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長崎原爆投下は、当初福岡県小倉が目標だったが、小倉上空に差し掛かったとき、即座に陸軍五式戦闘機や海軍の零戦が迎撃に上がったため、原爆搭載機B29の撃墜を恐れ退避(一般的にB29もよく落とされた)、迎撃が手薄だった長崎に投下された。 国防の重要性を物語る。
午後9:09 · 2020年8月8日Twitter for iPhone
返信先: さん
長崎原爆投下は、戦後、「天候不良で目標変更された」というデマが流されました。 では真実は? 長崎原爆攻撃隊の隊長だったCharles W. Sweeneyが記録を残していますので以下にまとめてみました。
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1 小倉上空の天候は原爆投下に問題なし。 2、地上に煙幕を確認したが問題なし。爆撃コースに入る。 3、本機B29の周囲に煙を確認(※ 日本陸軍12センチ高射砲の弾。射程1万メートル) 4、通信将校Jacob Beserが日本迎撃機の無線連絡を傍受。まもなく本機は攻撃される。 5、小倉は不可能と判断退避。
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「煙で爆撃できなかった」の煙とは、高射砲の弾幕です。 英語が読めない層を騙すため、意図的に日本陸海軍の英雄を「隠して」いたのです。 詳しくは、原爆攻撃隊の隊長自ら手記を書いていますから、ご参照下さい。
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一つ目のURL 「Weather over both cities were within the mission parameters.」(小倉の天候は作戦続行の範囲であった) 二つ目のURL A message from Marquardt in the Enola Gay said the weather at Kokura was clear for bombing(小倉は爆撃に適し快晴であるとメッセージ受け取った)
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返信先: さん
自分は、雲があってよく見えなかったからと聞いたんですが迎撃だったんですね。 勉強になりました。
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返信先: さん
広島と同じ8時15分に小倉に落とす予定が天気が悪くて落とせず、持って帰るわけにもいかず困っていたら長崎で雲の切れ間ができてポイって聞きました。迎撃機の事は知らなかったです。ちなみに私の祖父は広島で死にました。
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同感です。 日本が愚かな戦争を始めた結果、原爆投下を含む多くの犠牲者を出しました。 憲法第九条、戦争放棄。 最強の国防は日本国憲法です。 日本が戦争に参加しないことで守られてきた平和があるように感じます。
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他1件の返信
返信先: さん
ちなみに最近は、福岡側はワザと石炭多く炊いてスモッグ増やし雲を作った説もあります。
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この話は本当だと思います。2年前くらいに石炭を炊いた方達が告白してました。確か八幡製鉄の方だったと記憶しております。でも、その方達は長崎の方を配慮し言えなかったと‥小倉に落とされていれば私は産まれてなかった可能性があります。
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他1件の返信
返信先: さん
子供の頃から小倉が曇っていたからと聞いて育ちました。リプ欄にあるようにB29は高度まで上昇できるのでしょうか?生まれて初めて聞きました。 どこからの情報ですか?
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逆説的にはなるがその高度まで上昇できる迎撃機や高射砲が有れば投下は阻止できたということになりますね 『もし敵基地攻撃能力があれば東京への核ミサイル攻撃も防げたかも知れない』 そんなふうに後世の子孫たちが嘆かなくて済むように議論は尽くしてあげたいなぁ
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返信先: さん
迎撃に出撃したのは陸軍飛行第4戦隊(小月/屠龍)、陸軍飛行第59戦隊(芦屋/五式戦)、第203海軍航空隊(築城/零戦)の3隊ですね。米気象観測機グレートアーティストが迎撃機の存在を記録しています。長崎には第343海軍航空隊(大村/紫電改)がいたのですが、迎撃機を上げていません
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返信先: さん
私は曇りで目標投下が困難なため 長崎に変更したと思っていました。 米軍の記録を読んだことが無いので事実は知りません。 ただ、迎撃機が何機どこから飛び立ったのか、まだそれだけの余力があったのかと思います。
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返信先: さん
国防が重要なのは言う間もないことですが「ピントがずれてやがんなあ」という感想しかありません。そういうことを言う前に、物量でも技術力でも圧倒されまくり、日本各地が焦土と化す大敗北を喫した原因の分析反省を行うことが最優先事項でしょう。次代の平和を実力で維持するというのはそういう事です
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返信先: さん
本日は、長崎原爆忌の日でしたね。
口を開けて冷や汗をかいた笑顔
投下目標が北九州工業地帯の中核をなす小倉から長崎に変更された結果ですが、マリア様やキリスト様もまさか頭上にこんなものが落とされるとは思ってもみなかったことでしょう…。
口を開けて冷や汗をかいた笑顔
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返信先: さん
九州北部のB29キラーで有名なのは陸軍複座戦闘機の「屠龍」だが、5式戦、ゼロ戦も応戦していたと言う事か。目標地を変えたのは当日の小倉上空が雲に覆われていたからと広く言われていたと思うが、迎撃機の対応も効果があったと言う事になる。国防戦略にも関わることであり一大波紋を呼ぶのでは。
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返信先: さん
父方の祖父母が当時小倉に住んでいました。この話は幼少期から聞いていて、想像するたびにゾッとします。沢山の犠牲者を出した戦争、そして原爆、二度と起きないよう国防の強化を望みます。
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話としては、天候不良でと聞いてますけどね。 小倉に落とすつもりだったと聞きました。
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返信先: さん, さん
八幡製鉄所の人達が石炭を沢山焼いて煙を出して視界を濁らせたというのも聞いたことがあります。これも国民一人一人が国防の意識を持ってたからですよね... 今の日本じゃご先祖さまに顔向けできない.....
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北九州市八幡区に住んでいた叔母さんから聞いた事があります。八幡製鉄所など軍事工業が盛んな北九州市は空襲もひどく、多くの方が亡くなったそうです。
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返信先: さん
小学生の時、小倉は天気が悪かったから長崎に行ったって教わりました。 事実とそれに基づく教訓が継承されるべきだと思いました。
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他2件の返信
返信先: さん
長崎への投下の真実は、当初の予定は小倉でしたが雲では無く石炭を燃やした時に出るスモッグの影響で長崎に投下になったようです。亡くなった祖父から聞いた話ですが、駆逐艦で長崎港を出港して30分ほどしてキノコ雲を見たそうです。
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返信先: さん
色んな説があるんですが、 どれが本当なんでしょうか… 当時、八幡製鉄所がコールタールを燃やして目標を認識し難くした結果、長崎へ移動したとする説もありますが。
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返信先: さん
結局は古今東西問わず歴史って勝者が作るものだから、正義は必ず勝つって勝った側は自分達は正義だから勝った、負けた方は悪だから負けたと後世に書き残されるんですよね… ハッキリ言うとヒトラーのした事を絶対悪と言うのと同じようにルーズベルトの事も並べなきゃいけないのにね…
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返信先: さん
戦後のドラマなんかでは「B29が来たら竹槍で戦うぞー」みたいな、愚かな日本人的に描写される事が多いですが、実際には機体性能を超えて高高度まで迎撃に行った日本陸軍航空隊によって、多くのB29が落とされています。それを米軍は物量でカバーした訳で、これは海軍も同じ。
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返信先: さん
小倉の天気が雲っていたからと聞いてます。 天気が悪いと原子爆弾の威力が弱くなるからと。 終戦間際に日本軍に、迎撃能力があったのかも疑問に思うところではありますね。いろんな本を読むとそう思うのですが。 迎撃したのは確かなんでしょうか
赤いはてなマーク
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返信先: さん
小倉出身です。学校ではそのエピソードは「小倉が天候不順だったので目標を長崎に変更した」と教えられました。俺、嘘を教えられたの?
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返信先: さん
以前防空識別圏の問題が出たときに、辻元清美氏は、中国に渡してしまえば良いと述べてらっしゃいました。空襲警報をどのように発令するつもりなんでしょうか?侵略とは全く無関係な気がします
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返信先: さん
なんと、これは知りませんでした。 小倉は曇ってて目標が見えなかったためって聞かされてたし、小倉の知り合いも天気のおかげで助かったって話してました。ほんと、国防は大事ですね。でも、重要拠点の長崎の迎撃が手薄だったってのも気になります。
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