経過。無言電話は来なくなった。汚物を投げ込まれたのも、一回だけ。マスコミは、一切こない。草ぼうぼうだった庭は、ご近所の方のお力添えで、キレイになった。子ども達は、学校でも学童でもお稽古事でも
「子どもが子どもらしく過ごせるように特別扱いはしませんが、変な噂話などたたないよう、注意して見守ります」
といったことを言ってもらっており、安心して子育てができている。苗字が変わったことも、すんなり受け入れてもらったようで、子ども自身が馴染み始めている。まだ本調子までは程遠いが、ちらほらと仕事もいただいており、感謝でいっぱい。
加害者家族って、もっとひどい目にあう(差別)と聞いていたので、拍子抜け。宮城県の方は、本当に優しいのだ。宮城県民でよかった。皆さま、ありがとうございます。
夫の弁護士さんと話しをした。
「なんで、京都にいったと、言っていますか?」
ときいてみたが、
「うーん。答えられません」
とのこと。時折、夢枕に、迷惑をかけた人がたち、うなされるそうですよ。だが希死念慮は薄れ、落ち着いた様子で、社会に戻ってからのことを真剣に考える様子がうかがえるそうだ。子どもに少しでも養育費を払うということを生きがいに考えているようです。
弁護士さんのお力添えが大きいようです。
「どうして、うちの夫の弁護を引き受けてくださっているのですか?弁護士費用が払えるかどうかもわからないのに」
ときいてみたところ
「誰かがやらないといけない仕事ですし。愉一さんは、社会にでたら必ず支払うと約束してくれましたから」
とおっしゃっていただいてました。
私が宮城県で、温かい人たちに恵まれて生活再建に臨んでいるように、夫にも支えてくださる方がおられるというのは、ありがたいことだなと思います。
ちなみに私は、夫のことを「患者さん」と思うことにしている。同じ土俵にたつと、腹がたって、死にたくなるから。夫が犯行(行為?)を起こした理由についても、考えないようにしている。不信と絶望しかないから。子どものことをすごく心配しているといいますが、
「おまえがいうな」
なので、聞く価値無しです。
とりあえず、一生会わない方がいいことだけは、よくわかっています。何言われても、信じられないから。会話は成り立たないでしょうね。