子ども達がいう。

「納豆ご飯、美味しいね。冷蔵庫にいれててね。

ママにきかなくても、食べていいよね」

「牛肉じゃなくて、豚肉にしよう。」

「エアコン消さなきゃ。大丈夫だよ、涼しい涼しい」

こどもたちなりに、我が家の家計を考えてくれている。

昨夜は、私が何も言わないのに、次女6歳がお茶碗を洗ってくれていた。

 

私は、診療所閉院に伴い、今後が気になるケースの終結モニタリングを書いたり、関係機関との調整をしている。とても気になるが、もう支援はできない。彼ら(患者)が今後出会う医療福祉従事者が、いい人でありますように。寄り添った支援が受けられますようにと、祈ることしかできない現実をかみしめている。

 

夫は、林さんを救ったつもり、かもしれないが、逮捕されたことにより、その他多くの命を救う機会を手放した。

「大きくなったら、お医者さんになりたい」

という我が子の教育機会を奪った。我が子が医者になれば、さらに多くの人を救えたのにね。

 

私達医療福祉従事者は、常に「限界」を突き付けられる中、できるだけのことをして、あとは祈るしかない現実を引き受けている。法制度が、組織が、医療器材が、スタッフ数がゆるされるなら、本当はもっとやれる、もっと救えるかもしれない。だけどできない。ここまでしかできない。悔しさや葛藤を引き受け、できるだけのことをし続けるのがプロだ。ゆえに夫の事件に対し、医療福祉従事者からの擁護の声は、皆無に等しいのだ。妻の私ですら、擁護の気持ちが起きないのだから。

 

私のスマホには、一遍の動画が残っている。事件の翌週12月8日、結婚式を挙げたホテルで食事をしたときの模様だ。

 途中トイレにいくふりをして、母子でチャペルで待機。しばらくしてスタッフさんに連れられた夫がバージンロードを歩いた先に、長女が待っていた。

「パパ、お仕事頑張ってくれてありがとう。パパが頑張ってくれるから、私はお稽古事ができます。たくさん勉強して、賢い子になります」

という手紙を読んだ。

 

夫は号泣して、何も言えなかった。その時の私の目に映っていたは、単に娘に甘いパパだったのだが。今思えば、我が子の未来を断つような取り返しのつかない行動をしたことへの後悔の涙に暮れ、何も言えなかったのだろう。

今日は日曜日。英検二級対策にとことん付き合います。

塾にはもういけないので、ママ先生が頑張りますよ。