「市ケ谷台史料」と名付けられた文書が、防衛省防衛研究所の戦史研究センターで公開されている。自衛隊市ケ谷駐屯地にかつて置かれた陸軍参謀本部が保管していたとみられるもので、焦げ痕や切れ端に残った断片的記述が生々しい。
75年前の8月15日前後、政府や軍だけでなく、裁判所や全国の市町村などで大量の公文書が燃やされた。この史料はその一部で、96年に東京都埋蔵文化財センターが旧尾張藩上屋敷跡の発掘調査中に偶然見つけた。
天皇の承認を受けた裁可書や天皇への上奏案、電報類など多岐にわたる。判読困難なものが多いが、各地の戦況や戦闘機の来襲情報、原爆被害、世論情勢などが細かく報告されている。
なぜ公文書が一斉に処分されたのか。当時、内務省事務官だった故・奥野誠亮元法相は15年の読売新聞のインタビューに、ポツダム宣言に「戦犯の処罰」があったため、「戦犯にかかわるような文書は全部焼いちまえ、となったんだ」と明かし、焼却の指令書を書いたと証言した。軍や政治指導者の保身と責任逃れのために、不都合な真実が消し去られたのだ。
戦後70年の節目だった5年前、野党議員が公文書焼却の経緯や法的根拠をただした質問主意書に対し、安倍内閣は「事実関係を把握できる記録が見当たらない」などとして、「お答えは困難」とする答弁書を閣議決定した。まさに歴史がなきものとされたのである。
どの国の歩みにも光と影があり、明暗を問わず、謙虚に向きあうことが、未来への教訓をつむぎだす。記録を残す意味はそこにある。過去を検証し、共通の礎となる資料が存在しないことは、近隣諸国と歴史認識の溝を埋める作業の支障となり、戦前の日本を美化する歴史修正主義の温床にもなっている。
戦後の民主主義下においても、記録の軽視は宿痾(しゅくあ)のように、この国の政治、官僚機構の中に根深く残っている。
01年4月の情報公開法の施行前、各省庁が駆け込みで多くの公文書をシュレッダーで処分したと指摘される。歴代最長となった現在の安倍政権下では、森友学園をめぐる公文書の改ざんや、桜を見る会の招待者名簿の廃棄など、公文書をめぐる問題が後を絶たず、現下のコロナ対応をめぐる記録も十全といえるのか、心もとない。
公文書管理法は、公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と定める。記録を残し、適切に公開し、後世に引き継ぐことは、国民、そして歴史に対する重い責務だ。75年前の過ちを、これ以上、繰り返してはいけない。
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