米津さん、インタビューとか昔のブログだとか読んでても、奇をてらってやろうとか自分の内相世界を克明に描ききりたいみたいなアーティスティックなエゴあんまり感じないんだよね。
曲聴いてても社会にちょっと意見してやりたいみたいな態度に出てくることもない。
影響受けたものとかはまっているものとかもその時々流行っているものを素直に受け入れている印象。
なんかそこら辺が藤原基央や野田洋次郎とか常田大希、山口一郎とは違うところだよなと思う。
ハチ時代からマスの中で自分の作ったものが共有され楽しまれることを第一に掲げてるように僕には見えた。
曲の中に広がる世界にしても「面白い話を思いついたんだ」と友だちに話すことの延長線上にある気がして、米津さんがやることや言うことを聴衆「面白い」とか「カッコいい」っていってその気持ちを共有していることが軸になってるんじゃないのかな。
じゃないとあの時代のニコ動のボカロ文化にのめり込まなかったし、メジャーデビュー時からのタイアップソング量産体制にかじをふらなかったと思う。
米津さんがすごいのは独特な感性を持っているのに大衆性を全く取りこぼしてないところで、逆に言えば大衆的なのにどこかしら個性的な風合いを帯びてしまうことだと思う。
そしてどんなアプローチでも米津らしさというものがブレなく残っているように僕には聴こえる。
おそらく本人は自分が素敵だと思ったものを無邪気に曲に盛りこんでいるだけだったり、みんなが楽しめるポップソングを真摯に作り上げたいと思っているだけで、最初から独自の米津ワールドを展開したいとは考えていない気がする。
結果的にそうなってしまうんだろうし、それでいて破綻なく独自性が完成されているから米津玄師は支持されるのだと思う。
僕は昔から宇多田ヒカルが好きなのだけれど、宇多田ヒカルと米津玄師はどこか近しいものを感じる。
宇多田ヒカルが今さらFirst LoveやDistanceの頃のテンションで曲を作ることはありえないし、それに反してFirst loveのような曲を求める人がいることも理解できる。
マスメディアの中に鎮座しながらも、最大公約数的な共感の世界に生きていない。作者の個人的な感情や自分だけが持つ脳内のイメージを、聴き手の心情に照らし合わせフィットしていくようなドアtoドアの世界。
そういうベッドミュージックアーティスト然とした態度が僕にとって米津玄師の魅力に思える。
米津玄師さんのSTRAY SHEEP Radioを聞いて改めて感じた寂しさと,少しの憎らしさについて書いていく. 私の感じている寂しさは例えるなら,大切な友人と少しずつ距離が離れて行って,...
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スガシカオが鬱屈した内面を吐き出したり風俗嬢について歌ったりこちら側の人間のカタルシスをファンクに昇華してくれていて大好きだったのに、結婚したあたりから愛とか希望とか...
愛をぶっ壊せば良いんだ
ホントだ。 個人的にはfankaholicあたりで雰囲気変わったなと思ってたけど、4Flusher以降でも結構変わってるな。 でもSMILE好きだけどなぁ。
ヤツは変わっちまったよ。スカシガオだよもはや
感じたり考えてないことは歌ったり書けないんだな
他人に「変われ」と詰めるのも「変わるな」と詰めるのも等しく暴力ですからね
おれは しょうきに もどった!
最近フィーリングが合わないな。別のアーティストの曲聴いてみるか。 ってさっさと切り替えられたら楽になるって分かってるのに執着して苦しんでしまうのなんかわかる
いけ好かないというかなんかスカしてるかんじがしてダメだったけど、感電ビリビリとか言ってるの見て少し親しみを感じた。
『チラ裏』の最近の言い方って、 『うんち』 になったんだっけ?
自分も増田と同じ感覚。ハチを聴いて、diorama聴いて、YANKEE聴いて……気づいたら、何かが変わってた。昔からアルバム出るたびに興奮してたけど、今は少し変わったなあ……って、ちょ...
教授がいつかまた千のナイフやライオットインラゴスみたいな曲を書いてくれるんじゃないかと思い続けてそろそろ40年になります
今振り返って聞くと坂本龍一さんは富田勲さんをよく研究しているなってわかる。ローランドもコルグもヤマハもあっての坂本龍一さんだなって思う。 日本が電子楽器のレベルが高いの...
鼻の下ヤローと絵描き唄で揶揄されてたパワハラヤローだけどな
増田っぽい使い方で好き。 まあ唯一無二だと思ってたバンドが解散しちゃうよりはワンチャン?