港区の概要
2018年4月1日
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港区の区域は、かつては淀川の河口に発達した低湿な三角州でしたが、江戸時代に入って河村瑞賢が安治川を開削し、市岡新田をはじめとする大規模な新田開発が進められました。明治30(1897)年に第1次市域拡張により大阪市に編入されるとともに、天保山周辺において築港工事が開始されました。安治川と尻無川にはさまれて水運にめぐまれた地域であり、さらに明治36(1903)年、築港大桟橋の完成と市電の開業により、大阪の海の玄関口として大きく発展していきました。
大正14(1925)年、西区・北区から分離して港区が誕生しました。大阪港の発展とともに、港の周辺には海運業や流通業が集積し、めぐまれた工業立地条件のもと金属・機械を中心とする製造業が著しい発達を遂げました。また、東洋一の規模と謳われた市立運動場や、市岡パラダイスといった集客施設も立地し、港区は創設以後、一貫して大阪市で最も多い人口を擁していました。しかし、昭和20(1945)年の大阪大空襲では最も被害の大きな地域となりました。
戦後は度重なる風水害により復興が遅れたものの、港湾整備や、493ヘクタールに及ぶ広大な土地に2メートルの盛土を施した区画整理が行われ、区内の約87%が整然とした街並みに整備されました。昭和36(1961)年に国鉄(現JR)大阪環状線と市営地下鉄4号線(現中央線)が開通、両線が交差する弁天町駅は、交通の要衝となっています。また、東西に国道172号(みなと通)・大阪市道築港深江線(中央大通)・阪神高速16号大阪港線、南北に国道43号・阪神高速17号西大阪線、海岸部を阪神高速4・5号湾岸線が通り、鉄道・道路ともに交通が非常によく整備された地域となっています。
近年、港湾機能の中心は天保山から南港などに移りましたが、ウォーターフロント開発により天保山に「海遊館」をはじめとする集客施設が集積するとともに、弁天町駅前には「オーク200」の超高層ビル群が建ち並ぶなど、にぎわいの拠点づくりが進みました。また、市立運動場は戦後「八幡屋公園」として整備され、国際見本市会場ともなりました(後に南港へ移転)が、現在は「大阪市中央体育館」「大阪プール」が建つ、国際的スポーツの一大拠点となっています。
新しいまちのにぎわいがある一方、港区は、住民どうしの交流が活発な下町の情緒あふれる住宅地でもあります。地域の神社などでの祭りも盛んで、また地域と学校とのつながりが強く、子どもの安全を守るための活動に地域全体で取り組んでいます。
港区の地勢
港区は市の西部に位置する東西に細長い形をした区で、安治川と尻無川にはさまれ、大阪港を擁する海の玄関口に位置しています。
- 面積:7.86平方キロメートル
港区の花
サクラは区内に名所が多く世界的になじみのある日本を代表する花ということから、ヒマワリは太陽へまっすぐのびるというさまが発展していく区のイメージにふさわしいということから選ばれました。
(制定日:昭和63年10月18日)
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