日本の歌の歌詞が聞きとれない。
いまバンクーバーオリンピックのテレビ中継が佳境だ。NHKのオリンピック中継のメインテーマ「誓い」は、なんて言うグループが歌っているかわらないが、頭の「きーみーのー・・・・・・」しか聞き取れない。ワシは音楽に疎いので、音楽のジャンルがわからないが、最近の日本の若いヤツがうたっているJ-POPなどのテンポの早い歌は、正直言って何言っているのかわからない。事前に歌詞を知っていないと、歌っている本人以外は、歌詞を聞き取れないのではないか。テレビでも、日本語の字幕が出ないと、日本語が聞き取れない。字幕を読みながら歌の意味を理解しているというのが実情ではないだろうか。歌手の発音が悪く、早口であまりにマイクを付けて歌っているので言葉が聞き取れない。日本人が日本語の歌の歌詞を聞き取れないという、なんとも情けない状況だ。いまの若いヤツは、歌詞なんかどうでもいいと考えている。歌の意味よりも、曲のフィーリングを楽しんでいるのである。だったら、別に歌詞など付けなくても、曲さえ認められればそこそこに売れる。「f6r3mg865#$sk9$Cg#///・・・・・」でいいのだ。しかしわれわれオヤジ世代はどうしても歌詞を理解して、歌の意味を知ろうとする。だから歌詞がわからないと、感動も今一つだ。美しい日本語、感動を呼ぶ言い回しに作詞家の文学的センスを感じたものだ。演歌にしろ、フォークにしろ、ロックにしろみなそうだった。しかし、最近のPOP系は、あまりにも言葉、歌詞をないがしろにしていないか。聞いている人が、歌詞で涙するくらいの曲を作ってみろといいたい。日本音楽家協会はこのような傾向をどう見ているんだろうね。最近の歌があまりにもテンポが早すぎて、巻き舌で、発音が悪く、早口言葉的な歌詞なので、たまには、文部省唱歌のようなテンポの、美しい日本語、綺麗な音階の曲を聞いて、感動したいと思うことがある。
中学校の子供の音楽の教科書をみたが、びっくりした。われわれが習った文部省唱歌はほとんんで載っていない。「朧月夜」「早春賦」「おととぎす」「浜千鳥」何も載っていない。フォークっぽい曲ばかりだ。いまの子供はたちは、美しい日本語が理解できるだろうか。「美しい日本語って何?」て聞かれそうである。それでもワシは美しい日本語の歌が聞きたい。ワシはやっぱりオジンじゃろか。そういう歌が出てくれば周りからオジンと言われても結構じゃ。
音楽教育、再考! 子供たちに日本的情緒を教える音楽教育を復活させよう!
しっかりしろ、日本!
中学校の子供の音楽の教科書をみたが、びっくりした。われわれが習った文部省唱歌はほとんんで載っていない。「朧月夜」「早春賦」「おととぎす」「浜千鳥」何も載っていない。フォークっぽい曲ばかりだ。いまの子供はたちは、美しい日本語が理解できるだろうか。「美しい日本語って何?」て聞かれそうである。それでもワシは美しい日本語の歌が聞きたい。ワシはやっぱりオジンじゃろか。そういう歌が出てくれば周りからオジンと言われても結構じゃ。
音楽教育、再考! 子供たちに日本的情緒を教える音楽教育を復活させよう!
しっかりしろ、日本!
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コメント
No title
Re: No title
ご意見ありがとうございます。おじんの意見に若者も共感してくださりほっとしています。
「歌詞の表現が仰々しすぎる」私も同感です。その仰々しい言葉を、未熟は語彙力で歌詞にするから感動が伝わらないと思うのです。いまの歌の歌詞は「詩」ではないと思います。話言葉、語り言葉です。それはそれで否定はしませんが、話、語る言葉なら、聞いてわかるようなテンポで歌ってほしいし、聞いてわかる発音をしてほしいものです。
テンポがあまりに速くて、早口言葉みたいな歌は歌ではなく、「雑音」にしか聞こえません。
こころを癒すメロディーや歌詞にめぐりあいたいなー。
「歌詞の表現が仰々しすぎる」私も同感です。その仰々しい言葉を、未熟は語彙力で歌詞にするから感動が伝わらないと思うのです。いまの歌の歌詞は「詩」ではないと思います。話言葉、語り言葉です。それはそれで否定はしませんが、話、語る言葉なら、聞いてわかるようなテンポで歌ってほしいし、聞いてわかる発音をしてほしいものです。
テンポがあまりに速くて、早口言葉みたいな歌は歌ではなく、「雑音」にしか聞こえません。
こころを癒すメロディーや歌詞にめぐりあいたいなー。
歌手は正しく発音せよ
わたしも、字幕を見ながら歌を聴くのは、おかしいと思います。
昨日、テレサ・テンのテレビ番組を見ました。
ていねいで、うつくしい日本語に驚きました。
字幕なしで聴ける歌手は、天童よしみぐらいでしょうか。
いまの歌手の発音はおかしい。
それを容認している日本人もおかしい。
仕事や悩み事で頭が疲れた時は、小学校で習った「夏は来ぬ」「花」「春が来た」「紅葉」「朧月夜」「故郷」「ちいさい秋見つけた」「あかとんぼ」「鯉のぼり」「海」を口ずさむと気持ちがすっきりします。
美しい日本のことばと、一流の作曲家達の楽曲が、こころを癒してくれるからだと思います。
昨日、テレサ・テンのテレビ番組を見ました。
ていねいで、うつくしい日本語に驚きました。
字幕なしで聴ける歌手は、天童よしみぐらいでしょうか。
いまの歌手の発音はおかしい。
それを容認している日本人もおかしい。
仕事や悩み事で頭が疲れた時は、小学校で習った「夏は来ぬ」「花」「春が来た」「紅葉」「朧月夜」「故郷」「ちいさい秋見つけた」「あかとんぼ」「鯉のぼり」「海」を口ずさむと気持ちがすっきりします。
美しい日本のことばと、一流の作曲家達の楽曲が、こころを癒してくれるからだと思います。
Re: 歌手は正しく発音せよ
> コメントありがとうございます。
いまの若い人が歌っている曲はほとんど早テンポで、歌詞は「詩」ではありません。ただの話言葉です。
「歌言葉」と呼んだほうがいいかもしれません。感情をダイレクトに表現して「好き」、「愛」、「一緒にいたい」と歌っているだけです。今の若い連中には語彙力、国語力がありませんから、感情の機微、せつなさ、感情を殺して接しなければいけない苦しさなど表現できません。歌は言葉の延長にすぎないんです。日本語すら知らないし、理解できないのです。彼らに、歌詞で感動させるような曲がつくれるはずもありません。我々が若い時のフォークソングのほうがはるかにレベルが高かったような気がします。それでも当時は、Gパンはいて髪を長くした連中が歌う歌として、当時の年配者にはあまり良く思われていませんでした。私はたまに70年代のフォークを聞きますが、今聞くと実にいい。歌詞も曲も。歌詞が詩、ポエムなんですね。これを大学生の息子が聞いていて、「これ何ていう曲?、何ていうグループ?」と興味をもったようです。今の若者にしては斬新に聞こえたのかもしれません。歌詞が聞き取れないような歌は、はじめから歌詞なしにしてバンドだけで演奏すればいいわけです。
いまの若い人が歌っている曲はほとんど早テンポで、歌詞は「詩」ではありません。ただの話言葉です。
「歌言葉」と呼んだほうがいいかもしれません。感情をダイレクトに表現して「好き」、「愛」、「一緒にいたい」と歌っているだけです。今の若い連中には語彙力、国語力がありませんから、感情の機微、せつなさ、感情を殺して接しなければいけない苦しさなど表現できません。歌は言葉の延長にすぎないんです。日本語すら知らないし、理解できないのです。彼らに、歌詞で感動させるような曲がつくれるはずもありません。我々が若い時のフォークソングのほうがはるかにレベルが高かったような気がします。それでも当時は、Gパンはいて髪を長くした連中が歌う歌として、当時の年配者にはあまり良く思われていませんでした。私はたまに70年代のフォークを聞きますが、今聞くと実にいい。歌詞も曲も。歌詞が詩、ポエムなんですね。これを大学生の息子が聞いていて、「これ何ていう曲?、何ていうグループ?」と興味をもったようです。今の若者にしては斬新に聞こえたのかもしれません。歌詞が聞き取れないような歌は、はじめから歌詞なしにしてバンドだけで演奏すればいいわけです。
令和時代の歌
平成は歌詞よりもメロディーが重視されたせいか、歌詞の内容がとても希薄になったと感じます。耳障りのいい言葉、メロディーにはまる言葉が優先され、歌詞に情景や物語要素がなくなってしまったのでしょうか。最近に至っては、言いたいことを言わずにいられないのか、歌詞が長々と説明調になったり、やたら難しい言葉や造語を並べておきながら、中身は空っぽといった印象を受けます。本来なら誰でも分かるシンプルな言葉の中に深い意味を感じ取るのが歌の醍醐味ではないかと思います。令和時代を迎えて、昭和歌謡・フォーク、唱歌の良さが見直され、新しい時代は言葉を大切にした名曲がたくさん生み出されることを願っています。
Re: 令和時代の歌
> 遅ればせながら、コメントありがとうございます。
私もまったく同感です。昭和歌謡・フォーク、唱歌はもちろんのこと、ロックでも激しい曲調のなかにも我々を感動させるものがありました。そこに共通しているのは言葉、歌詞の美しさだと思います。言葉を大事にする、それは言葉の使い方、意味をただしく理解して発音することではないでしょうか。日本語の字幕スーパーが出ないと、何を言っているのかわからない歌や、早口言葉をいっているのかと思うほどの歌、ガーガーとがなり立てるだけの歌、これらは別に歌詞がなくてもいい。ただの曲であって、歌ではない。もっと言葉を大事にした歌が恋しいものです。令和、この美しい響きが、言葉の美しさを取り戻してほしいものです。
私もまったく同感です。昭和歌謡・フォーク、唱歌はもちろんのこと、ロックでも激しい曲調のなかにも我々を感動させるものがありました。そこに共通しているのは言葉、歌詞の美しさだと思います。言葉を大事にする、それは言葉の使い方、意味をただしく理解して発音することではないでしょうか。日本語の字幕スーパーが出ないと、何を言っているのかわからない歌や、早口言葉をいっているのかと思うほどの歌、ガーガーとがなり立てるだけの歌、これらは別に歌詞がなくてもいい。ただの曲であって、歌ではない。もっと言葉を大事にした歌が恋しいものです。令和、この美しい響きが、言葉の美しさを取り戻してほしいものです。
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最近の歌手の傾向として自分なりに2つ挙げられます。
初めに、「歌詞の表現が仰々しすぎる」ことです。
深い意味が込められていることは分かりますが、リアリティに欠けることもしばしば。たとえ大袈裟な表現をしなくとも、聴く人が共感できるような歌詞こそ心を打つものだと思います。
次に、「歌手=タレントの風潮が強まっている」こと。
歌手の外見やタレント性によってその歌手が注目されることはよく見受けられます。それが原因で、{さて本職の「歌」はどうでしょうか?}という歌手も少なからずいると思います。
歌で人を惹き付けたいなら歌に全力を注ぐべきだと思います。
以上、若者なりの意見でした。