世界で感染拡大が続く背景には、ウイルスの変異が関係している可能性がある。欧州由来のウイルスは、武漢由来のウイルスより感染力が増大したとする研究結果がある。変異はワクチンの効き目に影響するのか。AERA 2020年8月31日号から。
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いま、世界の研究者が注目するのは、新型コロナウイルスの表面に突起上に突き出た「Sたんぱく質」の遺伝子に起きる変異だ。このたんぱく質は、ウイルスがヒトの細胞に感染する際に重要な役割を果たすだけでなく、ヒトの免疫がウイルスを攻撃する際の標的にもなるからだ。
特に注目されているのが、Sたんぱく質の「D614G」と呼ばれる変異だ。たんぱく質はアミノ酸が数珠のようにつながり、立体的な構造を形づくってできている。「614」は、Sたんぱく質を構成する614番目のアミノ酸を指す。「D614G」は、それがD(アスパラギン酸)からG(グリシン)に変化したという意味だ。
米ロスアラモス国立研究所などの研究チームが、8月20日付の米科学誌「セル」に発表した論文によると、武漢由来の初期のウイルスのSたんぱく質の614番目のアミノ酸はアスパラギン酸だった。
同チームが、世界各地で見つかったウイルスのゲノムの解析結果を集めたデータベースを調べたところ、3月1日以前は、登録された997ウイルスのうち90%は614番目のアミノ酸がアスパラギン酸で、グリシンに変化したウイルスは10%だけだった。それが3月1〜31日の1カ月間に登録された1万4951ウイルスでは67%がグリシンに変化していた。4月1日〜5月18日には、その比率は78%に増えた。
地理的にみると、グリシンへの変化は、まずヨーロッパで増え、その後、北米、太平洋地域、アジアへと広がっていったという。今では日本国内で見つかるウイルスの大半もグリシンだ。
研究チームが人工的に作ったウイルスをさまざまな種類の細胞に感染させる実験を行ったところ、グリシンを持つウイルスは、アスパラギン酸のウイルスの3〜9倍、感染力が増していたという。
また、英国の国民保健サービスのデータベースに登録された新型コロナウイルス患者999人の解析では、グリシンに変異したウイルスに感染していた患者の方が、のどの奥などから採取した検体に、より多くのウイルスが含まれていたとみられるという。つまり、グリシンに変異したウイルスの方が、体内で増えやすいと考えられる。
似たような実験結果が、米スクリプス研究所の研究チームや、米ノースウェスタン大学の研究チームからも発表されている。
英保健省など英国内の複数の組織や大学、研究所などによる「COVID‐19 ゲノミクスUKコンソーシアム」は、英国内の感染者2万5千人以上のウイルスの解析結果や集団感染状況の分析などから、1人の感染者から何人が感染するかを意味する基本再生産数(R0)を推計した。Sたんぱく質の614番目のアミノ酸がアスパラギン酸のウイルスでは3.1なのが、グリシンに変化したウイルスでは4.0と、やはりグリシンに変化した方が感染力が強いという結論だった。
コロナウイルスに詳しい東京農工大学の水谷哲也・国際家畜感染症防疫研究教育センター長はこう言う。
「複数の研究から、D614G変異により、新型コロナウイルスの感染力が高まっていると言えるだろう。それが、世界各地での感染拡大の一因になっていると考えられる」
一方、新型コロナウイルスに感染するとより重症化しやすいという病原性の高まりを示すような変異は、これまでのところまだ報告がない。「D614G」変異を調べた米ロスアラモス国立研究所の研究チームやUKコンソーシアムなども、病原性には変化はみられないとしている。
ただし、病原性が変化していないとも結論づけられず、病原性の変化は現時点では不明だ。
流行が終息していない時点で病原性を評価するのは難しい。時間とともに治療に関する知識が蓄積され、使える治療薬も少しずつ増えてくるので、回復する患者の比率が増えても、それが病原性が弱まったためとは限らない。医療体制に余裕があるかどうかによっても、治療結果は変わってくる。
また、感染者の致死率や重症化する患者の比率は、検査件数が増えてより軽症・無症状の感染者の数が増えれば下がるので、必ずしもそのままでは病原性を表す指標として使えない。
新型コロナウイルスの変異は、これまでに世界で約5千種類見つかっている。その中には、ウイルスの性質をまったく変化させないものも少なくない。一方、ウイルスの感染力や、重症化する感染者の割合を左右する病原性に、どのような影響があるのか、現時点では不明の変異もたくさんある。
ところで、初期に見つかったウイルスを基に開発されているワクチンの効果に、変異は影響しないのだろうか。
水谷さんはこう説明する。
「ウイルスの一つのたんぱく質に対し、ヒトの体内では、たんぱく質の異なる部位を認識する複数の抗体ができる。同じように、1種類のワクチンにより、複数の種類の抗体ができると考えられるので、1カ所の変異によって効果がまったく無くなるわけではないだろう」
より注目すべきことがある。
「ワクチンでは、ウイルスの変異よりも、どれぐらいの抗体が体内にできれば感染を防げるのかといった別の課題の方が大きな問題だ」
(ライター・大岩ゆり)
※AERA 2020年8月31日号より抜粋