単に「容疑者家族だから」という人権侵害に私や子ども達が
晒されることになったとしたら、私は断固として闘い、子ども
達を守り抜きます。しかしそれはあくまで、私という個人、
うちの子という個人のレベルの話。
障害福祉ソーシャルワーカーとして、また元厚生労働
国会議員として、また難病患者さんの調査研究にたずさわ
った経験を持つ者としては、
「死を賭して訴えたかった林さんの思い、心の声」を
真正面から受け止め、生涯忘れず、自分の立場でできる
ことをやり通します。
日本医師会長が、夫の事件に触れ
「長期にわたる闘病生活の中で、患者さんが死への道を
探し求めたのは非常に悲しいこと。死を選ばなければなら
ない社会ではなく、生きることを支える社会を作りたい。
医師会がやるべきことは何か、あらためて追求していきたい」
とおっしゃいましたが、私も同じ気持ちです。
報道が事実だとすれば、ですが。患者さんの「死にたい」
という声にたいし「では死なせてあげましょう」と命を絶つ
行為をするなんて、浅はかすぎます。夫がやったかもし
れない行動は、医療への不信をあおる行為であり、絶対
赦されません。死にたい気持ちになぜ陥ったのか
ゆっくり話をきき、原因を探り、医療や福祉、家族の力
を総結集して対応する関係づくりの核になるのが
医師の役割であるはず。夫は精神科医師であったのに
なぜ林さんの心の声に、ゆっくり耳を傾け、エンパワメント
することをしなかったのか。とにかく残念でなりません。
よって私は、夫を擁護する気持ちは毛頭ないのです。
尊厳死議論以前にやるべきことは、林さんがなぜ死にたい
気持ちになったのか。まず発症からの医療・福祉ケアの質や
内容をたどるべきだと思います。特にALSの患者さんの
重要なターニングポイントとなる、人工呼吸器をつけるか否か
のインフォームドコンセントと意思決定に問題はなかったのか。
また、病院ではなく在宅で暮らす決断に、問題はなかったのか。
特に自宅という密室で行われていたケアの評価や調整は、適切に
行われていたのか。林さんの思いは、日々の暮らし
の中で、少しでもかなえられてきていたのか。など。
在宅で、重度訪問介護や訪問診療・看護を使って暮らして
こられた林さん。ひと月にかかっていた公費は、200万を
超えるはずです。医療も含めると250万ぐらいでしょうか。
250万超の公費をかけてなお、患者さん
から死を望む声がきかれたことを、厚生労働省も衆議院
厚生労働委員会も重く受け止め、調査にあたるべきでは
ないのでしょうか?在宅で暮らす重度難病患者さんの支援
の在り方を再検討するべき事案だと私は考えます。単に
公費を投入すればいいというものではない。質の評価検証を
どのように行うか。またよりよいケアにつなげる体制を再構築
すべきです。
ケアの内容や質の評価をすっとばして、尊厳死法議論
というのは、乱暴すぎます。
「ケアを受けながらの暮らしの質を高め、患者さんが満足し、
納得できる数多くの選択肢の中の一つが、尊厳死であること
も検討する」
といった位置づけで議論を展開していくべきだと私は考えます。
一応元厚生労働委員ですから、関係機関や現職議員への
働きかけはやっていきますよ。
そして私は今臨床の一ソーシャルワーカーですから、
難病患者さんの
心の声に耳を傾け、生を支えていく仕事をやっていく所存です。