「慰安婦問題に関わるな」韓国政府がある日本人女性を入国禁止にした理由

文春オンライン / 2020年6月29日 11時30分

写真

疑惑の渦中にある尹美香(ユン・ミヒャン)前正義連代表  ©AFLO

「当事者は“良し”としていないのに『性奴隷』と……」慰安婦支援30年の日本人が見た挺対協の仕打ち から続く

 挺対協(現・「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」)の不実について告発した元慰安婦李容洙(イ・ヨンス)氏の記者会見によって韓国社会は大揺れに揺れている。

 はたして挺対協とはいかなる組織なのか。彼女らの実態をよく知る日本人がいる。

 その女性の名前は臼杵敬子氏という。ライターとして女性問題に関心を深く持っていた臼杵氏は、半生を韓国太平洋戦争犠牲者遺族会を支援するための活動に費やした。90年代から議論が始まった日韓歴史問題を、最も間近で見つめてきた日本人の一人であるともいえよう。

 本連載では臼杵氏から見た、なぜ慰安婦問題が歪んでしまったのか、その真実について回想してもらう。そして挺対協とはどのような組織だったのかを、当事者として批評してもらおうと考えている。(連載5回目/ #1 から続む/ 前回 から読む)

「古くて新しい」挺対協のカネの問題

 いま、挺対協やナヌムの家の不透明な会計が韓国メディアを騒がせています。しかしこうした疑惑は90年代から燻っていたのです。 

 1996年6月、元慰安婦16人が青瓦台(大統領府)直属の「民願室」(庶民の陳情を受ける部署)を訪ね、「慰安婦支援団体の募金の使途が不透明だ」と訴えたことがありました。

 こうした状況からわかるように一部の元慰安婦たちの間では、早い段階から挺対協等への不信が芽生えていたのです。つまり慰安婦問題における金銭問題は、古くて新しい問題であったということなのです。 

 私は挺対協が元慰安婦を本当に支援しようと考えていたのか、疑問に思っています。例えばこのようなエピソードがあります。 

 遺族会(韓国太平洋戦争犠牲者遺族会)所属の元慰安婦に姜順愛(カン・スネ)さんという方がいます。彼女は南洋諸島・パラオの慰安所にいたハルモニでした。

 姜順愛さんは日本兵に「舞子」という名前を付けられ、島々の各慰安所を回される形で働かされていました。

 長く慰安所で働いた女性は、子供を産めない身体になってしまうケースが多くありました。6年あまりパラオにいた姜順愛も生涯子供を持つことが出来ませんでした。そのせいか子供のことが大好きで、来日した時も姜順愛さんは日本人の子供を見かけると愛おしい表情で可愛がっていたことを思い出します。 

 彼女はパラオ時代の経験について、こう語っていました。 

「艦砲射撃が激しくなり戦況が悪くなる中で、パラオでは死ぬ思いをしました。ジャングルの中を逃げまどっていた私を、バッと背負ってくれて助けてくれたのが京都出身の金太郎という日本兵でした。兵隊にはいい兵隊と悪い兵隊がいた。韓国人にだって悪い奴もいれば、いい奴もいる。日本人全てが悪いわけではない。だから、戦後世代の若い人たちには戦争責任はないんだよ。」 

 大変な経験をされてきた姜順愛さんですが、素顔は明るくてユニークなハルモニでした。ある時、私は来日した彼女と鳥取に向かいました。すると、いきなり目が宙に浮き始めて、身体が震え出したのです。私が「どうしたの?」と聞くと、「か、神様が降りてきた!」というのです。 

 実は姜順愛さんはムーダンを仕事とする霊能者だったのです。ムーダンとは、日本で言えば霊媒師のようなもので、姜順愛さんは死者の口寄せや、占いをして生計を立てていました。彼女がムーダンであることは、元慰安婦や支援者の間では有名な話でした。 

挺対協のハルモニへの仕打ち

 当時、挺対協の代表だった尹貞玉氏に勝山泰佑さんの写真集(『海渡る恨』)を見せたことがあります。同写真集には姜順愛さんが祭壇の前で話をしている一枚があります。 

 そのページを見た尹貞玉氏はこう驚いたのです。 

「この人ムーダンをやっているの! 占いが出来るのかしら?」 

 驚きました。挺対協は元慰安婦のことを何も知らないのです。彼女らがどのように生活をしているかについて全く関心がないんだな、と私は思いました。 

 姜順愛さんが亡くなったとき、挺対協が葬儀を取り仕切りました。挺対協に協力的だった金学順さんは立派なお墓を立ててもらっています。ところが遺族会所属の元慰安婦だった姜順愛さんは位牌しか作ってもらえなかった。いまも彼女の位牌は共同安置所に雑然と置かれていると聞きます。 

 姜順愛さんは当事者として慰安婦問題の提起に貢献したハルモニの一人です。それなのに、扱いがあまりに酷すぎる。挺対協のやり方は、本当に誠意がないと私は憤りを覚えました。 

「あなたを入国禁止に」挺対協による災厄

 挺対協による厄災は私にも降りかかってきました。 

 1997年7月初旬のことです。 

 私は所用があって日本・外務省を訪れていました。すると突然、こう言われたのです。 

「先ほど韓国政府から電話がかかってきて、臼杵さんを『入国禁止にすることになった』と伝えられました」 

 目の前にいる外務省・アジア大洋州局地域政策課長は私に向かって淡々とこう告げました。 

 頭の中が真っ白になりました。 

 私は日韓を行き来しながら、韓国の遺族会を支援する活動を行っていました。東京東京裁判はまだ続いています。親しい元慰安婦のハルモニとも会えなくなる。

 特にアジア女性基金を受け取った七人の元慰安婦たちは、韓国内で激しいバッシングに遭っており心配でした。韓国への入国が禁止されてしまえば、これまで行っていた活動が、大きく制限されることになります。 

「どうしたらいいの?」、思わず心の中で叫びました。 

 1997年7月19日、私は韓国への入国が禁止されました。 

 理由は私が観光ビザで「資格外活動」を行っているということでした。裁判のための打ち合わせや、元慰安婦の方に会うことが資格外活動にあたるというのです。 

 それを言うなら挺対協も訪日しては各種団体のイベントに出たり、シンポジウムを開いています。同じことをしているのに「なぜ私だけ入国禁止なの?」という疑問が繰り返し頭の中に浮かんできました。 

 私の入国禁止を知り元慰安婦の金田きみ子さんは「臼杵が来れないなら、私が日本に行く」と言ってくれました。他の元慰安婦の方も、ソウル駅前で入国禁止反対デモをしてくれたそうです。 

 私の入国禁止について外交的に異議申し立てをしてもらうよう陳情を行ったり、裁判に訴える方法もあったと思います。しかし、いま優先するべき問題は遺族会の東京裁判支援であり、慰安婦問題です。別のトラブルに大きなエネルギーを割くことは止めようと思い、私は“忍”の一字で耐えることにしたのです。 

報道でわかった挺対協の謀略

 後に入国禁止は挺対協等による謀略だということが判りました。 

 同年、7月24日付の聯合通信(現・聯合ニュース)はこう報じました。 

〈挺対協関係者は『臼杵氏が観光ビザを取った後、慰安婦被害者に国民募金を受け取るよう説得した事実が明らかになり政府当局に入国禁止を要請した』旨明らかにした〉 

 尹貞玉氏は「組織としてそんなことは決してない」と、こうした報道を公に否定しました。しかし、この言葉もウソなのです。97年秋に、私は韓国大使館の法務担当官からもこう説明を受けました。 

「臼杵さんの入国禁止は挺対協から要請を受けました。彼女らは『臼杵はアジア女性基金の金を受け取れと元慰安婦に言って回っている。そうした行為は問題だから入国禁止にすべきだ』と挺対協は言ってました」 

 初めて韓国政府サイドから具体的な理由を聞いた私はその理不尽さに震える思いでした。 

 私はアジア女性基金理事長の原文兵衛氏の要請を受けて、元慰安婦を紹介するなどの協力を無償で行いました。女性基金は挺対協の電話番号しか知らない。元慰安婦への人脈がないから助けてくれということだったので、私は「紹介するだけで、中身にタッチしない」という約束事を決め協力しました。 

 だから「お金を受け取れ」なんて言うはずもありません。お金を受け取るのかどうかを決めるのは、あくまで実被害者である元慰安婦の意思が大事だからです。完全に挺対協によるでっち上げの嫌疑なのです。 

「臼杵さんに反省文を書いて欲しい」

 1999年9月、私の入国禁止が解ける前のことです。韓国大使館の担当官はこう言いました。 

「臼杵さんに反省文を書いて欲しい。入国禁止が解けても慰安婦問題にはもう携わらないでもらいたい」 

 挺対協がいかに韓国政府に大きな影響力を持っていたのかが担当官の言葉からもわかりました。 

 私は遺族会や元慰安婦に寄り添い、共に考えることで戦後補償問題の解決への途は見えてくると考えていました。しかし、そうした考え自体が挺対協にとっては目障りだったのでしょう。 

 私は反省文を書くことについては了解しましたが、慰安婦問題への要求については「私は裁判支援も行っているし、元慰安婦に会わない訳にはいかない。無理です」とお断りしました。 

 入国禁止措置により私が挺対協へ抱いていた「不信」は決定的なものとなりました。 

(続き「 フィリピンの慰安婦問題は解決したのに……元慰安婦支援30年の日本人が語る『韓国政府の妨害』 」を読む)
(インタビュー・赤石晋一郎)

赤石晋一郎 南アフリカ・ヨハネスブルグ出身。「フライデー」記者を経て、06年から「週刊文春」記者。政治や事件、日韓関係、人物ルポなどの取材・執筆を行ってきた。19年1月よりジャーナリストとして独立

勝山泰佑(1944~2018)韓国遺族会や慰安婦の撮影に半生を費やす。記事内の写真の出典は『海渡る恨』(韓国・汎友社)。

フィリピンの慰安婦問題は解決したのに韓国はなぜ? 30年関わった日本人が語る「韓国政府の妨害」 へ続く

(赤石 晋一郎)

この記事に関連するニュース

ランキング