夫の罪と向き合う

テーマ:

離婚宣言はあくまで、未だ愛してやまない夫とのけじめであって、

なにかの社会的責任とか道義的責任から逃れようとするもの

ではまったくない。だからこそ、2回も会見している。私は、子どもと地域の皆様を取材攻勢から守るため、会見したのだから。これからも必要なときは矢面にたち、大切な人たちを守っていく。8歳のわが子ですら、理解している。

「苗字が旧姓になっても、逮捕されるようなことをしたパパの子供だってことは、かわらないんだよね。私はわたしなんだから」

といっている。そのとおりだ。

 

こそこそ隠れることのほうが、責任逃れだ。自分を、批判や陰口から守りたいだけだもの。表を堂々と歩くと、陰口を叩く人が必ず現れるけど、同時に「みよさんが悪いことをしたわけじゃない」と人権について考えてくれる人がでてくる。安楽死尊厳死の問題を、もう一度思い出す人がでてくる。私と子どもが大地を踏みしめ、顔を挙げて生きることで、小さな世直しができるんだ。それがまず今できる恩返し。

 

私は、夫が残した債務をかえしていくのと同様に

療養期、終末期の医療福祉の問題とも、向き合っていく。

ずっと仙台・名取に住み続けるし、福祉事業をやっていくし、政治活動も続ける。

 

といっても、供託金すら用意できない状態。ポスターはりなど、もろもろの雑務をしてくれていた夫もいない以上、今までのような無所属・手弁の選挙スタイルも、もう無理です。勝てないとわかっている選挙に、丸腰で臨み、言いたいことを好きなように言う選挙。楽しかったなあ。もう二度とできないけど。

 

諦めないことや、使命感をもっているだけで、今なにか具体策を持っているわけではまったくないのですが。強い気持ちを持ち続けていれば、そのうち見えてくるだろうと思っています。とりあえずできることを、一つ一つ、やっていきます。