岩田太郎(在米ジャーナリスト)

【まとめ】

・美咲ちゃん母の言動に感じる「引っ掛かり」。

・失踪の不審点を冷静に指摘し、科学的・心理的検証の継続を。

・「子との関係性」疑われる親に感情移入する人の傾向の分析を。

 

子がいなくなった時の親の気持ち

 

筆者には現在21歳の娘と19歳の息子がいるが、彼らが子供のころに日本に一時帰国していた際、不注意により当時5歳であった娘を大きな公園で迷子にしてしまったことがある。「血眼になる」という表現があるが、当時3歳の息子の手を引きながらあちこち必死で娘を探していたあの時の自分は、きっとそのような形相をしていたに違いない。

 

娘がいなくなったのは20分ほどに過ぎなかったが、それが永遠のように思えた。「どこにいるのか」「ともかく見つけなければ」「今、自分と一緒にいるこの子(息子)まで迷子にしてはいけない」「自分のせいだ」、それしか考えることができなかった。

 

また、「誘拐」「殺害」などの最悪のケースを想像し、パニックというか、「頭の中が真っ白」という言葉がぴったりの心理状態であった。身体が芯からドライアイスで凍らされたような、極度に冷たく不安な感覚に襲われていた。思い出すことさえトラウマである。

 

(今、子供たちはおかげさまで無事に大学生としての生活を送っており、彼らが生きてくれているだけでありがたく、幸せなことである。)

 

加えて、筆者が小学生高学年のころ、高校生の姉が1週間以上も家出をしたことがあり、母がオロオロするばかりで何も手につかず、憔悴する一方であった記憶もある。子供が高校生になっても、どこにいるかわからない、安否も不明となれば、親は気が狂ったように友達やバイト先など八方の心当たりに電話し、警察に捜索を頼み、涙の陰膳で無事を祈るものだ。

 

なぜ常に「私」「自分」「潔白の理由」なのか

 

そうした体験を思い出すと、山梨県道志村のキャンプ場で昨年9月に行方不明になった千葉県成田市の小倉美咲ちゃん(当時小学1年生の7歳)の母親とも子さん(37)の平静過ぎる、まるで第三者のようなSNS上の振る舞いや記者会見は奇異に感じざるを得ない。ましてや、「ブログ、Facebook、ライン、Twitterすべてのコメントを見ることができない状況です」と断っておきながら、アップした写真に自分が経営する店名のハッシュタグをつけるというのは、理由が何であれ想像の域を超える。

 

自身をSNS上で脅迫した才津容疑者の逮捕に寄せてとも子さんは、「私はこれまで娘を見つけたい一心で苦しい精神状態のなか活動をしてきました」と自己の苦しみや潔白に関する訴えを懸命に述べているが、見つからない美咲ちゃんの身体や精神状態の心配、自分に会えない娘の気持ちに関するコメントが出てこないところも不思議である。

 

とも子さんは常に、美咲ちゃんではなく「私」「自分」「潔白の理由」を語っているように見える。たとえ濡れ衣を着せられても、親の口からまず出るのは保身の言葉ではなく、子の心配ではないか。

 

こうした「親子の関係性に関する手がかり」は、たとえ美咲ちゃんが無事に生きて見つかったとしても、長期の神隠しの重要な背景として究明されるべき「引っ掛かり」だと思われる。

 

ちなみに筆者の娘の迷子事件では、ずいぶん時間が経ってから、「発見されなかった場合に、テレビカメラで全国の皆さんに向かって呼びかけるシチュエーションになったかもしれない。だが、あの時はヨレヨレのTシャツに短パン姿だったから、スーツに着替えなければ親として信用してもらえなかっただろうか。管轄の警察署の方にお願いすれば、どこかで借りられただろうか」という思いが浮かんだが、それは子供の安全が確保できた後の余裕で生まれたものだった。必死で探し回っていた時には、とても考え及ばなかった。

 

失踪事件究明のために

 

あれだけの大捜索にもかかわらず、未だ美咲ちゃんが発見されていないということは、キャンプ場からの誘拐を示唆するのかも知れない。ともかく、今は美咲ちゃんの発見が何よりも優先される。

▲写真 美咲ちゃんが行方不明となった山梨県道志村の椿荘オートキャンプ場(2019年12月撮影)

出典)母・とも子さん経営のTrimmingsalon BUDDYのフェイスブックより。

 

失踪から1年を前に、予断を持たずに明鏡止水で現場から捜索の網を広げて、改めて全国に呼びかけを行うべきだろう。北海道であれ大阪であれ鹿児島であれ、「ひょっとして、山梨ではなく、ここにいるかもしれない」と考え、美咲ちゃんに似た子を近くで見かけた人など、目撃者の発見に全力をあげてほしい。

 

その上で、疑問点は疑問点として、誹謗中傷や脅迫でない形で冷静に指摘を行い、あとは警察を信じることが大切だろう。ジャーナリストの水谷竹秀氏が『週刊女性』(2020年7月21日号)で発表した記事のような検証も欠かせない。できれば、多様な視点や角度から失踪が再考されることが望ましい。

 

また、警察は表面上何もしていないように映っても、きちんと仕事をしてくれていることも多いので、任せることだ。考えたくはないが、過去には1993年の「埼玉愛犬家連続殺人事件」や2008年の「江東マンション神隠し殺人事件」などの遺体なき殺人や死体遺棄事件で、立件され有罪判決が言い渡されたこともある。「真犯人」は、世間が想像もしなかった者かも知れない。そのあたりは当局の捜査能力を信頼すべきだ。

 

まとめると、まずは美咲ちゃんが元気な姿を再び現してくれることを切に願い、①ネット上などで誹謗中傷や脅迫をしない(当たり前過ぎる)、②官民の捜索網を全国に広げて、予断を持たずに美咲ちゃんを探し続ける、③失踪に関する不審点・疑問点をおろそかにせずに科学的・心理的検証を続ける、④子との関係性に疑いをかけられた親の立場に感情移入する弁護士や表現者の政治的傾向や共通点の研究、⑤警察を信じて待つ、ということになろうか。

 

改めて、美咲ちゃんの無事を祈りたい。

 

(上はこちら。全2回)