2、酒づくりの専門家・杜氏

■杜氏の名の由来

杜氏の名の由来は、一家の事を切り盛りする主婦のことを示した「刀自」(とじ)からきているという説が有力だが、中国の酒の神を「杜康」といい、良い酒を造ったことから「氏」を付けたという説もあり、京都・東寺の「執行日記」のも杜康というくだりがある。このほかにも、「頭司」「陶師」「藤次」が杜氏の語源であるとの記述も存在するがその由来ははっきりしていない。

■杜氏の役割

江戸期以降、産業としての酒作りが高度化、複雑化し、日本酒造りが寒造りになってからは一時期に集中するようになり、季節労働力の組織化が起こった。各地の酒蔵が冬場の働き口として次第に定着していき酒造りの最高責任者としての杜氏が一層重要になり、蔵で働く人々を組織化していった。
 
杜氏はすべての酒造技術面のエキスパートであるばかりでなく、統率力、判断力、管理能力に秀でた人格者、ジェネラリストであることが要求される。
 
日本酒造りは繊細で非常に複雑な工程と高度なテクニックが必要で、近年のコンピュータ技術の発達により精巧な管理が出来るようになったとはいえ杜氏の長年のキャリアとそれに支えられた勘が酒の出来映えに大きな影響を与えている。

■杜氏集団の役職と役割分担

(杜氏の出身地により呼び名が違う場合もある)
 
杜 氏  :
   (三役)
蔵の管理、帳簿管理、もろみの仕込と管理
頭    : 杜氏からの指令伝達、蔵人の指揮、仕込み水汲み、もろみ仕込主任
大師・麹師: 麹用蒸し米の取り込み、麹室仕事一切
元廻し元師: 元立ての仕事一切、もろみ仕込み
道具廻し : 酒造用具の管理一般、道具洗浄、水の運搬、水洗い、蒸米取出し
釜 屋  : 甑(こしき)蒸し、釜焚きつけ、米洗い、米量り、仕込み水汲み
相 麹  : 麹師助手
相 釜  :
   (追廻し)
釜屋助手
上 人  : 桶洗い、水洗い、水汲み、道具準備
中 人  : 水汲み、米洗い、蒸米運び、洗いもの
下 人  : 洗いもの、米洗い、水汲み、泡番
飯 炊  : まま屋、食事一切、麹室手伝い、桶の見回り、掃除

■杜氏の現状

高年齢化が進み、杜氏の出身地から遠く離れた土地では造り酒屋が酒を造りたくても造る人がいないという深刻な事態が起きている。杜氏数が年々減少している。
その背景には、杜氏を輩出してきた農業、漁業を中心とした社会において、近年は農業、漁業で自立出来るようになり、出稼ぎに行く必要がなくなったことにある。また、若者も安定した収入が得られる年間雇用を約束する企業に就職する就業形態がますます増えているとこがあげられる。最近では若い杜氏や女性の杜氏も誕生してきており、ジェネラリストであり、エンジニアである若き杜氏を必要としてきている。     

■杜氏の流派

明治時代には酒造技術が進んでおらず、全国的に酒を腐らせしまうことが多かった。そのため政府が酒造技術の向上を図ることを主な目的として杜氏組合の結成を推進していった。杜氏個人の醸し方の微妙なニュアンスはあるが、地域に伝わる独自の酒造りのノウハウが踏襲されており、酒造りの系統が守られている。
 
1 青森: 津軽杜氏
2 岩手: 南部杜氏
3 秋田: 山内杜氏(さんない)
4 福島: 会津杜氏
5 新潟: 越後杜氏
6 長野: 小谷杜氏
7 諏訪杜氏
8 石川: 能登杜氏
9 福井: 大野杜氏
10   越前糠杜氏(えちぜんぬか)
11 京都: 丹後杜氏
12 兵庫: 丹波杜氏
13 但馬杜氏
14 城崎杜氏
15 岡山: 備中杜氏(びっちゅう)
16 広島: 広島杜氏
17 高知: 土佐杜氏
18 愛媛: 越知杜氏(おち)
19 伊方杜氏(いかた)
20 島根: 出雲杜氏
21 山口: 大津杜氏
22 福岡: 柳川杜氏
23 久留米杜氏
24 長崎: 肥前杜氏
25 生月杜氏(いきつき)
26 小値賀杜氏(おぢか)

■主な杜氏のプロフィール

<日本の三大杜氏>

『南部杜氏』

日本三大杜氏(南部、越後、丹波)の一つで、岩手県石鳥谷町が発祥の地といわれている。浅井長政らにより「不来坊」の地に盛岡城が築城されて以来、南部地方の酒造りが発達した。全国で活躍する南部杜氏は372人と全国最多を誇り酒造従事者を含めると1300名に及ぶ。石鳥谷町は県内でも優良な穀倉地帯としても名高い。

『越後杜氏』

日本三大杜氏(南部、越後、丹波)の一つで、新潟県三島郡寺泊野積が有名である。ほかに、三島郡越路町、小千谷市、中頸郡柿崎町、同郡吉川町が越後杜氏の出身地となっている。日本一の数を誇るだけあって、281名の杜氏がおり全国21都道府県で日本酒造りの技を伝え、銘酒を造り出している。新潟だけでも100を越える蔵元がある。

『丹波杜氏』

日本三大杜氏(南部、越後、丹波)の一つで、兵庫県の中等部、丹波篠山(多紀郡篠山)出身者がそのほとんどを占める。1755年、篠山曽我部の庄部右衛門が池田の大和屋本店の杜氏となったのが、丹波杜氏の起源とされている。現在杜氏数は55名で江戸時代から名高い灘五郷で灘の銘酒を支えている。
 

<各地方の杜氏>

■東北地方 『津軽杜氏』 日本三大杜氏(南部、越後、丹波)の一つで、兵庫県の中等部、丹波篠山(多紀郡篠山)出身者がそのほとんどを占める。1755年、篠山曽我部の庄部右衛門が池田の大和屋本店の杜氏となったのが、丹波杜氏の起源とされている。丹波杜氏は、灘五郷で酒造に従事している。
『会津杜氏』 福島県の阿武隈川沿いの中通り地域、太平洋側の浜通り地域、会津地域の三地域に分けられる。岩手県の南部杜氏が多いが地元の杜氏も近年増えている。杜氏の育成を目的に平成元年に組合が結成された。現在は杜氏6名を含め39名が所属している。『山内杜氏』は、秋田県横手市の東側に隣接する山内村は発祥地といわれている。銘醸地・秋田の背景にはこの山内杜氏の高い技術がある。村の面積の約90%が林野であり、冬季は県内外で就業せざるを得ない就労者の約80%が、近年まで杜氏をはじめとする酒造労務者であった。それだけに長年培った酒造りの技術が伝承せれてきた。秋田のほか京都、静岡、栃木、福島、山形で活躍していおり、山内杜氏組合では杜氏43名、全組合員358名と東北では南部杜氏に次ぐ規模を誇っている。
■中部 『長野杜氏』 大正時代、主に越後杜氏と広島杜氏が長野県の酒造りを支えていたが、地元杜氏の手で長野の避けを醸したいという気運が高まり1919年、諏訪郡富士見を中心とする八ヶ岳山麓一帯(諏訪杜氏の発祥地)、北安曇郡小谷を中心とする北アルプス山麓一帯(小谷杜氏の発祥地)、飯山地域を中心とする奥信濃の千曲川一帯(飯山杜氏の発祥地)の3ヶ所で地元杜氏教育のため講習会を開き、現在の長野杜氏が誕生した。現在は49名の杜氏がいる。
■北陸 『能登杜氏』 能登杜氏の出身地は、能登半島の珠洲市、珠洲郡内浦町。昔、酒屋働きの酒男は「能登衆」と呼ばれ、ほかの労働者とははっきり区別されていたという。明治時代に入ると、近江の大津に能登杜氏と酒男を斡旋する「能登屋」と称するものが組織された。1901年、初の酒造講習会が現在の能登杜氏組合の前進となり今も能登流酒造りを受け継ぐ技術集団として活躍している。明治中期には、北海道、樺太、朝鮮・満州シンガポールまで進出した。現在は85名の杜氏がいる。
『越前糠杜氏』 福井県南条郡河野村糠を拠点としている。河野村は日本海に面し、主な産業は漁業であるが、冬期は漁業を行うことができなかったため、酒造りに携わるようになり明治44年には組合が設立された。最盛期は200名以上の杜氏がいたが、現在は16名。酒造職員を合わせると187名いる。
『大野杜氏』 福井県大野が本拠地で、戦後主に京都の伏見や愛知の半田の酒造業社に出稼ぎに行っていたが、昭和23年に初の組合ができ、その後、就労先も関東から関西・中国地方までに広がった。現在ではわずか杜氏は3名、全組合員は43名となっている。
■近畿 『丹後杜氏』 京都では兵庫の但馬杜氏や新潟の越後杜氏など県外の杜氏が多く見られるが京都の地元の杜氏として丹後杜氏がいる。出身地は竹野郡丹後町で、明治41年に組合を結成し、研修や品評会などの活動にも積極的に参加し、組合員は杜氏4名を含め27名と少数ながら地元の酒造りに貢献している。
『但馬杜氏』 兵庫北部の美方郡が中心。この辺りは冬期の積雪が多く農業を行えないため、古くから出稼ぎとして酒造業に携わる者が多かった。明治44年に組合を結成し、酒造界の発展と伝統の継承に努めており、現在杜氏は172名で、南部杜氏、越後杜氏に次いで多い。
『城崎郡杜氏』 日本海に面した水産業の町、兵庫県城崎郡香住町を中心として酒造りをしている。いつ誕生したか不明であるが、明治中期に京都や三重に出かけていあtことが伝えられている。組合は昭和23年に設立され、毎年自醸酒審査会を開催しており、女性の審査員による女性に好まれる酒の選定を行うなど新たな日本酒の可能性を探求している。現在杜氏は11名。
『南但杜氏』 兵庫県但馬の南に位置する山間部を本拠地として、大正10年に朝来郡酒造組合を発足させたが、戦争によって一時活動が中断され、昭和23年に再開された。その後、周辺地域の加入も増え、昭和38年の全盛期には杜氏45名、酒造業従業員1836名で酒造りに挑んできた。現在は南但杜氏組合として活動が行われている。杜氏は7名、酒造業従事者を含めた全組合員は70名。
■山陰 『出雲杜氏』 中国を代表する銘醸地で、日本書紀の記述から日本酒の発祥の地といわれる島根県出雲地方、秋鹿郡(あいかごうり)であるため、以前は秋鹿杜氏と呼ばれていた。積雪のため農業を営めない冬期に、県内の松江や出雲、平田、大社に出向き、酒造業に携わったのが始まりである。杜氏数の減少も目立つが、中国地方の中では多く、49名いる。
『石見杜氏』 島根の海岸沿いの浜田市美浜地区に美浜杜氏、周布(すふ)地区に周布杜氏、益田市喜阿弥地区に喜阿弥杜氏がおり、それぞれ農・漁業の副業として酒造りをしてきた。この三杜氏が団結して昭和初期に組合を結成して、当時は周布当時の名を総称していたが、現在は石見杜氏と呼んでおり、杜氏数は5名。
■山陽 『備中杜氏』 岡山県にはかつて倉敷市児島に杜氏がおり、児島杜氏と呼ばれていたが、その後杜氏の数が次第に減り、現在の岡山県西南部の笠岡市寄島町、成羽町という昔の備中地区に杜氏が多くなった。明治20年には100名を越え備中杜氏と名付けられた。組合は明治30年頃に組織され、次第に勢力を拡大し、大正14年頃には杜氏数が500名を超えるまでになった。昭和10年頃にも杜氏は350名位はいたといわれていた。現在では27名に激減し、全組合数も87名となっている。
『広島杜氏』 1897年に軟水による改良醸造法を完成させたのが、広島杜氏の三浦仙三郎である。発酵の遅い軟水、中硬水を用いた場合に、低温で長期間発酵を行うことで特有の風味のついた酒になることを見出したことで知られている。これがもとで広島が「吟醸酒発祥の地」と呼ばれるまでになった。また、この改良醸造法を後輩に指導するため、同年、稼働組合を組織させる。全国新酒鑑評会では広島杜氏の醸す酒が多く入賞している。
『大津杜氏』 山口県の北西部、日本海を臨む大津郡日置町を拠点とする杜氏集団である。日置町は肥沃な兵やに恵まれ、稲作の盛んな地域だが酒造業に携わる者を多くかかえていて、就労先は県内各地の酒蔵が中心となっている。杜氏組合に22名の杜氏がいる。
■四国 『四国の杜氏』 四国の3大杜氏といえば、越知杜氏、伊方杜氏、土佐杜氏。越知杜氏は、愛媛県越智郡宮窪町と吉海町、伯方町の出身者で占められており、杜氏は9名いる。伊方杜氏は愛媛県西宇和島郡伊方町出身者がほとんどで、1992年に組合組織を法人化して西宇和島杜氏協同組合と改称し、現在は22名の杜氏がいる。いずれも県内を中心に活躍している。土佐杜氏は高知県香美郡、安芸郡、幡多郡の各出身者が各組合を結成していたが1950年に合併し、1961年には現在の高知杜氏組合として誕生した。大正末期には組合員が500名ほどいたが現在は杜氏4名を含め65名いる。
■九州 『九州杜氏』 九州の代表的な杜氏は、福岡県の糸島郡志摩町芥屋、柳川市、三瀦(みずま)郡、長崎県の北松浦郡小値賀町、佐賀県の東松浦郡肥前町、熊本県に出身者が多く、その出身地をとって○○杜氏と呼ばれることが多い。各杜氏を生む四県および九州全土で83名の杜氏を含む332名の酒造従事者で九州杜氏組合を結成し、九州の酒の伝統を伝え、互いに意識し合い技術を高めるために一丸となって活動を行っている。

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