魔王の常識、二千年後の非常識
俺は踵を返す。すると、背中から声が聞こえた。
「待ち……やがれ……」
よろよろとゼペスは起き上がろうとするが、傷が傷である。体が思うように動かず、地べたを這いずるのみだ。
「すぐに治療を受ければ助かるだろう。ギブアップすることだ」
「は。そんなことだろうと思ったぜ、この魔王族の面汚しが……敵にとどめを刺すこともできないとは、それでよくまあ始祖の血を引いてるもんだ……」
魔王族というのは、魔王の血統のことか?
血を引いてるもなにも、俺が始祖なんだがな。
「あまり喋るな。死ぬぞ」
「殺せ」
「しかしな。貴様のような雑魚は殺す価値もないからなぁ」
さて、どうしたものか?
「は! できねえのか? だったら、ギブアップさせてみろ。言っておくが、俺は死んでもギブアップしねえぞっ!!」
ギブアップしろと命じれば、すぐだと思うが。
「貴様の考えてることはわかってるぜ。強制の魔法を使うつもりだろ? ああ、いいぜ。やってみろよ。貴様はそんなことをしなきゃ、俺にギブアップさせることすらできねえカスなんだからよぉっ!! はっはっっはっ、ふはははははは――がぶぅっ!!」
ゼペスの頭を踏みつけ、顔面を石畳に押しつける。
「やれやれ、頭が高いぞ。そんなチンケな優越感に浸りたいとは見下げた奴だ」
だが、面白いことを言ったな。
「強制の魔法を使わなければ、ギブアップさせることもできない、か」
「……ほ……本当のことだろうが……カスがっ……!」
頭を踏みつけられながらも、まだなおゼペスは減らず口を叩く。
三下にしては、なかなか憎まれ役が堂に入っているな。
「ふむ、面白い余興だ。乗ってやろう。強制の魔法を使わずに貴様をギブアップさせれば俺の勝ち。そうでなければ、貴様の勝ちだ」
「はんっ? いいのか、そんな口を叩いて。俺は死んでもギブアップはしねえぞ……!」
瞬きをして<
そこには強制の魔法を使わずにゼペスをギブアップさせなければ、俺がギブアップすることが記されている。
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迷わず、ゼペスは調印した。
「馬鹿めが……どんなに痛めつけたところが、俺はギブアップなんぞしねえ……せいぜい後悔するんだな……ひゃーっはっはっはーっ!!」
俺は人差し指をゼペスの額の辺りに持ってくる。
「あーん? なんだぁ――」
指を、弾いた。
「――がしゅ……。……。…………」
ゼペスの全身が消し飛んだ。
「おおっと? 十分に加減をしたつもりだったんだが、これで死ぬのか……なるほど」
やれやれ。これでは俺の負けになってしまう。
仕方がない。
俺は人差し指の先を爪で切り、血を一滴垂らした。
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ゼペスの全身が再構築され、彼は蘇る。
鎧と剣は少しだけ強くしておいてやった。
「なっ……!? なんだあの魔法は、死んだはずのゼペスが蘇ったぞ……!?」
「死人を生き返らせるだと……!? そんな魔法、常識を超えているっ!!」
なにを驚いているのやら。観客席の連中はたかだかゼペスが生き返っただけで騒がしくしている。これぐらいの魔法が使えなくては、死んだら死んでしまうだろうに。
「な……俺は……?」
惚けた顔でゼペスが俺を見てくる。
「どうだ? 一度死んだ気分は? ギブアップする気になったか?」
「ば……馬鹿が……誰がギブアップなん――かきゅ……!」
再び指を弾き、ゼペスを殺す。
「おっと、うっかりまた殺してしまったな。まあ、三秒以内に<
観客席から、サーッと波が引くような静けさを感じた。
ふむ。俺としたことが、どうやらギャグを外したか?
この殺しても三秒以内ならセーフという三秒ルールは、神話の時代では鉄板のジョークだったのだが、いやいや、まるでウケないな。
さすがに二千年も経つと、笑いの文化も変わるか。それどころか、皆、恐怖に染まったような顔をしている。それほど俺のギャグが寒かったのか。
魔法の時代のギャグがわかるまで、ボケるのは自重しなければならないか。
「はっ……!」
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さて、軽く追い込むか。トラウマにならない程度にな。
「死んでもギブアップしないと言っていたが、まさか死ぬのが一生で一度きりだとでも思っていたか?」
返事はなく、ゼペスはわなわなと震えるばかりだ。
「さて、もう一度聞こうか? ギブアップする気は?」
一瞬ゼペスは絶望的な表情は浮かべる。しかし、か細い声で言った。
「だ、誰が――きゅふぁっ……!」
もう一押しだと思って、また殺してみた。
それにしても、<
再びゼペスの全身が再構築され、彼は恐怖に染まった顔で俺を見た。
「ところで、この<
がちがちと歯の根の合わない音を響かせ、ゼペスは唇を震わせる。顔面は蒼白に染まっていた。
「き、きさ……貴様……よくも、そんな非道な真似が……」
「ふむ。興味なしか。俺の時代にはなかなか議論が白熱したんだがな」
まあ、笑いの文化が違うのだ。
どんな哲学に興味を抱くかは、やはり時代によるようだな。
「じゃ、もう一回ぐらい殺しとくぞ」
「お、お前……そんな気軽に殺すとか、言うなよ……」
はは、と我ながら爽やかな笑みをこぼしてしまった。
「なんだ、急にしおらしいことを言うようになったな。死んでも本当に死ぬわけじゃあるまいし」
軽く言い放ち、指先をゼペスの額にやる。
「お……お、お……ま、待ってくれ……?」
「おっと」
やべ。指がすべって、うっかり殺してしまったな。
今、なにか言おうとしていたというのに。
まあ、生き返らせればいいか、と<
「き、貴様っ……!! 待ってくれと言っただろうがっ!!!」
「はっはっは、悪いな。うっかりだ」
「はっはっは、じゃねえぞ、クソがっ!! うっかりで殺されてたまるか!!」
「おお。まだ元気そうだな。じゃ、もう一回」
と、指をゼペスの額に持ってくる。
途端に彼は萎縮して、瞳の色を失った。
「……ま、待ってくれ……」
「なんだ?」
「俺の……」
屈辱に染まった表情で、けれども彼は確かに言った。
「お、俺の負けだ。ギブアップする」
なんだ、張り合いのない。
「これぐらいの遊びで根気のない奴だ。あと一万回ぐらいは殺そうかと思ったってのにな」
敵意がないことを示すため笑顔で冗談を口にすると、ゼペスはなぜか脅えたように身を震わせる。
「……あのゼペスを……まるで子供を相手にするように……」
「……圧倒的すぎる……。あいつ、何者だ。見たこともない顔だぞ……」
観客席からはそんな声が漏れていた。