舞台裏日記
2020年04月16日(木)
シュンちゃんツイート(4月7~12日)はこうやって創作しました&日記を書いた新井さんからのコメント
高校生たちが日記原文をもとに考えた4月7日~12日のツイートです。
ツイートでは、日記原文をただ現代の言葉に訳すのではなく、若い世代が理解できるように日記に無い情報を調べて補足したり、イメージを膨らませて表現したりしています。
ツイートを作ったのは、えいみ・さきの・佐藤・竹森・にほという5人の「シュン」制作チーム。
このブログでは、メンバーが話し合いながらどんな意図でツイートを作成したのか紹介しています。
また、日記を書いた新井俊一郎さんご本人にとっては高校生のツイートがどううつるのか、コメントもいただいています。
【高校生たちのツイート】
1年生で行軍をした。弁当を持って比治山まで無言で歩いた。途中馬にちょっかいをかけて軽く腕を噛まれかけていた奴がいた。腕が青くなっていたので「大丈夫か」と声をかけると強がっているのか「これぐらいは大丈夫」と返してきた。大丈夫では無いだろうに。
弁当を食べおわり、それから学校へまた無言で帰る。学校に着くと無言で歩いたせいか、緊張から解き放たれ、どっと疲れが体にきた。明日は休校日らしいから、しっかり体を休めよう。
【高校生たちの創作意図】
日記原文には「久保田が馬に噛まれた」とだけ書かれているのでどんな場面か気になり、状況を想像して書きました。一緒に中学生活を送るクラスメートの様子が読んでいる人にいきいきと伝わるといいなと思っています。また、行軍の大変さが日記には書かれていないので、そこが伝わるように情報を付け加えました。(文・ひろしまタイムライン「シュン」制作チーム)
【新井さんより】
馬に噛まれたなどの事件と、生徒一同での軍事訓練としての「行軍」の、どちらが大切な日記なのか。私なら圧倒的に軍事訓練に目が注がれる。百人以上の少年たちが、身体にシッカと防空頭巾を括り付け、斜めに背負った雑嚢になけなしのご飯を詰めた弁当箱を入れ、指導生徒の号令一下、整然と4列縦隊に並んだまま、足取りも揃え、一斉に行進し始める状況を想像し給え。見事だよ、勇壮だよ、戦時下の軍港少年の集団行動だよ、凄いよ。本来ならば、支給された小銃を全員が肩に担いで行進するところだが、もう学校に小銃などの武器は残っていなかった。
何故、全員が無言だったのか。「緊張」の言葉を使っているけど、ちょっと違う。整然と、粛然と、勇壮に行進しようとしたら、「ペチャクチャ」喋りながら歩けますか? 指導生徒と引率教官が居るのだし、勝手な行動や雑談など出来る雰囲気じゃない。全員が「少国民。少年兵士」との心意気で行進しているのだから「緊張」もするね。しかし、終わったからといって。現代っ子みたいなグウタラ態度を示したら、即座に制裁が降ってくる。非常時だったです、当時の日本は。
4月8日
【高校生たちのツイート】
今日は太平洋戦争の詔勅が出されたことを記念した大詔奉載日である。そして鈴木内閣が誕生した。
残念だ。附属国民学校のときお世話になった早瀬先生と久しぶりにお話をしたいと思い、朝高田と名柄と待ち合わせをして先生のお宅に向かったのだが惜しくも不在なようだ。どこにいらっしゃるのだろう。時間を空けてまた行ってみよう。
早瀬先生を探して、先月まで通っていた附国に向かうと、なんと渡辺、吉野、三保がいた。それぞれ今は違う中学校に通っているので会うのは何日ぶりか。なつかしいな。よく漫画を見せ合ったり雪を投げて遊んだりしたもの
名柄たちと別れ、高田と一緒に早瀬先生のお宅へ行くと、先生がおられた。ついに会うことができた!少しの間だったが久しぶりにお話しができて、附国の時に戻ったような楽しい時間だった。今日は色々となつかしい気持ちにさせられたな。
【高校生たちの創作意図】
日記原文に出てくる「早瀬先生」とだけ出てくるので、附属国民学校という情報を追加しました。また、国民学校時代の日記から友人との思い出を抜粋し、読んでいる人に仲の良い友人だということが具体的に伝わるようにしました。また、久しぶりに国民学校の同級生に会ったという日なので、自分が昔の友達に会ったときの気持ちを思いだして文章を作成しました。(文・ひろしまタイムライン「シュン」制作チーム)
【新井さんより】
国民学校時代の思い出ばかりに集中か。トップの投稿だけが、政治動向と政府の代替わりを気にしてくれた。私の日記は、意外と政治や社会や戦争の動向を気にして記録しているのが特徴です。
4月9日
【高校生たちのツイート】
先輩方の敬礼に感動。朝から体育館での朝礼。 僕たちは気を付けの姿勢で先輩方を待つ。 僕たちがする敬礼に対して、先まで綺麗に揃った手の角度、先輩方の敬礼に凄まじいほどの気迫を感じた。中学生になったのだ。僕はやっと立派な大人になったのである 。
体育館から教室に戻り、担任の教官から帳面や鉛筆などの配給を受けた。「B」の鉛筆だ。絵を描く僕は、明日で良いのに誰よりも早く鉛筆を削ってしまった。 この鉛筆を使って今から絵を描こうかな。 大切に使おう。
敬礼の甘さから修身の教官に殴られた。やはり国民学校の時とは厳しさが格段に違う。
午後は敬礼等、教練を習うこととなっている。次からは注意を受けないよう、しっかりとここで練習をしよう。
学校にオルガンがあったので、国民学校の教官から教わったことを思い出し、一度にガーンと全ての鍵盤を押してやった。確かにB29のような音がした。この音を聞いたら、直ちに自らの持ち場を守れるようにならなければならぬ。
今日は帰宅する際に上級生から身だしなみについて「なにしとる。貴様の帽章は上下が逆さまじゃ。」と説教を受けた。教官に殴られたばかりなのに。悔しい。 一日中キツく注意をされてしまった。こんな事は初めてだ。
今日も大したものが食べられなかった。1月に食べた天丼が懐かしいな。あれは本当に、ほっぺたが落ちたようにうまかった!しかしこのご時世、皇軍将兵の方々を差し置いて僕などが贅沢をする訳にはいかない。気を引き締めよう。
【高校生たちの創作意図】
この日は日記原文の記述が無いので、3月以前の日記に出てきた思い出を思い出している体で文章を作成しました。
前半は1月10日の日記に出てくる「爆音の和音を聞く」という記述をもとにしています。それだけではどういう状況かわからなかったので、新井さんから聞いた「オルガンの鍵盤を一度に押すとB29の音になる」という話を加えて伝わるようにしました。今と昔で授業の様子が全く違うことを感じてほしいです。
後半は、1月16日の日記に出てくる「天丼を食べる。大ご馳走だ。うまいうまい、ああうまい。ほっぺたが落ちたーあ。」という記述が印象的だったので紹介しながら、シュンちゃんの軍国少年らしさや厳しくなる食糧事情を表現しました。(文・ひろしまタイムライン「シュン」制作チーム)
【新井さんより】
「爆音の和音」は、足ふみオルガンの全鍵盤を、両腕の肘までの全部を平らにして、上から鍵盤全体を押さえつけるのです。敵機の爆音の聞き分けが出来るか出来ないかで、生き残るか死ぬかの運命が決まる「聴音の訓練」です。軍隊にも「聴音機」という巨大なラッパのような兵器があり、その担当者はラッパの音を集めて聞き取る部分を耳に当てて、私たちがやったと同じ聴音訓練を受けた成果を試されるのです。グラマン、Pー38、ロッキード双胴機、B24、B29、など多くの敵機のプロペラ音を聞き分ける訓練です。音楽の時間で政府から配られた敵機の爆音を記録したレコードを聞かされました。
「敬礼の作法」=重要な訓練科目です。イラストに描かれた敬礼は、明らかに間違っています。小学校4年生時代だったかな、担任の早瀬先生から教えられました。中学校に入ってからも、担任の三木先生から全く同じ作法を教え込まれました。両先生とも海軍式でした。文字で書き表すと、「右手の掌をキッチリ全開して指を揃えて伸ばし、人差し指と中指の各指の先端部分に相当する隙間を、かぶった帽子のヒサシの右端を挟み込むようにピタッと当てる」のが正規の作法です。
海軍式では右肘を脇腹に当たるほどに近づける姿勢。陸軍式は、右ひじを右方向へグイと張り出す姿勢。
背筋はまっすぐの、直立不動で「気を付け」の姿勢を取ることが大前提です。
「帳面」などが配給される場面は、具体的な金額まで描写している哀切なシーンです。
敬礼の姿勢で、「教官から殴られた」との記述があったかな。「記章が上下逆だ」と叱られたのは、最初の登校時の、正門前で立哨していた上級生から我が失敗を指摘されたシーンです。反論の余地なし。説教ではない。正規の服装か否かなどなどを監視する、当番生徒による立哨の正当な役目です。
生徒諸君が興味を抱くのは、まだまだ時代の特色が理解できていないからでしょう。私とは全く関心の寄せ方と方向が違うね。
4月10日
【高校生たちのツイート】
教官が1年生皆に「今日からは日誌をつけて提出しろ」と仰った。僕は言われる前から日誌をつけていたが、今日改めてその日誌を「米英撃滅日誌」と名づけることにした。こんないい名前もないだろう。よし、これから今日の分の日誌をつけよう。
そもそも、今我々の進むべき道は米英撃滅ただ一つである。天下の附中生たる僕がこれまで日記に米英撃滅の名を冠さなかった事は恥ずべきことだ。気づかせてくださった教官に感謝する。これからは帝国学徒として相応しい日記を付けていかねばなるまい。
この文章を書いている今も、沖縄方面宛の特別放送がかかっているのだ。硫黄島は敵の手に渡り、飛行場は敵が使用している。無念だ。無念だ。ただ米英撃滅あるのみだ。
【高校生たちの創作意図】
中学生になり一人前の日本男児として意気込んでいる様子が伝わるような文章を作成しました。また、「米英撃滅」への強い思いがわかりやすく伝わるよう工夫しました。(文・ひろしまタイムライン「シュン」制作チーム)
【新井さんより】
「米英撃滅日誌」と名付けると決めたが、私には自尊心があった。それは教官に命じられるより早く、元旦から既に実質的に「米英撃滅日誌」を付けて来ているとの自負があったので、命令に従ったとの気持ちが無かったこと。威張っていた、というのが正直な本音でした。
4月11日
【高校生たちのツイート】
特別攻撃隊が地上部隊と協力して総攻撃を開始した。ついに我々が攻撃に転ずる時が来たのである。我が方の作戦にまんまと引っ掛かっているとも知らず得意になっておる米兵の、米国の愚かなことよ。今こそ米国撃滅の好機である。
しかしこの重大戦局において、我が学習態度はどうだろう。教官の訓話を奉じる時でも、気を抜けば怠け心がむくりと起き上がって、飯のことなどが頭に浮かぶ。こんなことではいけぬ。心を鎮めよう。心を鎮め、米英撃滅に向けて励むのだ。
【高校生たちの創作意図】
日記では中学入学とともに教官により検印が始まり、ご飯の記述が少なくなっています。軍国少年であろうとする志と、ご飯が大好きな部分を合わせて表現したいと思い、文章を作成しました。
【新井さんより】
「食べる」との記述が少ない、と指摘されて初めて気づいた。そうだったかな。意識しては居なかったけど、検印という圧力が掛かっていたのかな。気づかされた場面です。
4月12日
【高校生たちのツイート】
つい5日ほど前にも行軍をしたのに、今日も行軍らしい。今度の日曜日も行軍だという噂もあるし、なかなかに憂鬱だ。いや、しかしこれも自分たちの鍛錬のためである。憂鬱などと言ったら罰が当たる。
前回の行軍の時に馬に噛まれた久保田は、今日は家の都合とやらのために電車で饒津神社に先回りするらしい。本当は馬が怖くなったのだろうとからかってやったら真っ赤な顔で怒られた。
前回よりなお良い成績を残してやろうと気を張って歩いていたのに警戒警報に邪魔された。神社には着いたが、飯を食べたか食べないか分からないうちに帰宅させられるとは。恨めしい。
【高校生たちの創作意図】
馬に噛まれた久保田がまた登場するので、読む人に思い出してもらいやすいよう情報を補足しました。読む人は久保田はじめクラスメートの顔も性格もわかりませんが、少しでも身近に感じてもらえたらいいなと思っています。そして、学校でたくさん行軍に行っているのが印象的だったので、兵隊になる鍛錬として大事だと思いながらもやっぱり大変だったのではないかと想像して記述しました。また日記原文には「饒津神社」という地名は出てきませんが、ある方が広島市民にとってはイメージしやすいと思い記述しました。(文・ひろしまタイムライン「シュン」制作チーム)
【新井さんより】
「行軍が嫌いで憂鬱だ」などと、私たちの誰もが全く感じていなかった少年たちです。そういう時代です。ただただ懸命でした。立派な一人前の男児になるのだ、との使命感でイッパイ。疲れたとは思うが、そんなこと思った自分を更に鼓舞する自分たちだったのです。根本的に考え方と精神の座り方が違うね。それが理解できないと、私の日記は最後まで皆さんには理解できないまま終わることになるでしょう。一層の努力と、日記本文の更なる熟読を勧めます。