●王銘琬九段の衝撃
王銘琬(オウ メイエン)(1)という九段の棋士がいます。
1961年台湾出身で1975年の11月に来日し1977年にプロ入り。
日本の三大タイトルの一つ「本因坊」を獲ったこともある超一流棋士の一人です。
メイエン九段と初めてお話したのは、今からちょうど10年ほど前、日本棋院から帰宅する電車の中でした。
たまたま隣の席になり、お辞儀をして緊張している私に、
「高見さんはお芝居をやってらっしゃるそうですね」
とメイエン九段が話しかけてくださったのです。
「は、はい」と答えたきり、<知ってるんだ…!>と驚き恐縮して何も言えずにいると、「どういうお芝居ですか?」と尋ねてこられました。
<こういうときには、きちんと返事ができなければ>と気持ちばかりあせり、「一作一作違うのですが、主には現代が舞台で、隣に住んでいそうな普通の人々が主人公で、彼らがあり得ない世界に投げ込まれて……」と話し始めたもののまとまりそうになく、「わかりやすい不条理劇を目指しています」と強引にまとめてみました。
そして一人赤くなったり青くなったりして<ああ、もっと気が利いた答えを、なぜいつもできないんだろう>と自分を責め、落ち込んでいきそうになったとき、メイエン九段から次の言葉が発せられたのでした。
「僕はね、別役実さんの書くものは不条理だとは思わないんですよ」。
<・・・・・・>
そのときの驚嘆というか、それを通り越して愕然としたことは今でも忘れられません。
年齢は私とさほど変わらず、14歳で来日してから日本語を覚え、ひたすら囲碁の道を極めてきた方が、日本の劇作家「別役実」を知っているだけでも驚きなのに、その戯曲を読んだこともあり、かつ「不条理だとは思わない」という自らの意見を持ち、堂々とにこやかに私に語っているのです。
<私は一体この二十年何をやってきたんだ。
メイエン先生と比べて、どれだけ無駄に時間を過ごしてしまったんだろう>。
その後の私の頭の中は、メイエン九段への畏敬の念とショックの間を全速力で行ったり来たりしていたものでした。
この頭の中の往復運動は、今も(つい1カ月前に、やはり電車でたまたま一緒になったメイエン九段から「ワケあって」若い頃にお芝居をよく観ていた時期がある、というお話を聞いて少し速度は落ちたのですが)続いています。
今回は、自己紹介も兼ねながら、「囲碁と演劇」というタイトルにしてみました。
私は大学入学と同時に早稲田小劇場(後のSCOT)という劇団に入り、それからずっと演劇を続け、今はかもねぎショット(2)というグループの代表をしています。
一年に2公演のペースですが、今年度は3公演とちょっとハードスケジュール。
7月公演を終えてホッとしたのもつかの間、11月公演の準備が始まっています。
かもねぎショット公演『Circle Dance ~ロマンス~』(2009年)
撮影=伊藤雅章 振付・演出=伊藤多恵 テキスト=高見亮子
●囲碁は<生身の人間力>を映す鏡
さて、勝ち負けがつく囲碁と演劇とでは、全く世界が違うと考えていたのですが、囲碁も一局一局が作品だと考えると、共通点が多いことに気づきました。
まず、舞台が四角いこと(演劇では円形や変形舞台もありますが)。
始まりには何もないこと。
ここはポイントです。
そしてそこに、自分にしか創れない世界を立ち上げようと大望を抱き、今自分が持っている技と芸の全てを注ぎ込もうとすること。
プロ棋士はときどき、対局がまだ始まったばかりだというのに長考すること(長く考えること)があります。
以前は、「もう考えてる! やはりプロは違うなあ」と闇雲に尊敬していたのですが、どうやら「考えている」とは限らない、ということがだんだんわかってきました。
例えば、石倉昇九段(3)は「碁盤を前にして、今日はどんな碁を打とうかと構想を巡らせるときが一番幸せ」と話されたことがあります。
その言葉を思い出すと、なるほど、依田紀基九段(4)などは、ご本人は気がついていないでしょうが、何もない碁盤を見つめながら幸せそうにニコニコしていたりするのです。
やはり、構想を巡らせて、想像の世界を広げているのでしょう。
そして、そんなふうにニコニコ笑えるときというのは、心身ともに広々していながら充実しているに違いなく、<ああ、あやかりたいな>と羨ましげに見入ってしまいます。
そうかと思うと、趙治勲二十五世本因坊(5)のように厳しい表情のまま長考する棋士もいます。
これは、対戦相手の棋士の推察によると、「気合が高まるまで石を握ろうとしない」ためだそうです。
この厳しさも見習わなければと思います。
いつも正解があるわけではない、というところも囲碁と演劇の共通点でしょう。
正解がない中で次の手を選ぶとき、囲碁では自分の感性をどれだけ信じられるかが大事。
また、一度決めたら自分を信じて突き進むことも大事なようです。
プロ棋士はよく「前に打った手の顔を立てる」という意味のことを口にします。
つまり、途中で作戦を変更すると、それまでに打った石が「悪手」になってしまい、耐えがたいのだそうです。
(と、ここで書きかけの台本に目を通してみると、揺らいでばかり。自分を信じる力が圧倒的に欠けているようです)
かもねぎショット公演『福袋駅下車徒歩6分』(2013年)
撮影=伊藤雅章 作・演出=高見亮子
一人では作品を創ることはできない。
これも共通しています。
相手が何を考えているかを常に考えている、と言い換えることもできるかもしれません。
演劇では、相手役の俳優が上手だと、何も考えずに自然に伸び伸びと演じられます。
私の大好きな俳優が「自分のセリフを自分のために言ったことは一度もない。全てのセリフを相手役のために出している」と話したことがあり、感心させられたことがあります。
囲碁では、「相手のために」自分の手を打ったりしようものならたちまち負けてしまいそうですが、「相手をよく理解した上で、次の手を選ぶ」ことは欠かせません。
相手のことを何も考えずに一人よがりで選んだ手は、たいてい散々な結果を招くもの。
囲碁が強くなればなるほど、相手の心を読めるようになるといいます。
プロ棋士は、対局中のお茶の飲み方や、ため息の音色でも見抜けるそうです。
長い長い歴史を持ち、世の中がどれほど変わっても生身の人間の力が試される世界、という点も共通しています。
失敗もし、いつまでも経っても満足できず、でも名局、名舞台が生まれることもあり、それらは見る人を感動させ。
これからも人間を映してゆくのだろうなと思います。
(1)王銘琬九段
囲碁界の哲学者。と思っているのは、私だけではないはず。
(2)かもねぎショット
演劇集団です。
詳細はHP(今リニューアル中のため不備が多いのですが)、ブログをご覧ください。
(3)石倉昇九段
東大法学部→日本興業銀行というエリートコースから囲碁のプロ棋士に転身。詳細は『ヒカルの碁勝利学』をぜひ。「わかりやすい解説・指導」にも抜群の定評があります。
(4)依田紀基九段
名人位4期をはじめビッグタイトルを数多く獲得した超一流棋士。世界戦でも優勝したことがあります。「世界一の男」・韓国の李昌鎬(イ・チャンホ)九段に強く、韓国では、歩いていると振り返られるほど有名だとか。『ヒカルの碁』に登場する「倉田」のモデル。でも最近ダイエットに成功して20キロやせられ、外見は今では倉田と全く似ていません。
(5)趙治勲二十五世本因坊
タイトル獲得数は史上1位。「大三冠」(三大タイトルを同時期に制覇)、本因坊位10連覇など数々の偉業を達成し、現在も第一線で活躍。囲碁界の歴史に大きな跡を残す大棋士。さまざまな会でのスピーチの才も秀逸、絶品で、会場を必ず大爆笑に誘います。
===囲碁入門講座、おすすめイベント!===
■防災囲碁まつり @横網町公演(墨田区横網二丁目)
9月8日(日)16時~19時
石倉昇九段と小川誠子六段による「趙カンタン! 囲碁入門講座」と「ワクワク囲碁トーク」が16時15分ごろから行われます。入場無料。ご自由にご参加いただけます。
17時30分ごろから、小川誠子六段と小林彩さん(中学1年生。小林光一名誉三冠の次女)の記念対局も行われます。解説は石倉昇九段です。
お問合わせ先:岡本建築設計事務所
TEL:03-3625-2532
メール:sekkei@oka-ken.com
公式サイト:http://shutobo.jp
■『ヒカルの囲碁』(石倉昇・著/高見亮子・編集協力)
「囲碁」初心者におすすめの入門書!(5万部突破!)
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■『ヒカルの碁勝利学』(石倉昇・著/高見亮子・編集協力)
東大出身の異色のプロ棋士、石倉昇九段の「勝利の哲学」!
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