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 米国社会の現状を「光」とみるか「闇」とみるか。今の姿は「偉大な国」なのか「民主主義が危うい国」か。

 11月の米国大統領選に向けた論戦が本格化している。激しい言葉が飛び交う演説を聞くだけでも、この国の深刻な分断ぶりが伝わってくる。

 選挙の構図は今月、正式に固まった。共和党は、ドナルド・トランプ大統領とマイク・ペンス副大統領が再選をめざす。民主党は、大統領候補にジョー・バイデン氏、副大統領候補にカマラ・ハリス氏を指名した。

 この3年半、米政治は異例続きだった。自らの支持基盤優先の姿勢を鮮明にし、国民各層への目配りを欠くトランプ政権のもとで、以前からの政争がさらに深まったのは間違いない。

 バイデン氏が自らの目標に、社会の統合を掲げたのは正しい判断だ。指導者が党派に偏らぬ国政運営を心がけるのは、代表制民主主義の原則である。

 「私を支持しなかった人々のためにも身を粉にして働く」。そんな当然の約束が際立つメッセージになり得るほど、政治が劣化してしまった現実を与野党とも直視せねばなるまい。

 「分断」とともに今回の選挙が問うテーマは、「多様性」である。人種、宗教、出身地などに由来する摩擦は、かねて米国の課題だったが、改めて論議の的になっている。

 警官による黒人暴行死事件に端を発した抗議運動は、記憶に新しい。「#MeToo」現象にみられた女性の平等を求める動きや、移民の処遇などをめぐる論争も活発化した。

 バイデン氏がハリス氏を選んだのも、その文脈にある。ジャマイカ出身の父、インド出身の母をもつ女性と組むことで、少数派に対するトランプ政権との違いを強調している。

 米社会が寛容さを失いつつある背景には、格差の拡大があることも忘れてなるまい。産業構造の変化に伴い、特に内陸部などで中間層の暮らしが細った。勤勉が報われる「アメリカンドリーム」という言葉が輝きを失って久しい。

 そうした長年のゆがみによる社会の不満に応えずにきた責任は、共和、民主両党を含む既存の政治にある。国民生活の底上げや不安の解消などは、共通の目標であるべきだ。

 分断の政治は、国外では米国第一主義となり、国際機関や条約から次々と離脱する動きにもつながった。国際社会での米国への信頼は失墜している。

 コロナ対策や気候変動問題も含め、米国民も世界も健全な米政府の指導力を渇望している。極めて重要な選択となる選挙に向け、本質的な論戦を望む。

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