三浦春馬さんのことを書いていると、どうしても私の頭の中でフラッシュバックするのが元アイドルの岡田有希子さんの可愛らしい笑顔です。

若い方はご存じないかもしれません、彼女は今から34年前、9枚のオリジナル・シングルを発売しただけで所属事務所屋上から身を投げたアイドルです。

三浦さんが亡くなったという報道に付随して、子供や若い人たちが誘発されるのを不安視した団体や組織が相談先電話番号やアドレスを公開したように、この出来事は社会問題にまで発展し“ユッコ(岡田有希子さんの愛称)・シンドローム”なる言葉も生まれました。

享年18歳、芸能人が通うことで有名な高校を卒業して1ヶ月少々の衝撃的な出来事でした。

当時私は芸能記者としてはまだ駆け出しで、所属事務所の福田時雄専務(当時)への定時連絡と事務所周りの聞き込みが主な仕事でした。

先輩記者と連れ立って、彼女の付き人だった女性を四六時中追跡取材したこともありました。
警察関係者を通じて調書にも目を通しました。

ペーペーの駆け出し芸能記者にとっては、たかだか数ヶ月の取材でしたが、とても貴重な経験となりました。

このとき取材を通じて学んだのは“愛する人を失ったとき、人は簡単に自らを犠牲に出来る”という真実です。
教訓と言い換えてもいいでしょうか。

岡田さんは亡くなる少し前から、親しい周りの人間に“死にたい”と盛んに漏らしていたといい、実際にそれに準ずる行動も起こしていました。
死を選択することで、心の安らぎが生まれると判断したのでしょうか。

以前呟いたり、このブログでも書いていますが、私は三浦さんの“前日に捨てた女性用下着”という『週刊文春』の報道が、三浦さんが起こした行動の重要なヒントではないかと思っています。

多くのマスコミは“実母の金の無心”、“複雑な家庭環境”が三浦さんを追い込んだと分析しているようですが、私は34年前の岡田さんの出来事の教訓から、“それらは遠因にはなるかもしれないけれど、発作的行動の原因にはなりにくい”と考えています。

一部芸能関係者の間からは、人気若手俳優との禁断の恋の噂も囁かれていました。
大変興味深いのは確かですが、これには状況証拠が伴いません。

三浦さんの様子が明らかに変わったのは、今から2年少し前から…と知人たちは口を揃えます。
急に酒量が増え、友人たちの前で醜態をさらけ出す機会が増えていった、と。

これを見兼ねた三浦さんの才能を絶賛していた先輩の小栗旬が彼を誘って飲みに行き、アルコールの量を減らすように助言するも、約束を守るのは数週間だけで、しばらくするとまた元に戻ってしまう…と役者仲間は話してくれました。

もうこの段階で、三浦さんは生きることに絶望していた…現実逃避したかったのかもしれませんね。

私は数年前、電車の中で偶然、故・日景忠男氏と会話を交わしたことがありました。
古い話ばかりで恐縮ですが、日景氏とは1983年に投身自殺した俳優の沖雅也(享年31歳)さんのマネージャーだった方です。

このときの日景氏の「沖があっちから“おいで、おいで!”するんだよ…」という言葉が今でも耳の奥に残っています。

“辛すぎる毎日から解放されたい”、“生きている意味が見い出せない”…実際に行動に踏み切った人たちは永遠の安らぎを手に入れているのでしょうか…懸命に踏ん張っている私たちにとって、答えは永遠に見つからないことなのでしょうけれど…。

追伸
お世話になった先輩、須藤甚一郎さんが亡くなりました。
芸能記者としての“矜持”をたくさん教えていただきました。ありがとうございました。
ご冥福をお祈り申し上げます。