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自死遺族による自死遺族のための・・・・それが全国自死遺族連絡会

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 私の活動団体名は「全国自死遺族連絡会」
自死の予防を専門とする団体ではない

自死遺族の支援(という言葉は嫌いですが)を目的としている

自死遺族が元気で生きていくような活動

 自死を予防するための団体は
全国にたくさんある

  自死遺族の総合支援の構築を目指している

  しかし
   家族が亡くなったわけではないが
    様々な問題を抱えた 遺族ではない人からの相談も多い

そのために
 みやぎの萩ネットワークなどの団体も立ち上げている
  が
  その多くの窓口が 私になっていることも多い

 精神薬の問題を抱えている人からの
相談も多い
  年間 60人以上は精神薬の相談
     一人一人に応じた 医師やカウンセラー・社会福祉士・弁護士等々を紹介する

院長に直接電話して
  転院等に応じてもらうこともある

   生活保護の申請に同行することもある
いじめや不登校などの相談も
  2人で出向くこともある

   傾聴だけの活動ではない

 具体的な解決を目的とする支援活動

 代理人も多く務めている
   もちろん  すべて無報酬 自前が多い

1年間に1万1000件は超える相談
 今日も・・・・・・・
     
 自死遺族の相談を主とする団体
    なのだから
  自死遺族の相談だけでいいと思っている

  でも 頼まれると断れず
      相談に応ずることが多いが
         肝心の自死遺族の相談が疎かになることがあり
本末転倒になってしまい反省することも多い

 自死遺族を専門として総合支援をしてくれる団体はほとんどない

しかし
   遺族も含めて 一般の人たちの相談に乗ってくれる機関は
    全国津々浦々にある
  自死遺族の会に
   自死遺族以外の人たちが相談をするのは
なぜでしょうか
 自死遺族の団体ですから・・・・
  自死遺族がつながるのはわかるけど
    
自死遺族以外の人が助けてくださいとつながるのは どうしてでしょうか
その多くは
 他の機関にたらいまわしにされた人や
   悪化していった人
 誰もどこも 相手にしてくれなかった人
   傾聴だけでは解決できない人
 具体的支援を求めて 自死遺族の団体に助けを求める

しかし
 自死遺族にとっての数少ない総合支援の相談団体に
    自死遺族以外の相談者が殺到する傾向は違う気がする
   様々な相談機関が
  多数あるのに・・・なぜ わざわざ 自死遺族の会に助けを求めるのか・・・

   それは
     なかなか 本気で 真剣に 相談に応じてくれる機関がないからではないでしょうか
人を批判するのは
 簡単 無責任
特に 自分は何もせず 批判だけをするのは ありえない


遺族になる前に相談を受けるべきだろう・・・
という批判もあるが
   遺族になる前に相談する団体や機関は数多く存在する
1年に一人でもいい
  本気で一人の命を救うために動いてみてください
   そんな人が増えたら
     自死遺族の私に  自死遺族ではない人からの相談が
      一年に 数百件とこないはず

自死遺族の団体に 相談しなければならないほど
    追いつめられる前に
解決してくれる 相談機関や人が
     増える事を願っています

    
  遺族の代理人を今現在
    4か所
 遺族ではないが
  不登校になり転校した子供の保護者の代理人を1か所

相手は教育委員会 

 活動をやればやるほど
  批判も多くなる 妬み嫉み 誹謗中傷
     サイトでの暴言が問題になっているのに
 人をけなし
  人を蔑み
 人をののしる

そんな人たちは 次々に出てくる

  やさしくない人たち

心が貧しい人たちが増えているのだろう

   暴言を吐き
      蔑み  楽しい人

   誹謗中傷のコメントは即削除をしています
    

私の活動は
  自死遺族が元気に生きていくため

自死遺族の自助グループの団体です

  悲しいご縁の団体です

  自死遺族以外の人たちは
 自死遺族の私ではなく

専門的知識のある
   やさしく親身になって相談に乗ってくれる団体や人に相談してください

精神薬の相談団体もあります
   いじめの専門団体も機関もあります

債務整理の専門団体や機関もあり
再チャレンジを目標とする企業再生の団体もあります

恋愛の専門の団体や
  介護の相談機関もあります

傾聴だけの相談機関も数多くあります

 サロンなども 数えきれないほど  多くあります

労働問題の専門団体も機関も
 
  自死遺族による自死遺族のための・・・
それが 全国自死遺族連絡会です

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使い捨ての秘書になれない煩悩だらけの私


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自死遺族の個人情報が一元集約される
これまでの警察庁から厚労省という流れではなく
警察庁から民間団体に集約される
指定法人とはいえ
 あくまでも 単なる一般社団法人
公益法人ではない
 独立行政法人 公益法人 公益財団法人などなど
  いろんな法人があるが
 昨日登録したばかりの一般社団法人が
    指定されて
  何十億という税金を使い
   自死の対策を決めて 地方自治体を指導し
     研究は募集をし
   モデル対策も募集し
 自分たちは 研修の講師や 指導だけして
   給料をもらう
下請けのように 下々の民間団体等に事業をさせて
報告は自分たちが受け取り
   いかにも 自分たちが研究し、具体的対策をしているかのように
      講師だけ務める
  専門家と名乗る
自死対策の・・・・

民間団体だから 入れ替えは自由
 個人情報保護法違反も 公務員のように罰せられない

 何回か このブログでも書いてきたが
   ほとんどの人は 
他人事だと思っていることでしょう・・・ね

そうですよね
 今、遺族の人ではなく
これから遺族になった人が ターゲットですから

 自分ごとのように 不安を感じていないのでしょう
   それが普通です

 でも 少しでも止めないと やりたい放題
  自死遺族の個人情報が 永遠に流れ放題になっていくことは目に見えている
罪人でも個人情報は守られる
 自死遺族は罪人以下である

 どうしたら 危機感は伝えられるのか
    ずっと考えている
  新聞にも投稿し掲載された
世間の  反応は鈍い

 今自死遺族である人の情報ではなく
今後自死遺族になった人たちの個人情報の事だから
 関心がないのかもしれない

全国自死遺族連絡会は分かち合いの団体ではない
   
 分かち合いを目的とする会は必要で
   たくさんあればいいと思う


 せめて 代表だけでも
    総合支援としての目線を持ってほしいと思ってきた

  悲しい気持ちだけではない
 様々な問題に関心を寄せ
   具体的解決の連携先を知り つないでほしいと思ってきた

    第三者調査委員会の設置の権利
  労災申請とは・・・
賃貸借の賠償金の問題
  債務整理 相続
  保険 鉄道問題
  医療過誤
  などなど
悲しみと精神薬の問題

冊子にしてあり、ダウンロードもできるが
   もっと 詳しく 掲載したいと思っている
冊子も作成したい
   手元に置くだけで いざという時に役に立つように

 様々な相談を想定して・・・・
また 聞き出すための 心得も

    72歳になろうとしている 私の時間は少ない

 限られた時間の中で
 どれくらいできるだろうか

時間を有効に使わないと
   目標に達しない
しかし
 あちらこちらから
足を引っ張られ
  なかなか思うように できない

  一人ひとり大切にと思うが
   大切にという思いが 伝わらない時も多い
雑になることもあるから
   伝わらない事が多いのも 私の責任

常に謝り
常に感謝し
常に反省し
 ・・・
一人一人の使い捨ての秘書であれ・・・とは思うが
   凡人の私は徹しきれない

やらなければならない事が たくさんありすぎて
  焦りが・・・・
時間が欲しい


夜中の2時のひとりごと

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遺族ではない人たちの相談も受けてきたが、
 心が持たない 身体も持たない
命の消耗が激しい

  この時間までメールのやり取りが続く
  電話で話したほうがいいのだが
    あちら側が
電話は疲れるという事で メールがほとんど
しかし 代理人がメールだけでは務まらない
しかも 本人ではなく
  本人の代理の代理が 代理人の私を通して
   事務局に伝えるように依頼される
    メールでは伝わらないことも多い
行き違いも多い
 時間もかかる
 8時からのやり取りで 今もうすぐ2時  6時間経過

 疲れがピークで 眠れない

代理人を辞退したいが 知り合いの先生たちを委員として依頼したのが私なので
   途中でやめられない
遺族の代理人も務めているが
   常識ある行動や言動なので
   夜中まで メールでやり取りすることはない
 夜中の3時とかにメールが届くこともない

しかし この人は
   何時でもおかまいなし

この人が特別なのかもしれないが
   疲れる

遺族ではない人の代理人は 今回で終わりにするつもり
 
 他の活動にも支障がでている

本末転倒
      
愚痴りたい気分の夜中の2時


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9月のカンファレンス開催に向けて

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昨日は、7時台の新幹線で東京
  丸の内南口で待ち合わせ
東京ステーションホテルのラウンジで3人でお茶しながら
  話し合い
その後 専修大学神保町キャンパスに行き
  教授と待ち合わせ
   事務局と3人で9月の会場予定の新館を見学
     打ち合わせ
 2時過ぎの新幹線で帰宅
  6時からの 寺岡小学校の調査委員会一部公開に
 遺族とともに代理人として傍聴
  帰宅は10時過ぎ

先週は ハードなスケジュールだった

15日提出予定の
パンフレットの編集が遅れていて
    今日は完成させなければ 印刷が遅れてしまう

9月のカンファレンス開催を危ぶむ人も多い
  が
大学と厚労省の指導に従おうと思っている
コロナ対策は万全に・・・・・・・と
  いう思いは 誰にもある
もちろん
 私にもある
大学側はもっとある

シンポジウムもフォーラムもセミナーも
   人数の制限はしたことがないが
今回は制限する
 体温もはかり
    密にならないように 座る場所も決める(大学の指導)
 マスクも着用

消毒液を含めて 消毒用品はそろえる

私が主催をする集いは
  ほぼ 中止にせずに開催している
会場を貸す側から
   貸すことができないといわれた会だけ中止にしてきた

正しく怖がることが大切だと思っている

 国や地方自治体などは
    おおざっぱな決め方をする それは仕方がない
 でも
 生活をしている人は
   暮らしのための買い物にも出かける
    美容院も行く
銀行にも行く
仏壇がある私は  お花も定期的に買いに行く
 出かけないで 引きこもって毎日は過ごせない

日本は
  コロナ感染者を白い目で見ている気がする
  インフルエンザでの死亡はコロナの死亡よりもはるかに高いのに・・
 
自死者も1か月で1500人以上なのに・・話題にもならない
  
  最初に感染した人の家族が村八分にされた地域さえある
    東京にいる子供に  休みでも実家に来るな!という親たち
 親を心配して
   戻らない子供たち
いつまで  そんな生活をつづけるのかな~

日本だけで10万人死ぬとか
  いってる人もいるが

自死者も実質毎年10万人はいる
  でも 話題にはならない

9月のカンファレンスが
開催になるように  と 
  願い祈っている

お兄ちゃん  よろしくね
(またかよ・・・と 苦笑いする顔が浮かびます)250px-Trigonotis_guilielmii_2.jpg

価値観

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 我が家は浄土宗
  「南無阿弥陀仏」と唱える
  わが名を呼べば すべてのものを
  西方極楽浄土に蓮の台に往生させます
      という教え
 南無→帰依する→委ねる
  法然上人の教え
 
宗派によって
浄土はたくさんある
   が  浄土宗は西方極楽浄土という

成仏するのではなく
 往生するという考えが仏教

浄土に往生する
   
 本名で活動をしていると
  いろんな事がある

悪魔のようなオーラを出す人もいる
   吐き気がする言葉を羅列する人もいる

でも
野田先生や平山先生の手紙は
   ぬくもりにあふれている
  愛が言葉にある

記者でも 文章があったかいひとがいる
 
 遺族も あたたかい文章を書く人もいる
    話すときも  ・・・・・・・・

 つらいとき
   悲しいとき  しんどい時
いつも
息子に語り掛ける
   そして
  お経を唱える 無心に・・・

  病的な人たちは  大勢いて
     攻撃する

  息子もつらかったんだろうなぁ‥と思う
  やさしい分 我慢する分
    しんどかったと思う

私は
やさしくないし 我慢しない性格だから
 生きている

 9月のカンファレンスに 参加しますという連絡を
遺族からもらい
   活動していて よかったと思っている
 
価値観の似ている人たちがいてくれたらいい
  遺族も他者も
     この自死の問題に 同じ思いを寄せてくれている人たちが
大勢いることを実感している

 ずっと  長く 変わらず  続くご縁もある
  一年に一度 
価値観が近い人たちと会えることを
支えに 活動をしている

  家族を愛しているから
  今も変わらずthCLO6SNK8.jpg
亡き息子も家族

亡き人に手を合わせる暮らし

130420_イワナシの花[1]

息子を思う
 今も 愛している
 一人っ子ではないので 次男がいる
 45歳
 同居
長男が逝き、活動を始めた頃
 「子供を殺す親もいるよね、親が全員子供を愛しているわけじゃない」と
言われたことがある。
 その人は親を亡くした遺児

そんなことを言い出したら
不毛な討論になるだけ

親を殺す子供もいるよね  と・・・

親の離婚で
 引き取り手のない生まれて間もない私を
   養父母は
養子縁組をして 戸籍上実子と同じ立場にある子供として
   育ててくれた両親

全くの他人
 ここの家は おばあちゃんも子供を亡くし
    養母も子供を亡くしていた
 仏壇には 子供の位牌が並んでいた

お寺には地蔵堂も寄贈し、亡くなった子供の身代わり地蔵も
あり
 夏は浴衣 冬は二重の着物
   大きな農家で
   忙しい中 朝と晩は必ず全員でお祈りをしていた

外から帰ったら
まず 仏間に行き 先に亡くなった人たちに手を合わせ
 そこから 居間だった
結婚してからも
 子供ができてからも
 実家に行ったときは
行きも帰りもまずは 仏壇に・・・と
   子供たちも習慣となっていた
夫の実家に行っても親戚に行っても
 仏壇のあるお宅は 必ず仏壇に・・・というふうに
  生きてきた
息子が逝き
 仏壇が狭いマンションの部屋にある
亡くなってから
半年は 朝から晩まで 灯明を灯し線香を常に焚き
 お経を唱えていた

今 14年と8か月
  毎朝や何かを供える時だけろうそくを灯し線香を焚く
 お経も朝だけ

活動は多岐にわたるが
   グリーフケアという事への疑問を形にして発信する事
  自死への差別と偏見の問題の解決
  わかちあいの開催
自死の予防と防止
   遺族への元気で生きてほしいという願い
 
活動の批判は 受けようと思っている
 が
息子への私の思いを  批判されることは許せない
   というより
個人的な愛や悲しみに
 他者が口をはさむことは  非常識

だから  自死遺族はダメなんだよね・・・
  だから 自死がおきるんだよね  そんな考えだから
と 言われたくない

自殺対策基本法が制定され
  自殺総合対策大綱ができ
実行されてきて14年

当時の自死遺族の対する国も含めた支援者たちの考えは
   無知で貧困で低階層の人たち
  時には暴れたり 非常識な事をする人たち

だから 自死遺族支援の窓口の多くは
精神保健福祉センター
 障害班とかが多い

支援研修の内容も
 精神病院の閉鎖病棟の患者に対する対応と
同じ内容が多かった

 金の無心をされることもあるから
 そんなときの断り方

 言い争いになり 暴れた時の抑え方

 遺族同士の連絡は禁ずること

 などなど

そして
 地域の町内会長や
 民生委員。交番などが 自死遺族の見守りを行うために
   という
内容まであった

グリーフケアの考え方を応用し
  悲しみの消えない人は 半年・一年を期間として
    精神科につなぐこと・・・

遺族の集いを開催するには
 特別な研修を受けて訓練された人がファシリテーターをすること
など

今頃
 自死遺族になった途端に
 ご近所に知れ渡り
保健師がきたり 民生委員が訪問したり
   行われていたと思う

行政が決めたことは  最低でも3年は行う
  決定される前に
理由を述べて、反対し、反論し
 変えてきたつもりだが

  あまりにも  力が大きく
 どうにもできない事も多い
歯がゆく思う

 やさしい心の人たちが  笑顔で生きていける社会

   そんな日が来ることを願い
   信じて
息子への懺悔の活動をこれからも
 続けていこう…と思う

今夜は『みやぎの萩ネットワーク』の例会
明日は
 朝早くから東京 日帰り

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人は様々、それぞれ、ひどい人もいるが素晴らしい人もいる


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我が家はマンション
  仏間がないので
60歳になったら 機織機を置こうと思っていた居間と続きの部屋に
  仏壇を置き
   活動に関する本や手紙
      資料がある  パソコン机も・・・
息子の写真は あっちこっちに飾り
   息子とともにいきている

事務所は県庁近くにあり、
  そこにもパソコンや本や資料がある
     その事務所で 藍色のこころサロン  遺族の茶話会をしている
  いろんな面談相談も・・・・
     無料でいろんな人たちに使ってもらっている
  息子が逝き15年目
   活動してから14年すぎた
ある遺族から  
労災申請が認められたと報告があった
   4年・・・
よかった・・・・・
初めて電話をもらった日を今でも覚えている
  静岡市内のお寺の玄関前
      ご挨拶に行く前だった
夕方・・・・
    亡き人は帰らないけど
        嫁さんもお子さんたちも  ご両親も
    愛する人のために 頑張った
        そう思う
 北海道でも
   闘っている人がいる
   東京の弁護士が担当
      厳しい闘いを 必死で両親やきょうだいがしている

  いじめや体罰で 亡くなった子のために
      調査委員会の設置を求め
         参考資料の提出や聞き取りなど
    懸命に 頑張っている人たちがいる

また  息子のために 労災申請をする準備をしているお父さんもいる

  どこにも ぶつける相手が見つからず
      やり場のない 悲しみを抱えてじっと している人もいる

  闘いたくても 家族の賛同が得られず
    できない人たちもいる
裁判して 勝った人もいれば  負けた人もいる
  負けても 
   亡き人は見ていてくれる
   自分のために
  頑張ってくれている姿を



遺族もそれぞれ 様々

   貧しい人もいれば   超金持ちもいる

知識のある人もいるが
  そうでもない人もいる

 昨日の研究会は
    心を許せる人たちばかり
      自死の問題に心を寄せてくれている
  本来は出会う事のない人たち
   息子からの縁
 大切にと思っている

またたくさんの遺族とのつながりも
 悲しいご縁だからこそ
 大切にと思っている

 すばらしいお人柄の人たちがいる
   心が清められる

   ひどい人たちも いるからこそ
心のあたたかい人たちとの
   縁はありがたい

 無報酬で
   いろんな相談に応じてくれる専門家もいる
その一人が
「自死遺族が直面している法律問題の解決を図る過程で
  自死遺族の置かれた状況や葛藤をするばかりでなく、
個人が抱えていた問題や、死に至るまでの生活歴などについても知ることになります。
個人や遺族の苦悩について知ることは
 一人の人間として、他者の苦悩に共感することでもあります。
そして、そうした知識、共感は、私たちが専門家として
 遺族が抱える法的問題を解決していくうえで、とても大切な事ではないでしょうか」
   と
分科会のアピール文の中に書いている

 心から
   遺族のために 少しでも
      解決しようと 考えてくれている人たちがいる

上智大学の岡先生もその一人
今年も講演してもらうことになっている

カンファレンスの参加申し込みも
   届いていて
 新型コロナ感染の拡大が心配されるが
   開催の準備は 進めている
心待ちにしてくれている人が
  たくさんいることに
   力をもらっている

ありがたいことです

   明日は みやぎの萩ネットワークの公開セミナー
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     あ!
 また「非通知」の電話が携帯に・・・
   携帯も固定電話も
「非通知」は応じないことにしている

 
 

自死遺族等権利保護研究会

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昨日は東京で「自死遺族等権利保護研究会」
 日帰り
司法書士2名・弁護士2名・マスコミ記者1名・遺族2名
  これまで使用していた会議室がなくなったので
    初めての会議室だったが
      コロナの影響もあるのか  静かだった
  行きつけの香港料理のお店も今週で閉める・・・という事だった
(別な場所で開店したら教えてもらうことにした)
新幹線も
   1割?の乗車率
 帰りは私の乗った車両は2人だけ

  部屋からでて 別なところで自死
    それなのに 部屋代の賠償金 家賃の2年分
      を請求されている遺族の相談を 話し合い
10年くらい前
 頻繁にこの内容に近い相談があった
   当時担当した弁護士に担当してもらう事にした

  部屋で亡くなっていないのに
  事故物件として扱われ
    賠償金の請求がくることへの 疑問


救急搬送され亡くなったのは病院でも
   部屋を事故物件として
賠償金の請求がくることもある

周囲の人や大家への慰謝料の請求もある

   部屋に対する瑕疵担保責任を問えないはずなのに
     まだまだ
         自死への偏見による 不動産賃貸借の問題は多くある


「心理的瑕疵」を認めるべきではない
    として活動をしてきた

「自死遺族が直面する法律問題」という手引きに
詳しく掲載されている

全国自死遺族連絡会のホームページから
ダウンロードできる
 また   
9月のカンファレンスの分科会の内容について
      議論
 いじめ自死の問題
不動産賃貸借問題
労働問題
 鉄道自死の問題
生命保険の問題
医療過誤の問題
メディア・インターネット
相続問題
など

土曜日は 大学に行って打ち合わせ
   その前に
 東京駅で行政職の人と記者と3人で
     話し合い
 朝早くの家をでる


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  息子の結婚式の写真


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今日 自死遺族等権利保護研究会

りんどう

今日は東京に行く。
 自死遺族等権利保護研究会

いつものルノアールの会議室のあるビルが 建て替えのため閉館
  東京駅前の少し高めの会議室での開催

zoomでの会議が 多かったので、リアルに会議は久しぶり
   仲間の弁護士や司法書士、記者・遺族たちとの会合は
      厳しい難しい話題が多いけど
         ぬくもりを感じることができて
     活動への意欲がわく

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私の活動を批判する遺族もいるが
  全員に好かれようとは思っていない

遺族も様々ですから

  しかし
 賛同・共感してくれる遺族も大勢いる

   もちろん
 協力してくれる遺族以外の  いろんな専門家や市民もいる

   土曜日は 大学側との打ち合わせに
   また東京に行く

 ここの大学の教授も  本当に心ある人
   10年の付き合い

上智大の岡教授も長いお付き合い

   遺族も「藍の会」2006年からの付き合いの人もいる
    変わらず
       ・・・・・・・・ずっと
  お坊さんや牧師さん
     神父さんも 長いお付き合いの人たちがいる

  行政の人たちも  移動してもお付き合いがある人もいる

  大局を見据えて 活動をしてくれ 支えてくれる人たち
    感謝しかない

冬の画像

 自死や自死遺族等への差別と偏見をなくするため
   支えてくれている
  様々な人たち

 71歳の 私は 残りの日々がどれぅらいあるかわからないが
   息子が迎えに来るその時まで

私の活動を 必要としてくれている
   人たちのためにも
また 私自身のためにも
    活動は続けていくつもり

  私がつぶれて
   活動ができなくなることを 望んでいる人たちがいるが

   息子への愛は  
  誰にも つぶされることはない

活動は息子への愛だから

9月11日・12日

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今年は
2日間をかけて カンファレンスを開催する
 神保町にある専修大学の新館での開催

新型コロナウイルス感染の拡大に伴う
 様々な対策を講じての開催となる

人数の制限・マスクの着用・消毒など
  飲み物への配慮も・・・

シドニーのカンファレンスに参加してから
   企画し 相談し
   準備してきた
 
遠くのいる遺族から 参加の申し込みが複数届いている
  ありがたいことです
 
自死という事で 
  息をひそめて生きている人が多いと思いますが
   私のように
     声をあげて 活動をする遺族もいる
遺族も様々

  人はそれぞれ

  パワハラを訴えたり
いじめの調査を求めたり
   労災申請をしたり
       与えられている権利は行使したほうがいい

  泣き寝入りすることはない

  知らずに 時効になることもある

    手続き等 専門家に相談することも必要

支援者もいろいろ
   心ある人たちもいる
 
 最近 講演を頼まれることが少なくなっていたのですが
   今年は 仙台市の民生委員の講師に招いてもらっている
      ありがたい事です

昨日、40代の人から電話相談を受けた
  一人で考えていると
   出口が見えなくなる
話すことで整理ができていく
 彼の幸せを願いながら 電話を終えた

  活動の一つ

人はつながり 離れていく
  離れて・・・またつながることもある

ずっとつながっている人もいる

   今年のカンファレンスは 行政も含めて
   いろんな団体が 参加協力してくれる

  人と人とのつながりがあっての 開催
 
精いっぱい 心を籠めて 準備し
  参加してくださる皆さんとお会いできますこと
     心よりお待ちしております。

人のやさしさを信じ
  思いやりに感謝して
hasunohana411[1]

カンファレンス

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(厚生労働省自殺防止対策事業採択)
日本・ポストベンション・カンファレンス
(Postvention conference)
開 催 要 項

1 目 的
  今日、複雑・多様化する社会構造の中で、社会を担うかけがえのない多くの“いのち”が自死により喪われている現状がある。そして、日本ではこのことが依然として多い国になっている。自死が家族、友人、知人、関係者に与える影響は大きく、その悲しみは言葉では言い尽くすことができない大きな悲しみである。特に遺族に与える影響は計り知れない。しかし、遺族は偏見からそのことを他に語ることも難しく、一人で抱え込みながら生きているのが実状である。このような状況から、国は、自死は単純に個人の問題ではなく社会全体の問題として捉え、平成18年に自殺防止対策基本法を制定し、その防止に力を入れている。また、自殺防止対策を進める上で、民間団体が重要な役割を果たしていることに鑑み、厚生労働省を中心にその支援を行っている。本カンファレンスは、厚生労働省自殺防止対策事業の採択を受け、ポストベンション(事後対応)として、法的支援等専門家のご指導いただきながら、また、海外の支援団体等からも現状やご意見を拝聴しながら、自死防止について考え、自死遺族の総合的支援を行うことを目的として開催するものである。
※ 自死という表現はかなり定着してきていますが、公文書等自殺という表現となっておりますので、この表現について混在していることご了承下さい。

2 期 日 2020年9月11日(金)~12日(土)
3 場 所 専修大学(神保町)新館・10号館 9階・10階
4 主 催 一般社団法人 全国自死遺族連絡会
5 共 催 一般社団法人自殺予防と自死遺族支援・調査研究研修センター
      自死遺族等権利保護研究会
6 協 賛(予定) 
日本いのちの電話連盟
日本司法書士会連合会
日本社会福祉士会
     自死・自殺に向き合う僧侶の会 
国際ビフレンダーズ大阪自殺予防センター
全国精神保健福祉連絡協議会
全国過労死を考える家族の会
新聞各社等
7 テーマ「 喪われた“いのち”から学ぶ 」
8 開催時間:10時~16時40分
9 参 加 者 約(    )名
10 スタッフ:20人
11 日 程
【第1日目】 9月11日(金) 10時~12時30分
開 会
全 体 会(200人規模)
(1)主催者あいさつ 
(2)来賓あいさつ
        岡 英範 厚生労働省大臣官房参事官(自殺対策担当)
基調講演 
演 題「憲法から見たいじめ自死」
首都大学教授・憲法学者 木村草太 氏
海外事情について
韓国 呉 恩恵氏
台湾(いのちの電話・遺族)
オーストラリア(自死遺族の支援者)・自死遺族1名
****************************
12時30分~13時30分(休憩)
****************************
13時30分~15時00分 
第1回 分 科 会
第1分科会(200人教室):会場9階
自殺予防と自死遺族支援・調査研究研修センター(CSPSS)
第2分科会( 72人教室):会場10階
「行政における自殺対策のこれから~地域精神保健活動との連 動を糸口に」
第3分科会( 72人教室):会場10階
自死・自殺に向き合う僧侶の会 (自死遺族の集い)
*****************************
15時10分~16時40分
第2回 分 科 会
第1分科会(200人教室):会場9階
自殺予防と自死遺族支援・調査研究研修センター(CSPSS)
第2分科会( 72人教室):会場10階
国際ビフレンダーズ大阪自殺予防センター・土曜の集い
第3分科会( 72人教室):会場10階
いのちの電話主催の自死遺族の会


*****************************
【第2日目】 9月12日(土) 10時~12時
第3回 分 科 会
第1分科会(200人教室)会場:9階
自死遺族等権利保護研究会(民法学者・弁護士・司法書士
・精神科医・ジャーナリスト・自死遺族)
第2分科会( 72人教室)会場:10階
ナインの会(キリスト教信徒だけの自死遺族の会。
東京・大阪・名古屋・札幌でサテライト開催)
第3分科会( 72人教室)会場:10階
あんじゅ(自死で子供を喪った親の自助・他助グループ)
******************
12時~13時30分(休憩)
******************

 第13回 全国自死遺族フォーラム (200人教室)会場:9階
13時30分~15時30分
第1部
基調講演
演 題 「          」
     上智大学教授・自助グループ研究者 岡 知 史 氏
      「自死遺族の悲しみと社会的活動」(予定)
遺族の声 2名
******************
15時30分~15時45分(休憩)
******************
15時45分~
第2部
セレモニー            ※メッセージカード配布
・亡き人たちの写真映像    ※ライアー生演奏
(文字、画像)
・亡き人の思い出(遺族朗読1分)20人程度
・メッセージカード奉納

 閉 会
   主催者あいさつ

16時30分終了

かわいそうとしかいえない(傲慢ですが)

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他者を「かわいそう」というのは
 蔑むことになり  嫌な言葉でしたが

 またコメントを書いてきた 夫を自死で亡くした人は
 ほんとうに かわいそう

このブログは
 私田中幸子のひとりごと
   私は夫を亡くしてはいない
だから
夫を亡くした妻の気持ちをここには書かない
   それは
  私の気持ち ではないから

 私は子供を亡くしている
 だから
  子供を亡くした母としての 私の気持ちを書いている
   他者のブログではなく
  私のブログだから

   母としての気持ち
また  15万件の遺族の相談を受けたり
   分かち合いで  大勢の遺族の話を聞き
また
 研究者  宗教者
 医師  法律の専門家
   などの話も聞き

   自分の子供を亡くした気持ちから
    感じた事をかいている

私の気持ちを
   夫を亡くした人から
 否定されたくない

   親からの視点でしかみないのはやめてください
 って
   ・・・・・・・・ずいぶんと勝手な人
そういう自分は
 夫を亡くして
   死んだ人を恨んで
     憎くてたまらない妻の視点でしか見ていないことに気が付いていない

   あわれで かわいそう な ひと

   自分の感情に溺れてしまって
     苦しいのかな・・・・
   他人への攻撃で
      自己満足をし  心の安定をしようとしている

 宗教者でもないのに
    仏教では地獄行きます と断言するなんて
     
何様なのか・・・

自己反省をあの世でさせられているようです
なんて・・・ことも
    無知すぎて  笑っちゃいます

 パワハラだなんとか
  いじめだとか
 逃げればよいだけとか・・・・
    
   自分と同じでない遺族がいることが
    不満なのか
目障りなのか
    
   お兄ちゃんの遺影は
    相手にする必要ないよ 無視しなよ   と  苦笑いしている
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 私の息子は 私の自慢のやさしい子
    今でも母として 彼を愛しています
  
 夫も弟も 今でも健一を愛し
   大切に思っています

亡くなった祖父母も彼を愛してくれた

 彼も 家族が大好きだった

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人の命を大切にする社会とは


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息子は一度の決意で逝ってしまった

  私は息子の死後 2度死のうと思ったことがある
でも
  死ねなかった
そんな自分が いやらしい人間だと心底思った

  一度で逝った息子に失礼だと思った

   死ねないなら 生きるしかない
生きるなら
 今までのような  いい加減な生き方はできない
  それが
       息子への罪滅ぼし

 自死で息子を失った私は
   自殺しようと思った
   何度も自殺未遂をしている
     という言葉が苦手

   でも…生きてるよね・・・と思うから

誰でも 思う事はある
  しにたい・・とか
死ぬほどつらい・・とか

思う事と  死んでしまう事は180度違う

 53回未遂をした・・という人がいた

  だから・・・と思ってしまった

 自分はつらくても苦しくても
  死ぬほどのことにも耐えて 生きている

自死した人は・・・・・「弱い」とでも言いたいのでしょうか
   生きている自分は 強く 我慢強く  立派だとでも言いたいのか

なんで 自殺しようと思ったことがあると
 人は自慢げにいうのか・・・わからない

 私は 息子が逝き
    「死ね」とか「死ぬ」とか
  死にたいとか 死んでやるとか
      そんな言葉は 安易にいう事ではないと思うようになった

  息子は警察官で
 自死の現場も見ていた
 交通事故で悲惨な死も見ていた
遺族の悲しみも 見ていた

幼いころから
  死への恐怖心が強い子だった

死ぬのは嫌だ!怖い!と言っていた

  死は怖かったに違いない
  その恐怖心を超える苦しみとは
どんなものだったのかと
   ずっと想像してきた

出口が見えなかったのだと思う

 あれもこれも  なにもかも
  人生に…生きることに 絶望したのだろう
と思う
   
  大丈夫・・・と 抱きしめていたらと思う

  大丈夫  いいんだよ  頑張らなくても
     休もう・・と
 ゆっくり休もう・・・と
    温泉や旅行でも連れ出して
      海外でも行けば・・・と

仕事なんて やめてもよかったのに

離婚も してもよかったのに

   地獄のような 最後だったのだろうと思う

 私も含めて 周りは
 彼の苦しみや絶望を わかってなかった

 寡黙な彼は  愚痴を言わなかった
いつも飲まない息子が
 酒を飲んで 雄弁になって愚痴っていたときは良かった

精神科医が  マニュアルどおりに  酒は飲んではダメですといい
まじめな息子は従った

愚痴を吐き出せなかった
 吐き出す手段を医師は奪った

  最低の医師

 精神科医ほど まともな医師が少ない診療科はない

 精神科医で 普通の診療ができる医師は
   宝くじの確立

  人の心を診る専門家なのに
     人の心どころか  人としての配慮さえない
  
 医師も弁護士も 
   行政職も  政治家も
教授も
  すべては 人
人間
  人柄
肩書が立派でも
人柄は伴わない

   どの世界も  人
      職業ではない

お坊さんも様々
   牧師さんも様々

遺族も様々

患者も様々
         たくさんの人の裏側を見てきた15年
国という仕組みも
  いい加減
    税金だって  無駄遣いばかり
正しく使われてはいない

 人を大切にしない 社会

 自死が減らないのは  やさしくない社会だから

    生きていたいと思う続けて
生きたいと頑張って
 力尽きた・・・
そんな人たちが
  日本という国は 圧倒的に多い国

 後進国でも先進国でも
  日本よりも自死の多い国はない

  
 少子化
   若者の自死が世界一
     若者がドンドン減っていく

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  ひとにやさしい社会とは・・・

考えてみませんか

信じる心とご縁

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わがこが誰かの生まれ変わりだという人がいる
   それを否定はしない


   2011年3月11日
東日本大震災で 亡くなった子だと決めて
  子供を亡くした親に伝えてほしい
といわれるのは
    正直に困る

 小学校の屋上で津波にさらわれて亡くなった小学1年生はいない
   と
私の記憶では思っている

  大川小学校なども 屋上ではない
他の小学生もなくなってはいるが
  小学校の屋上ではない

避難途中だったり
   自宅や祖父母の家に帰ってからだったり
 幼稚園は送迎バスだったり・・・

その子の発言は
  小学校の屋上で・・・・
自分の家が小学校から見えるところにある・・・・


そもそも 自分の家が屋上から見えるとしたら
   すぐそばに家があるか
 屋上が高いはず

 高い屋上なら 津波は逃れた

海岸のそばには小学校はない

    また  そのことを告げて  子供を亡くした親は喜ぶだろうか
   私には自信がない 傷つけないことに・・・・

 自分が産んだ子供が
 1か月前に亡くなった弟の生まれ変わりだという人もいる
 否定はしない

 わからない世界だから

   生まれかわる人と生まれかわらない人がいるのだろうか

その違いは何だろうか

  生まれかわったとしても
     前の記憶がないのだから  別の人
  別の親の遺伝子をもって生まれてきているのだから
   別の人
  別の子供

同じではない

    たましい が  誰かの 夫婦の卵子と精子でできた お腹の中に
      頭脳に入るのだろうか

わからない

 それは  魂の存在を信じるより  はるかに難しく理解できない
 
いつかの「法話の会」で
 お浄土の話をして頂いた時
遺族が
   極楽浄土で 会えると信じたいけど
  生まれかわっていたら
   会えないですよね・・・と 聞いたことがある

その宗派のお坊さんは
 極楽浄土に往生された人たちは
   娑婆世界に生まれかわることはありません

だから 必ず会えます・・と言われた

 どちらを信じるのか

何を信じるのかは
  その人自身のこころ

 縁があれば  娑婆世界のこの世で 会えるかもしれない
   極楽浄土を信じれば
       往生して会えるかもしれない

   縁は不思議なもの

 誰にも わからない

   縁があって 家族になったのだから
       それを大切に・・・
    また どこかで会えるのを信じて

それは 誰かに与えられるものではない・・とおもう

  縁だからhasu-2[1]




   

一社)自殺予防と自死遺族支援・調査研究研修センター

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一社)自殺予防と自死遺族支援・調査研究研修センター
   昨年から準備して  いろんな人たちと立ち上げた
ウエブサイトもある

まだ具体的な活動はしていないが
   心ある人たちと 一緒にお互いを認め合い 自死ゼロを目指していこうと思っている

一社)全国自死遺族連絡会は
   自死遺族の自助団体
     その中に自死遺族のための支援団体として法律の専門家と協働の
       自死遺族等権利保護研究会(自死遺族相談支援センター)がある

  東北いじめ総合支援センター
  藍の会 

つむぎの会

みやぎの萩ネットワーク

   遺族の茶話会  藍色のこころサロン

マロニエの会
    瑠璃の会
たんぽぽの会
   クローバーの会
 菜の花の会

法話の会・・・・

 いろんな会にかかわっている

元気に生きてほしいと願い
  活動をしている

息子を救えなかった 償いの生き方
  
  でも
煩悩満載の私は
   愚痴も言いたくなる

虚しく て  
  なにもかも  無駄のように思う事もある

 活動の原点は 息子の死に顔

こうして書いているだけで
涙があふれ 胸が締め付けられる

 だからこそ
     活動は続けられる

 国の委員も 県や市の委員も
   遺族の声を行政に 施策に届けるために
     引き受けている

国はある団体の意向が強く
  私を委員にしたくないのが 見え見えでわかる

国には
あの団体が委員なのに
 なぜ 全国自死遺族連絡会を委員にしないのか…と問いただしたり
   まさか 外さないですよね・・・と
電話をしたりして
 国の委員の座を確保してきた

 それは
 自死遺族の声を 施策に反映させたいからこそ

   亡き人たちの声なき声を届けたいからこそ

 肩書は嫌いだが
    行政は肩書がないと 認めない

  今年の
日本・ポストベンション・カンファレンスは
   3年前にいった シドニーでの経験から
    企画してきた会議
自助グループ活動を排他的な団体と揶揄した
   ある著名な団体への 
       反論でもある

 また 日本の自死遺族は社会活動には関心がないと結論づけた
    日本の自死遺族の研究者への 挑戦状でもある

色眼鏡で 遺族やその活動を見るのではなく
  事実を見てくださいと・・・・

都合のいいお涙頂戴の物語を勝手に作らないで
   日本の自死遺族の活動を
ありのままに 見てください・・・と


強いとよく言われるが
 強くはない

 息子を蔑まれたくないだけ

死なざるを得なかった 息子への
 差別や偏見は
  親の私が変えるしかない

という気持ちだけ

息子のためなら
   なんでもできる
 
今更 ‥と思うが

あの頃もできず
今もできないままでは
あまりにも息子に申し訳がない

 せめて せめて  
   失って気づいた 今
      自死という死の問題を
  伝えて
    変えていかなければ
       と思っているだけ

 息子とともに

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仲良くしなくていい・・・・いがみ合うのはやめませんか

ダウンロード

  自死遺族同士がいがみ合うのは かなしい
自死というのは 個人の問題ではない
  国家も認識して
   基本法を作り 大綱を策定し
1年に400億円以上の税金を投入し
   追い込まれない社会を作ろうとしている

このことを
  自死遺族は知ってほしい

個人の問題ではない と している
 
今の新型コロナウイルス感染の問題と同じ

遺族同士 個人と個人でいがみ合いをしている場合ではない

  もっと 大局に目を向けてほしい

  ずっと そう願い 活動をしてきた

  労働問題
   介護問題
  教育の問題
   医療の問題
保証人問題
   様々な福祉の問題
 派遣制度
  賃金
    雇用の問題
 住宅ローンも含む  債務の問題

育児 家族

  たくさん
ある
社会全体の問題

 人間の最大の苦悩である 死の恐怖を超えるほどの
 苦しみ
そこまで
 人は人を追い込んではいけない
  社会を形成する人は 人を追い込んで死なせる権利はない

 その国の人々は
   幸せに生きる権利がある
   それを守るのが 国である

自死の予防や防止
遺族支援にかかわる、民間団体や行政機関は

自死遺族同士がいがみ合う事をどう見るのか・・・・

 やっぱり
 自死するような家族だからね・・・・
という目で見ている人たちがいることを忘れないでほしい

蔑まれているのです

毅然と凛と生きてほしい
  そう願ってきました

 悲しみを抱えているのは
    どうにもならない事実
でも
悲しみを抱えているから
 そのはけ口を
同じ悲しみを持つ遺族に向けたり
   家族に向けるのは

あまりにも かなしい

  自死遺族・・・自分の事が
      自分の知らないところで議論され
   個人情報が 社会に流れ出る事態になろうとしていることを
      知ってほしい
 自分に直接害がなければいいという考えの遺族もいるのでしょうが

  そうだろうか

知らないうちに いろんなことが決められて行っている

   気が付いた時は
もう手遅れ

犯罪者よりも 個人情報が共有されようとしている
 ことも
遺族のほとんどは 知らない

 支援団体や支援機関は
 遺族が無関心であることは
  好都合なこと

やりたい放題

  苦しみ抜いて 逝った家族のためにも

悲しみを抱えているからこそ
   亡き人のためにも
毅然と凛と生きていきませんか

   祈り ねがい  

命続くかぎり
        差別と偏見をなくし
     人にやさしい社会をめざし 
活動をしていこうと思います

 遺族同士が 
仲良くしなくていいので
 足を引っ張るのは  やめませんか

  ダウンロード (1)

わからない

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 自死した子供に生き返ってほしくないという母親の言葉に
   え!と 絶句

生き返ってもらって 何するんですか?と聞かれた

 これは
 あるところでの会話

自死遺族のケアという話になり
   私のケアは 息子が生き返ることが一番のケアだと・・・・
天地がひっくり返っても ありえない夢の話だけど
   生き返るなら 生き返ってほしい
もしも 私が死んで息子が生き返るなら
  そく死んでもいいと・・・・私がいった
んんん
  どうして 生き返ってほしいの?と
   生き返ってもらっても・・・・・・・とまたいう 
     息子さんを亡くした母親
 死んでていいと思っているらしい

  死んでいいなら  悲しいという気持ちは 何なのだろう

   死んでもらってよかったという事なのかな

 それでも 悲しいのかな

  死んでホッとしているなら 悲しみなんてないはず・・・

  息子の命と私の命が交換できるなら
  交換して
  残りの人生を 楽しんで生きてほしい
 そのためなら
なんでもする  と思っている

仕事なんてしなくてもいい
   生きていてくれるだけでいい

けげんそうな 顔をしていたその人

   どうして 心療内科にいって 癒されてるんですというのかな

  子供を亡くしても
    いろんな人がいるが
生き返ってほしくないという母親は
   初めてだったので
  どう 反応していいのか
   戸惑い
  席をたった

彼女は
 私の思いが理解できず
   傷ついたのかもしれないが

  ショックを受け
  それ以上の会話が無理だった

ほんとに 死んでよかったと思っているのかな・・・・
 自分が悪かった・・・と 言ってもいる

   でも
生き返ると  自分が責められるから
  生き返ってほしくない  という意味のことも言っていた

  わからない



か わ い そ う  な人

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 自死した人を 責める気持ちは
   私にはない

葬儀を終え、息子の妻やその両親から
  ののしられ
     金と物はすべて持っていき
息子のお骨や位牌・仏壇は
   要りません!と 息子が死んで10日目のこと
 モノのように捨てていった息子の妻
その時
  苦しくて 仏壇に母の形見の数珠を投げつけたことがある
「お前が死んだから、こんなことになった、バカヤロー」と
  あれから
      そう思う事はない
 その後
  息子は 私の頭の中に  「ごめんねかぁちゃん」と連続で声を届けた

  その時 思った
    息子に謝るのは私なのに 死んだ息子に 死んでまで「ごめんなさい」と謝ってもらっている私は親として最低だと・・・

   自死遺族として生きてきて
  最も許せない言葉は
     親不孝という言葉
   あなたの息子さんは  親を悲しませて 親不孝だという言葉

 それは
    他人には言われたくない
    息子が親不孝かどうかは 私が判断するもの
たとえ
遺族でも  私の息子健一が  親不孝だと
    私に向かって言う事は許さない

  息子の妻のことは 事実をいうが

   夫を亡くした人でも
     思いがある人もいる

   亡くなっても ずっと 愛がある伴侶もいる

    そうでない人もいると思うけど・・・
 
  自死した子供の親に  親不孝だね
  あなたの子供は・・・
   という人
あなたが思うのは 勝手だけど

  悲しい人の心に 刃物で切り付けて
  何をしたいのだろう

   そんなふうにしか  自分の苦しみを表現できないとしたら

ほんとうに かわいそう な  人

   亡くなった夫の家族にののしられたのかもしれないが

   私は あなたの夫の家族ではない

あなたを傷つけた 人に 
 あなたの息子は 親よりも先に死んで親不幸ものだ というのは
    自由ですが

子供を亡くした親たち  すべてに向けて
 親不孝だという権利はない

   言っていいことと 悪いことはある

遺族だから 何を言ってもいいのか・・・
そうではない
ましてや
不特定多数の遺族に向かって  
  ・・・・・
自死が逃げたことによる死だと思うのは
  勝手ですが

 遺族に向けて言わずに  国に‥厚労省に言ってください

逃げた末の死なんだから
   自己責任ですから
自死の対策なんて 無駄な事はしないでください
遺族支援も やめてください

自己責任ですから

  と・・・・・・・厚労省にいって
   税金をつかって  予防や防止なんてやめてください
パワハラも
 過労自死も
     いじめも 認めなくていいんです
 脱げ出して死んだんですから
    対策もたてなくていいんです
  逃げただけですから

遺族支援なんて とんでもない

でも
夫を亡くした 私は苦しんです

 と
 いえばいい



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しかし
ある意味
 死んだ人に唾を吐ける人はすごい

  

何も反論できなくなった死者に
   泥を投げつけ 唾を吐ける人は

 卑怯者

 また
家族でもない 
    亡くなった子供や親を傷つけるのは
  私は認めない

  私のブログにコメントは書き込まないでください

   息子が汚されるようです

    ご自身が どう思って生きていこうが自由ですが
    親よりも先に死んだ子供が親不孝だとか
      いう権利はない

  今後 どのようなコメントを書き込もうが
   削除して
     ブログにも書きません

   ご自身の子供さんが自死しても
  親不孝とののしってくださいね
      るうさん
         
自死した息子を親不孝と呼ぶことを
   私は許さない

 自慢の息子です
  やさしくいい子でした

 苦しみも悲しみも  それは今も息子を愛しているから
  どんなに苦しくても悲しくても
息子を恨むことはない

息子に最低の親だといわれるのは
   その通りだと思うが

  他人に言われたくない

 自分以外の 他者の悲しみや苦しみに
 思いをはせられない人は

   か わ い そ う  な  ひ  と

心根の腐った人はどこにでもいる   なさけない

a href="http://ken0314.blog.fc2.com/img/20170821193850617.jpg/" target="_blank">04_120908_晩夏の花

コメントを承認制にしてから
  たまには ひどいコメントがあるが
 今回、久しぶりに書き込まれた
同じ人から2回
全部 記載すると
   吐き気がする遺族もいそうなので
(ドロドロした、いや~な気を感じ、吐き気がしました)
ほんの一部分を貼り付けます
********
被害者面しないで。 自殺は良くない。周りが苦しむ。。

罪だから被害者面しないで。
自殺は良くない。周りが苦しむ。。
救えなかったとかより病気でない限り本人の問題。 罪だから。

**************
このコメントは、息子が幼いとき、弟とブランコに乗っている写真のブログ記事
**************
人のせいにして逃げだす
自殺のほうが裏切り者で罪  
 片方だけが悪いとは限らない

************
lこのコメントは いじめの文面に対して・・・

ほんの一部ですが
   この人 自身 闇の中で暮らしているようです
まるで
 悪魔のささやき

苦しんで亡くなった人を 貶め
 悲しみを抱えた遺族に 泥を投げつけ

何をしたいのだろう

かわいそうな人・・・・・・・・と
つい憐れんでしまった
    か わ い そ うimagesLYXHMQNG.jpg


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昨日も今日も遺族から電話が・・・・
毎日 悲しいご縁がつながる

 若い人たちの自死が
   多いと 肌で感じている

 自死遺族支援という看板を掲げて
     支援の方法などを講演している民間団体の代表が複数いるが
    あの人たちから 学ぶ支援の方法
    想像がつくから  寒い
 あの人たちから自死遺族支援の方法(多分、心のケア)を学んだ支援者に
    支援されたくない
保健師も あの人たちから学んだ保健師に支援されたくない

 あの人たちからまなぶより
   一人でもいいから  真剣に目の前の遺族と向き合ったほうが
  多くを学べるはず

  スキルを学ぶよりは
    つながってくれた 目の前の自死遺族本人の要望に応えるべく
       学ぶほうが 身につく
   
最近

いずれは 淘汰されていくと思うようになってきた

だが
 私自身のいのちの時間が少なくなってきている

あと
10年で‥どのくらい淘汰されていくのか・・・
   踏ん張って
 20年・・・・91歳

心ある人たちが 活動の中心でいてくれるのを
  見届けられるだろうか・・・・

頑張るしかない
    次世代に 
       これ以上の 苦しみは味わってほしくないから

悲しみもまた私のもの


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「悲しみもまた私のもの」
            
          

 悲しみに沈んだ人がいる。その人を見るにみかねて助けたいという人が現われる。「どんな悲しみがあるか知れないけれども、時が解決してくれるものだよ」とか、「物事は考えようだよ。この美しい青空を見てごらんよ」と言葉をかけて励ますのだが、悲しみに沈んだ人は、いっこうに耳を傾ける様子はない。そして「私の悲しみも私の一部です。私が私の悲しみとむきあってすごしている静かな時間を乱さないでください」と言う。

 悲しみにある人がしばらくそうしていると、今度は「心を癒すことが仕事だ」という人々が現われる。そして、こうすれば悲しみを乗り越えられるという方法を教えようとする。彼らが示すのは「悲しみからの回復」である。どうやらそこには階段があるらしい。彼らが言う通りにすれば、階段を一歩一歩のぼるように、悲しみから回復できるのだという。

 しかし、悲しみにある人は、それは登れるような階段ではないことを知っている。深い穴の中なのか、高い山の頂上のようなところなのかはわからないが、身動きできないことは確かなのである。

 愛する我が子を自死で亡くした親の気持ちは、きっとそのようなものだろうと私は想像している。その悲しみは時が解決してくれるものでもなく、「時がたつにつれて、ますます深まっていく悲しみがある」と、息子を亡くしたお母さんは私に語っていた。

 癒されるうる悲しみがある一方で、どうしても癒されない悲しみがある。一人娘を自死で喪ったお父さんは「私は遺族ケアとか支援とかという言葉は嫌いなのです。(私の悲しみは)ケアされようがない、支援されようがないのです」と語っていた。

 現在、自死遺族ケアの必要性が多くの専門家によって指摘され、法律も行政がそれに取り組むように指示している。しかし、そこには「ケアされようがないほどの深い悲しみがある」という可能性は考えられていない。「どんな悲しみでもケアによって軽減される」と誰かが経験的に証明したとでもいうのだろうか。
 唐突だが、私はここで「障害もまた私の個性である」と身体障害者たちが主張し始めたころの、医療・福祉関係者の戸惑いを思い出すのである。障害者にかかわる「専門家」の使命は「障害を無くすこと。無くせなくても軽減させること」であった。だから「障害も私の一部だ」と障害者たちが言い始めたとき、「専門家」は自らの専門性を否定されたようにも感じたに違いない。

 たしかにリハビリテーションや手術によって軽減され、あるいは無くなる障害もある。しかし、そうでもないものもある。無くならない障害を正面から受け入れ、それがかけがいのない自らの一部として組み入れたとき、社会を大きく動かす障害者運動が始まったのである。

 自死遺族の市民運動も「悲しみは私たちのもの」と高らかに宣言するとき、力強い一歩が始まるのかもしれない。訓練で身につけた技法や頭で覚えた理論など、人間が後で身につけたもので、人生の最も深淵な死の悼みを救えるはずがない。それを認めたいか認めたくないかにかかわらず、ダチョウが空を飛べないように、蝶が水中を泳げないように、遺族ケアはある人々の前には無力であることは否定できないのではないか。生死の根源の苦しみを自ら体験した者だけがもつ威厳に、「専門家」は沈黙するしかない。それを「救える」と考えること自体がおこがましいのだ。

 「障害も個性の一つ」という考えは、社会的に広がっている。それでもリハビリや医療の重要性は誰も疑っていない。両者は共存できるのである。遺族ケアも「悲しみは私たちのもの」という遺族の主張を認め、それを前提としたときにこそ新しい段階に進むのだろう。
岡知史



◆ 岡知史氏と出会い、交流が深まる中で、このエッセイを頂いたとき、涙が溢れたのを思い出します。遺族の多くは、「悲しみもまた私のもの」という言葉に救われています。
「私の悲しみは私のもの、誰のものでもない私のもの、だから悲しみはそれぞれでいい、涙も悲しみも息子と私の愛そのもの。」
                             田中幸子

子供を亡くした親の悲しみが続くのは複雑性悲嘆ではない

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 facebookの友達の友達の友達の
   医師が「グリーフケア」を信じていて
 私の投稿をシェアした人にコメントを書いていた
 
  緩和ケアや家族ケアとグリーフケアは同じだという
   子供を亡くした親の複雑性悲嘆をケアしているというコメントに
 あああ・・・・・・・・
     ダメな心療内科の典型だ!と 思ってしまった

そもそも 複雑性悲嘆という概念が間違っている
  自死遺族の支援を国が決めた時
    その基本となる調査のアンケートがあり
 厚労省に意見を申し入れ
   何度もFAXを送り  当時の担当の一人だった
                大野裕医師にも疑問を呈し
   厚労省主催の自死遺族支援のシンポジウムで
      講演をしながら 会場にいる担当者たちに問いかけたことがある

あなたたちが作ったアンケートに答えるとして
    子供が死んで とても楽しいですかに〇
              とても食欲はありますかに〇
              ぐっすり眠れるに〇
              毎日ルンルン気分ですという結果が正常のようですが
   それっておかしくないですか?
子供が死んで 毎日楽しくて楽しくて 気分もルンルン 異常ですよね?違いますか?
と 問いかけた

しかも半年や1年で・・・・

   子供が生き返ったら 楽しくてルンルン気分になりますが
      生き返らせてくれますか?と

  この医師も  
    遺族の悲しみに精神薬を投与しているのでしょうね
   もしかしたら漢方薬ですから・・とかいいながら

悲しみが続いて普通です
   15ねんたっても 悲しみは同じようにあります
      突然 立っていられなくなる時だってあります

   子供を亡くした悲しみが 半年や1年で 回復するなんて
     回復しないのが複雑性悲嘆だなんて
  バカバカしくて
 お話になりません

   そんな簡単にケアされて 消されてたまるもんですか!
    息子と私の間にある 愛と悲しみ

 私の息子への愛は誰にもケアなんてできない
     私の悲しみも ケアなんてできるわけがない

  悲しみのケアって なんでしょう

   息子を忘れない限り  続く悲しみ
悲しみが消えるということは
  息子を忘れること

親として 絶対にありえない

  我が子を忘れるなんて
 我が子を亡くして
 悲しみが消えて ルンルン気分になるなんて

    もしも そうなったら 私は私を許せない

 息子がいいよ・・・と 言っても
  私は許せない自分を

だから
ずっとずっと いつまでも 生きている限り
 この悲しみは抱えて生きていきます


              

自死への差別  献花台の強制撤去

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 自死への差別はいたるところにある

  いじめで亡くなった子供のために
    植樹を学校の敷地で行ったりしている地域もあるが
 仙台市のように
   学校はなくなった子供のために
     花の一本も供えることなく
 地域の人が献花台を作り
     地域の人たちが お花を供えても
   壊したり
して
    5年が過ぎたから  もういいんじゃないか
       という市役所
  震災は慰霊碑があちらこちらに建てられ
  交通事故も ずっと 献花され
    祈りの地蔵さんまで 建て
  語り部活動が推奨され

いじめが原因と答申で認めた自死でさえ
    穢れたことのように
       撤去をするように 看板を立てる行為は
    たとえ 子供がいじめで亡くなっても
       他の死とは違い
   気持ちが悪いという嫌悪感があるという事になる

   子供の死を悼む気持ちがあれば
      無理やりの撤去はしない

   震災で学校の判断ミスのために亡くなった子供と
      学校内でいじめにあい  学校の判断が甘く
       解決できず 追いつめて  自死した子供と
    何がそんなに違うのでしょうか

    震災の死者のために
    慰霊碑が たくさん建てられ
  遺族が建てたお地蔵さんや観音さま
    それも 大きく 立派な

 それでも
   みんなが手を合わせ
   行政も認めて
  忘れないように  忘れてはいけない
と 叫んでいる

市役所との和解の条件にもなっていないのに
   和解したから・・・・撤去という理由
もう年数も‥‥という理由

震災は10年すぎて  忘れないようにという
  事故も15年過ぎても 忘れないように・・・という
戦争なんて75年すぎても わすれないように・・・という
   自死は5年過ぎたら
     もういかげん 年数もたったから‥といわれる
 いじめがあった学校の近くの学校で
   いじめ自死があっても・・・
調査委員会が開かれていても
今もいじめで入院したり 転校している子供がいても
    自死だからという理由で
      強制撤去される献花台

  差別はアメリカだけではなく
 日本でも多くの差別があることを
 多くの日本人は知らない
 差別とさえ思っていない

   自死への差別を 遺族は感じてほしい
     そして その差別は
遺族にではなく
 亡くなった人への差別であることを知ってもらいたい

  遺族に自責の念があるなら
亡くなった家族への 差別を許してはいけない

 自分への差別なら まだ無視できるが
   苦しみ悲しみ 自死した家族を
 死んでまで 差別されることを  容認してはいけない
  と
  私は思う

 その差別を是正するために
 自助グループ活動をしてきた

わかちあいの会だけではない
   全国自死遺族連絡会や法律の専門家たちとの自死遺族等権利保護研究会も
    立ち上げてきた

 泣いて泣いて泣いて
    死んでいった息子を 蔑む社会を 変えなければと思い生きてきた

   社会に追いつめられた末の死であるといいながら
      社会は
  自死を蔑み
      自死者を差別している

活動を本職としないのが自助グループ

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自死遺族支援の団体の職員として働き
  給料をもらっている人たちがいる

自死遺族という事を看板にして
  グリーフケアを支援者に教える立場で報酬や給料を得ている人もいる

自死遺族という事を看板にして
 学校に招いてもらえるような講演を売りにして
   家族の生活費を稼いでいる人もいる

または、県や市の自死遺族の会に毎回講師として招かれて
 報酬をもらっている人たちがいる

県や市の保健師たちが仕事として自死遺族の会をやっている人たちがいる


 自死遺族というのを 売り物にして
   生活費を稼ぐのは・・・・・・・どうなんだろう

また 自死遺族支援や自死の防止や予防をすることで
   生活費を稼ぐのは・・・・どうなのかな

そういう人たちは
 自死者がゼロになると  働く場所がなくなるから
   本気で社会を変えて自死を減らすなんて  思うはずがない

自死遺族に元気になってもらう必要もない
 いつまでも
 会を頼って 参加してほしい  となる

でも
たくさん 参加されてもしんどい

 例えば

 全国自死遺族連絡会が専属の事務員を雇うと
   給料を支払うことになる
毎月20万だとしても 雇用保険等の経費もある
 その給料のお金はどこから出すのか
   民間の助成金
    寄付金(講師としての報酬も含めて)

ある団体の人と代表理事の会話をきいたことがる
 3年単位の5000万円の助成金の期限の年
  「来年度助成金がなくなるんですよね、どうするんですか私の給料」
   「新しく助成金をもらえる企業を探してください」
「今探しているんだけどね・・・なかなかないんだよ」
  「困ります!生活がありますから」
「何とかするから」
と  大まかにいうとこんな会話
 専属で1名・アルバイト2名を雇っているNPO法人

  ある有名なNPO法人
 給料30万以上
    5人の専属 
 アルバイト 5人
もちろん 代表も 生活費が必要

 月に職員とアルバイトで
    雇用保険も含めると300万円以上
   
     代表 40万 として
  月に給料関係だけで
    450万円以上
年間
5400万円の給料支払いの経費
他に
 事務所の借り賃
月に35万
年間420万

交通費・電気料金・水道代・お茶等雑費
  
一年間の運営経費
7000~8000万円

 団体職員に給料を支払い
  代表が報酬をもらうようになると

もうその団体は  必要経費確保のための活動になっていかざるを得ない

 自死遺族支援団体というが
   自死遺族のために 無報酬でという事がなくなっていく
なんでもかんでも
経費でおとす
   1円だって自腹は切りたくない

だから
コロナ感染が騒がれて
  支援活動のために
 電車やバスには 怖くて乗りたくないから
  タクシー代を補助金で認めるように 要請し 
国もまた
  タクシー代まで経費として認めた

電車やバスも動いているのに・・・・・

東日本大震災の時
 被災地への交通機関は遮断された

それでも
  デコボコになった道路を
    4輪駆動の車で被災地に行き、支援活動

 今
電車もバスも動いているのに
   タクシーでなければ 支援活動はできません
    タクシーの代金を補助金で負担してくれなければ
       活動はしません・・・
   という団体がそれなりの多いと聞いた

驚きである

 全国自死遺族連絡会は
   寄付金と
ほんの少しの補助金で
活動をしている

補助金も最近のことで
 10年くらいは
 寄付金だけでの活動

寄付金の内訳は
   定期的に寄付をしてくださる遺族もふくめて
   遺族からの寄付がほとんど
 私の講演料ももちろん 寄付

 自死がゼロになり
  自死遺族がいなくなることが目的

だから 活動を本職としない
生活費を稼ぐ手段としない

職員や自分の生活費のための活動になっていくことは
   本末転倒だと思うから

癒したい人たち

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 コロナが騒がれているが
  5月の自死者も1500人越えだった
1月から6月~1万人
しかし 話題にならない

  facebookに グリーフケアの批判を短く書いたら
      賛同してくれる人も多いが
一部には
なぜ グリーフケアを否定するのか…という人もいる

   当事者が「悲しみ」はケアの対象ではない
    悲しみは愛とともにある
グリーフ・イズ・ラブ なんですと 主張しているのに
  どうして
   支援者が  否 それは違うよ
      傾聴してあげるよ・・・
    それがグリーフケアだよ
ほら 少し 楽になったでしょ
    話しなよ  楽になるから

と 言われなければならないのか
    ・・・・・

そもそも 海外ではグリーフケアを信じている人たちは少ない

シドニーでの自死遺族支援の学会でも
  誰もどこの団体も 一言も グリーフケアのことは言わない
 
アメリカから来た大きな団体の代表も
 全く グリーフケアという言葉を発しない

テロ爆破事件の後に
ニューヨークタイムズが大きく報道したのは
  深い悲しみに沈んでいる遺族には、グリーフケアは何の役にも立たず
   支援者だけが 嬉々として喜びにあふれていた と。

日本だけが グリーフケアを神様のように信じて疑わない人達であふれている

  癒してあげたい人たちが いる

  結構な金額の授業料を支払い 
      グリーフケアを学びましたという資格?を取る

   そこまで しなくても
 自分の愛する家族が突然逝ったら
誰よりも 悲しみの専門家になるのに

 自分は 自分だけは  悲しみを味わうことがないとでも 思っているのでしょうね

私だって  そう思って生きてきた

しかし
ある日 突然 息子が逝き
 悲しみが体の一部となり 生きている

悲しみで全身が覆われて生きてきた

   学びたくなくても 学んでしまった この悲しみ

  癒そうと思ってくれなくていいから
      傷つけないでほしい

   グリーフケアの考えで
     記念日反応なんていうけど
 毎日が悲しみだらけです
  記念日って  何ですか・・・ 楽しいことのように聞こえます

 精神科の医療の問題と
   グリーフケアのことを書くと
ものすごい反応で
 批判も多くある

 悲しみが癒されるとしたら
  グリーフケアが効果があるとしたら

 息子を生き返らせてほしい

それだけで  十分です
他は何もケアしなくていい
生き返らせてくれるだけでいい

   会いたい

コロナよりも  多くの人たちが毎年亡くなっても
   話題にすらならない
自死

  かなしい

悲しみのケアという言葉に傷つき生きてきた15年

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2005年に突然長男が逝き
 この11月で15年が過ぎる

 この悲しみが 癒されるなんて ありえない

  ごまかし だまし だまし
     自分の悲しみを
全部ださずに
   時々  少し 思わず あふれてしまう
 そのつど 
   あの日と同じように
 身体が震えるくらいの胸の痛みと
     悲しみに覆われてしまう

そこから 這い出す時間が短くなった
 でも 時には 長い時間 とらわれてしまうこともある

やり場のない 悲しみ
   これも 息子を今も愛しているんだから
       しょうがない  
阿弥陀様でさえ
   癒しようがないこの悲しみ

   悲しみのケアなどという言葉を聞くたびに
   心が苛立つ


私のこの悲しみに 何をどうしてくれるのか
   お話をお聞きします。
と言われても
 話したところで 悲しみは消えないし
 しかも
あなたは  子供が生きていて幸せだしね・・・
 憐れまれたくない
  憐れみはいらない
   悲しみを抱えているけど
  
同情はいらない 憐れみもいらない

苦しくても悲しくても
   自分が抱えて生きていくしかない

息子をさげすまれないように
    生きていくだけ
    時には 同じ思いの人たちと わかちあい
一人じゃないんだ・・・と 自分に言い聞かせて

15年 過ぎてみれば あっという間だった
    あと15年 あっという間に過ぎるだろう
そうしたら
  そろそろ 命の火が消える

   この世に やり残したことがないように
   生きたいと思うけど
 頑張るしかないかな・・・

 多くの人たちとのご縁がある分
   別れも多い
 遺族との死別も多くある

  子供の時から考えたら
 私の周りでも 数えきれないほどの人たちが
    この世を去っていった

祖父母たち・・・
父母たち  叔母叔父たち
 近所のおばあちゃんたち  親戚のおばちゃんおじちゃん
知人・友人
 自死遺族たち
今住んでいるマンションの知り合い
   夫の兄 
 100人は超える
私も
 残りの日々を 数えられるような年になった

死別を体験し
   自分の死を意識するようになった

 深い深い
悲しみとともに生きている自分がいる

私を養女にしてくれた両親も
 深い悲しみを抱えて生きていた

  自分の子供を亡くして 初めて養女にしてくれた両親の悲しみが理解できた

   この悲しみは 
        誰にもケアはできない
   息子が逝き
   悲しみのケアという言葉に傷つき 生きています
 

困った人たち

イベリス 花壇

ある女性を見て思う
 1回かかわっただけで その会のスタッフということをプロフィールに書き
   断りもなく 無断でウエブサイトに
      他の人たちを理事という事にして 自分は代表理事になっていたり
 大学の教授の論文を自分が書いたことにしようとして、発覚
   助手を辞めさせられたのにもかかわらず
短大の講師におさまり
   どういうコネを使ったのか
     おそらく 臨時の職員として大学に雇われたのに
       教授と名乗り 
 今は ある大学の研究所の 客員研究員
まだ 50代前半
         スペイン語なんてできもしないのに
           現地で調査研究したといい
   分かち合いの会なんて 彼女がスタートさせたことなんて
  絶対にないはずなのに
     2005年ころに 自死遺族の分かち合いの会をスターしたといい
     その当時  僧侶たちとの交流もないのに
         プロフィールに書き

 ある団体を立ち上げたといい 寄付金を集め 
   すぐにやめ  寄付金もどこに使ったのか・・・・

またある団体に スタッフで入り
   テレビで放送してもらい
  すぐにやめ   
       踏み台にしたり
  
自分を高く評価しすぎて
     誇大に解釈したプロフィールを公然と書き
悪びれることもなく
    偉そうに生きてきた彼女

子供のグリーフケアを 最近は売り物にしているようだが

   悲しみのかけらもなく
繊細な心なんて 微塵もない彼女に
 愛する人を亡くした悲しみなんて  わかるはずがない

 しかし
 そんな彼女を 敬い
  講師として 彼女から学ぼうと思う人たちがいる

  それが
     自死遺族の集いを開催している
     宗教者たちだったことに
  情けなく
     虚しく  力が抜けていく

 まぁ
  彼女よりも  自死遺族をさげすんでいる人を何度も講師に招く
   いの〇の 電〇もあるから
      しょうがないのかな・・・・その程度だと思うしかない

  ケアをするとか
癒してあげるとか
   支援をしていますという人たち以外の人たちのほうが
     やさしく思いやってくれ
        要望に応えようとしてくれる

  思いやりのある 人たちもたくさんいるが
 残念ながら
   それは彼女のような人でもなく
      支援団体にいつも講師に呼ばれる人でもない

  岡先生が
 自死遺族だから着物でも着て静かな口調で言う人を想像していたことを
 反省したことをのべている
また
 ここにいけば 少しは楽になるのでは・・と勧めた自分に
「子どもが亡くなり、楽になろうとは思っていません」といわれたことを
 反省したことも書いている

勘違いはよくあること
 間違いを素直に認めるこころがある人は
    当事者への思いやりがある人

 そう思う

当事者と接する活動ではなく
   支援者を育てるだけの仕事なら
        当事者の声など聴かずともいいのかもしれない
でも
その人を講師に学んだ支援者たちは
    当事者の声をどう思うのだろうか

 当事者に向かって
   癒されないあなたがおかしい  癒されるはずです!
   悲しみが軽くなるはずですから
    悲しみがいつまでも続くあなたが変!精神科に行かれたらどうですか・・というのだろうか

困った人たち

歪んだ善意 

photo_23.jpg

グリーフケアを信じて疑わず
  遺族の悲しみにはグリーフケア
ガン患者にもグリーフケア
終末医療の現場にもグリーフケア
  と
唱えている人たちがいる

 新興宗教の布教を聞いているようで・・・・うんざり

 その人たちも  自分の愛する家族が突然 逝ったら
   自分が唱えていたグリーフケアがどんなに空しいものか わかる

その人たちの愛する子供が 突然逝っても
 グリーフケアは素晴らしいといえるなら
     グリーフケアは癒しの効果があり
     悲しみが和らぐなら   信じよう
 余命宣告されたその人が
  家族が  グリーフケアで痛みが緩和され
    苦しみも悲しみも 軽くなったなら
       信じよう

私の周りのグリーフケアを活動にしている人たちは
全員 とても幸せ (見た目)
家族がいて
仕事もあって
   お金もそれなりにあって

優雅なランチも楽しみ
   高そうなお洋服も着て

 一人っ子を愛して
   家族を愛して

それなりの社会的地位もあって

  私が知っているグリーフケアの6人ほどの人たちは
    この活動は 自分の人生を豊かにするためだと 公言している

 自分以外の 他者の死別の悲しみを  ケアすることに 喜びを感じている人たちを私は信じない
   自分の愛する子供 が逝っても
      グリーフケアを施す活動に喜びや人生の豊かさを感じたら 信じよう
もし
本当に自分の子供が死んでも
  グリーフケアを活動としていることに人生の豊かさを感じ
  喜びを感じるなら
  その人は 人間ではない

獣以下

動物でも 死骸から離れず 悲しみの所作を見せる

 ある時、余命宣告された妻をみとった人に
  死別よりも 余命宣告された人のほうが グリーフケアが必要なんじゃない?といった
その人は子供もなくしていた

その人曰く
病院に入院していたら よけい要らない
 退院しても 必要はない

家族の時間を大切にしていたい
  一分一秒が 大事な大切な時間

痛みに耐えているとき
苦しみに耐えているとき
「ありがとうございました」という言葉をいうことすら つらい
 しんどい
もうろうとしている意識の中
  人に気を遣うことは 負担であって

妻の好きなように
  求めるままに 横になったり うとうとしたり
  痛みを取ってもらったり
 旅行したり 温泉いったり
好物を食べたり飲んだり
  望む人と会ったり

そこに 気を遣う 他人に いろいろ 言われても
   頭に入らない
       静かな時間が壊れてしまう

もちろん 死別の時もいらない

悲しみは消えないし 乗り越えられない

 抱えて生きていくしかない

折り合いをつけ  ごまかし だましだまし

 悲しみとともに生きていくしかない

自分以外の人が 自分の悲しみをどうにかできるわけがない

 だからこそ

同じ思いの人たちと
 わかちあう 時間が必要なんです



とても ゆっくりと話してくれた

 悲しみを知らない人たち
  苦しみと悲しみと痛みを  知らない人たちが

当事者の声を無視し
  自己満足のグリーフケアを信仰して
  ドヤ顔をしているのをみると
吐き気がしてくる

 そして 人の悲しみに  何とか悲嘆とか
    もっともらしく 名称をつけて

  悲しみの専門家のように講演したり
本をだしているけど
   うんざり

 その人たちから グリーフケアを学ぼうとする
  お坊さんたちがいることに なおさら 吐き気がする

  仏教には グリーフケアという考えではなく

   亡き人とともに生きる という  考えがあるのに

   また
そもそも お坊さんも含めて
宗教者は グリーフケアという考えで
 自分が癒し人になるのではなく

 かみさまの使い人
   仏さまの使い人であって
自分が神や仏を超え癒すという考えは
      もはや 宗教者ではない

 癒されてもいないのに
 「ありがとうございました」「心が軽くなりました」と
大人の社交辞令を言われ
満足している人たち

グリーフケアを信じ切っている人たちのほうが

もしかしたら
  心にブラックホールのような空白をもって 
どんな幸せでも満たされないが
   人の不幸や悲しや苦しみを見ることで  空白が埋められるのかもしれない

 歪んだ善意 歪んだ愛
  
  そしてグリーフケアが 商売になっていることが多く
   多くは 
     無償ではない



プロフィール

藍たなけん

Author:藍たなけん
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仙台に住んでいます。
青森県津軽生まれ、B型 うお座 
主人と二男と3人暮らし
自死で長男を亡くしてます。
「悲しみは愛」「悲しみは愛しさと共に」「悲しみは私の体の一部」「悲しみを奪わないで」「悲しみを消そうとしないで」などを広めています。

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