いわばコロナ下、検察庁法改正案の今国会での成立が見送られたのは、ツイッターで多くの芸能人がハッシュタグ付きの「#検察庁法改正案に抗議します」という投稿を行ったことで「社会的関心が高まったことが背景にある」と津田大介は書く(朝日新聞「論壇時評」5月28日)。
「類似の投稿を含む総数はその後1千万件近くにも及んだ。国会前に59万人が集まり、1千万回のシュプレヒコールが行われたと思えばその規模をイメージしやすいだろう」(傍点は引用者による)と津田は書くのだが、59万人という数字は「表現の不自由展・その後」の「あいちトリエンナーレ」の行われた名古屋市の人口のほぼ四分の一程度であろうか。国会前に集まった59万人による1千万回のシュプレヒコールは、いかになんでもイメージしやすいとは思えない。去年の天皇即位の祝いに皇居前に集った人数がどの程度だったのか知らないが、彼等が延延と繰り返したというバンザイ三唱は右翼でさえその自堕落にさえ見える体裁の悪さに呆れたらしいのだが、「#検察庁法改正案に抗議します」の圧倒的なツイッター投稿数を眼にして、私がイメージするのは(あえてイメージする必要などないのだが)「国会前」や「シュプレヒコール」ではなく、59万人が自粛中のホームと言うべきかおうちと言うべきか、とにかくそういう場所でスマホを手にして著名人の投稿を読んでいいねを押している姿だ。
「1千万回のシュプレヒコール」と津田が書いている5月28日の新聞の時評より以前、16日前の東京新聞で記者は、「ツイッター上にこんなつぶやきがどっとあふれ出したのは九日夜」からで、次々と芸能方面の著名人とされている人々が名を連ね「声を上げ」つづけていることに、新聞というオールドメディアに属する立場の者として「何やらまぶしさと空恐ろしさが交錯する」のを感じるのだが、その前提にあるのは、「芸能人の政治的発言はご法度」という日本的常識である。政治的立場を鮮明にすることが普通に行われるアメリカの芸能界が例として挙げられるが、1930年代にハリウッドのスター俳優と映画会社の間の独占的で支配的な契約が反奴隷法違反の判決を受けたという歴史があるし、50年代のレッドパージの歴史もある反動と差別の国でもある。
そういった過酷さに、ツイッターではなく、奴隷だった黒人たちは現在でも各地の街頭で「黒人の命を軽くみるな」(*)という抗議を示威するのだが、その一方私たちの国の芸能界では、新アルバム『存在理由』をリリースしたばかりのさだまさしが新聞のインタヴューに答えて、スピーチ・ライターの原稿を読みあげる安倍首相の発言だと言われても不思議ではない、美しく正しい日本を語る。
「日本という国は、緊急事態宣言を出しても、欧米や中国のような強制力がないですよね。これ、人権が守られているってこと、自由の証しだと思うんです。自粛で感染拡大を抑えられるんだという、日本人の秩序を世界に見せたいですよね。これは自由を守るための闘いなんです。」(東京新聞5月10日)自分の発言や歌が世間への影響力を持っていると信じきっている者特有の自信にあふれた厚顔な無感覚である。
たとえばニュースサイトの編集者中川淳一郎がリベラルな著名人に加えて意外な芸能人が投稿して「芸能人が政治に口を出してもいいという風潮ができたのかもしれない」(東京新聞5月13日)と言う検察庁法改正案への抗議に、さだもさっそく加わったかどうかは知らないが、中川の言う「芸能人が政治に口を出してもいいという風潮」とはどういうことか。そもそも政治に加わる芸能人は左右を問わず多いのだ。セクハラで大阪の知事をやめた横山ノック、東京都知事青島幸男、宮崎の東国原英夫、国会議員にも芸能人はかなりの人数がいたはずだし、もう32年も前なので誰もが忘れてしまっている1982年の「核戦争の危機を訴える文学者の声明」に賛同した「演劇人の訴え」(『反核――私たちは読み訴える』岩波ブックレット№1)では「こういう〝署名〟をされたのはこれが初めて」の「伝統芸能の諸氏」を含めて88人の呼びかけ人のもとで「日本の全演劇界が、残らず揃って」の署名(木下順二)もあった。
もっとも、この木下の言う全日本の演劇人の中に、唐十郎や別役実は入っていないし、ジャズやポップスや歌謡曲の歌手や落語や漫才の芸人や大衆演劇人(大衆小説家は入っている)、それに映画関係者(山田洋次さえ!)も入れられていなかったことを考えると、いかにも偏頗(へんぱ)で、そもそも署名運動という行動が、選別的であり政治的であることがわかる。
抗議のツイッターが900万件にあふれたと伝える東京新聞の記事には、投稿した「主な著名人」のリストが載っていて、その18名のうち「(作家)」は3人、室井佑月、乃南アサ、島田雅彦である。900万もの投稿の中には、おそらく3人以外の作家の名もあっただろうし、それに作家は署名に名を連ねる運動のみならず、その名の由来でありもする「文章」によって「意見」や「思想」を発表することができるのだが、かつて作家たちは署名運動のむしろリーダーであったのだ。さだまさしは単に歌手ではなくシンガー・ソングライターと呼ばれるわけだが、思い出してみれば、いつの頃までであったのか、署名運動はもっぱら「紙の上」のものであり、たいていのそうした運動には中心となる「危機を訴える文学者」たちが存在していたもので、湾岸戦争のために破壊された油田から原油が流れ出て海を汚染し、悪い油にまみれた翼の飛べない海鵜の写真にふるい立った作家を含めて、何人もの気鋭の文学者が私たちという複数形(多分、どこか主体が曖昧にされがちのと考えたのだろう)を使用せず、私という一人称を使用して声明を発表したのが、考えてみれば、記憶する一番新しい出来事である。
もちろん作家たちは「コロナ禍」の最中、年齢には関係なく、名前とタイトルだけは知っていた、フランス人作家(ʼ60年に自動車事故で死んだ時、当時の文化的若年層はJ・ディーンのʼ55年の事故死を思い出して重ねあわせたものだ)の小説を読んだ衝撃を、さっそく引用しなければならない。小説家は昔から名作のダイジェストを引き受ける役割を持っていたのだから当然のことで、カミュがアルジェリアの街を舞台として書いた『ペスト』は、「そもそもが「ペスト」をテーマに書かれたものでは」なく、「終わったばかりだった巨大な戦争、第二次世界大戦、あるいは、もっと卑近な、フランスの戦争を描くために、それを象徴するものとして「ペスト」を選んだといわれている。」(高橋源一郎「コロナの時代を生きるには」『小説トリッパー』2020年夏号)と解説を書いたり、コロナの時代について、「確かFacebookでだか、島田雅彦が言っていたと思うのだが、「今は冬眠の時だ」と。(略)「解決」を急ぐのではなく、まずは「冬眠」すること」(山本光久「知的インフラ通信ガラガラへび」257号」)と、ウロ覚えで名前と言葉を引用して「冬眠」に対する共感を示す者もいるが、それとは反対に正確な目ざめを覚悟する者もいる。パオロ・ジョルダーノのスピード感を持って上梓された『コロナの時代の僕ら』の書評を、いとうせいこうは書く。「相手を正確に科学的に把握し、名づけること」が知的振舞いであり、すでにこの時点で「著者は「武漢ウイルス」などという曖昧で政治的な名前を使用する者と頭脳が違う。」のだと。当時、「武漢ウイルス」(中国ウイルスとも)という言い方をしていたのは、トランプ大統領やポンペオ国務長官、それに麻生財務相なのだが、上記三人と比べて、頭脳が違うというのは(ジョルダーノは、麻生のことなど知るはずもないだろうが)、きちんとした賞賛の言葉とは、常識的には考えられない。
私たちの大部分の者は、当然のことながら新型コロナウイルスという感染症に感染し直面するわけではなく、コロナに関する言葉に出会う。志村けんのコロナウイルスによる死について「百万の統計データよりも有名人の死という一つの物語が人々の行動を変えることがある」(鳥海不二夫東大大学院准教授。東京新聞4月7日)という発言は、病気で死んだ有名人のおかげで、この病気の知名度があがって病気の予防に役立つ、といった発言をするのと同じように、ほとんど知的な印象を受けないのだが、新聞の小さな連載コラム(「本音のコラム」)に看護師の宮子(みやこ)あずさが、医師との連携で専門性の違いを感じる場面がよくあることを「敢えて単純化すると、一日一回の内服が難しい人にも、四回飲むよう指示するのが医師。生活を見ている看護師としては、唖然とするが、専門性が違うと、出る結論も変わってくるのである」(東京新聞5月18日)と書いている。宮子あずさは、役割の異なる医師と看護師の連携の難しさとして書いているのだが、医師の言葉や発言を聞いたり、あるいは文章やインタヴューを通して読む者としては、専門家的保守性(というか無邪気さ)に苛々すると言ったほうがいい。
たとえば、4月25日の朝日新聞の日本医師会会長のインタヴュー記事である。厚生労働省と専門家会議が相談・受診の目安として「37・5度以上の熱が4日以上続く」こと、「持病がなければ37・5度以上の発熱でも4日間はご自宅に」と発表してきたことについて、日本医師会(自民党の支持基盤)の会長横倉義武は「症状が4日間なければ相談してはいけないのではない」との見解を示してきたが、この目安について「誤解を受けるような表現だったかもしれない」ので「国民への伝え方を修正する必要があるとの認識を示した。同会議は22日、「強いだるさなどがあれば4日を待たずすぐにでも相談」との見解を改めて示している。」
これを修正と言えるのだろうか。
* 音楽批評家のピーター・バラカンはBlack Lives Matterを、黒人の命も(あるいはは)大切、ではなくこのように訳した。