名前矢野了平
やの りょうへい
出身地埼玉県さいたま市(旧・大宮市)
生年月日1977年6月19日
主に担当番組– ミラクル9
– 潜在能力テスト
– 今夜はナゾトレ
– 99人の壁
など

【取材後記】

矢野さんは年齢でいうと僕の6個上。
キャリアでいうとおそらく8~9個上。
放送作家としてのランクでいうとおそらく20個ぐらい上だ(いや、もっとか?)

でも、矢野さんは出会ったときから僕にずっと敬語。

怒られたこともなければ、注意を受けたことも1度もない。
(ダイエットの相談で食事指導をしてもらったときに「コーヒーに砂糖入れるくらいはさせてください!」と食い下がり「じゃあそれはいいですよ!」とイラつかせたことはある)

そんないつも穏やかで優しい矢野さんが、放送作家としてどんなことを想っているのか?

野望とかあるのか?嫉妬とかあるのか?嘆きとかあるのか?
以前からとても興味があった。

今回、取材させてもらって僕が感じたこと。
それは「ただただ“好き”を突き進んでいる人」ということだった。

クイズ、グルメ、お笑い

好きなことをただひたすら熱く、そして穏やかに突き進んでいる。そんな印象。

そこには放送作家にありがちな「競争心」や「嫉妬」「自虐」といったものはあまり感じられなかった。

そして、放送作家としての「誇り」を感じる言葉もあった。

それはこんな質問をした時だった。

「放送作家の意識として、番組はやっぱりディレクターの作品だから『自分は作品を残していない』みたいなコンプレックスを持ってる人多いじゃないですか?そこに関して矢野さんはどう考えられてますか?」

矢野さんは間髪入れずにこう答えた。

「番組がディレクターの作品っていうのは確かにそう思います。ただ、自分(放送作家)の作品じゃないとも思ってないですよ。自分の作品だとも思ってますから」

この言葉にぼくは震えた。

憂いを抱える多くの放送作家が、この言葉で背中をさすられているような気すらした。

取材中、矢野さんの言葉の端々には、穏やかさや謙虚さの中に包まれた、放送作家としての確かな自信が感じられた。

「天職」という言葉があるが、矢野さんにとって放送作家はまさに天職だったんだろうなと思う。

「あ~、この人はまだまだ仕事無くならないだろうな~」
そんな矢野さんへの嫉妬心を覚えながら僕は取材場所を後にした。

深田憲作