「日本の侵略なければ新中国なかった」と主張、香港の専門家が公職を辞任
香港メディア・東網の2020年8月15日付の報道によると、香港で大学などの統一入学試験を運営する香港考試及評核局で歴史科目を担当していた楊穎宇氏がこのほど辞任した。楊氏はSNSに「日本の中国侵略がなければ新中国(=中華人民共和国)はなかった」と書き込み、5月に実施された統一入試でも出題が問題視された。
楊穎宇氏は5月14日に実施された香港における大学などの統一入試の「香港中学文憑」の歴史科目で「『1900-1945年の間に、日本が中国にもたらした利益は弊害より大きかった』との主張に同意しますか」とする記述式問題を出題したことが問題視された。
楊氏の出題は、戦争だけに限定して解答を求めたのではないが、香港教育局は5月14日深夜に「日本の中国侵略戦争で莫大な苦難に遭遇した国民の感情と尊厳を著しく傷つけた」と出題を批判。
翌15日には楊潤雄教育局長が記者会見で改めて、楊穎宇氏の出題について「答案について議論の余地はない。あったのは弊害だけだった」と表明。楊局長は同出題を採点の対象から外すとの考えを示した。
第二次世界大戦中、日本軍は香港に侵攻し1941年12月末には香港を占領した。香港は、1945年8月15日に連合国に対して日本が降伏を受け入れ、同月下旬に英国軍が香港に再び進出するまでの日本軍の軍政下にあった。オーストラリアなどとの貿易がストップした香港経済は大打撃を受け、深刻な食料不足も発生した。
さらに、日本軍が事実上の通貨として流通を強制した「軍票」が、日本の降伏に伴い「紙くず」になったため、日本政府に補償を求める運動が現在も続いている。
楊穎宇氏の主張に対する強い反発が発生した背景には、戦争期間中に香港が極めて大きな被害を受けたことがあると考えてよいだろう。
なお、日本との戦争と中華人民共和国の成立の関係について、しばしば語られるのが毛沢東の言葉だ。たとえば、1964年に訪中した日本社会党の代表団に対して「皆さんの皇軍(=日本軍)が中国の大半を侵略しなかったら、中国人民は団結して、皆さんに立ち向かうことができなかったし、中国共産党は権力を奪取しきれなかったでしょう」と述べたなどの記録がある。
しかし、前後の発言を合わせて考えれば、謝罪の言葉を繰り返す日本側出席者の緊張をほぐすための発言であったことが読み取れる。中国で同発言は、毛沢東に独特のユーモアや皮肉を込めた言い方であり、その他の多くの発言を総合すれば、日本の侵略を強く批判していたことは明らかと論評されている。(如月隼人)