Vol.1250

ややこしい車番、8000系

 ここ最近でこそまだましにはなって来ましたが、近鉄一般車両の車番と編成(組成)は実にややこしく、ここでも過去に2430系や1000系、1810系の組成変遷も紹介しました。現在すでに廃車も進み現存編成も少なくなってきた奈良線8000系も、一般車では一時208両を誇った大世帯車であり、長らくの増備、改造でその組成も実にややこしいものでした。大型車では古参車となり引退時期も気にかかる8000系ですが、8400系とともに3連車2編成、4連車7編成が元気に活躍し続けています。
既に大半の編成が廃車となっている昨今ですが、今回は特に末番がややこしくなっている8060~8070番台を中心に、分かる範囲でその編成の振り返りをしてみたいと思います。また全体像は変遷含めた編成表を作ってみましたので参照頂ければ幸いです。

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8000系トップナンバーは8001Fではなく、先行登場の900系12編成を後に8000系に編入する計画だったので8021Fとなっています。結局実現はしませんでしたが、そうなったとしても8013F~8019Fは欠番となってしまうのは900系編入車との区画分けの為だったようですね。8021F~8084F(アルミ車8069F除く)は登場時は2連で、その後旧型車置き換えの増強で中間T+M車が製造され、多くは4両編成となりました。これらの大半は後年、8800系同様回生制御の省エネ対応工事が施工され、搭載機器変更によりMc車とT車車番が入れ替わったりましたが、施工されなかった編成もあったため車番もややこしい状態となりました。
1982年 6月20日(日) 西大寺   8021 + 8701 + 8201 + 8521 
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8060Fからは空調がラインデリアとなり車体断面も屋根上がフラットなものになりました。60番台(8060F~8068F)4連化に際して、中間M+T車の末番は8061F~8068Fは先頭車に合わせて11~18としましたが、8060Fは既に4連となった8030F中間車番と被るため、追番で19が割り当てられました。結果、アルミ試作車8069Fの中間車(新製から4連)の中間車末番は更に追番の20が割り当てられたので編成自体の末番も実にややこしいものとなってしまいました。
1981年 8月 畝傍御陵前~八木西口   8060 + 8719 + 8219 + 8560 
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中間車末番19が組み込まれた8060Fですが、8000系回生化工事を展開する上で、2連の8072Fに中間車を組み込んで回生化されたため、8060Fは2連となりました。結局アルミ車含む60番台は回生化工事が施工されることはありませんでした。
1996年12月 6日(金) 今里   8060 + 8560 ほか
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8072Fは8060Fからの中間車移植とともに回生化工事が施工され、先頭車は制御車ク8719となりました。車番だけ見ると60番台車の回生車と間違いそうですね。
1999年 4月 4日(日) 畝傍御陵前   8719 + 8072 + 8219 + 8572 
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60番台8063Fは2連の8073Fが冷房改造される際に中間車を提供したため8060Fと同様に2連となりました。8072F、8073Fとも8060番台から中間車を移植したため車番(末番)が前後して更に分かりにくい状況となってしまいました。
1997年12月22日(月) 西大寺~新大宮   8063 + 8563 ほか
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8063Fから中間車を提供された8073Fですが、この時点では冷房改造のみで回生化工事は少し後に施工されました。回生化までの短い間ですが、冷房化後のモ8073の顔を見る事が出来ました。
1982年 9月 5日(日) 橿原神宮前   8073 + 8713 + 8213 + 8573
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8073F回生化工事後は、先頭制御車はク8713に改番されこれも8072F同様、番号を見ただけでは60番台車のような感じになりましたね。
2004年 5月 3日(月) 西大寺   8713 + 8073 + 8213 + 8573 ほか
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京都線3連車のニーズに応えるべく1980年委は70番台車の3連化も施工されました。中間M車を新造し8070F、71F、76F~79Fの6編成が対象になりました。左記編成のチョイスはよく分かりませんが、先紹介の8072F、73F回生化との絡みがあったのかもしれませんね。新造の中間車は8800系と同じ車体となったため断面形状が異なっています。京都線3連運用のニーズが無くなり、もっぱら2編成6連で運用されていますが、現在3連車は78F・79Fのみとなっています。
2007年10月 7日(日) 学園前   8070 + 8270 + 8570 ほか
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試作アルミ車8069Fは冷房化されたものの、奈良線連結器高さの標準化時、構造上改造が困難だったため先頭車モ8069とク8569を突き合せる形にし、両先頭車を8074Fに割り当てるという特異な構成となりました。事実上8069Fの先頭車は先頭に出ることが無くなり、後に運転台も撤去されてしまいました。(個人的に非常に残念に思いました)車体断面が異なるので、一目でこの編成を見分ける事が出来ましたね。
2000年 4月19日(水) 西大寺   8574 + 8220 + 8720 + 8069 + 8569 + 8074 
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70番台車で上記変遷から影響を受けなかった8075Fのみ最後まで2連で残りました。
2001年 2月14日(水) 西大寺   8075 + 8575 ほか
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あと80番車も中間車組み込み時に変則的な付番の編成があります。8080F~8084Fの中間車製造時、8080Fの中間車は8090F中間車末番30の追番31としたため、これも末番新旧不整合が生じています。よって回生化改番後はク8730→8090F、ク8731→8080Fと、これもややこしいことになりましたね。
2000年10月 9日(月) 西大寺   8731 + 8080 + 8231 + 8580 ほか
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8000系は製造期間も長く、その中の数々の仕様変更にもかかわらず系式変更されずに最終的には202両の世帯となりました。編成一覧表を作ってみましたが、車番振り分けなど見ても製造時から実にややこしいものだと痛感しました。
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2020, 8,13

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© 1999 大和路ポストマン