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戦争の記憶、いかに次世代へ?Coccoが明かす「祖父母の教え」

2020年8月14日 11:00 琉球新報

 「忘れなさい」
 そう言われると、逆に忘れられなくなることが誰にでもあるだろう。

 あれは夏の日差しが強い日だった。
 祖母と曾祖母が唯一、沖縄戦のことを話してくれた日。

 心が強い人で、“笑い上戸”の祖母がその時は目にハンカチを押しつけながら泣いていた。
 そして言ったのだ。「この話は忘れなさい」と。

 その孫娘であるアーティスト・Coccoは忘れなかった。
 むしろそれはCoccoが「戦争」を語り継ぐ原点になった。

Cocco

1997年にデビュー。「強く儚い者たち」「樹海の糸」といったJ-POPナンバーから「ジュゴンの見える丘」など古里・沖縄をテーマにした歌まで幅広い楽曲を世に送り出してきた。2021年春のNHK連続テレビ小説のヒロインに決まった清原果耶のファーストシングルの作詞・作曲・プロデュースも手がける。


たった一度。祖母の証言


 太平洋戦争で日本唯一、住民を巻き込んだ地上戦となった沖縄戦。4人に1人の県民が犠牲になった。
 Coccoの祖母で沖縄芝居の役者でもある真喜志八重子は、沖縄戦の体験者だが、その話を一切しなかった。

 「いつ聞いても答えない。『もう平和だから知る必要ない』と言うわけ」

 そんな祖母がたった一度だけ話してくれた。Coccoが小学校高学年の頃だ。
 祖母と曾祖母が話し、Coccoは姉と聞いた。

 祖母は、戦時中に山の中で高祖母と生き別れた。そして戦争が終わった後で山に骨を拾いに行った。

 話はそれだけだった。

 祖母は、泣くまいとしながらも涙がこらえきれないように見えた。

 「うちのばあちゃんって普段はとっても笑うわけ。泣く姿を見たとことがなかったわけ。初めて泣くのを見た。それがとにかくショックで」

幸せになってほしいから


 そして祖母はこう言った。

 「この話はもう言わない。思い出したくないし、戦争は二度とあってはいけないから“予習”する必要はない。知らないでいい。そこ(戦争が終わって)からは私は『めーなちそーぐゎち(毎日、正月)』と思って生きている」

 普通なら「忘れないでよ」と言うところを「忘れなさい」と。
 幸せになってほしいから、知らないでいい、と。

 「幸せを祈ってもらっているありがたみと守られていることを感じた。逆に忘れられないことになった」

 そしてCoccoはこう言った。

 「1回聞いた自分の責任として、(祖母の体験は)自分が伝える」

シベリア抑留。"おなら"が命を…


 Coccoの祖父、故・真喜志康忠は沖縄芝居などで活躍した希代の名優。
 重要無形文化財「組踊」の保持者としても知られる。そして戦争経験者でもある。

 1944年、満州に出征。翌年には捕虜としてシベリアに抑留され強制労働を課された。
 祖母とは対照的に戦争体験をでよく語った。

 「『あの話して』って私たちも(祖父に)お願いしていた」

 入隊時に「まきしこうちゅう」を「しんきしやすだた」と間違われたこと。
 満州では、雪で埋めることができず積み上げられた兵士の死体を食べにやってくるオオカミと格闘したこと。

 シベリアで、栄養失調で動けなくなり、屋外に放り出されて、凍死させられる直前だったこと。

 「よれよれになったじいじを(兵士が)持ち上げた時に、しに(とっても)大きいおならしたって。『腸が動くんだ』ってなって『ちょっと残そう』となったって。それで『俺がおならしたからおまえたちみんな生きてるんだぞ』って家族に言っていた(笑)」

「きれいな歌声」こだわる理由


 戦争中にあった小さいハプニングを楽しく話してくれるから、その話を思い出すたびに慰霊の日に学校の図書館とかで見たむごい写真とも一緒に思い出す。
 だから聞いた人の中で、戦争が風化しない。

 「『こんなにむごかったんだよ』って言って(聞く人の)耳をふさがせるわけではなくて。おならの話に戦争の忘れてはいけないエッセンスを入れ込んで、人が受け入れる話にしている。すごい技だなって。童話の『北風と太陽』でいう『太陽』みたいな」

 祖父の「太陽」としての部分はCoccoの「伝える」「歌う」姿勢に生かされているという。

 「怒鳴っても人は話を聞かない。きれいな声で歌ったら人は聞いてくれる。それで私はいつも、きれいな声で歌おうって思う。そういうことは真喜志康忠からすごく学んだんだ」

 Coccoは祖母の経験から「自らが語り継ごう」と誓った。
 そして、祖父の経験から「伝え方が大事」だと学んだ。

「語らんでいいよ」に込められた思い


 沖縄戦では多くの少年少女たちが動員され、戦場に送られた。
 沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒たちで構成される「ひめゆり学徒隊」は、陸軍病院などで看護活動にあたった。

 2007年にリリースしたアルバム「きらきら」には、1928年に発表された合唱曲「お菓子と娘」のカバー曲が収録されている。
 戦時中「ひめゆり学徒隊」を励まそうと、引率の教師が歌った歌だ。

 アルバムがリリースされた年、Coccoはひめゆり学徒隊の生存者とのトークライブに参加した。
 苛烈な戦いの中、先生や友達を失った経験を伝える語り部たち。Coccoはトークライブ後にこの歌を歌った。

「とにかく楽しい思い出を思い出してほしいと思って」

「語り部の人は毎年思い出してしゃべらんといけなくて、それを自分の責任と思って、強い意志をもってやってる」

「でも、できればやらんでいいよと思って。生き残ってしまった人という罪悪感を毎年感じないでほしいというか。辛いことを思い出して泣かせたくないから1回聞いた人が伝えればいいさと思って」

息子も親になればきっと…


 戦争体験者の高齢化で語り部は年々減り、継承が課題になっている。
 沖縄戦の経験をどう伝えていくか。Coccoは「子どもに伝える」と答えた。

 「みんな誰かのお母さんになったり誰かのおばさんになったりするから。手の届く範囲で。自分が受け取った話とぶれがない範囲でしゃべれるのは、近しいところでコツコツやることだと思う」

 Coccoは祖母の体験を聞いた時と同じ年になった息子に、祖母の体験を語った。
 今、その息子は21歳になった。

 「彼も親になったら、自分の子供にばあちゃんが沖縄戦で経験したこととかを伝えるんじゃないかな、って思っている。ばあちゃんに聞いて思い出させてほしくないから」

沖縄は「片思いの人」


 沖縄について語る口調は、熱を帯びる。
 だがCoccoは、沖縄に対し複雑な思いを抱えていた。

 高校卒業後に沖縄を飛び出し、1997年にデビューした。


 「空とか太陽とか海がまぶしすぎて目が開けられなくてつらいと思ったわけ。遮るものが何もなくて。とってもまぶしいから、別の場所に行きたいと思って」

 2001年に活動を休止した。
 沖縄に帰り、浜でゴミを拾ったことをきっかけに「ごみ拾い」を呼び掛けた「ゴミゼロ大作戦」などの活動を経て、06年に歌手活動を再開した。

 今は再び東京を拠点にしている。
 沖縄に住まないのは「嫌い」だからではない。むしろ「好き」だからだという。

 「沖縄にいたら『片思い感』が強すぎて。好きな人の隣にずっといるけど振り向いてもらえないみたいな。それから解放されたかったのは大きい」

 「沖縄にいるのは辛かった。好きすぎるっていうか。それで一喜一憂して、毎日諦めなきゃいけないことがあって。それに耐えるのが辛かった」

どうあるべきか、一生考える


 沖縄にいると「まぶしさ」と共に「諦めないといけないこと」がある。
 Coccoはそう語る。

 2019年にリリースしたアルバム「スターシャンク」。
 そこに収録されている「2.24」という楽曲に関するインタビューでも「諦め」について言及していた。

 曲名は同年2月に行われた名護市辺野古の新基地建設に伴う埋め立ての賛否を問う県民投票の日「2月24日」を意味する。
 沖縄戦後に造られた米軍基地が、今も県民を悩ませ続ける。

 東京に暮らすCoccoは、沖縄と本土の情報の差や認識の違いを感じるという。

 「沖縄以外で悲しいニュースを見たときに、沖縄戦では4人に1人死んだんだよって思っちゃうわけ、自分の中で。『4人に1人が犠牲になった沖縄戦』が知らないうちに(被害の深刻さを計る)“物差し”になってしまっている」

 その上でこうも語る。

 「でも、どこかにある被害者意識みたいなのを大きくしては絶対にいけないと思う。自分も誰かに危害を加えている側かもしれない、と自覚していたい。どこかで優しくできていないこといっぱいあるんじゃないかなって」

 「(戦争の悲惨さを)知って、自分たちがどうあるべきかは一生ずっと考えていかないと。常に自分でも今の現状の情報を取り入れて、更新していかないといけない」

優しい歌を聞いたらきっと


 4月、新型コロナウイルスの感染拡大で全国に緊急事態宣言が発出され、全国的に外出自粛が促された期間。
 優しい歌声が多くの人のスマホに響いた。Coccoの歌だ。

 予定していたライブツアーは、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて延期が続き、全公演中止が決まった。
 だが、コロナ禍がCoccoに与えた影響はそれだけではなかった。

 「近所を歩いていたら、薬局の前を通りかかったわけ。店でマスクを買えなかったおじさんがでーじ(とっても)怒って店員さんに怒鳴ってて」

 「怒ってもしょうがないけど怒っちゃうぐらいの状況になっている。『あい、これは大変なことになってる』って思って。優しい歌を聞いたらみんな優しい気持ちになると思って」

 Coccoは外出自粛期間中に自宅で制作した曲をTwitterやYouTubeで全世界に配信した。
 「おうちdemoトラック」と題し15曲を数える。Coccoの生歌を聴けなくなったファンへの「なぐさみむん(慰めもの)」でもあったという。

 「誰も見ないはずと思ったけど」と本人は言うが、リプライ欄には多くの感謝の言葉が届いた。

 「ありがとう、Coccoさん」
 「あっちゃん、ありがとう」
 「いろいろもやもやしていたのでうれしい」

 コロナ禍で自らの生き方を考え直す人もいる。
 今後どういう社会になってほしいか。最後にそう尋ねると、Coccoはころころと笑ってこう返した。

 「薬局で怒鳴る人がいない世の中かな」


【敬称略/取材・記事=田吹遥子(琉球新報)、取材=大城周子(琉球新報)】

※この記事は琉球新報によるLINE NEWS向け特別企画記事です。

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小3が暗算10段に 合格率1%未満「めっちゃうれしい」 豊見城で最年少

2020年8月14日 10:52 琉球新報

 【豊見城】沖縄県豊見城市高安の伊波そろばん教室とよみ教室に通う、とよみ小3年の平田翔真さん(8)=豊見城市真玉橋=が全国珠算教育連盟主催の「暗算検定試験」に、市内最年少で最高段位の10段に合格した。翔真さんは「めっちゃうれしかった」と笑顔で語った。

 5歳からそろばん教室に通い始めた翔真さんはこれまで順調に昇段していたが、合格率1%未満の超難関の10段は、3回目の挑戦となった。

 今年6月に受けた試験はかけ算、割り算、見取り算(足し算と引き算)の3種目。翔真さんはかけ算と見取り算で200点満点、割り算は1問のみの不正解で195点を取り見事合格をつかんだ。

 過去2回の経験を踏まえ「数字をきれいに書き、計算をパッパッと速くすること」を心掛けた。これまでに少なくとも5千人の生徒を見てきたそろばん教室の伊波常敏塾長(70)は「光るものがある。全身で集中していて隙がない。将来大物になる」と称賛する。

 試験までの間、新型コロナウイルスの影響で教室が休みとなる期間もあったが、翔真さんは自宅でそろばんをはじき続け、力を付けていった。会社員で父親の真一さん(42)も「10段まで来るとは思わなかった。参りました」とうなった。合格の知らせを聞いた母親の奈月さん(41)は涙を流して喜んだという。合格祝いとして奈月さんが翔真さんの好きなチョコレートケーキを用意し家族みんなで食べた。

 翔真さんは「そろばんの先生になる」という夢に向かい「次は暗算ではなく、そろばんの10段に合格したい」と愛用のそろばんを握った。
 (照屋大哲)

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沖縄のコロナ感染源、県外の「移入例」から県内の市中感染へ 感染源「家族と会食」が上昇

2020年8月14日 08:27 琉球新報

 県は13日、新型コロナウイルス感染拡大に伴う県独自の緊急事態宣言期間の延長と警戒レベル引き上げを発表した。県外からの渡航の自粛は呼び掛けていない。玉城デニー知事は13日の記者会見で、県外からの旅行客などが減少し、感染源が「移入例」や「持ち込み例」から県内の市中感染に変化していることなどが理由だと説明している。

 会見で玉城知事は、7月以降の「第2波」感染確認から7月31日までの感染源を調査した結果として、本島全体では、「夜の街」関連が49・8%、「家族」が13・9%、「会食」が9・6%、「県外」が6・7%だったと紹介した。

 一方、県独自の緊急事態宣言を出した1日から10日までの調査では、夜の街関連が26・8%、県外が1・7%まで下がったが、家族が20・6%、会食も15・6%に上昇したとし「数字を追い掛け、どこで(感染を)食い止めるかが、今回の警戒レベル引き上げの議論で一番重要だった」と話した。

 県の担当者によると、数字は暫定値で、正式なデータは14日以降に公表されるという。また玉城知事は3月と比較し、7、8月の那覇空港利用客も減っているとした。「沖縄に行こうとしている人は自身で情報を得て判断している」と分析し、県外からの渡航自粛を求めない考えを示した。

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医師含む15人の感染確認 沖縄・糸満市のウェルネス病院

2020年8月14日 08:00 琉球新報

 【糸満】新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)が発生した糸満市のウェルネス西崎病院では、入院患者10人、医師1人、介護職員4人の感染が確認された。同病院の安谷屋茂男院長が13日、取材に答えた。県は同病院で12人の感染を確認し、クラスターとの認識を示している。

 同病院は療養型の病院で外来は受け付けず、58人が入院している。90代の入院患者が4日に発熱し、6日に抗原検査を行ったところ、同日に陽性が判明した。その後は職員と入院患者に連日、抗原検査やPCR検査を行い、13日までに15人の感染を確認した。患者の容体は落ち着いており、県などの指導の下、同病院内で隔離され入院している。

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かりゆし柄涼しく 放熱・遮熱夏用マスク パイプニット製造

2020年8月14日 06:40 琉球新報

 かりゆしウエアなどの衣料品を製造・販売するパイプニット(うるま市)は、放熱・遮熱機能のある素材を使った夏用マスクを製造した。熱の伝導率や吸収率に優れたテラヘルツ人工鉱石などのパウダーが練り込まれた生地を内側に使用した。表側は同社のかりゆしウエアに使われている月桃加工の生地を使用している。

 瑞慶覧昭専務は「持続的に放熱、遮熱しているので常に涼しい」とアピールした。

 洗って使え、価格は1枚990円(税別)。男性用と女性用があり、それぞれ四つの柄で展開する。県内のサンエー衣料館で販売する。

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シークヮーサー、原因不明の立ち枯れ 沖縄・北部で拡大

2020年8月14日 06:30 琉球新報

 【北部】シークヮーサーの産地として知られる本島北部地区で、原因不明の立ち枯れの被害が広がっている。幹が何らかの原因で腐り、葉が黄みがかって約1年で枯れる。JAによると、北部では名護市の他、大宜味村や本部町、国頭村でも立ち枯れの報告があることから、今後、県と共に実態の把握や対応を検討する構えだ。

 名護市勝山の「勝山シークヮーサー」(安村弘充社長)ではこれまで500トンのシークヮーサーを加工していたが、現在は250~300トンと半分近くに落ち込んでいる。

 安村社長によると、4年ほど前からシークヮーサーの木が徐々に枯れ、症状が広がった。1年たつと完全に枯れるという。菌や虫、台風による影響なのか不明で、安村社長は「市や県にもしっかり調査してほしい」と語った。

 JAおきなわ北部地区営農振興センターによると、被害が報告され始めたのは十数年前。大宜味村では約5千坪(1万6500平方メートル)の農地の半分で被害が確認された。

 シークヮーサーの木を食べるゴマダラカミキリやナガタマムシによる食害の他、土壌に病原菌が含まれている疫病の可能性も考えられるが、現段階で原因は特定できていない。疫病に有効な農薬は2種類登録されているが、改善しない事例もあるという。

 本部町でシークヮーサーを育てる男性の畑では、約10年前から被害が出始めた。根が腐って葉が落ちて枯れる。ナガタマムシによる樹皮の剥がれも併発している。被害は約300坪(約990平方メートル)の一角に集中し、10年間で20本ほどが枯れた。現在根腐れが進んでいる木もある。

 男性は「雨水の流れに沿って被害が出ている印象だ。土を全部入れ替えない限り栽培は厳しい。原因と対処法がはっきりするといいのだが」と話した。

 県営農支援課は「虫による食害や台風による被害などが考えられるが、原因はよく分かっていない。被害が多くなっているので、まずは虫の被害か病気かを判断したい」と述べ、対策会議を開いて対応を協議する考えを示した。

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沖縄、緊急事態を29日まで延長 夜10時以降の外出自粛を要請

2020年8月14日 06:00 琉球新報

 玉城デニー知事は13日午後、新型コロナウイルス感染症対策について記者会見を開き、警戒レベルを第3段階の「感染流行期」から最高の第4段階「感染蔓延(まんえん)期」へ引き上げたと発表した。感染拡大に歯止めが掛からないことから13日の対策本部会議で決定した。県が独自で出している緊急事態宣言も、29日まで約2週間延長した。県内全域で不要不急の外出自粛を徹底し、特に午後10時以降の外出を控えるよう呼び掛けた。県外からの渡航自粛要請には踏み込まなかった。

 玉城知事は「全世代やさまざまな社会分野に感染が拡大している。感染拡大を封じ込めるためには県民一人一人の行動が最も重要だ」と話し、県民に行動を変えるよう求めた。

 外出自粛の要請には、買い物に原則1人で行くことや、特に繁華街への外出を厳に慎むことを盛り込んだ。県民に対し、県をまたぐ不要不急の往来を自粛するよう求めている。県外からの渡航は「慎重に判断するようお願いする」と述べるにとどめた。来島自粛を求めている離島への渡航は自粛し、その他の離島との行き来も最小限にするよう要請した。

 那覇市内の飲食店の営業時間短縮や同市松山地域の接待・接触を伴う業種の休業要請は15日まで。宮古島市平良西里・下里地域、石垣市美崎町の接待・接触を伴う業種の休業は20日まで続ける。

 県内の事業者には、テレワークを積極的に導入するなど職場での対策を促している。

 県内のイベントはインターネットを利用した開催や規模の縮小、分散開催を求め、感染対策を取れないイベントは中止するよう求めている。

 県の警戒レベルを判断する七つの指標のうち「重症者用病床占有率」と「入院1週間以内の重症化率」を除く5指標が第4段階の水準に達している。

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沖縄、警戒最高レベルに引き上げ 渡航自粛は見送り 緊急事態宣言も延長

2020年8月13日 16:06 琉球新報

 沖縄県は13日、新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからないとして、県独自の警戒レベルを第4段階「感染蔓延期」に引き上げ、15日に期限が切れる独自の緊急事態宣言も29日まで延長する方針を固めた。観光の繁忙期を迎えるため、県外からの渡航自粛要請は実施しないとみられる。

 県の警戒レベルを判断する七つの指標のうち「重症者用病床占有率」と「入院1週間以内の重症化率」を除く5指標が第4段階の水準に達している。玉城知事は11日の記者会見で「医療提供体制は(最も深刻な)第4段階にあると受け止めている」と語っていた。

 事前に定めている対策実施例で県は警戒レベルを第4段階(感染蔓延期)に引き上げた場合、県民の自宅待機や県外からの渡航自粛などを要請することを挙げていた。観光業を中心に経済界からは、厳しい行動自粛の要請を伴う警戒レベル引き上げに反対の声が上がっていた。【琉球新報電子版】

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沖縄、コロナ新規感染100人近く確認 累計1400人超えへ【8月13日午後】

2020年8月13日 16:02 琉球新報

 沖縄県内で新型コロナウイルスの新規感染者が約100人近く確認されたことが13日、関係者への取材で分かった。累計で1400人を超える。県は同日午後5時半ごろから、対策本部を開催し、現在第3段階にある警戒レベルの引き上げや15日に期限が切れる緊急事態宣言の延長の可否などを決定する。【琉球新報電子版】

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沖縄市で台湾料理ふるまい34年 キャサリン惜しまれ閉店

2020年8月13日 14:00 琉球新報

 【沖縄】沖縄市中央にあり、台湾出身のキャサリンこと國場清玉(せいぎょく)さんが営む「台湾料理 凱莎琳(キャサリン)」が10日、閉店した。突然の閉店にもかかわらず、この日は常連客らが続々と足を運んだ。4坪(約13平方メートル)から始めた店は地域の人たちに愛され、34年間で35坪(約115平方メートル)まで大きくなった。沖縄市が「第2の故郷」というキャサリンさん。一人で店を切り盛りし、おいしい料理を振る舞ってきた。

 閉店を知らせる紙を張り出したのは前日の9日。県内で新型コロナウイルスの感染が広がる中、閉店前に客が殺到し密になるのを避けるため常連客にも伝えなかった。「常連客には叱られる覚悟よ」と苦笑いするキャサリンさん。大事な常連客たちの健康を第一に考えた。

 約35年前に沖縄に移住し、商売をしようと県内各地を回った。外国人でにぎわい、異国情緒あふれる沖縄市に引かれ「私の居場所はここだ」と思った。周囲からは「商売をするなら那覇だ」と言われたが、沖縄市に店を出すことを決め、シャッターが閉まっている店舗を見つけては「貸してくれないか」と懇願した。

 ようやく見つけた4坪の店舗でアクセサリー店を始めた。客に振る舞った手料理が好評を得て、いつしか台湾料理の専門店になっていった。「食は人に癒やしを与え、安心させるでしょう。お客さんが食べたときの笑顔が大好き」と笑う。

 10月に閉店する予定だったが、新型コロナの影響で営業自粛を迫られ、時期を早めた。苦渋の決断だが「元気なうちに自分で閉められることはある意味で幸せだ」と気持ちを切り替えた。「支えてくれた地域の人たちには感謝の気持ちでいっぱい。これからは地域に恩返ししたい」と前を向く。閉店後は新たなことに挑戦するつもりだ。

 10年以上通う照屋正子さん(72)は「人柄が素晴らしく尊敬している。本当にお疲れさまでした」とねぎらった。閉店を人づてに知り店を訪れる客は途絶えず、キャサリンさんと慣れ親しんだ店との別れを惜しんだ。

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