黒焦げの遺体のかたわらに立ちすくむ少女 龍さん死去 90歳終戦の日
<黒焦げの遺体のかたわらに、ぼう然と立ちすくむ少女>。長崎原爆の惨状を伝える写真として、長崎原爆資料館(長崎市)に展示されている。肉親を奪われ、ひとりぼっちになった15歳のこの少女は年を重ね、家庭を築き、終戦の日の今月15日、家族に見守られながら90歳で天国へ旅立った。
亡くなったのは、福岡県大川市の龍智江子さん。爆心地から約300メートルの長崎市浜口町で生まれ育ち、1945年8月9日、女学校3年のときに被爆した。外出先で父と共に一命を取り留めた龍さんは、家にいたはずの母と弟を捜した。黒焦げの遺体が母だと分かったのは、小遣いで母に贈ったべっ甲の髪留めが頭骨に残っていたからだ。旧陸軍報道部員の故山端庸介氏がシャッターを切ったのは、そのときだった。
大川市の親類宅に身を寄せ、10カ月後、父が原爆症で亡くなり1人になった。それから結婚、出産、孫の誕生と家庭を築き直した龍さんの戦後の歩みを、2007年8月の西日本新聞の連載「命をつむぐ-原子野の少女はいま」(全4回)で紹介した。
「あのときはただ、これは現実だろうかとぼうっとしていて、悲しいとか悔しいとかありませんでした」。取材に対し、被爆時をそう振り返った龍さん。長く記憶を封印していたが、約20年前、孫が通う小学校から請われて体験を話したのをきっかけに、夏の平和学習の講話を引き受けるようになったという。息子夫婦と孫を連れて原爆資料館を訪れ、焼け野原に立つかつての自分を見せもした。
「今、こうして生きているのが、本当に不思議に思えるんです。亡くなった家族が導いてくれているような気がしてですね」
龍さんは晩年、認知症を患いグループホームで暮らしていた。長男の妻、由美子さん(63)によると誤嚥(ごえん)性肺炎で昨年1月に入院し、今年の春からは新型コロナウイルス感染予防の影響で自由に面会できなくなった。お盆前、特別に許可を受けて面会し、4月に生まれた初めてのひ孫の写真を見せると「かわいか」とつぶやいた。それが、交わした最後の言葉になった。
告別式は17日、親類30人ほどで執り行ったという。「二度と戦争をしないように。私のような目に誰も遭わないように。母がいつも、そう言っていたのが思い出されました」と由美子さんは話した。 (下崎千加)