ヤングの実験の光源を電子銃に置き換えた実験に、1989年、外村彰(1942-2012、当時は日立製作所・基礎研究所)さんが成功します。スクリーンで電子の到来を待ち伏せていると、最初は予想通り、スクリーン上にドット(粒)として観測されるのですが、時間とともにドットが蓄積されていきます。
すると驚くべきことに、最終的にはスクリーン全体に、波に対してしか観測されないはずの干渉縞が現れるのです。
物質が粒と波の両方の性質を持っている……というのは物理学にとって、実は非常に大きな問題です。物質のこのような側面を、いったいどう理解したらいいのか?
時代をさかのぼると、この問題に対して最初に重要な概念を提唱したのは、ニールス・ボーア(Niels Bohr、1885-1962)でした。量子力学以前の物理学である古典論によれば、一方で波、他方で粒子であるという2つの記述が排他的であるならば、どちらかが間違っていることになります。
しかし彼は、2つの性質は排他的だけれども、観測対象の性質を完全に記述するためには両方が必要である、という「相補性」の概念を提唱しました。
これはある意味、非常にプラグマティックなものの見方であって、つまり対象が粒子に見えるか、波に見えるかは、どうやって見るかによるんだよ、とボーアは言ったのです。
しかしそのことを自分で咀嚼してみて……ほんとに理解できるでしょうか? すべてを説明できるでしょうか?
ボーアは、測定前の状態は確定することができず、いろいろな状態がある確率で重なり合っているのだ、と考えます。そして観測した瞬間に、確率的に存在していたいろいろな状態のうちの「どれか」に、決まってしまうと。
この考え方は、今では重ね合わせ状態の「収縮」と呼ばれています。
しかしボーアの提案は、どう起こっているかを説明するものではなく、このように解釈すれば実験事実をよく説明しますよ、というものなんですね。
決定論的な世界観から、確率論的な世界観へ──ここに世界についての考え方の大きな変化が起こります。