漫画版「戦争は女の顔をしていない」に見る漫画表現の限界
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漫画版「戦争は女の顔をしていない」に見る漫画表現の限界

2020-07-11 18:02
  • 35

漫画版「戦争は女の顔をしていない」を読んだので記事を書くよ。読んだのは2か月くらい前だよ。記事を書き始めたのはそのちょっと後だよ。遅筆(めんどくさがり)すぎぃ!



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萌え絵やアニメ絵やオタク文化というのは、結局は刹那的なポルノ消費の袋小路に陥って破綻してるわけで、右を見ればなろう原作イカレ漫画(アニメ)、左を見れば奇形幼女ロリコン性的搾取アニメ(漫画)ばかりで、戦後の廃墟のなかから日本の文化的知性を再建するのだと誓った出版界の先人たちがみれば、これはもう涙を流さずにおられないであろう惨憺たる有様である。

粗製濫造で数が増えすぎて、バッサリと再編する勇気もない出版社のすることと言えば、手っ取り早く本を売るために、徹底的にわかりやすく脳死萌えポルノ漫画を量産することだけで、かつて革命思想の葛藤から執筆された「風の谷のナウシカ」のような作品は、もう二度とこの荒野と化した業界からは生み出されることはないだろうし、あるいはかつての史郎正宗のような鬼才作家が登場する余地も、また無いだろう。

「産業」と化した漫画のなかで出来ることは、むしろ狭まっている。ポルノが自由の象徴だというのであれば、それは単に「木を見て森を見ず」の戯言で、それは自由の表現としてのポルノではなく、商業的合理化による記号化の終着点として萌えポルノが濫用されているだけにすぎない。

今やポルノ以外が許されなくなって、自由な創造や表現のチャンスは、その前段階から奪われてしまっているように見える。萌えもポルノも、今となっては文化的抑圧の象徴となってしまった。

史郎正宗の攻殻機動隊シリーズ(特に1.5)に掲載されている本人のコラム(?)の内容には舌を巻く。今、これほどの意識と先見を持った人が、その表現方法や主張の手段として漫画やアニメという媒体を選び得るのだろうか?なにより、漫画界にそれだけの懐の深さはあるのだろうか?(アニメはもう無理だろう)

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コミック版の「戦争は女の顔をしていない」は、ポルノしか許されない二次元萌え漫画の範疇において、ノーベル文学賞作家の独ソ戦従軍女性兵士ドキュメンタリを原作にして、萌えポルノではなく、ドキュメンタリの忠実な再現を追求した一作である。

このマンガじゃあ、パンツ丸見えのミニスカートを履いたキャラは出てこないし、異常な乳袋の軍服を着たキャラは出てこないし、ピンク色のツインテールみたいな凡そ戦場にありえないアホほど奇抜な髪形をしたキャラも出てこない。

ポルノしか許されないこの世界で、ポルノ塗れになった二次元絵を用いて、ポルノ以外を表現しようとしたことは、昨今の世相からすれば殊勝な試みと称賛していいはずで、私が書店でこのマンガを手に取った最大の理由も、今時なかなか立派な志をもった漫画でないかとおもったからである。

それはいいが、で、実際問題、その試みや志が実になっているかと言えば、なっていない。

非常に残念だが、残念な結果になっている。

Amazonの書評では「作者の力量不足だ」などという人もいるが、それが一部正しいとはいえ、それ以上に、これは「(萌え)漫画」という表現手法そのものの限界であると思う。

考え得る限りこの地上において、人類が最も卑しく残酷に人道を踏み躙る舞台としての戦争
(その中でも独ソ戦は最悪の類だ)を描くには、表現上、想像を絶するコスト(映画であれば一流の演者とシナリオと美術家と音楽作者)を必要とするが、「(萌え)漫画」が用意しうる表現の素材では到底そのコストを賄うことはできないのである。

漫画で出来ることは、戦争を安っぽいヒーローショーの舞台として割り切って描くか、あるいは、ハリウッドの戦争アクションムービーの真似事として、外連味を利かせるだけに利用するかだが、コミック版「戦争は女の顔をしていない」は従来型の画風のままそういう部分を切り捨ててしまったため、漫画が最も苦手とする分野に何らの対応策も持たないまま入り込み、見事に失敗したように見える。

「戦争は女の顔をしていない」をコミカライズしようとしながら、いやいや、女の顔として描いてしもてますやん、とツッコミが入る出来になってしまっている。

あるいは、「戦争は女の顔をしていない」をこねくり回して、戦争を女の顔にしようと試みているような作品になってしまっている。

これは作者の罪ではなく、漫画という表現手段、萌えオタという感覚世界の限界であり、そして罪だと思う。

君たちはね、そこから出てくるべきじゃないんだよ。

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富野由悠季が、ガンダムで戦争は悪だと描き切れなかった(伝えきれなかった)責任を感じているとかというのをどこかで読んだ覚えがある(ていうか似たようなことをあっちこっちで言ってるかもしれないんだけど)

件の「戦争は女の顔をしていない」のamazonレビューで富野由悠季のことを「好戦的タカ派アニメの作り手」などとするコメントもあったが、それも合わせて、やっぱアニメっていう表現手段の限界なのでないか。

富野由悠季が、ああいう考えで作ったものが、「戦争はカッコよくて楽しい」と解釈されてしまうのが、日本のアニメという表現回路なのだとしたら、その回路には作者の意図とは全く違う表現が出力されてしまうという、表現手段として致命的な欠陥がある。

そしてその間違った表現、誤作動の出力結果を真に受けた人々が成長して作り手となり、結果から逆算してアニメを理解してしまった結果、今の惨状になってしまったのでなかろうか。

しかしまぁ、宮崎駿でさえその表現回路の欠陥に悩まされていた(戦争好きの軍事オタクと勘違いされていた)ことを思うと、高畑勲ってやっぱ偉大だわ。よく知らんけど。

(了)
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他25件のコメントを表示
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>>27
お前と絡んでも得るものが何も無いと言っておろう・・・
>安部自民批判絶対許さないマン
ネトウヨだのこれだのレッテルを貼ってからじゃないとあれこれいえないような奴とまともな会話が成立するとは思えないんだよなぁ・・・
>星りんの思想が気に食わないならここに来るのやめたらいいんじゃないですかね?
貴様如きにいわれる筋合いはないんだよなあ。だって貴様が自分に難癖とレッテルだけで粘着してくるくせに粘着するなって説得力のかけらもないんだよ?
貴様が自分を煽って何かを得ているのならばもっと別の何かを得る努力をしたほうがいいと思うし、何より一切記事の内容に触れずにこっちにウザがらみしかしてないのは流石に星りん兄貴にも失礼だと思う。何度も言うが自分は星りん兄貴の思想は糞気に食わんけどそれはそれとして考えて発言をしているんだよ?貴様の場合自分を貶すためだけに他人様のコメント欄で暴れてるって言う自覚をしような?
これ以上はマジで相手しないから、良く考えてくれよ?
3週間前
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>>28
これだけの長文が内容的に殆どブーメランになってるのには草も生えない
政権批判しただけ(しかも妥当な内容)の星りんにパヨクだのなんだのとレッテルを貼って粘着したのはお前なんだよなぁ
そもそも他者に粘着してる人間がウザ絡みを拒絶する正当性は無いし、お前の主張って総じて「俺はいいけどお前は同じことしちゃやだ(コナミ)」って言ってるだけじゃないか……(呆れ)

それと、なんか得るものがなんだとしきりに言ってるけど、それを言うならお前のコメントがそれこそ中身空っぽで得るものなんて全くないんだよなぁ
ただ漠然とした観念論や感想を述べてるだけであとは取って付けたような左翼批判や共産主義揶揄くらいしか出来ないのは、それだけお前の知識が薄っぺらいから、直球な言い方をすれば教養がないからでしょ

益のない文章しか投稿しない者は去るべきというのなら、まずは小学生並みの感想しか出来ない自分自身にその理論を当てはめて実践して、どうぞ
3週間前
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>>29
本当に最後にするね。
他の投稿でcaraさんがいってることもここで言ってる事も俺と貴様の間でめっちゃくちゃ刺さってるから良く見とけ。これ以上絡まなくていいんでそこんとこヨロシクゥ!
2週間前
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まるでaiueo700だな
2週間前
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>>31
それ誰に言ってんの?俺?本当に人を貶すしか能がないんだな・・・
いや、人というよりモノや考え方かな?本当に自分の考えかた以外ゾンザイにするの好きなんだな・・・
2週間前
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言われてみると、異世界なろう系の大部分は自己投影自慰創作であると同時にライトポルノ要素も強くて、現在のオタク商業主義のトップを走っているのは当然と言えば当然なのかなと。自分としては絶望的な話ではあるが納得してしまう。

漫画やアニメの表現の限界という話になると、頭には『アンパンマン』が思い浮かんでくる。アンパンマンには「弱いものを守る」という文脈あると同時に「悪いやつを暴力で叩き出す」という文脈が含まれていて、後者の文脈が強く受け取られやすいというもの。

実としての人間が出てこない創作の構造的欠陥は確かにあるんだろうなあと思う一方、漫画やアニメは「戦争の悲惨さ」などの強いネガティブ要素を敢えて薄めて伝えがちになっているなあとも思う。それも結局多く売るためで、商業主義への敗北なのかなあと。

『火垂るの墓』みたいな創作が今後出たとしても大バッシング受けるし売れないんやろうなあ。
2週間前
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宮崎駿のアニメって、特にもののけ姫とか千と千尋とか率直に言って絵面はキレーだけどストーリーはよくわかんねーって感じのアニメなんだけど、宮崎駿本人は実は結構「売れる」ことを意識して作品作りしてたってのを聞いて以外でしたねぇ。

で、「売れる」ことを意識するような監督があんな美しいけどよくわかんねー作品つくって、しかも消費者側もよくわかんねーけどなんか凄い!って感覚で殺到して大ヒットを飛ばすわけわかんない時代が確かにあったわけ。

バブルの残り香でまだ日本にカネがあって消費欲があって、そこにマルクス主義に青春を焦がした創作家がいて、日本の美意識を具現化する技術と能力も備わってて、興行収入的に成功してっていう…あの時代は、日本のアニメ史にとって幸運な例外だったんだろうと思います。

本当のことを言えば、日本中がデカプリオにキャーキャー言ってた時代でもあるんで、実のところアニメでハリウッドの猿真似でもやってくれりゃーそれでいいのにってみんな思ってたんだろうけど、実際に制作の現場にいるのが宮崎駿や高畑勲みたいなめんどいおっちゃんだったから、本音では「またおっさんが小難しいこと言ってら、俺らバカだからわけわかんねーけど、とりあえずアニメーションが凄いからこれで満足すっか!」てな感じで、結果的にそういう幸運によってあんな傑作が日本で生まれたってだけなんでしょうけど。

まぁ、そんな幸運がこの先あるかというとないわけで、でもそれは人も時代も変わってるわけだからしょうがないので、自分で考えてても絶望というより、単に高望みなだけの気もしないではないですねぇ。
2週間前
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>>35
しかし、宮崎アニメが栄華を極めたもののけ姫(1997年7月)→崖の上のポニョ(2008年7月)」の約10年間は、自殺者数が年間3万人を超えるなど最悪の時代であったのは、現実が地獄であるほど逆に幻想の世界は爛熟するという皮肉な関係を表してる様な感があります。

一方で、2010年代以降の日本は萌えポルノの侵蝕により文化荒廃が末期化していく反面、それに縋ることで現実の絶望から逃避し自ら命を絶つことを免れている社会階層も多くいると思われ、実際に自殺者数は2010年以降減り続けている。

萌えポルノとは社会の絶望を和らげるある種「集団幻想的モルヒネ」の様なものであり、これだけの多くの自殺者が生み出されるような強い痛みを強いる社会では、必要悪として求められている面も否定できないかもしれません。
2週間前
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視点の定まらない老人の書いた文章だと思ってびっくりしました
御用学者がメディアに求められるそれですね
2週間前
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星りん兄貴、なぜか終戦記念日のはてブでこの記事バズってましたよ(報告)
はてな民はホモより容赦ない一太刀だから見るならお覚悟を
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ch.nicovideo.jp/hosirin/blomaga/ar1921877
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