資本主義は、「ショウ=見世物」にすぎない
資本主義がドラスティックに変容していくなかで、私たちが立つべき視点とは?(写真提供:NHK)
閉塞した時代に正面から向き合うとき、哲学はどんな答えを出すのか? NHK「欲望の民主主義」「欲望の資本主義2018 ~闇の力が目覚める時~ 」での発言が大きな反響を巻き起こし、さらに現在は、ベストセラー『なぜ世界は存在しないのか』でも話題の若き天才哲学者マルクス・ガブリエル。
「欲望の資本主義2018~闇の力が目覚める時~」では、共産主義と資本主義の両方を経験してきた奇才経済学者トーマス・セドラチェクと談論風発、資本主義の本質に迫った。番組の未放送の対話も多数収録した書籍『欲望の資本主義2』から、一部を抜粋してお届けする。
資本主義に代替案がない理由
セドラチェク:今日の資本主義の問題は、問題があるはずなのに問題にされていないことです。言葉を変えれば、資本主義は何とか機能しているけれど、なぜ、それが機能しているのかあまりよくはわかっていません。物理も同じで、たとえば、なぜ物が落ちるのかはわからない。落下という現象の細部まですべてを説明できる完璧な理論はないのです。
私たちは、資本主義は「そこそこには機能するけれど、完璧には機能しないもの」だということを心に留めておくべきです。資本主義が現在どのような状況にあるか、誰にも確実なことは言えません。
もしかしたら世界はすでに崩壊しているのかもしれない。あるいは、世界の崩壊は、あっという間に起きるのかもしれない。システム全体が実際に崩壊しかけているのかもしれないのです。私は、ある意味では、システム全体が実際に崩壊していると考えています。
ガブリエル:「資本主義」という言葉の意味はこの200年間で変化しました。私たちが資本主義としてその特徴を説明しようとしているシステム自体が変化したからです。つまり、システムの理論とシステム自体の両方が大きく変化しました。
変化はしましたが、基本的には、資本主義は「モノの生産を伴う組織的な活動全体」と定義できると思います。それが、資本主義が代替案のないシステムとなった理由です。今日の資本主義は、システムもシステムの理論も、単なるモノの生産と基本的には同義だと思います。
かつて、私たちは資本主義に代わるものがあるはずだと考えていました。モノの生産と消費の観点から、どのように社会がまとまるべきかに関する理論が数多くありました。そして、そのすべては、歴史と科学的、技術的な進歩によって、ある意味では、誤りだったと証明されたのです。
セドラチェク:なるほど。しかし、こうとも言えます。失敗した代替案であった共産主義あるいは真の社会主義は、資本主義よりも生産にフォーカスしていた、ということです。共産主義社会では、高い精神性や宗教、批評、芸術を含むすべてが、より高い生産性の対象です。資本主義よりも、あらゆるものをモノとして測定しようとしたのが共産主義だとさえ言えます。
たとえば50年前の共産主義社会の工場では、人の仕事はコンピュータもなく原始的なツールを使って行われていましたから、計画を作ることが重要でした。生産性で資本主義社会を追い越すためにです。つねに経済的な勝利が重要でした。科学的勝利も重要だったかもしれませんが、それ以外の要素はありませんでした。
ですから、共産主義や社会主義は、モノには還元できないほかの要素を受け入れる資本主義よりも、経済を重視し、経済をあたかも神であるかのように奉っており、宗教的で一神教めいていたと思います。これにより物事が変わるのです。
シュンペーターの議論で最もすばらしかったと思うのは、資本主義に代替案がないのは、ある意味、資本主義は自身の代替案だと言えるからだという指摘です。私はチェコスロバキアの出身です。1993年にチェコとスロバキアに分離しましたが、チェコの資本主義は1990年代には、今とはまったく違いました。ドイツの資本主義でさえ1990年代初頭の姿は今とは違いました。生態系へのダメージについてあまりに無知でした。私たちは知らなかったのです。気づいてもいませんでした。
しかし、繰り返しになりますが、共産主義システムはより無条件でフェティシズム的だったと思います。たとえば、西側諸国は重工業による生態系の破壊に気づいていましたが、その時、共産主義諸国はそんなことには無関心でした。
資本主義は代替案のないショウ(見世物)だ
ガブリエル:私は、資本主義を少し違う視点でとらえています。資本主義は「モノの生産を伴う組織的な活動全体」と定義できると言いましたが、「モノを生産する」(Produce)という言葉の語源は、「前面に導く」という意味です。「モノを生産する」とは「前に導く」=「見せる」ということです。
つまり生産は、ある意味でショウなのです。他人にモノを見せると、そのショウに対して反応がある。つまり生産条件下では2つの縫い目、つまり生産と消費が1つになります。
伝統的に私たちは差し出すモノを「商品」と呼び、2つ目の、それに対する反応を「消費」あるいは「消費の拒否」と呼んでいます。これを一般化して、確かに経済を手放しで崇拝する社会主義社会の言うところの使用価値から切り離して考えると、フェイスブックの「いいね!」やこの会話もモノの生産ということになります。このモノの生産条件にはカメラやディレクターや私たちが会話をしたいという気持ちさえも含まれます。
そして資本主義には代替案がありません。今では資本主義は、ショウとしてあらゆる測定方法がある経済システムだからです。偶然かもしれませんが、今日の世界で、ドナルド・トランプはある意味で資本主義の主な顔と言えるのかもしれません。そして同時に、彼はリアリティ番組を作り出してもいるわけです。
セドラチェク:ええ。
ガブリエル:資本主義は代替案のないショウだと思います。
セドラチェク:なるほど。ポイントが2つあります。私たちは、「ティーパーティ」(オバマケアに代表されるオバマ前米政権の統治理念への反発から広がったアメリカの草の根保守運動。2010年ごろからアメリカ政治の表舞台に姿を現した)につながる右派のドナルド・トランプが自由貿易に反対する時代に生きています。
今の状況はこうです。かつては中国には貿易障壁があって、100年前、人々はそれをあまり賢くないやり方だと思っていました。しかし、今では中国はより強固な壁、中国人を守るもっと強固な方法、中国人を豊かにさせるもっと強固な手法を見つけました。それは世界と自由貿易をすることです。立ち位置が正反対になってしまいました。
中国は長い間自由貿易に反対して、壁で自分たちを守ってきたのに、それが今では、中国は自由貿易の最大の支持者になりました。ドナルド・トランプとは正反対です。これはある意味、皮肉ですし矛盾だと思います。
ガブリエル:そうですね。けれど、もし、私が申し上げたように、資本主義が代替えのないショウだとするとどうでしょう。そうだとすれば、ドナルド・トランプの戦略は従来の戦略とまったく異なると言えます。重要なのは鉄鋼会社を守ることでも、雇用を守ることでもなく、ショウを売ることです。今のアメリカの政権が富を生み出す方法は、まさしくショウ形式によるものです。そうなると最近の最強のアメリカ製品の1つは……。
セドラチェク:見世物ですね。
ガブリエル:ええ、見世物です。
セドラチェク:同感です。私が言いたいポイントは、共産主義体制が資本主義的プロパガンダに寄っていって姿を変えているということです。
ガブリエル:確かにそうです。
資本主義がコントロールできないこと
セドラチェク:マルクスは「われわれは己が作り出す制度に責任がある」と言いました。すばらしい言葉だと思います。経済について話したり教えたり読んだりするときにつねに頭に浮かぶ言葉の1つです。
もし私が腕時計を作ったとすれば、それを分解することも、再び組み立てることもできます。しかし、誰かにもらった腕時計は、その動きを予測することはできても、壊れてしまったらどうしていいかわかりません。つまり、資本主義は基本的に意図したことと意図していないことの組み合わせで成り立っています。私たちはその視点に立つべきです。
書籍の元となった番組「欲望の資本主義」の企画開発者、プロデューサーの丸山俊一さんと、タレント/キャスターとして活躍する、堀口ミイナさんによるトークセッション「ココロとカラダと資本主義」が7月22日(日)15:00より本屋B&Bにて開催。本書の関連番組「欲望の時代の哲学~マルクス・ガブリエル 日本を行く」はNHKのBS1で7月15日(日)22:00~放映予定(撮影:今井康一)
資本主義について、私が指摘しておきたいのは、「生産」という興味深い現象についてです。なぜなら、私たち人間が唯一行っている真の生産活動は繁殖、つまり出産だからです。人間は物質を生産するのではなく繁殖します。
不思議なことに今日の社会では女性が妊娠すると、つまり、最も純粋な意味で再生産すると、その女性は生産性がないと考えられてしまいます。本当の意味での人間にとっての財産を生産しているのに、その女性は生産性の低い社会の一員だとみなされるのです。
ガブリエル:そのとおりですね。資本主義社会では、生産をしない子どもは負担ですし、出産や母親も負担です。生産性の低い移民労働者もです。これらは、自然に属する存在で、人工的なモノではありません。資本主義社会では、人工的でないものを処理するのが非常に難しいのです。一般的な生産の条件である資本主義の測定単位を適用できないからです。
だからこそ、出産は宗教的な体験なのです。今日でも出産は生死の問題だからです。現在、資本主義がまだコントロールできないことがもう1つあります。閉ざされた資本主義社会に対する攻撃の1つはテロです。これもまた、生死の経済です。