最後の手紙
黒猫直送便。無事完遂です。
ミカエリスは行く先々で引き留められて辟易していた。元々、縁談目当てに引き留められることは多かったが最近は更に多い。ようやくタウンハウスに戻れたのは深夜だった。
原因は解っている。有名税のようなものだが、いい加減続くと煩わしい。
日が暮れると声の描けてきた貴族たちのタウンハウスや、郊外近くの屋敷に等と引き留められた。酒や女を引き合いに出されることもあるが、やんわりと角の立たない様に断っていたらこんな時間になってしまった。
従僕を古参のメイドを残し、残りは下がらせた。自室に入りシャツを寛げようとしたとき、何か空気の揺らぎのようなものを感じた。違和感を確認するより、腰にまだ佩いていたミスリルの剣を抜き放つのが早かった。
死角といえる背後に立っていたのは、背の高い黒づくめの男だった。
「文をお預かりしております」
「……そうか」
首筋に剣を突き立てているのに、黒衣の男は動じない。
なにを考えているか分からない静謐さを含んだ、黒曜石のような瞳。無機質でどこか冷然とした眼差しは、人というより人形のようだった。
後ほんのわずかに揺らすだけでも、ミカエリスのミスリルの刃は男の頸動脈へ埋まるだろう。だが、瞳孔も呼吸も乱れた気配はない。
動揺が一切見られないのが一層不気味さを際立たせた。
侵入者は手に持った封筒をさも大事そうに差し出す。
そして、そこに押されている封蝋に僅かにミカエリスは目を剥いた。動揺で手が震えかけて、慌てて剣をどかしたほどだった。
(アルベル……!)
この封蝋は彼女個人のものだ。瑞々しさを感じさせる鮮やかな赤色の封蝋。
ほんのり輝きの入ったワックス。独特の輝きは、彼女しか使わない――というより、彼女用の特注品はローズ商会で極秘に作られている。そして、一般販売されていない。
少なくとも、ミカエリスはアルベルティーナ以外にこの薔薇色の封蝋が使われたものを見たことがない
使用人に押させるのではなく、彼女自身が押す封蝋は必ずどこか甘さがある。
慎重になりすぎて、少しぶれたり斜めになったり、どこか押し方が弱かったりしているのだ。たまにアンナやジュリアスなど、信用ある者が代行するときっちりしっかり押されている。
彼女が封蝋を押しているところを見たことがあるが、失敗や汚れで封筒を何枚もダメにして残りが少なくなってしまうと変わってもらうようだ。たまに、失敗し続けてドツボに嵌っていることがある。一度、遠征しているグレイル宛の手紙でその状況に陥っていた。
アルベルティーナは封筒や便箋も拘るのだ。そして、特注の紙が多いからそうなる。
文通をよくするアルベルティーナだが、いつまでたっても余りこれは上達しない。際立ってへたくそではない。よく見れば気づく程度。だが妙な凝り性を発揮するとそうなる。
そして、ミカエリスはそれを見極められる程度には文通をする仲だった。
「返事はすぐに書いた方がいいか?」
「いえ、後日お時間を頂きたいのだと。他にご予定が――」
「優先順位がある。問題ない」
勲章を授与され、陞爵の話が出てからまたどっと夜会やお茶会の紹介状、そして縁談の申し出が増えた。
だが、王都を離れていた間のアルベルティーナの動向は気がかりだったのだ。大体は収めてきたものの、後始末を部下と父に任せて戻ってきたのだ。
アルベルティーナは周りを気にして強がって元気に振舞っている。それがまた痛々しくて仕方がない。そして、ジブリールから妙な噂を聞いたのだ。
色々と気がかりはたくさんあるが、彼女から連絡を取ってきたのなら乗らない手はない。
音もなくレイヴンが戻ってくると、従僕の時の一礼をして「すべては滞りなく」と恭しく跪きます。
わたくしの頼みごとを完遂したと報告をしてくれました。まずは一安心ですわ。
三人ともそれぞれ守りが堅いタイプだから、変に怪しまれてしまったらどうしようかと少し心配していたの。わたくしには優しい方々ですが、警戒心が強いのよね。
「そう、ありがとう」
「三人ともいらっしゃるとの返事でした」
「忙しいのに……いえ、呼びつけたのはわたくしでしたわね。ご苦労様、レイヴン。貴方はどこで休むの?」
「身を隠せる場所で」
「そう、良かったら隣の部屋を使って。ちゃんとしたベッドのほうがいいでしょう」
「ですが」
「護衛として、気になる? なら扉は明けておいた方がいいかしら?」
すり、と寄ってきたチャッピーの頭を撫でる。
膝の上ではぷすぷすと奇妙な寝息を立てて、ハニーが眠っている。
チャッピーもハニーも脱走癖があるため、ケージやベッドに戻してもすぐさまわたくしのベッドに上ってくるのです。可愛らしいけれど、ダメなのよね。そして、大抵要領の悪いチャッピーがアンナやベラにどやされている。
「そんなことをしては、間違いなくジュリアス様に怒られます」
「大丈夫よ、わたくしがいいといったんだもの」
「お嬢様ごと怒られます」
何故ですの。レイヴンは実力もあるだろうし、信用にたる護衛ですし傍に置くべきですわ。一度は、お父様のお眼鏡にかないわたくしの専属となった数少ない従僕です。
たしかに背の高く精悍になったレイヴンをベビーピンクのフリルたっぷりのシルクの羽毛布団に埋もれさせるのはギャップがある光景でしょう。
でも、そんなに怒られることかしら。
「せめて鍵は必要かと」
「でも、何かあった時にレイヴンが入れなくなってしまうわ。かといってバルコニーは寒いでしょう?」
「あの程度、蹴破れます。そもそも野外で休眠を取れていましたから、そこまで気になさることでは……」
それはいいのかしら? 蹴破るのはいいけど、野宿は良くないわ。まだまだ成長期のはずよ、レイヴンは。
アンナはレイヴンがわたくしの傍にいることを推奨しています。信用できる護衛として。
とりあえず、鍵はつけて何とか隣室で寝かせることには成功しました。
翌朝、アンナが何故か嬉しそうでした。なんでも、ジュリアスの反応が楽しみだそうです……何故ですの。何か空気がギスる気配を察知しました。
わたくしの中ではレイヴンは可愛い弟のような、小さなレイヴンのままなのです。
前は小柄なピンシャーのようなイメージでしたが、今はブラックのドーベルマンですわね。もしくは猟犬系の野性味としなやかさを感じます……あの黒衣のせいかしら?
(あれでは、今までの従僕の御仕着せもサイズが合わないわね。新しく仕立て直さなくてはなりませんわ。
護衛であれば騎士服? あの黒衣だけでは影として動くならともかく、今後表に出てもらうにはダメよね)
まだ身長、伸びたりするのでしょうか。
羨ましいやら、悔しいやら、嬉しいやらで複雑ですわ。
読んでいただきありがとうございました。
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