憲法の規定に基づいて野党が求めた臨時国会について、安倍政権は10月以降に召集する方向で調整しているという。新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからず、政府の対応が厳しく問われている今、これでは説明責任の放棄に等しいのではないか。
憲法53条は、衆参いずれかで総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は臨時国会の召集を決定しなければならない、と定めている。6月の那覇地裁の判決は、内閣には「合理的期間内」に召集する法的義務があり、裁量の幅は「限定的」だと指摘した。2カ月以上もの放置が許されていいわけがない。
早期召集に応じない理由として、自民党の森山裕国会対策委員長は、国会に直ちに付託すべき法案がないことをあげる。しかし、政府提出法案を審議するだけが国会の役割ではない。
政府は先の通常国会で、総額10兆円という異例の規模の予備費を計上したコロナ対策の第2次補正予算を成立させた。財政民主主義の理念に照らせば、その執行を政府に白紙委任するのではなく、不断に国会がチェックすべきだ。
コロナ対策の特別措置法に対し、知事らから、さまざまな疑問や批判の声が上がっている。課題を整理し、改正が必要なら提起するのも、国会の責務だろう。そもそも法案がないというのは、政府提出法案しか眼中にない言い分だ。野党による議員提出法案の多くは、審議もされずにたなざらしにされている。そのなかには、コロナ対策の対案も含まれる。
結局のところ、臨時国会に後ろ向きなのは、安倍首相が矢面に立ちたくないということに尽きるのではないか。国会での説明責任を軽んじ、論戦の回避に腐心してきた、政権のこれまでの振る舞いをみれば、そう判断せざるをえない。
首相は6日、広島で1カ月半ぶりとなる記者会見を開いた。ただ、原爆忌の式典に出席した際の恒例のもので、予定された4問と追加の1問に答えただけで、15分で席を立った。その後、訪れた長崎では、2問しか受け付けなかった。
「顔がみえない」という批判を意識してか、コロナ対応については長広舌をふるったが、政府の立場の一方的な表明にとどまり、国民の不安や疑問に丁寧に答えようという姿勢からはほど遠かった。
首相自ら「100年に1度の国難」との認識を示したコロナ禍である。行政の最高責任者の覚悟をもって、率先して国民に向き合う時ではないか。そのためにも、まず速やかに臨時国会の召集に応じるべきだ。
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