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廃棄世界物語 作者:猫弾正

ハンター日誌 ライオット

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死者の町

 迷路を想わせる【町】の路地に夕暮れの訪れを知らせる鐘の音が響き渡っていた。

 澄んだ物哀しい鐘の音色に不吉な予兆でも感じ取ったか。街路を駆けていた浮浪児たちが不安そうに顔を見合わせた。町外れや壁外に広がる廃虚では、家無しの貧民や放浪者たちが今宵の塒を探して安全そうな廃屋を巡ってまわり、壁外で牛の群れを放牧させていた牧童たちは、飼いならした多頭犬ケルベロスを使役して牧舎への道をたどる家畜の足を急がせる。


 東の地平から夕闇が迫り始める頃、【町】の防壁や空き地では上空からの人面鳥やモスマンの接近を警戒して、煤けたドラム缶に廃材やゴムタイヤなどが放り込まれ、炎が舞い上がっていた。

 市民居住区や裕福な地区では、隣接する街区に繋がる主要な街路が金網を張ったゲートによって閉鎖されている。通行証を持たない人間の往来は禁止され、ゾンビや巨大蟻などの侵入に備えて、土嚢に囲まれた検問所では、警備隊の歩哨が緊張した面持ちで携えたライフルを握りしめていた。

 崩壊前の町並みをそのまま利用する形で居留地として成立した【町】は広大な防衛線を抱えているが、評議会も守備隊ももはや全容を把握してはいない。

 防壁の一部として組み込まれたいずれか建物にも壁に亀裂が走っていたり、封鎖したはずの地下通路に抜け穴があっても不思議はなく、闇に潜む怪物たちは獲物の棲家を嗅ぎつける嗅覚に優れている。

 青空市場と隣接する街区のゲートに配備された町工房製のウィンチェスターM1895は、同年代としては機構こそやや複雑でありながら、比較的に精度と信頼に優れたレバーアクション式ライフルで、再生弾とは言え7.62ミリ弾も大概の怪物を屠るか、少なくとも撃退できる威力を有しているが、物陰から獲物の隙を窺う敏捷な変異獣に対抗できるかは、実際に襲撃に遭うまでは未知数だった。


 青空市場や屋台通りでも見通しが効かなくなる前にと、大半の商人や農民たちは徐々に店仕舞を始めていた。月明かりもない夜に防壁から出て危険な曠野ウェイストランドを少人数で征くのは自殺志願者だけであるから、近隣の小集落や農園などに住んでいる者たちは出来るだけ明るいうちに帰宅しようと試みるし、やむなく日没後の移動が避けられない際には、松明や懐中電灯を掲げ、当然のごとく厳重に武装した上に複数人で固まって帰路をたどる。

 時折、気分良くほろ酔いになった酔っ払いが通い慣れた道から外れることもあるが、運が良ければ次の日には大抵、白骨死体となって発見される。運が悪ければ、文字通りに骨までしゃぶり尽くされるか、そもそも発見されないのが普通であって、時には行方不明者がゾンビとなっていたり、怪物がまだ食事中のところに遭遇して、捜しに来た家族や友人が次なる犠牲者となってしまう事例も存在した。


 朱色の落日が地平の果てに円盤のように浮かび上がっている光景を、比較的に高層な建物からは一望することが出来た。廃虚と荒野ばかりで埋め尽くされた大地に茜色の燐光が稜線に沿うように染み込んでいく。

 紫苑の大気を侵食する今日の黄昏は、大気の塵が影響しているのか。真紅の陽炎が奇妙に鮮血を連想させて、不吉な予兆のようにホセの胸を奇妙に騒がせる。


 青空市場の外れにある酒場の二階。廃車のシャシーを組み込んだバルコニーに寄りかかったホセは、どこか世界の終わりを想起させるような眺望を眺めながら、世界はもうとっくの昔に終わっているのに妙な感傷を覚えるものだと、振り切るように首を振った。

 微温くなったビールも悪くはない。ビール瓶を傾けているホセの真下の街路で、家路を急ぐ労働者らしい若者がふと顔を上げて、すれ違う二人の視線が意味もなく交差した。


 ホセの手にしたビールを目にして、喉の乾きを思い出したのか。簡素な革服を着た労働者の青年は、頭上のハンターをいい身分だとでもいいたげに口をへの字に曲げて足早に通り過ぎていった。

 そんな顔しなさんな。羨むほどのいい身分でもないぜ。

 アルコールに濡れた口元を拭い、先刻から人の流れに逆らって街路を歩み寄ってくる三人組をホセはじっと見下ろした。



 時刻は既に夕刻に差し掛かりつつあったが、酒場は未だ喧騒に包まれていた。外壁に近い区画は治安も良好とは言えず、巨大蟻や化け鼠が何処からか居留地に出現する物騒な事件も年に幾度かは発生していたが、にも拘わらず、酔客たちは一向に帰宅する様子を見せなかった。

 此の時間帯に居合わせるのはおおよそ決まりきった常連ばかりで、一階を占領している面子は閉店になるまでバーで過ごした挙げ句、深夜の街路を帰宅するも恐れない勇敢な酔いどればかりであったし、二階を貸し切っている雷鳴党の面々も、これは当然に全員が武装した上、荒事に慣れていたから、荒野であれば兎も角、防壁の内側にいながらに夜の到来を恐れはしなかった。


 ホセがバーのカウンター席へと座り直した。

 隣のカウンターに頭を預け、いぎたなくいびきをかいていた眼帯娘が、ふと薄く目を見開いた。

 口元に涎を垂らしながら、そっと囁きかける。

「ホセ……誰か来た」

 眠たげな口調で警戒を促すと、何かを問うようにホセを眺めた。

 やや遅れて、酔客の喧騒賑わっている一階の入り口から扉を開ける音がわずかに響いた。

 ホセが気づいていたかどうかは、分からない。カウンター席で真正面を眺めたまま、振り向きもせずに、無言で小さくうなずきを返した。


 誰かが昇ってくる階段の軋みに気づいたものが、酔った雷鳴党の団員たちに果たして幾人いただろうか。瞬きもせずに隻眼で階段を見つめる娘の視線の先に姿を見せたのは、バーンズ子飼いの手下たちだった。

 仮にもハンターの徒党でありながら三人組は揃って似合わぬスーツ姿であったものの、町中の堅気とは一線を画する暴力的な気配は隠しきれていなかった。

 中央の奴に至っては、シャープなサングラスを掛けている。水の入ったピッチャーに手を伸ばしながら、マフィア気取りかな?と、眼帯娘は皮肉っぽく口元を歪めた。


「バーンズさんがお呼びだ」

 開口一番、一方的に用件を告げたバーンズの手下たちの言葉をホセは黙殺する。

 平然とバーテンに注文をしているホセに、背広が背後から歩み寄りながら気取った口調で呼びかける。

「耳が聴こえないのか?」

「……バーンズが?」

 胃の腑にビールを流し込みながら、ホセは興味なさげに副頭目の名を呟いた。

「敬称をつけろ。ホセ」バーンズの手下。

 評議会と繋がりがあると豪語するバーンズと、ホセは意識的に距離を保つようにしてきた。ホセの見るところ、バーンズの伝手とやらで廻されてくる市民絡みの仕事は、少なからず灰色の仕事が含まれていた。

 身寄りのない下層民や難民で若く美しい女や健康な男などを見つけた場合、脅迫めいた勧誘や強引に連れ去って人身売買めいた雇用契約を強いるなど、市民経営の娼館や地下設備へ斡旋する役割を割り当てられることもある。

 厳格に法を運用すれば間違いなく犯罪であったが、経営者たちは辛うじて法に触れない範囲の行動を熟知していたし、一方で犠牲者の大半は【町】にとって不必要な弱者であって、騒ぎ立てるだろう縁者がいても大概は同類であったから、雷鳴党が相手では、殆どの場合で被害者たちは不本意な沈黙を強いられた。


【町】の保安官事務所は、崩壊世界としては比較的にマシな部類に属するだろう治安機関であったが、盗賊バンディット奴隷商人スレイバー相手に忙しく、そうして相手が訴えない限り、軽犯罪者相手の取締には一々出張ってはこなかった。少なくとも今まではそうだった。


 だが、バーンズご自慢の人脈が何処に繋がっているとしても、その手が保安官事務所にまで伸びていないのは明白だった。雷鳴党を眺める保安官たちの冷たい表情を見れば、法の執行者たちが人攫いの同類をどう思っているかは全く一目瞭然だったし、特に副保安官は、あからさまに人身売買を嫌っていた。

 善良と言うよりは、居留地の人心を支えることが共同体の法秩序を保つことに必要と考えているのかも知れない。兎も角、保安官の忍耐が徐々に限界に近づきつつあるのは、その言動が雷鳴党に対して年々、辛辣になっていくのを見れば馬鹿でも分かる理屈だった。


 ホセは懸念していた。老齢の現保安官が引退するのは何時頃になるだろうか。十中八九、跡を継ぐだろう副保安官が今までのようにお目溢ししてくれると期待して女衒商売を続けるのは、あまり賢い選択とは言えないのではないか?

 町中での奴隷商売を取り仕切ってる連中から真っ先に切られるとしたら?2~3年ほど前から、ホセはその時の事を懸念していた。市民相手にはした金で汚い仕事を請負ってはいるが雷鳴党など、バーンズも含めて所詮は道具に過ぎない。

 此の崩壊世界でしたたかに生き抜いている特権階級相手に、使い終わった道具に対しての感謝と慈悲など期待するだけ無駄だろう。


 酒が不味くなる。グレンにバーンズへの牽制を期待した時期もあったが、今のホセは、上等な酒場や賭博場によく顔を出すようになっていた。郊外の農園主や隊商の持ち主たちに兎に角、顔を売り込んでまずは簡単な害獣駆除や物資回収の仕事にありつき、そこから護衛や道先案内人へと繋いで、今では廃虚での行方不明者や要救助者救出、大規模な物資回収の先遣隊や技術探索など難度は高いが割のいい仕事も廻して貰えるようになってきた。


 評議会絡みの仕事を受けずとも、自分と数人の手下が喰っていけるだけの仕事はこなしている。と言っても、性急に動いてバーンズを怒らせるのも拙かった。迂闊に部下に匂わせれば、最悪、雷鳴党から追放されかねない。

 今の雷鳴党に未練なぞないが、徒党の看板抜きになったホセを金持ちの旦那連中がまともに相手してくれるだろうか。さらに言えば、コークスやヘクターと言った性質の悪いハンター連中。なにより黒影党も、組織の庇護を失ったホセを大人しく放っておいてはくれないだろう。雷鳴党を抜けた場合、手下たちがホセに付いてくるかもまだ分からない。


 大手の組織で多少名がある連中のうちに、独立する奴がいないではないが、大概は自身の価値と組織の看板を混同した勘違いに過ぎない。誰にも相手にされずに零落した商会の社員やら、敵対する徒党に袋叩きにされて不具の乞食まで落ちぶれた元ハンターやらと、大半が碌な末路を辿っていない。ましてホセは雷鳴党の幹部である。積もり積もった怨みは、それら有象無象とは比べ物にならない。

 後先考えずに組織を抜ければ、夜逃げ同然でも【町】から離れることが出来れば上等だろう。


 手応えはあるが確信は出来ない。ビジネスが難しい時期に差し掛かっていた矢先の呼び出しにホセは若干、きな臭いものを感じないでもなかった。

「バーンズさんを待たせるな」

 急かしてくるバーンズの手下だが、そもそもホセには、普段からさしたる交流もなければ、急ぎで話し合う要件も無い筈のバーンズと会うつもりなどなかった。振り向きもせずに告げる。

「約束はしてなかったと思うがな?」

 断りの返事が想定外だったのか。背広が片眉を上げた。

「生憎と忙しくてな。誕生日パーティーには出られないと伝えてくれ」

「忙しいようには見えんがな」皮肉っぽい言い方の背広の眼の前で、ホセはショットグラスを振った。

「見て分からんか?酒を飲んでいる」


 ビール瓶を抱きしめながら笑い声を上げる眼帯娘の目の前で、無視された形になった背広が冷ややかな笑みを浮かべた。

「……そうか」と、背広の一人が頷いて仲間を下がらせると、足早にホセに歩み寄った。

「こいつは俺の奢りだ」

 と、拙いと思うも酒で反応が遅れた。いきなり強烈なボディーブローの衝撃がホセに叩き込まれた。

 座に一瞬の静寂が広がり。次いで怒りで沸騰し、立ち上がりかけた雷鳴党団員たちに向かって、反応を予想していたのだろう。残り二人の背広は素早く懐から引き抜いた拳銃で牽制した。

「誰も手を出すな!」

 鋭い一喝に顔を見合わせて団員たちは立ち止まった。酒場に屯していた大半はホセとの交流は持つもののそこまで親しい仲間という訳でもない。ホセ自身が敢えて党派を作らないよう踏み込んだ付き合いもしてこなかった。故に一度、勢いを失ってしまえば、命を懸けてまで副頭目バーンズの手下に歯向かうほどの気概を持つ者は殆どいなかった。


「おい、乱暴な奴だな」床で呻きながら抗議してくるホセに、背広が追撃で蹴りを叩き込んだ。

 幸か不幸か、ホセとバーンズ一派とは殆んど交流がなかった。金と利権を抱えた副頭目一派の部下から見れば、滅多に本部に顔を見せないホセは幹部ですらなく、ただ古くからいるだけの男に見えたのかも知れない。

 崩れ落ちたホセの髪の毛を掴み上げて、背広が嗜虐的な声で囁いた。

「もっと喰らいたいか?あまりバーンズさんを手間取らせるな」

 呻いているホセは、しかし、起き上がりながら、背広の下腹目掛けてお返しとばかりに強烈なフックを叩き込んだ。

「目が醒めたぜ。こいつはお礼だ」とホセ。

 くぐもった声を漏らして衝撃に背をくの字に曲げた背広の顔面に、さらに膝を叩き込もうとするホセだが、十字に組んだ腕にブロックされた。と、そのまま膝を抱えられて、70キロのホセの肉体をカウンターに向かって横薙ぎに強引に投げつける。叩きつけられて床に落ちるが、闘犬のようにタフなホセは、尻を基軸に回転すると、足を鞭のように飛ばして背広の体重の軸足を蹴りとばした。

 驚愕と苦痛に呻きながら、脛を強打されて倒れ込む背広に飛びかかり、膝で抑え込んだホセがマウントポジションを取った。

「お釣りも、取っておけ」

 顔面に拳を叩き込んだところで、背広の仲間の拳銃がぶっ放された。

 眼帯娘が毒蛇のような速さでクロスボウを狙い定めた。

「動くな!!」

 酒瓶を撃ち抜いた音の余韻が消えぬうちに、酒瓶に発砲した背広の心臓に狙いを定める。

 3人目の背広も眼帯娘に向かって拳銃を向ける。

 クロスボウに狙われた背広は、眼帯娘に向かって嘲笑を浮かべた。

「その単発式の小型クロスボウで38口径と勝負する気か?お嬢ちゃん。こいつはダムダム弾だ。当たるとちょっと痛いぜ?」

 鉛の弾頭に十字を刻み込み、命中した際に分裂した破片が標的の肉や骨、神経をずたずたに切り裂く残酷な弾丸を前に、眼帯娘はせせら笑った。

 指をトリガーに掛けたままに射撃姿勢を完璧に制御している眼帯娘は、自らのジャケットをそっと片手で開くと、内ポケットに収納された数々の薬瓶を見せつけた。

「……ハイイロマダラ蛇の毒が塗ってある。知ってると思うが解毒剤はない」

 死の危険が楽しいとでも言いたげに薄笑いを浮かべたまま、眼帯娘は狙いをそらさずに告げた。

「……ホセから離れろ。そうっとだぞ」


 顔を強張らせた仲間たちに、サングラスは一瞬だけ目をやった。

「冷静になれ」淡々と言ったサングラスに向かって、眼帯娘が冷笑を返した。

「冷静さ」

「共倒れになるぞ。トリガーから指を離せ」サングラスが再び告げる。

「断る。一緒に死のうぜ」

 薄いサングラス奥の無機質な瞳と、眼帯娘の愉快そうに細められた視線が交差した。


 少なくとも表面上の冷静さを崩さずに、サングラスが仲間に命じた。

「レイ。トリガーから指を離せ。俺も離す。そちらも離せ」

「だが……」渋っているもうひとりの背広を無視して、手を上げる形で銃の狙いを外したサングラスは、視線は眼帯娘を警戒しながらも、ホセへ向けて冷静な口調で話しかけた。

「お前のタフネスぶりはよく分かった。ホセ。だが、我々も子供の使いで来た訳ではない。評議会から正式な依頼が寄せられた。その件でバーンズさんはお前に相談したいそうだ」

 一瞬だけホセが息を呑んだ。肩を竦めると吐き捨てるように呟いた。

「……評議会、か」

「こんな連中の話、聞く必要ないよ」クロスボウを構えたまま眼帯娘が険しい声で警告したが、ホセは呻いてる格闘相手を離すと、ややよろめきつつ立ち上がった。

「そうかもしれんなあ。おい、俺のハンサムな顔は無事か?」

 ホセの別に殴られた訳でもない顔を見つめてから、眼帯娘は悲しげに首を振った。

「……駄目みたい」

「なんてこった」

 天井を仰いで長々とため息を洩らしたホセだが、数秒の韜晦で内心の整理を付けたようだ。手近な椅子に腰掛けると、サングラスへと向き直った。


「詳しい話は俺たちも教えられていない。ただ最近、交易路で増えている怪物への対処に関して、お前やキースと話し合う必要があるとのことだ」

 評議会絡みの仕事に対して大いに気が進まない様子に見えたホセだが、サングラスの言葉を聞いた後にも、やはり胡散臭そうに眉を顰めていた。

「……隊商の護衛に手を出すか。それともでかい討伐でも請け負うつもりか。それにしたって……」

 呟いてから僅かに考え込むと、ホセは団長の意向に関して問うた。

「で、グレンはなんと言ってる?」

 一瞬の躊躇。応えるサングラスの奥の瞳には、嫌悪と僅かな恐れが浮かび上がっていた。

「この件は、バーンズさんの仕切りだ。グレンは関係ない」

 ホセは苦い表情を浮かべたが、反駁は口にすることなく説明の続きを促した。

「……それで?」

 もうひとりの背広が口を開いた。

「野外での行動に関しては、お前が一番詳しいそうだな」

 しかめっ面を浮かべつつもホセは頷いた。

「多分な……護衛に関しては。怪物退治はキースに聞け」

「来てくれるな?」念を押すサングラス。

 ホセの為に命を捨てる者が少なくとも一人はいると分かったからか、やや丁寧な態度になっていた。

 碌でもない連中だと、不満げに訴える眼帯娘の視線を無視してホセは立ち上がった。

「助かる。いずれ何らかの形で穴埋めしよう」背広の言葉にホセは手を振った。

「で、バーンズは何処にいる?」

「西地区のビルだ。案内する。付いて来てくれ」


 眼帯娘はやや心配げな表情を浮かべて、ホセを残った瞳で見つめていた。

「糞食らえだよ。バーンズも、評議会も。使い捨てにされないよう用心しなよ」

「取って食われることはなかろうよ」

「一緒に行こうか?」

「心配してくれてありがとうよ、おっかさん」

 眼帯娘の台詞にからかうように返してから、用心を訴えてくる眼帯娘の耳元に身を寄せる。

「裏取りしてくれる?」ホセの囁きに頷いた。

「商会連に当たってみるよ」二人は囁くように言葉を交わした。

「旦那衆は難しかろうよ。むしろ護衛の傭兵連中がなにかしら知ってるかもな」

 キャラバンの経営者たちは【町】に一定の影響力を有しつつも、市民からは他所者の集まりと見做されて政策の意思決定プロセスからも排除されがちだった。とは言え、交易路の安全確保の作戦がなにかしら策定されているなら、市民筋からの働きかけで評議会が依頼してきたとしても、貿易を担う隊商の関係者がまるで関与してない筈もない。


 階段を降りていくホセの背を見送ってから、眼帯娘はため息を漏らした。

「評議会絡み、ねえ」

 胡散臭そうに吐き捨ててから、ワシャワシャとボサボサの黒髪をひっ掻き回した。

 評議会絡みの仕事といえば、変異獣相手の防衛戦で危険な肉盾役を割り当てられた程度しか記憶に残っていない。衝撃的な初代リーダーの死と、それに続いて団長を引き継いだグレンが残ったキースらと四苦八苦していた頃だ。

 名を馳せてはいたが数ある小チームの一つに過ぎなかった雷鳴党は、団長の交代を切っ掛けに評議会に近づいて下請けのような仕事を請け負い始めた。

 多大な犠牲を払うのが自明なグレンの……と言うよりはバーンズの方針転換は、メンバーの大半を困惑させたし、怒らせもした。結果的に創成メンバーの大半が雷鳴を抜けて、代わりに雷鳴に憧れていた若いハンターたちが続々と加入した。

 眼帯娘がホセに誘われて加入したのもその頃で、後悔はしてないが反省はしていた。今、あの時に戻れたら、逆にホセを誘って【町】を離れるか、グレンとバーンズを殺して雷鳴の変質を防ぐかするだろう。

 いずれにせよ、グレンは彼ら彼女らの命を使い捨てることで栄光を掴み取った。

 捨て駒で終わらないよう神経をすり減らして生き残った後には、評議会の対応も徐々に変わってきたが、その頃には既にホセと少数の生き残りはグレンたちに対して隔意を抱いていた。特にホセは評議会に対してと言うより、【町】そのものや雷鳴党の行く末に対しても醒めている節が見えた。

 総じて虚無的な性質をその頃の生き残りは共有しているが故に、旨味が出る時期に雷鳴党に加入してきた連中とは自然、反りが合わなかった。そして今は、創成期を知らない連中が過半を占めているのだ。


 暫く間をおいてから、眼帯娘は店を出た。夕方にも拘わらず肌寒い風が埃を舞い上げながら吹き抜けている。眼帯娘は身を震わせた。

「そろそろ潮時かもね。と言っても、辞めてもどうやって喰っていくんだって話だけどさ」

 何気なく口にした言葉に口元を歪ませてから、眼帯娘は変異獣に食われた方の眼に触れた。

 今もグレンに対して反感を抱いている。だが、ハンターの小娘一人になにが出来るだろうか。


 評議会は大規模な討伐作戦を起こすだろうか?【町】は貿易で喰っている。最近、交易路を脅かしている巨大蟻やら人食いアメーバやらの噂を鵜呑みにするなら、十中八九は討伐隊が結成されるに違いない。

 そしてその先触れを務めるとしたら誰になる?先行しての強行偵察は、危険な役目だ。

 評議会も訓練を積んだ貴重な兵士を失うより、大きくなりすぎた愚連隊もどきの勢力を削る方を選ぶだろう。一山幾らの傭兵やハンターなど、【町】で刷った紙幣で幾らでも雇えるのだから。

「今さら、切った張ったはキッツいなぁ」

 足早にギルドへと向かう途上、黄昏に反射して燃えるようなうね雲を見上げるように仰いで、眼帯娘は、誰にも聞こえない程度に小さく呟いた。



 【動く死者リビングデッド】たちの唸りが、廃虚の町並みの彼方から重苦しく響いてきた。

 ゾンビたちの不気味な唸りは風に乗って何重にも重なり合い、連なる廃虚に反響して近場を彷徨っているのか、それとも遠来を群れが流れているのかすらも分かりづらかった。

 国道を監視していたアーネイは、窓際に寄り掛かりながら、現実に目にした死者が支配する灰色の町並みを想い返していた。


 【奴ら】は、まるで生者の匂いを嗅ぎつけるかのようにいつの間にか忍び寄ってくる。

 アーネイと彼女の主君が仮初の隠れ家として潜んでいる国道沿いの玩具店には、簡素だが身を守るための仕掛けが幾つか施してあった。バリケードを設置し、扉を頑丈に補強し直し、敢えて床に走った亀裂を放置して、階段の壊れた上階を休憩場所に選んでロープで昇降する。しかし、今の処は侵入者を撃退する為のあからさまな罠は仕掛けていない。

 できれば監視カメラやタレットも配置したいが、今はまだ、機械部品や電子部品、動力を入手できる伝手もなければ、運用するだけの必要性も薄かった。


 現在、滞在している拠点には、以前から目をつけてあった。予め、いくらかの食料や物資も運び込んである。ゾンビも含めた外部からは見つかりにくく、住人にとっての死角は少ない筈だった。


 建物に仕掛けた罠の存在は、脅威を退けると同時に住人の存在を他者に教えもする。廃虚や荒野の脅威はゾンビだけではない。略奪者レイダー盗賊バンディットも常に獲物を探して彷徨っている。時折、廃虚地域を探索中、同じように隠れ家に潜み暮らしていただろう人間の痕跡を発見することもある。

 防備も整っていれば、手足を複雑に使わなければ乗り越えられない構造を建築に取り込んでる隠れ家もあるのに、最終的にはゾンビに破られたのだろう。壊れた扉や撃ち尽くした銃、強引に突破されたトラップの痕跡が、例外なく持ち主は無残な最後を迎えたのだと教えてくれた。


 数十匹ものゾンビに襲われてしまえば、余程の堅牢な建築物にでも立て籠もらなければ、持ちこたえられるものではないが、時間と共に罠を追加したり、近隣のゾンビの掃討を試みた者とていただろう。用心深い者や賢い者の誰一人として悉く生き残ること適わなかった。

 そこになにかしらの理由があるのか。いずれにしても健在な生存者に会えないのは妙な話だった。


 アーネイとギーネが暮らす一帯は、東海岸でもかなり危険な地域として噂されていた。だからこそ隠れ家として選んだ訳だが、或いは、人を狩る強力な、或いは狡猾な怪物が棲み着いており、帝國人たちは偶々遭遇してないだけかも知れない。

 流石にティアマット全土の廃虚が人が住めないほどに危険とは思いたくはないが、次元世界にはそうした惑星も幾つか存在しているとABC(アルトリウスの国営放送)のドキュメンタリー番組で見たことがあった。

 兎に角、確かに、常人の生きられる世界ではない、とアーネイは思う。

 だが、生者は今も子を生み育てている。

 いずれ死者は尽きる。生者は死者にいつかは勝利する。その筈だ。

 それとも、今もティアマットの何処かで、生者の都市が陥落し、死者の群れに加わっているのだろうか。


 国道上を監視していたアーネイは、有線状態としたタブレットに触れた。

『アーネイ。異常がありましたか?』ギーネからの通信が浮かび上がる。

『ホテル方面から【町】へと向かって国道上を移動する標的を複数視認しました。

 恐らくは離脱を図る雷鳴党戦力と思われます。いかがしますか?』

 観測した移動速度と人数を報告して、帝國騎士は指示を仰いだ。


 主君からの返信が、交戦地点が記された地図とともに数秒で送られてきた。

『その移動速度とルートなら、町の警戒網からの高視認性エリアに侵入する前に捕捉できます。待ち伏せしやすい場所で始末しましょう』


 惑星ティアマトの自転周期がおよそ27時間。雷鳴党の『書記』と呼ばれる男を尋問して入手した情報によれば、予定された作戦行動期間は54時間。最大延長で81時間。

 定時連絡を兼ねた次の補給予定時刻が、現時刻より14時間27分後。

 作戦中止及び作戦終了コードは存在せず。

 雷鳴党の兵力に関してはいまだ不明なれど、派遣部隊はほぼ無力化したものと考えられた。


「ベンゼン♪ガソリン♪ポリスチレン♪」

 別室で机の上。怪しげな歌を口ずさみながら装備の最終確認を行っていたギーネ・アルテミスが準備を終えて椅子から立ち上がった。

「幾つか面白い話も聞けましたね」

 部屋には誰もいないが、独り言ではない。部屋を出たギーネが廊下を歩きながら、タブレットの向こう側のアーネイに話しかけた。

「雷鳴党と【町】の繋がりですか?中々に興味深い内容でしたがあくまで当人の憶測に過ぎません」

 ギーネの言葉に対して、肩をすくめるアーネイ。

「何処まで正しいやら」とアーネイの返信に、ギーネは頬に人差し指を当てる。

「でも、筋は通っています」アーネイのいる部屋に入ったギーネが言葉を続けた。

「中々に頭脳明晰なおっさんでした。ギーネさんの部下に欲しいくらいですよ。殺すのは少し惜しかったですね」


 帝國騎士は、外から姿が見えない位置で窓際に寄りかかっていた。国道上を観測している豆粒にも満たない小型の機械眼球は、光波長を分析する機能によって保護色を用いる変異獣や迷彩服を纏った人間の移動も見逃さない。

 あっさり処した相手への思わぬ高評価を耳にして、アーネイは少し面白そうに主君を眺める。

「かもしれませんが、今の我々は実質ホームレスでございます。

 ヘッドハンティングしようにも、雇用形態に不安を抱かれるのではないでしょうか?」 

 アーネイの言葉にギーネは肩を竦めると、改めて家臣の眼前で立ち止まった。

「装備の確認は?」

 装備を最終確認したアーネイが頷いた。

「準備万端です。マイロード」

「よろしい。では、作戦手順の最終確認を行います」


 ギーネが、んべ、と舌を出した。目を閉じて背伸びしている。

「アーネイ。アーネイ。んっ」

「情報量も少ないんだし、指つん、でいいじゃないですか」

「んー。んべ。んー」

 手を振って、舌を出しながら何かを訴えかける主君。

「駄目です。駄目」

「……アーネイはイケズです。我儘です」

 不満そうな主君に向かって、帝国騎士は首をかしげた。

「なぜわたしが叱られるのかな?納得いきませんよ、これ」

「ううむ。仕方ありませんね。臣下の要望を受け入れるのも良い主君なのだ。

 ただし、今回だけですよ。次はないと思え」

 アーネイが苦笑を浮かべた。二人は互いに手を伸ばして、指をそっと絡める。

 両の手を握りあうと、目を閉じてから、額を合わせた。


 両者の接触コネクトした電脳が、互いの網膜に共有の地図を展開させる。

 現時点にマークが浮かび上がる。東海岸に近いフェアリーランド門前の玩具店2階席から【町】までの直線距離が5428メートル。

 雷鳴党が利用した国道を経由する最短経路が7126メートル。網膜に浮かんだ地図上の幹線道路が僅かに変色し、移動ルート第2候補(最短距離)との表示が付けられた。

警戒しつつ移動した場合、約7キロの移動に要するティアマト人の平均時間はおよそ240分。


 【町】の近郊から【ホテル・ユニヴァース】までを結ぶ国道212号は、大崩壊前の幹線道路としては例外的に状態が良いために、キャラバンや旅人によく利用されている。

 時折、不定期に【町】に雇われた傭兵やハンターによる巡回と掃討が行われている為、他の街路に比べれば、幾らか安全かもしれないと見做されており、雷鳴党が移動する際にも十中八九、此処を利用するだろうというのがギーネとアーネイの読みだった。同時に国道212号は直線の為、街道上を移動する存在を極めて発見しやすく、【町】の監視塔では兵士がほぼ24時間、付きっきりで街道上の往来を監視している。


「ゾンビや変異獣、狂った生存者が彷徨う廃虚は要警戒区域ですが、国道にも怪物は出没します。武装した人間でも散歩するように歩くことは出来ませんし、廃虚地域では崩壊した建物に拠って視界が遮られ、また遮断された街路も複数存在しています」アーネイが無言の声で、ギーネの脳裏に語りかけた。


「雷鳴党の監視が国道上に張り付いている可能性は?」目を閉じたまま、ギーネが問いかける。

「無視できません」応える帝國騎士の声がギーネの脳裏に響き渡った。

「組織力及びコストから可能性はかなり低いと推測されますが、【町】への移動ルート上に監視警戒網を構築している恐れも無きにしもあらずと」


 平坦かつ直線状の国道212号は極めて監視が容易であった。雷鳴党の手の者が監視に張り付いていた場合、ギーネとアーネイが国道212号から【町】に接近すれば容易に捕捉されてしまうだろうが、同時に【町】から【ホテル・ユニヴァース】へと接近する者がいたとしても、帝國人たちもまず見逃さない。

そして多少の変装という手段は、手間の割に効果が薄そうなために今回は取らないことにする。


 さて、予測される雷鳴党の監視地点とその有効範囲が、帝國人主従の網膜に浮かぶ地図に赤い点と薄紫の範囲して浮かび上がった。

「雷鳴党が監視/警戒網を敷いていた場合、国道の移動は捕捉される可能性が極めて高くなります。

 これを避ける場合、廃虚の経路を利用しての予測される移動距離は、11218メートルとなります」

 報告を一端、区切って、帝国騎士は進撃ルートに関して主君の判断を求めた。

「いかがなさいますか?」

「万が一にも捕捉されるのは避けたい。裏道を利用します」

「御意」

 主君の判断にアーネイも異論はなかった。一般に、廃虚と化した市内の長駆移動は、ティアマト人の間では手の込んだ自殺の一種と見做されている。崩れ落ちた瓦礫は街路を遮断し、噛みつきバイターやゾンビが常に群れて徘徊し、市中至るところにある死角の何処から何時、怪物たちが襲いかかってくるか分からない都市部の横断。ギーネとアーネイにしてからが、気楽な散歩道を往くような訳にはいかない。『浅瀬』ならばいざしらず、『深部』ともなれば、確かに常人にとっては危険極まりない冒険に違いない。


 しかし、270日。帝國人主従が【町】において一定の武装を持続的に補充可能な立場を構築し、近隣の廃虚に生息する怪物を調査、分類した上である程度まで生態を解明し、有効な戦術を立案するまでに掛かった日数であった。

 入手可能な武装は、遺憾ながら要求としてほぼ最低水準の投石器や投槍であり、物資も安定して備蓄できるとは言いかねる状態であったが、ともかくも、帝國人たちは複数の隠れ家に物資を分散、保存しており、例え今、この瞬間に【町】が崩壊したとしても、数ヶ月は保つだけの準備は整えている。


 よく訓練された複数名の兵士が厳重に武装し、かつ見通しの効く街路のみ移動するという条件に徹して、慎重に移動すれば、或いは犠牲を払わずに横断できるかも知れない程度に。同時に、例え30人から50人規模の強力なプラトーンであろうとも、一歩間違えて大群の縄張りに踏み込んでしまえば、数百匹からのゾンビや変異獣の群れに囲まれた挙げ句に骨も残らないだろう程度には死都の『最深部』は危険地帯であって、ギーネとアーネイが一年近く活動しても生きている人間にお目にかかったのは二度だけであった。一人は【町】のハンター、もうひとりは旅の交易商人でいずれも老齢であったので、恐らく雷鳴党にも廃虚の『最深部』に詳しい者、帝國人主従を上回る隠密技能を所有するものは、そうはいないと考えたかった。


 一度歩けば、立体的な構造から記憶できるギーネは【町】から【ホテル・ユニヴァース】にかけての商店街や住宅街を、ゾンビの個体数分布から出没する時間帯の濃淡まで完璧に把握している。

 そもそもが二人共に、平均的な人類とは段違いの身体能力を誇っている。普通のティアマット人には歩行困難な瓦礫の山も容易く攀じ登れるし、平然と4~5階の高さから飛び降りて無傷である。闇を猫のように見通せるし、音もなく敵に忍び寄って、頭蓋を粉砕する高速の投擲をやはり無音で射出する。

 とは言え、それで速やかに処理できるのは精々3~4匹程度が限度であり、中には疾走するゾンビやパルクールしてくるゾンビもいるから、帝國人主従も『最深部』での基本は隠密行動であり、常に逃走ルートを確保してからの探索であった。

 仮にゾンビや変異獣の大群に追われようとも、怪物ごとの得手不得手を把握済みの二人は、高い身体能力に人間の工夫を以って優位な交戦地点まで後退して対処するなり、手に負えない怪物であれば追ってこれない地形やギミックを用いて逃げ切ってきた。それはきっと廃虚を舞台にしての人相手の戦いでも有効な戦術となるであろう。


「懸念する裏道まで警戒網が敷かれていた状況、また廃虚での戦闘に特化した戦力の存在は?」とギーネ。

「現在までの処、確認できておりません。しかし、我々の偵察能力は低下しておりますので、未確認は判断材料にはならないかと」アーネイが応える。

「……存在しないと考えるよりは、存在を想定して動くべきかも知れませんね」やや不安げな口ぶりから、ギーネの心の働きがアーネイにもダイレクトに伝わってくる。


「やむを得ないでしょう。急な話すぎて外部協力者も作れませんでしたし」アーネイの言葉に、憮然としてギーネは頷いた。

「もう2~3年の時間があれば、もっと楽に戦えたのですが。連中が戦いを避けようとする規模の勢力を築けたかは分かりませんが、少なくとも戦闘を回避できるだけの情報は蓄積出来たかも知れません」

 少し忌々しげな口ぶりでぼやいている帝國貴族もけして無能ではないが、しかし、万事が予定通りに進むほどティアマットという土地は甘くはないようだ。

「【町】での戦闘において不利な状況に陥った場合はいかがなさいますか?」と、アーネイが問いかける。

「作戦中止コード【※※】及び撤退コード【※※】を送信します」

「確認しました」了解の意を伝えたアーネイが、主君に再び、質問を繰り返した。

「雷鳴党が強力な傭兵などを雇用していた場合、また対物ライフルなどを確認できた状況においては?」

「状況突入前に戦闘予測結果の変動をもたらす高評価戦力が確認された場合、作戦は一時中断。中止ではありませんが、敵戦力の再評価を優先して行います」ギーネの回答。


 赤外線センサー。手製ナパーム。硫酸ガス。指向性爆弾。監視カメラ。タレット及びドロイド。高電圧トラップ。感圧センサー。

 ある種、偏執的なと言ってもいい用心深さを見せて、帝國人主従は製造が容易、かつ存在しうる確率の高いトラップや監視装置に付いての検討と対処法を一通り行っていく。

 ギーネもアーネイも、雷鳴党が奇襲に即応しうるとも、予想を超えて強力な反撃を行ってくるとも考えていない。だが、世界の何処かには絶対に二人の予想を越える者たちが存在しているだろうし、戦いのうちに、いずれそういった者たちと遭遇しうる日が来ないとも言い切れない。

 下手に選択肢や解決法を武力ばかり頼っていては、少なからず怨みも買うことになる。延いては生存率を悪戯に損ない、思わぬ戦いで痛手を負うこともあり得るだろう。


(……今、雷鳴党が我々に滅ぼされようとしているように)アーネイは胸の中でそう独り言ちた。

 合間にも、主従の間で、作戦に関する問答と作戦手順の確認が高速言語で淡々と行われている。

「不利な状況に陥った際の撤退経路に関しては、突破しやすい方向から事前計画通りの経路を使って撤退します。負傷して移動困難になった状況において、一時退避する為の避難予定地点に関しては廃屋207、地下水路409c、民家の天井裏78Dを予定」

 ギーネから伝えられた命令に、脳裏の地図を見ていたアーネイが無言のうちに言葉を返した。

「異議あり。廃屋207よりは、廃屋905を推薦」

「905は巨大蟻が出没するエリアに存在。危険が207より高い」ギーネが異議の理由を家臣に尋ねる。

「より人気が少なく、無人廃虚群の奥、かつ入り口は侵入困難でありながらコンクリート建築の内部を移動して到達可能な為、人間の追跡者に捕捉される可能性がかなり低い」

「了解。承認」

 二人の電脳に共通して浮かび上がっている作戦手順のチャート図のうち、一枚が確定の青に変色した。


「最後に【町】そのものと敵対、乃至手配された状況における撤退の想定を……」

 雷鳴党と【町】行政府の繋がりが予想以上のものだった場合に最悪、官憲のみならず軍事力を敵に廻した可能性を想定する。

 アーネイの問いかけに暫し沈黙した後、やや緊張を帯びた返答がギーネから伝わってきた。

「基本方針としては可能な限り、離脱を優先します。互いに逸れた状況においては合流を優先しますが、75%越え、移動困難な負傷の場合、退避します。残存したほうが撤退してからの救出プランを採用」

「了解」

 互いに拠点や移動経路に残す合図や暗号、作戦手順を打ち合わせ、これ以上、語るべき事もなくなったと思えた時、二人は同時に目を見開いた。

 アーネイと視線があったギーネが美貌に花のような笑みを顕した。帝國騎士も凛々しい容貌に笑みを浮かべて頷いた。


 現実時間では、数秒も経過していない。

 アーネイが絡めた指を離すと、名残惜しそうにギーネが僅かに爪で引っ掻いてきた。

 作戦最終手順の確認を終え、装備も整っている。語るべきことも語り尽くした。

 戦が始まる。これが雷鳴党との最後の戦いになるだろうか。

 勝てたとして、きっと、これからも戦いは続くに違いない。

 一瞬だけ、アーネイは憂いに表情を曇らせた。

 何時まで続くのか。荒廃した終末世界で、いずれ自分たちよりも危険な存在と遭遇する日が訪れるかも知れない。そもそもが、人間相手となれば、いかな戦いでも勝てる保証などない。

 今日、主君と自身のどちらかが死ぬかも知れない。

 胸の内で未来を憂慮しながら、帝國騎士は主君を見つめた。

 ギーネ・アルテミスは、自分の勝利をまるで疑っていないのか。神話の若き神々のごとく不敵で傲慢な笑みを浮かべている。

 傲慢さと臆病さ。果たしてどちらが、お嬢様の本質なのだろうか。

 想ったアーネイは、ほろ苦い笑みを洩らした。

 人の心には、多面的な性質が在るのだ。今日死んでいった者たちにだって、いいところも在ったのかも知れない。

 誰かの息子であり、誰かにとって親であり、誰かにとっての恋人であった人々を、これからまた殺さなければならない。

 まったく因業な生き方だと思うが、アーネイも生き方を変えるつもりはなかった。

 感慨に耽りながらふと想う。主君に垣間見えた恐れは、自身を損なうことへの恐怖ではなく、私を失うことへの恐れなのだろうか?その程度には想われていると自惚れてもいいのだろうか。

 或いは、ギーネの言動は全て韜晦で、幼馴染もただの都合のいい道具と思っているのかも知れない。

 他者の心など誰にも分からない。だが、分からなくていいともアーネイは思った。

 確かな答えが存在しない世界だからこそ、自らが信じた道を往くことに価値がある。

 瞑目し、記憶の宮殿に沈み込みながら、闇の中で祖父から贈られた拳銃を取り出し、赤毛の騎士は精神の在り方を戦士のものへと切り替えていく。


 この崩壊世界に彼女たちより強い者がいて、いずれ死が訪れるとしても、それはきっと雷鳴党ではないし、今日でもない。いずれにしても、アーネイ・フェリクスは、ギーネ・アルテミスの剣であり、盾として責務を果たすだけだった。

 目を見開いた赤毛の騎士も、獰猛な笑みを口元に張り付けていた。

 片田舎のチンピラ相手では不足だが、今は贅沢は言えない。精々、戦士のヴァルハラに送るに相応しい相手がいることを祈るとしよう。


アーネイのモデル?銀○伝のあの人だよ





そう、みんな大好きオフレッサー上級大将だよ

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