2 『龍安寺、銀閣寺、仁和寺、お寺!』
「――ごちそうさまでした」
瀬能先輩は結局のんびり10分ほどかけて、小さなおにぎりを完食した。
一口あたり一体どれだけもぐもぐしたのだろうか?
割とどうでもいい疑問が頭をもたげたが、そんなことよりもずっと気になっていたことがあったのでそれを尋ねてみる。
「おにぎりの具はなんだったんですか?」
「…………」
俺の問い掛けに顔をこちらに向けた瀬能先輩。
何故か黙ったままだったので、まじまじと見たら大きな目が更に見開かれていた。
表情の変化はただそれだけだったが、恐らく驚いているらしい。
なんでだ?
「あの……瀬能先輩?」
「……弓削くんおはよう」
「え……あ、おはようございます瀬能先輩」
そこはかとなく漂う微妙な空気。
なんだろう……会話がズレているような気がする。
「弓削くん」意を決したような面持ちの瀬能先輩
「は、はい!」
「いつからいたの?」真剣な眼差しの瀬能先輩
先程までの可愛らしくてぽわ~んとしていた姿は幻だったのかと思うほど、普段よりも遥かにカッコよくて凛々しい瀬能先輩がそこにいた。
――これだよ! これが瀬能先輩だ! このカッコイイのが瀬能先輩なんだよ!
不意打ち気味な可愛さにやられかけていた俺は、
「どういうことでしょうか?」
見た目は平時の
俺がオフィスに来た朝一の時点で挨拶をしているはずなのに「いつからいたの?」という言葉の真意が読めない。
以前工藤も言っていたが、思考を読ませないミステリアスな瀬能先輩は本当にカッコイイ。
きっと俺が想像もつかないようなことを日々考えているのだろう。
「……今日は弓削くんの歓迎会ね」
「はい。楽しみです! それで瀬能先輩、おにぎりの具――」
「――お魚釣りができる変わった居酒屋さんだと課長が言っていたわ」
……あれ? なんか今話題をすり替えられたような?
俺の言葉に被せる様に発言した瀬能先輩。
表情などは特に変わった様子もなく、ごく自然な所作でお弁当箱の蓋を閉じようとしていた。
逆に不自然だったことは強引に話を切り替えようとしたことだ。
「魚釣りができるんですか? なんだか面白そうなお店ですね」
「そうね」
「ところでおにぎりの具――」
「――自分で釣り上げたお魚をすぐに調理して提供してくれるから、とても美味しいと評判のようね」
「新鮮だから美味しいってことですかね? 話は変わるんですが、おにぎりの――」
「――えぇ。お刺身は特に食感が違うと
ほんのわずかに眉を八の字にして困ったような表情を浮かべている瀬能先輩は、ハーフアップに纏めた毛先をくるくるといじったり、視線を右に左にと泳がせたり、徐々に落ち着きがなくなりつつあった。
俺はそんな姿を見て確信した。
理由は分からないけど瀬能先輩はおにぎりの具について黙秘したいらしい。……どういうことだよ。
ここまで頑なに教えてくれないと却って気になってくる。
ダメと禁止されるとついついやりたくなるような、そんな心理状態に俺は陥った。
「瀬能先輩」
「……なに?」ソワソワしながら首を傾げる瀬能先輩
「おにぎり――」
「――り、龍安寺!」急にしりとりを始める瀬能先輩
いや、本当にどういうことですか!?
俺はただおにぎりの具が知りたかっただけなのに、何故かしりとりが始まったんだが?
「おにぎ――」
「――ぎ、銀閣寺!」やけに自信満々な声音で答える瀬能先輩
「おに――」
「――に、仁和寺!」もはや余裕綽々で答える瀬能先輩
「お――」
「――お、お寺っ!」最後に引き締まった表情で言い切った瀬能先輩
なんで最後お寺で逃げたんですか!? そのくせなんでそんなに「やりきった!」みたいな凛とした顔をしてるんですか!?
言いたいことは山ほどあったが、謎の寺縛りのしりとり(?)を制覇した瀬能先輩があまりにも誇らしげな仕種で、背筋をピンと伸ばしてからお弁当をしまい始めたので、ついに我慢できなくなって笑ってしまった。
そんな笑いながら怒る人みたいな反応は反則ですって!
「せ、瀬能先輩……お寺は反則ですって」
笑い過ぎて涙が出た。それほどまでに長く笑ってしまった。
まず100人中100人が納得するほどの美女。
おまけに
これに可愛いと面白いまで追加されるなんて……余計に憧れてしまう。
「それならば弓削くんはしりとりをしていなかったのだから、最初から反則でしょう?」
「それですよ! どうしておにぎりの具を教えてくれないんですか?」
「……
今度は突如しゅんとなった瀬能先輩が小声で何かを言ったが、ほとんど聞き取れなかったので「すみませんよく聞こえなかったので、もう一度お願いします」と伝えた。
「……
「おにぎりの具のことですか?」
「……そう」
「思いませんよ?」
おにぎりの具程度で子供っぽいと思うことなんてあるのだろうか?
ちなみにどうでもいいかもしれないが、俺は鶏五目が一番好きだったりする。……理由は言うまでも無いな。
「本当に?」
「はい」
「絶対に?」
「はい」
そんなやりとりの後、瀬能先輩は何かを考える様に目を瞑ってから数回深呼吸を繰り返した。
何とも言えない緊張感が辺りを支配する。
こんなに瀬能先輩が緊張してしまうのなら、興味本位で強引に聞き出すんじゃなかったと今更になって後悔した。
――そして瀬能先輩はおもむろに目を開けると、恐ろしく真面目な表情を湛えて……
「――ほへふへーふ」と。
……どう考えても今の行動の方が子供っぽいですよ、と思ったのはきっと俺だけじゃないだろう。