ほぼ日刊イトイ新聞

2020-08-09

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・息は吸って吐く、あるいは吐いて吸う。
 どっちもあるから息して生きることができる。
 そのことについて、ぜんそく経験者としては、
 つくづく感じてきたものだ。
 ぜんそくの発作が起きている間、ぼくの場合だと、
 息が吸えなくなって苦しんだ。
 しかし、これは少数派であるらしく、
 多くのぜんそく者たちは、息が吐けなくて苦しむという。

 息を吸うことで、人は体内に酸素を摂り入れている。
 息を吐くというのは、なんにも得てない。 
 だから、吐くことは軽んじられているかもしれないが、
 吐かなきゃ吸えないのだから、吐くことは重要なのだ。

 下ネタだと思われるとちょっと不本意なのだけれど、
 トイレでしゃがんで考えた。
 幼い頃から、だいぶ、こういうことしてきたなぁ。
 これを、排泄だと思うとなんだかめんどくさいけれど、
 こっちの仕事のほうがメインだと考えたら、どうだろう。
 わたしたちは、U-COを製造するために生きているのだ。
 そのために食べて、さまざまな原材料を摂り入れている。
 製造する器官を維持するために、運動もする。
 健康なU-CO工場は健康な生活がつくるものだからね。
 人間の根本的な生きる目的は、U-COをつくること、
 だとしたら、それ以外のほとんどのことは趣味だ。
 勉強ができるとかできないとか、
 仕事をしたとかしないとか、恋をしたとかしないとか、
 そんなものはU-COの製造の片手間にやることなので、
 あんまり重きを置かないほうがいいというわけだ。
 いまだって、こんな文章を書いているけれど、
 こういうことをしていかないと、
 U-CO製造の材料を買えないから、やっているのだ。
 人生の目的は、U-COづくりなので、
 それ以外の大事でないことに価値をおかないようにね。
 とか、ひっくり返しのことを考えたのだけれど、
 結局、大事なものは、水で流して捨ててしまった。
 「諦観」というのは、ここらへんから生まれるのかな。

 入れる、出す。吸う、吐く。行く、帰る。
 「生きる、死ぬ」までも含めて、みんなセットなのよね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
吐かなきゃ吸えない、出さなきゃ入らない。忘れちゃだめ。


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