4 『……北極熊とお幸せに』
「なぁ? なんでさっきからそんなにニコニコしてんだ? 不気味すぎるぞ」
瀬能先輩との昼食(俺が勝手に思っているだけ)を終え、男子トイレの洗面所の前で手を洗っていたら工藤が失礼なことを言ってきた。
別にこれっぽっちもニコニコしているつもりはない。
現に鏡で自分の顔を見ても至って普段通りだ。
それなのに工藤の奴は何を言っているんだか。
「ニコニコなんてしてないぞ」
「そのままの意味じゃなく比喩だよ、比喩。なんか嬉しい事でもあったのか~?」
鋭い。
さすがコミュ力お化けだけあって、他人の機微に敏感に反応しやがる。
ただここで「憧れの先輩と一緒に飯が食えたんだ」と言おうものならややこしいことになりそうだったので、はぐらかしにかかる。
「チキン南蛮定食のレベルの高さに感激してな。チキン好きの俺からすると毎日でも食べたいと思ったのに……チクショウ! なんであれ日替わり定食なんだ? あんなに美味いんだから定番メニューに入れてくれたっていいだろう?」
確かにチキン南蛮定食は美味かった。
だが、俺はベストコンディションのチキン南蛮を食べていなかった。
瀬能先輩との会話に夢中になりすぎて(俺がひとりでガチガチになっていただけだが)食べる頃にはすっかり冷めてしまっていたのだ。
わざわざ「早く食べないとせっかくのチキン南蛮が冷めてしまうわよ?」と瀬能先輩に注意してもらったのに、あの時の俺は会話ができた達成感でしばし放心状態になっていたのだ。
たっぷり3分ほどボケーっと外を眺めてからようやっと食べ始めたので、提供からゆうに15分以上経過していたチキン南蛮からは既に熱は失われていた。
だからこそ俺はもう一度ちゃんと食べたいので定番メニュー化を熱く希望する!
「珍しくよくしゃべるなぁ~。落ち着きもないし、瞬きも多いし、おまけに右利きの弓削が左上に視線を向けながら話すなんてな~」
「な、何が言いたい!?」
ヒエッ!?
こわっ! コミュ力お化けこっわ!
なんか知らないけど追い詰められてる気がする。
別に俺は嘘は言ってないぞ!?
チキン南蛮に対する熱い思いは本当だ。神に誓って!
「はい、ダウト~! チキン南蛮に対する思いは分かったけど、それ以上に遥かに嬉しいことがあったんだろ?
ヒエッ!?
ヤバイ! こいつコミュ力お化けじゃなくてメンタリストだ!
伊達に「ノリとコミュニケーションだけで生きていく!」と豪語してるだけある。
「ウソジャナイデス」
「カタコトになってるぞ。それで憧れの瀬能先輩と何話してたんだ? デートの約束でもしたのか?」
「はっ!? 何言ってんだよ!! 瀬能先輩はカッコイイからデートなんてしないんだからねっ!!」
アイエェッ!?
なんだよ普通に見られてただけかよ。ビビらせやがって。
ヤケクソ+動揺+若干の逆ギレ=支離滅裂。
自分で言っておきながら意味不明である。
最終的には何故かツンデレ口調になっているし、己の事ながらあまりの気持ちわるさに寒気が走った。……男のツンデレとか誰得だよ。
「お、おぅ。んで一緒に飯食った感想は?」
「最高に決まってんだろ! 容姿もさることながら凛々しくて優しくてカッコイイんだぞ? 最高以外に言葉はない」
工藤が
「そ、そうか……もしかして瀬能先輩にカッコイイって言ったのか?」
「言ったぞ」
「お、おぅ。斬新な攻め方だな。……俺はどっちかって言うと瀬能先輩は苦手な分類だな。何考えてるか読めないし、あまりにも美人過ぎるし、凛々しいよりかはクール過ぎて怖い」
もはや気圧どころか引かれているような気もするが今更気にする必要はないだろう。
工藤が言いたいこともそれとなく理解できる。
だが俺の解釈としてはこうだ。
何考えているか分からない=思考を読ませないのはミステリアスでカッコイイ!
あまりにも美人過ぎる=最高!
クール過ぎて怖い=冷静沈着でカッコイイ!
おまけに気配りができて優しい=最高!
……カッコイイと最高しか言っていない気がする。
「瀬能先輩のカッコよさが分からないとは……工藤は人生10割損してるな」
「損しかしてない!? まぁまぁ、その点弓削は分かりやすいし面白いし真面目だから、一緒にいて楽しいっていう瀬能先輩の気持ちも分からなくはない」
分かりやすいってやっぱり俺はすぐに顔やら態度に出てしまうのか。
今思えば瀬能先輩が入社式で俺を勇気付けてくれたのも、さっきのガチガチに緊張していたのを気にして話を振ってくれたのも、すべては俺の自爆だったのか。……何これめちゃくちゃ恥ずかしいやつやん。
それよりも……、
「なんで工藤が瀬能先輩の心情を読めるんだよ。さっき読めないって言ったよな?」
「読んでないぞ? ごく一般的に考えて嫌いなやつの隣に座る人なんていないだろ? よかったな弓削! 少なくとも嫌われてはいないってことだぞ~!」
ふむ。一理どころか百理ある気がする。
……だがこれは工藤の予想でしかないのだ。
こんなことで喜んでいては話にならない。
ただ単に席が他に空いていなかったから仕方なくということもあるだろうしな。
「弓削、顔がニヤついてるぞ」
「別にニヤついてない」
「ちなみに他に席が空いてなかったから仕方なく座った可能性もあるとか考えたろ? 安心しろ。普通に空席はあったぞ」
「そうなのか。まぁ、俺には関係ないことだな」
「……そんなニコニコしながら言われても説得力ないぞ」
「悪かったな生まれつきこんな顔だ」
慌てて鏡を見たがやっぱりいつも通りで特段ニコニコしている訳でもない。
このまま工藤と話していると根掘り葉掘り事情聴取じみた会話が続きそうだったので、男子トイレから出たところ舞野と穂村が外にいた。
「なんで女子よりトイレ長いの~?」
「ふたりってそういう関係なのね……お幸せに」
舞野は純粋に疑問に思ったらしく首をひねり。
穂村は罵倒するために冷めた目を向けてきた。
反応したら負けのような気がするので適当に話題を提供した。
工藤も同感だったらしく俺の話しにのってきた。
「配属先どこになることやら……」
「あ~。場合によっては全員全国に散り散りになるらしいからな~」
わざとらしい話題転換だったが舞野と穂村も無事にのっかってきた。
それだけ配属先のことが気になっているんだろう。
……そう言えば瀬能先輩の所属ってどこなんだ?
さっき聞いておけばよかったとひとり後悔した。
「バラバラになっても私達ズッ友だよ♪ みたいな~?」
舞野は自分で言っておいて「ウケる~」とひとりで笑っていた。
こいつはどこに行っても絶対平気だと思う。もちろん工藤もだが。
「皆は配属先の希望どこにしたの?」
穂村は気持ち眉を顰めて言った。
その表情が何を意味するのか分からないが、バラバラになることに僅かな抵抗はあるようだ。
そりゃ約一か月間も濃いスケジュールを一緒にこなしてきたのだ。
俺も少なからず抵抗はあるが、社会人となった今どうしようもないのである。
「俺は特に希望してない。どこに行ったってやることは仕事である以上変わらないからな」
「弓削って悟ってるな。反応はあんなに
「さすが朝比~! 私も本社希望だよ~!」
「ちなみに私も本社希望。もしかしたら弓削くんだけ北極支店に飛ばされるかもしれないね……北極熊とお幸せに」
ねぇよ! そもそも北極支店がねぇよ!! それに北極熊とお幸せにってどういうことだよ!! 俺が食われておしまいじゃねぇか! ……あっ、そういうことか。
そんなどうしようもないやりとりをしながら俺達は辞令交付式に臨んだのだった。