの精霊崇拝も仏教との混交を受け、殺生をせずとも自然と水子となった霊は五万と居り、その霊を呪文によって呼び寄せ欲する者と契約を交わした後、器となる人形に籠める事で同様のアイテムを手に入れられるようになりました。いにしえのこのアイテムは、自身を守るのは自身の分身以外無し、と断言し妻の腹を掻っ捌くという何とも不快な方法だったのです。捨てられた水子は大半が供養されておりません。浮遊する魂を取り込み欲する者に与える事が、供養ともなり水子は主の為に誠心誠意尽くすのです。もちろん、生き物を扱うつもりの対応が主に求められますが・・・。でも現代は女性も授受できるようになりました。逆に母を欲する赤子には女性の方が良いかもしれません。”
タイで不気味な墓荒らし 「胎児ミイラお守り」の衝撃実態
東スポWeb
2018年12月27日 17:00
https://www.excite.co.jp/news/article/TokyoSports_1232056/
”【アツいアジアから旬ネタ直送 亜細亜スポーツ】ミャンマー国境に近いタイ南部ラノーン県で不気味な墓荒らしが起きた。地元警察発表によると、コンクリ製の墓が破壊され、ふたがこじ開けられ、胎児15人の埋葬遺体が持ち去られた。全て死産などで亡くなったばかりの胎児で、葬儀の際には不審人物の目撃談も。何らかの呪術的な儀式を行った形跡があるという。
地元紙「カオソッド」によれば、近隣住民は11月ごろからたびたび夜になると墓周辺で何かを唱えるような声を聞き、墓石を打ち壊すような音が響いたという。
タイでは胎児の遺体持ち去り事件もたびたび発生する。首都バンコク近郊サムットプラカーン県の病院では一昨年10月、早産で死亡した胎児が遺体安置所から盗まれた。被害者家族は記者に「遺体が黒魔術に使われるのではないか心配です」と語っていた。
敬虔な仏教国タイには、仏教伝来以前のアニミズム的な民間信仰も残る。人々は「ピー(精霊、幽霊、妖怪)」の存在を信じ、ごく少数だがタイ語で「サイヤサット」と呼ばれる黒魔術も伝えられている。今の時代では信じ難いが、ひそかに暗躍する黒魔術師を雇って政敵や商売敵に呪いをかけたり、反対に守護の力を封じ込めたお守りを作り、持ち歩いたりする信者がいる。
その一つが「クマントーン」。「黄金の子」という意味で、幼児の霊が宿るお守りだ。その作り方が実に凄惨。母親の子宮内で死亡した胎児を摘出し、墓地で儀式をしながら焼き、乾燥させ、ミイラ状にする。かつては妊婦の腹を裂いて胎児を取り出すこともあった。最後はミイラに金粉を塗って完成。クマントーンには非常に高い守護効果があり、幸運をもたらすとされる。現代では、何らかの方法で入手した胎児の遺体が使われるという。
2012年にはバンコクのホテルで、クマントーン6体を販売目的で持っていた英国系台湾人が実際に逮捕された。その男は1体20万バーツ(約68万円)でクマントーンを買い取り、台湾で転売しようとしていた。タイだけでなく、東南アジア各地や中国などでもその効力は信じられている。
このため、今回の墓荒らしも、地元では「クマントーンを作るためでは」と噂になっている。またタイで生きた赤ん坊がさらわれる事件も、組織的な人身売買や臓器売買目的といわれる一方「中にはクマントーン目当ての犯行もあるのでは」とささやかれている。(室橋裕和)
☆むろはし・ひろかず 1974年生まれ。週刊文春記者を経てタイ・バンコクに10年居住。現地日本語情報誌でデスクを務め、2014年に東京へ拠点を移したアジア専門ライター。最新著書は「おとなの青春旅行」(講談社現代新書)
”
タイのフェティッシュ
Posted on 22, 2015
http://vrilgese.blog.fc2.com/blog-entry-357.html
”男子は出家することが最大の功徳であり、事実上の義務となっているタイの街では、首から御守りを下げている人をよく見かける。
これはプラクルアンと呼ばれる小さな仏像で、粘土を焼いて作った仏像に僧侶が祈祷をささげたものである。
タイでは厄除けや、現世利益をもたらすとして、プラクルアン専門誌が発行されているほどの人気がある。特に年季のはいったものや、高僧によって魂を入れられたものは投機の対象とされ、高額で取引されている。
また、僧侶の念ではなく、雄牛の霊をこめた呪物もある。
このフェティッシュはサイモンダムと呼ばれるもので、邪気をはらい、主人の敵対者には激しく攻撃をしかけるとされている。
ただし、サイモンダムは雄牛の霊だけに荒々しく、時には主人の意に反して暴れだすこともあるという厄介な面もある。
タイのフェティッシュ中でも、もっとも禍々しいものが、胎児の霊がこめられた人形クマントーンである。
かつてクマントーンは、妊婦の腹を掻っ捌いて取り出した胎児を干したり、焼いたりしてミイラ化させ、その上から金箔を貼り付けて、呪術師が霊をこめることで完成するものだった。やがて、堕胎した胎児の遺体が使われるようになり、後には幼児の遺灰を子供の人形に封じ、水子霊をこめて作られるようになった。
クマントーンは幼児の霊だけに素直で、主人を親と思い、主人の幸せのためには懸命に働き、また反対に、主人の敵に対しては容赦ない制裁を加えて災いを遠ざけ、主人を守護してくれるという。
以前、首都バンコクにある中華街のホテルで、胎児の遺体6体を販売目的で所有していた罪で英国籍の台湾人チャウ・ホック・キュン容疑者(当時28)が逮捕され、大きく報道されたことがあった。遺体は焼かれており、金箔が施されたクマントーンだった。
男は、台湾や香港の裕福な好事家にも人気があるクマントーンを国外に持ち出して、高値で売り捌くつもりだったのだ。
しかし妙なことに、誰もいないはずの部屋に赤ちゃんの泣き声がしていると通報されたことで、男は警察に逮捕されてしまう。
不思議な赤ちゃんの泣き声は、金だけが目的で、愛情の欠片もない男に連れて行かれることを嫌がったクマントーンたちの必死の抵抗だったのだ。
木や土で作られた像といえど、フェティッシュには霊が込められている。ましてや、胎児の遺体で作られたクマントーンを、霊を軽んじる者に所有する資格はない。”
SuperKumanTong Attack Tin Yat Lineage and Claim to be “Real Taoism”
Posted on March 15, 2013
https://chiinnaturetaoism.wordpress.com/2013/03/15/kumong-tong-attack/
”Okay, lets talk about the man himself. Lets start with the username shall we? “SuperKumantong”, now the first thing I note is “Kumongtong”. That is an immediate Red Flag to me. Why? Kumongtong is the practice of “babyghosts”. Now, those of you who don’t know what this is, time for a wake up call.
“Babyghost” is a practice that involves the literal “cooking” or BBQ of a fetus in order to attain the oil that it produces. Now some of you may wonder what mother would allow that, well this is involuntary. The process in a couple sentences is cutting open the mother in order to obtain the growing fetus while allowing the mother to die of bleeding, pain, whatever it may be. Then, they will take that fetus and grill it to obtain the oil. Once they receive their oil, they take a nail or couple strands of hair from the dead mother and place the contents (oil included) into a jar or bottle. They will then begin to “chant” to use evil gods to capture souls into the jar and then “tame” them to do anybody’s bidding once they purchase it. Yes that’s right “purchase” it. Anyone who buys these enchanted jars are essentially buying baby oil and a dead woman’s bodily parts. Marketers of this crap will advertise that you will be able to use this babyghost to do whatever you want such as curse people etc. If you did not know this, well welcome to the real world of Kumongtong.”
(グーグルブラウザ翻訳
”さて、男自身について話しましょう。ユーザー名から始めましょうか?「SuperKumantong」、私が最初に注意するのは「Kumongtong」です。それは私にとって即座の赤旗です。どうして?クモントンは「ベビーゴースト」の実践です。さて、これが何であるかを知らないあなた方、モーニングコールの時間です。
「ベイビーゴースト」とは、胎児の文字通り「調理」またはBBQを行い、それが生成するオイルを得るための練習です。今、あなたの一部は、母親がそれを許可するのか疑問に思うかもしれませんが、これは無意識です。いくつかの文のプロセスは、成長中の胎児を得るために母親を切り開き、母親が出血や痛みで死ぬことを許します。その後、彼らはその胎児を取り、油を得るためにそれをグリルします。オイルを受け取ったら、死んだ母親から爪または髪の毛を取り、中身(オイルを含む)を瓶またはボトルに入れます。その後、邪悪な神を使ってを魂にとらえるために「唱える」ようになり、購入したら誰でも入札できるように「飼いならす」ようになります。はい、それはまさに「購入」です。これらの魔法の瓶を買う人は、基本的にベビーオイルと死んだ女性の体の部分を買っています。このがらくたのマーケティング担当者は、このベビーゴーストを使用して、呪いの人など、あなたがやりたいことを何でもできることを宣伝します。これを知らなかった場合は、くもんとんの現実の世界へようこそ。”
)
クマントーンは『黄金の子』という意味で非常に高い守護効果があり、幸運をもたらすとか言われているものなのですが、コレはそれのレプリカです。本物の作り方はざっくりいうと、人の胎児をミイラ化させて金粉を貼ったモノらしいです(^^)
タイの呪物市場で買って来たクマントーン(香油入り)2500円 pic.twitter.com/GpGmEsBbUW
— なんば赤狼🐾 (@nanba_sekirou) 2019年10月15日
🕊️
鳥飼さろめ
🕊️
@Salome4938
·
2019年4月8日
クマントーンに関する怪談を聞いた事ありますが、
ハッキリ言って不快でした。
欲の為に胎児を引き摺りだして
ミイラにするとか…
人間の業の深さこそ一番恐ろしく、
醜いものだなと、思わされた話でした。
何でこんな酷い事が出来るのか…
理解出来ないし、したくないです。
川奈まり子
👻
怪談実話
👻
実話奇譚
@MarikoKawana
·
2019年4月8日
胎児を引きずり出して?
それは私の書いた作品じゃありませんね。
私のは六本木ヒルズの赤子頭蓋骨送りつけ事件と、胎児の瓶詰め(模型の可能性あり)を送りつけられた知人の話を核に、胎児を用いた呪物の文化を絡めて、呪物に対する現代人の反応に重きを置いて書いた作品なので。
🕊️
鳥飼さろめ
🕊️
@Salome4938
·
2019年4月8日
うろ覚えですが、
確かファミリー劇場の「緊急検証シリーズ」で吉田悠軌さんがクマントーンについてお話されていました。引き摺り出していたでは無くて、
腹を裂いてだったかも知れません。クマントーンの成り立ちを聞いた時には戦慄を感じました。
川奈まり子
👻
怪談実話
👻
実話奇譚
@MarikoKawana
2019年4月8日
クマントーンの元になっているのは中国の道教の金童子・養小鬼ですよね。堕胎した胎児や死産児を用いた呪物で、今では招財童子・善財童子という名で売られています。
『出没地帯』執筆当時はクレカで買えるネット通販がありました。今もあるかは不明です。
吉田悠軌『ぼくらの都市伝説』シリーズ刊行中
@yoshidakaityou
返信先:
@MarikoKawana
さん,
@Salome4938
さん
どうもです。クマントーンなどの胎児呪物については、マレーシアやインドネシアにもあるようなので、むしろ南から中国に流入した信仰かとボンヤリ思っていたのですが(北寄りですがラオスにも)。中国でも雲南省などインドシナ近接の文化っぽいですし。逆ルート=中国・道教起源の可能性も高いですかね?
クマントーンの元とされている話「クンチャーン・クンペーン」も、19世紀成立と意外に新しいですから、起源は古代中国の可能性もあるかと思います。とはいえ東アジアより、インドシナなど東南アジアの方が(庶民レベルで)異様に胎児呪物人気が高いのは、なぜだろうと興味ありますね。
うまのめ
@UMANOME
·
2018年2月3日
返信先:
@joinusex
さん
堕胎した胎児をホルマリン保存していたものが、そのまま残っていて見つかったという事なんでしょうかねぇ
カナデッチマン
商標マーク
@DJ_KANADE_
·
2018年2月4日
返信先:
@joinusex
さん
初めまして。私の母の知り合いが45年ほど前に、ここで出産したらしいのですが、これらのホルマリン漬けは待合室や廊下等の誰でも目につくところに並べていたそうです。中身は奇形児のホルマリン漬けで研究材料だったらしいのですが、正直気味が悪いですね…。
(
エロで魔除け)
みのる
@minoru_hobby
2018年10月6日
返信先: @Piro_Shikiさん
とても気になりました タイトルをお教え願えませんでしょうか?
原文で構いません(むしろ原文でお願いします)
1件の返信 2件のリツイート 5 いいね
theerapat charoensuk
@serapheter
2018年10月6日
The title is "เกิดใหม่ครั้งนี้ จะสร้างประเทศที่ดีได้หรือเปล่านะ?" (Reincarnate this time, can I create a good new country?) - A story of the politician secretary who was betrayed by his boss, was killed and his soul transferred into girl-like boy in the half-beast world.
お読みくださり感謝!
« 『魔術破りのリベンジ・マギア 1』。白蓮教(ミロク系マニ〔明〕教)の一派が中国の天理教(日本の天理教の元ネタ)。如来、黒住、天理、金光教は全て骨格がキリスト教異端 =元祖和風キリスト教 | 私(子×5)がナ血系偽グノ派の666アニメーターY(監督歴あり)の粛清対象になったのでご支援お願いします!本物グノーシスとその元ネタの宗教史 »
コメント
コメントの投稿
トラックバック
| h o m e |