前編では、教師による研究団体「TOSS」とそれを率いる向山洋一さんが、いかにヤバく、そして極右的な政治傾向をもっているかを書きました
TOSSは、授業のハウツーを集め、それを共有している団体です。彼・彼女らは自分たちのやっていることを「教育技術の法則化」と呼んでいます
会員数2千人、関係者1万人という極めて巨大なこの教師集団は、安倍政権とも近く、また、近年は「宇予くん騒動」で有名な日本青年会議所との連携を強めてもいます
オカルトチックな授業や歴史修正主義的な授業を推し進めていることから、「スピリチュアル系」の右派団体と見て間違いないでしょう
前編は↓
後編である今回は、そんな極右であるTOSSが、どのようにして原爆の悲劇を教え、それによっていかに【あの戦争で、日本は悪くなかった】という結論に子どもたちを導くのかを見ていきましょう
向山洋一のトンデモ論文
“「ヒロシマと聞いて、思い浮かぶ言葉をノートに5つ書いたら持ってきなさい。」
向山洋一氏の有名な発問です”
先にも述べたように、向山洋一さんはTOSSのリーダーです。「教祖」的なリーダーシップを発揮しているタイプの方で、TOSSは向山洋一さんが認めたものはどんな変なものでも正統として認めてしまいます(たとえそれがオカルトであったとしても、です)
つまり向山洋一さんの動向さえ観察すれば、TOSSがなにをやっているかわかるわけですね
TOSSに絶対的な影響力をもつ向山洋一さんは、かつて明治図書の雑誌『社会科教育』に「戦争と平和学習-授業づくりの論争点はどこか-」なる論文を発表したことがあります
その論文の中に、向山洋一さんの”有名な発問”があるようですね
論文発表は1997年8月号。「新しい歴史教科書をつくる会」や「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」、そして「日本会議」といったウヨ団体が次々と設立されていた、そんな時期のことです。この論文もまた、そうした流れを受けて書かれたものと思われます
↓はかつてメルカリに『社会科教育』1997年8月号が出品されたときのURLです。西岡力さんや高橋史朗さん、藤岡信勝さん、竹内睦泰さんといった名だたるウヨに混じって書かれた論文――つまりはそういう論文であることがわかってもらえるかと思います
残念ながら今回は『社会科教育』1997年8月号そのものは手に入りませんでしたが、その論文をもとにした授業の内容を公開している方を見つけました
サイトのトップページにはコンテンツの説明として以下のような記述があります
"今までの戦争・平和学習は「事実に基づいていない」「情緒的である」「視点に一貫性がない」と向山氏は言います"
"向山氏の提案する戦争の授業は、日本の戦争の事実を事実として教え、子どもたちを前向きに育てる授業です"
なんともイヤーな予感しかしない前置きですね
授業は計11コマも使うようです。内容を見ていきましょう
※どうやら向山洋一さんの論文だけに依拠した授業ではなく、適宜別のものも参考にしているようです。無論、「適宜別のもの」というのも、向山洋一さんの論文から派生したか、もしくは論文を構成する要素だった可能性は大いにあります
1コマ目「15年戦争の年表を作る」
どうやらこの時間の授業はTOSSの雑誌『教育ツーウェイ』1996年11月号の向山洋一「いかなる指導も事実の検証の上に」も参考にしているようですね
1コマ目では、教科書や資料をもとに、「15年戦争」の年表を書いてもらいます。1年につき1つの事件を書き込んでいく形ですね
ちなみに「15年戦争」は、今は「アジア太平洋戦争」と呼ぶのが一般的です
2~4コマ目「15年戦争 重大事件を3つ選ぶ」
この時間は、まず前回につくった年表に若干の修正を加えます
そして子どもたちに、15の事件のうち特に重要だと思ったものを3つ選び出してもらいます
で、選んだ3つの事件を子どもたちに詳しく調べてもらいます
5~6コマ目 ヒロシマの授業
ヒロシマの授業については後述します
なぜか6コマ目へのリンクが消えていますね……ということだけ、とりあえず頭の片隅に置いといてください
7コマ目 戦争とエネルギー問題について知る
この時間の授業は、”伴一孝氏「『エネルギー』で見る大東亜戦争(改訂版)」(第5回長崎向山塾ヒロシマの授業)の追試である”だそうです
追試というのは、赤点をとった学生が受けるアレ……ではなく、以前他の誰かがやった授業をもう一度同じようにやり、再現できるかどうか試してみることをいいます
「法則化」をうたっている以上、何度も追試して法則を見つけだすことは、TOSSの重要な作業なんですね
伴一孝「『エネルギー』で見る大東亜戦争」は↓から
検索していただければわかりますが、伴一孝さんは何冊も著作のあるTOSSの講師です。数多くのセミナーをこなし、後身の教師を育てています。YouTubeには、まるで偉人かなにかのように「向山洋一論」を語る伴一孝さんの姿があります( ̄* ̄)
さて、そんな伴一孝さんは、そして「DEEP向山型社会サイト」はどのように「戦争とエネルギー問題」の授業をしたのか
……いや、まあ、もともとの伴一孝さんの授業が「『エネルギー』で見る大東亜戦争」なんで、お察しではありますが(以下、引用は「DEEP向山型社会サイト」から)
この時間の授業では、なぜ日本があの戦争(“前の戦争「大東亜戦争」といいますが。教科書では太平洋戦争になっています”と注釈をつけないとダメみたいですよ\(^^)/)に突き進んでいったのかを、子どもたちに教えているようです
まずはアメリカとの戦力差を数種類のグラフで見せます。当然のことながら、圧倒的な差があるわけです。そこで、ひとつ質問をするのです
"発問1 今のみなさんだったら、このような相手と戦争しようと思いますか"
なかなか上手い誘導ですね。グラフで戦力差が客観視されている以上、よほどのへそ曲がりでない限り、NOと答えるほかないでしょう
子どもたちは「どうして日本はこんな馬鹿げた戦争を……」と疑問に思うはずです。なぜなら、そう疑問をもつように誘導したからです
次に、当時の日本がどれだけ石油を使用していたかを述べ、次のように問いかけます
“発問3 輸入する石油のほとんどを、日本はアメリカ合衆国に頼っていたのです。もし、このアメリカ合衆国から来る石油を止められたら、どうなると思いますか。ノートに考えられること、思ったことを書いてごらんなさい”
ここで勘の良い子どもなら、先ほどの疑問の【答えらしきもの】にピンとくるはずです。教師はダメ押しで、一気呵成に解説と質問を重ねます
"説明4 (現代の日本が、もし石油を止められると)200日後の状態は、大東亜戦争の3年9ヶ月間と同じ被害(邦人の死亡者数)になるのです。時代は違いますが「石油を止められる」ということは、戦争よりもずっと大きな被害なのです"
"説明5 そしてアメリカ合衆国は、日本に対してこれをしたわけです。 1941年8月のことです。その上、他の国からも日本に石油がはいらないようにしました"
"発問4 みなさんが当時生きていたとしたら、どうしますか"
この発問4への子どもたちの回答が↓
“次のような意見が出た”
“・どこかの油田を攻撃して石油をとってくる”
“・戦争する”
“・輸入をしてくれるように仲直りする”
はい、これにて誘導完了です。3番目の意見だけは若干違いますが、ようするに、ウヨがよく言う「あの戦争はしかたなかったんだ!石油を止められたら戦争するしかないじゃないか!!自衛戦争だったんだ!!!ヽ(;゚;Д;゚;; )ギャァァァス」というやつですね
流れるように自然とこの結論まで持っていく構成は、なかなかに見事です。恐ろしいのは、【子どもたちがどのような疑問を持つのか】【子どもたちはどう考えるのか】【子どもたちがどのような気付きを得るのか】を完璧にコントロールしている点ですね。集団授業に特化した「法則化」を推し進めてきたTOSSの真骨頂を見る思いです
普通であれば「どうしてアメリカは石油を止めたんだろう?」と疑問に思うところでも、”もし、このアメリカ合衆国から来る石油を止められたら、どうなると思いますか。ノートに考えられること、思ったことを書いてごらんなさい”と作業を指示することによって、自然に疑問を封じています。実に上手い
教師は様々なデータを子どもたちに提供しますが、ただ一点、【そもそも日本が侵略戦争をしていた】という前提となる情報に触れないことによって、このような誤った結論に導くわけですね。もしこの情報に触れていれば、発問4への子どもの意見は、全然違ったものになっていたのではないでしょうか
……誘導が完了したところで、さらに「アメリカは日本がインドシナに攻めこむとわかっていて石油を禁輸した!」との陰謀論を吹き込み、トドメに「もう日本には石油がなくて戦争できないとわかっていたのに原爆を落とした!」と〆ます
自衛戦争論のフルコースといったところですね。まさにウヨの英才教育です
どの話も、【そもそも日本が侵略戦争をしていた】という前提さえ知っていれば、「日本が侵略戦争を止めれば済む話じゃん」で終わる話なんですけどねー(無論、原爆なんてものを使用した罪はアメリカにもありますが)
8コマ目・9コマ目 15年戦争はどの段階でならとめることができたのか
この時間の授業は例の向山洋一さんの論文「戦争と平和学習-授業づくりの論争点はどこか-」の内容がガッツリ入っているそうです
ですが、意外や意外、これは大人しいですね。種まきはこれまでにしてきたもので十分ということでしょうか
最初の授業でつくった年表をもとに、どの段階ならアジア太平洋戦争をとめられたのか子どもたちに考えさせ、議論させるのです。子どもたちの話し合いに介入することもありません
個人的には、大日本帝国は明治維新からこのかたずっと神聖を背景にした膨張主義をとっていたので、アジア太平洋戦争に至るのは当然の帰結なんじゃないかなーと。ただの膨張主義なら引き返せたかもしれませんが、神聖なる天皇制までくっついていたとなると……
10~11コマ目 レポート「私の戦争論」を書く
これまでの授業の内容で、子どもたちにレポートを書いてもらいます
ただし、
“(1)15年戦争の年表、資料集を作る。
(2)「原爆投下の責任」「戦争とエネルギー」について学ぶ。
(3)「15年戦争はどの段階でなら止めることができたのか。」について考える。
戦争(15年戦争)についてまとめる。”
といった具合に、5~6コマ目の「ヒロシマの授業」の内容と、7コマ目の「戦争とエネルギー問題について知る」の内容は必須のようですね(^ω^)
なかには教師がいかに間違った方向に誘導しようとしているのか気づいた「察しの良い子ども」もいるでしょうに、先生の望むレポートを書かなければならないなんて、ものすごい苦痛でしょうね
……これで向山洋一さんの論文をもとにしたつ「事実で語る戦争の授業」は終了です。次はようやく、後回しにしていた「ヒロシマの授業」について説明します
その前に、「事実で語る戦争の授業」の最後に子どもたちに書かせていたレポートについて、今一度注目して頂きたいのです。”「原爆投下の責任」”と書かれていますよね。これがTOSSのヒロシマの授業の根幹をなすものなのです
そして、これこそ「DEEP向山型社会サイト」の「事実で語る戦争の授業」5~6コマ目で行われた「ヒロシマの授業」で、6コマ目だけが隠されていた理由だと、僕は睨んでいます
「事実で語る戦争の授業」で現れたヒロシマ、隠されたヒロシマ
まずは「ヒロシマの授業」のうち、隠されていない5コマ目を見てみましょう
この授業は”松藤司氏「ヒロシマ」の授業-向山洋一氏「ヒロシマを向山はこう教える」の追試-の追試”なんだそうです
松藤司さんもTOSS内ではなかなかの有名人みたいですね。「『エネルギー』で見る大東亜戦争」の伴一孝さんも大絶賛する教師ですね
授業では、まず、子どもたちに「ヒロシマ」と聞いて思い浮かんだことを、ノートにじゃんじゃん箇条書きしてもらいます。そして、そのうちの3つを選んで、これもノートに書かせます
前述してきた、向山洋一さんの”有名な発問”ってやつですね
教師は子どもたちに、その3つがなぜ大切かを考えさせた後、なぜ世界の人々がヒロシマを大切だと思うのか考えさせます
“説明1 沖縄では2ヶ月に20万人近くの人が死んでいます。これは被害が大きいとは言えないのですか。東京大空襲では、わずか2時間に10万人の人が亡くなっています。これは大きい被害とは言えないのですか”
このように説明し、なぜヒロシマが特別なのかを考えさせます
……日本が侵略した土地での現地住民の被害について言わないところは気になりますが、いわゆる「リベラル」さんもこのていどの認識の人が多いので、この点は深くはツッコミまないでおきましょうか
たしかに、このように誘導されると、なぜヒロシマが特別視されるのか不思議な気もしますね。「核兵器だからだ」が答えでもいいんですが、では、なぜ核兵器だけが特別視されるのでしょうか?
授業では、先生はこう結論づけます
“一瞬。多くの死。今も苦しんでいる”
この点において、異論はありません。特に”今も苦しんでいる”と後遺症について言及しているのは良いことだと思います(日本政府の戦後補償が不十分だった件について言及していれば、もっと良かったですが、TOSSにそこまで求めるのは酷ですね)
最後に現代の核兵器の威力について触れて、5コマ目は終了です
……日本の被害をやたら強調しているのは気になりますが、反核兵器の授業としては、別に悪くはないのではないでしょうか?
しかし、騙されてはいけません
TOSSが2コマも使って「ヒロシマの授業」をしたのは、なにも核兵器の悲惨さを訴えたかったからではないのですから。そのことは、「事実で語る戦争の授業」の最後のレポートで、子どもたちに何を書かせたのかが示しています
“「原爆投下の責任」”です
それこそがTOSSが「ヒロシマの授業」で訴えたいことなのです
こうなってくると、「ヒロシマの授業」の後編になにがあったのか気になってきますよね
実は「DEEP向山型社会サイト」はブログもやっており、中途半端な形(おそらく授業の構想を練っている原案?)ながら「事実で語る戦争の授業」のことが書かれています
そこにはサイトでは隠されていた「ヒロシマの授業」の後編が掲載されていたのです!
被害者意識を植え付けるTOSSのヒロシマ授業
ブログに書かれた「ヒロシマの授業」の後編と内容がそっくり同じな授業が「TOSSランド」にあります
こちらのほうが子どもたちの反応も書き込まれていてわかりやすいため、以降は特別に言及しない限り、この「原爆投下の責任を授業する」という授業をもとに話を進めさせていただきます
さて、この授業ですが、これも向山洋一さんの論文をもとにしているそうです。『社会科教育』1998年1月号掲載の「「被爆体験」何をどう主張するか」という論文ですね(こちらの雑誌も手に入りませんでした(>_<))
繰り返しになりますが、TOSSの絶対的カリスマである向山洋一さんの論文ということは、つまりは他のTOSS教師たちもこのように教えている、ということですね
では、内容に踏み込んでいきましょう
授業の前振りとして、まず、次のように話します
“原爆ドームの近くに原爆慰霊碑があります。この碑には次のように書かれています。全員で読みましょう。
「安らかに眠ってください 過ちは 繰り返しませぬから」
過ちとは戦争、原爆のことですね。過ちを犯したのは誰なのでしょうか”
(これが書かれているのはブログの「ヒロシマの授業」のみですが、後述する子どもの感想からして、TOSSランド掲載の「原爆投下の責任を授業する」でも話されていると推測できます)
ここで、まず、子どもたちに責任の所在について疑問を投げ掛けます。この段階で、原爆投下のみならず【戦争】そのものにまで拡大したうえで、責任者を問うていることに注目してください
そして、原爆投下直後のトルーマン大統領の発言を引用し、アメリカの原爆投下の目的を以下のように説明します
“トルーマンの原爆投下の理由。
(1)戦争を早く終わらせる
(2)アメリカ兵の多くの命を救った”
そして、これに納得するかどうかを子どもたちに考えさせ、議論させます
この段階で、すでに「納得できない」が過半数を占めており、「半分納得するんですけど……」という意見は少数派。「納得する」は皆無です。日本の侵略や、日本政府が国民の犠牲を尻目に「国体護持」についてウダウダやっていたことを教えていないのなら、当然の結果ですね
教師は、ここであえて、トルーマンが戦後に語った話を引用します
“「当時、アメリカ軍は、関東平野と日本南西部(九州)に上陸を行う計画だった。
これには150万人の兵隊がいり、50万人の負傷者と25万人の死者を出すことは必至だった」”
これにより、いったんは「納得する」が半数近くになります。たしかにアメリカ兵の命は救われたのかな、と子どもたちは思うんですね
が、原爆投下前にアメリカの統合戦争計画委員会が提出した報告書には、負傷者15万人、戦死者4万人という数字がはじき出されていたそうです
そのことを伝えられた子どもたちの反応はといえば……
“負傷者15万人の数字を見せると子ども達から声があがる。死者4万人を見せると子ども達から更に声があがる”
人数が全然違うじゃん! と子どもたちは怒るわけですよ
これでも相当な数の死傷者数とは思いますが、「納得する」は再び皆無となりました
ここが凄く上手いところで、あとで【落とす】ために、いったんは【上げる】のですね。これぞTOSSの授業テクニックです
ここからは更に怒涛の【落とす】が始まります。教師は次々と【原爆投下は必要なかった。日本はもうすぐ降伏した】という資料を次々と見せるわけですね
……ここまで読んできて「なんだ、TOSSの原爆の授業はやっぱり悪くないじゃないか」と思った人、いると思います
はい、そのとおりです
原爆投下という【一点】については、その責任はアメリカにあります。たしかに日本の侵略戦争や、「国体護持」のためいたずらに戦争を長引かせていた日本政府は非難されるべきですが、それとは別個の問題として核兵器使用の悪があります
だから、アメリカの核兵器使用の悪を子どもたちに教えるのは良いことです。ただしそれ【一点】のみを教えると、とんでもない勘違いを子どもたちに与える可能性があります。そして、それこそがTOSSの狙いなのです
ヒロシマで「一点突破」を狙うTOSS
TOSSの狙う【勘違い】とは何か?
それは、「原爆投下の責任を授業する」の子どもの感想にあらわれています
“あやまちはアメリカがやったことだと思った”(←これが、僕が「原爆投下の責任を授業する」でも「ヒロシマの授業」と同様の前振りがあったとする理由です)
“私は日本は悪くないと思って
原爆投下の賛成の人や大統領が悪いと思いました”
あやまちはアメリカ……日本は悪くない……
そうですね。どちらかが善でどちらかが悪という単純な【二分法】で分割し、なおかつ原爆投下という【一点】のみを考えた場合、たしかに「日本は悪くない。悪いのはアメリカ」という結論になるでしょう
しかし、アジア太平洋戦争を全体的に俯瞰し、原爆投下に至るまでの経緯を見れば、侵略戦争を推し進めた日本の悪は明白です。原爆投下に関しても、いたずらに時を空費していた日本政府は悪です。無論、原爆を投下したアメリカも悪です
……僕の言ってること、ややこしいですか?
ややこしく感じるのは、二分法で考えているからだと思います
二分法は、どちらかが善でどちらかが悪という場合に成り立ちます。あるいは【こちらが立てば、あちらが立たず】という関係性と言ったほうがわかりやすいかもしれません
そういう関係性にないものを無理矢理に二分法に押し込めることを【誤った二分法】といいます
日本の悪を指摘すると「ならばアメリカの原爆投下は善だというのか!」と反発する人がいますが、これぞまさに【誤った二分法】ですね。日本の侵略戦争の悪とアメリカの原爆投下の悪は並立します
こういうことを言うと、「正義なんてなかったんだ!おのおのの主張の違いがあるだけだ!」などと中2のような勘違いをする人もいますが、それも違います。正義がないとは僕は言っていません。正義はたしかに存在します。悪が並立すると言っているだけです
……と、話がズレましたね
問題は、なぜ授業を受けた子どもたちの一部が【誤った二分法】という隘路にはまりこんでしまったか、です
もちろん、TOSS教師による誘導があったからですね
授業では、誰に原爆投下の責任があったのかを問うています。ようはミステリー小説でいうところの「犯人捜し(フーダニット)」物ですね。この形式の場合、読者は犯人を1人だと仮定してしまいます。だから複数犯であっても、フーダニットの形で出題されると、まんまと騙されるのです(容疑者全員が犯人という古典ミステリーが、名作と呼ばれる所以です)
ようするに、TOSSの授業はフーダニット形式によって【誤った二分法】に誘導したのですね
しかし、まだ十分ではありません。原爆とアジア太平洋戦争全体を結びつけるよう誘導しなければ、TOSSの目的は達成されません
ここで思い出して頂きたいのは、授業の前振りです
“原爆ドームの近くに原爆慰霊碑があります。この碑には次のように書かれています。全員で読みましょう。
「安らかに眠ってください 過ちは 繰り返しませぬから」
過ちとは戦争、原爆のことですね。過ちを犯したのは誰なのでしょうか”
大事なことなので、もう一度
“過ちとは戦争、原爆のことですね。過ちを犯したのは誰なのでしょうか”
……どのような誘導があったのか、もうおわかりですね?
“過ち”という言葉でもって、原爆とアジア太平洋戦争全体を結びつけていたのですねー
「DEEP向山型社会サイト」の「ヒロシマの授業」で後半が消えているのは、おそらくですが、あまりにも誘導が行き過ぎだったからではないでしょうか(いや、まあ、ここの部分は想像ですが)
では、最後にTOSSによる原爆の授業を整理しましょう
① 原爆の被害の悲惨さを教える
② 原爆投下とアジア太平洋戦争全体を結びつける
③ フーダニットによって【誤った二分法】に誘導する
④ アメリカの原爆投下がいかに悪かったかを教える
⑤ あの戦争は日本は悪くなかった!日本は被害者だ!!
これが向山洋一さんとTOSSが、「ヒロシマの授業」によって子どもたちに植え付けたい歴史観です
つまり、原爆という【一点突破】によって、アジア太平洋戦争で「日本は悪くなかった」としたいわけですね
野良ウヨのなかには「原爆の教育を熱心にやっていたので、あの先生は反日左翼だった」と言う者がいますが、そうとは限らないわけです
戦争の悲惨さを訴える教師のなかには、それを利用して「日本は被害者だから、日本は悪くない」と子どもたちに植え付けようとする不埒者もいるのですね
おわりに
終戦の8月にだけ戦争の特集を組むメディアを総称して「8月ジャーナリズム」と呼びます
TOSSのように意識的ではないにせよ、また、【誤った二分法】や【一点突破】を使用しないにしても、「8月ジャーナリズム」は原爆や空襲の悲惨さを世に伝えることによって、日本人の心に【被害者史観】を植え付けてきたのではないかと僕は思っています
あの戦争はそもそも日本の侵略戦争でした。そのことを押さえておかないと、少しの誘導によって、【日本は被害者=日本は悪くない】という単純な図式に囚われてしまいかねません
メディア関係の皆様には、このあたりのことを心してほしいですね
(メディアの人がこんなブログを見ているわけないでしょうが)
なお、前編の冒頭にも述べましたが、核兵器の使用は絶対の悪です。アメリカの原爆投下は許されざることではありません。左派の皆さんはウヨ憎しのあまり、「原爆投下は正しかった!」などとのたまわないようにお願いします。それもまた【誤った二分法】であり、アメリカのウヨが使う論法にすぎません