2019年11月、開業したばかりの渋谷スクランブルスクエアを後にしてスクランブル交差点を歩く。
ふと左を見ると今年の春にロゴを一新したSHIBUYA109が見える。
その中央にはYouTubeをプロモーションするタレントのけみおさんの顔。
「自分の顔が駅前にあんなに大きく飾られるってどんな気持ちなんだろうね」
思わず発した言葉に、さっきこの街で一番高い展望台から見た夕日に呼び起こされた感傷的な余韻が宿る。
渋谷の夜は人をエモーショナルにさせる。
それはこの街が多くの気持ちを抱えたままだからだ。
感動も熱狂も憤懣も悲哀もすべて抱いたまま、この谷底の地形に蓄積されていく。
けみおさんの頭上には「みんなの好きが、ここに。」の文字。
再開発が進む渋谷は新たな「好き」を誘えるのだろうか。
流行を生み出す街から消費する街へ
最近の渋谷は凋落したと表現されることも少なくない。
実際、渋谷の乗降者数は減っている。
JRにおいては10年前の乗降者数ランキング3位から、2018年度に横浜や品川に抜かれ6位へと大幅にランクダウンしており、さらには2013年、東急東横線の地下移設に伴う駅構内の複雑化によって「ダンジョン」と揶揄されるほど「わかりにくい駅」という認識が広まってしまった。
また、かつて賑わっていたセンター街も、決して廃れたわけではないが、並ぶ店舗はどの街でも見られるようなチェーンの飲食店が目立つようになり、個性が失われた印象がある。
かつて流行を生み出し発信していた街が、こうしてむしろ流行を消費する街になってしまったことを一部では「池袋化した」ともいわれているが、池袋駅はJRにおいては10年前から現在(2018年度)におけるまで毎年連続2位の乗降者数を保っている。
もちろん乗降者数だけがその街の繁栄を表すすべてではないが、渋谷がギャル文化などを生み出したかつての勢いを失っていることはたしかかもしれない。
渋谷の発展の歴史
今の渋谷を築いた歴史を語るには1960年までさかのぼる。
当時は、今でいう団塊の世代による安保闘争、そして学生運動が活発な時代だった。
1968年には新宿騒乱という約750人もが逮捕される新左翼暴動も起き、渋谷でも西口の地下などに学生や市民が自然発生的に集まって反戦ソングを歌うフォークゲリラが行われていた。
國學院大學で「渋谷学」を研究する石井研士教授によると、「新宿においては紛争の影響が大きく、また、近くに歌舞伎町もあることから裏世界というイメージが長くつきまとったものの、渋谷は70年代になってセゾングループ(西武百貨店を中心とした企業グループ)の「文化戦略」の一環で渋谷PARCOを建てたことで別方向へ進み始めました」
「当時、中に『アールビバン』という美術館を擁したつくりなどは若者たちに大きな衝撃をもたらし、「PARCO(イタリア語で「公園」の意味)」にちなんでNHKまで続く通りが「公園通り」と名づけられるなど、ダークな印象の新宿に対して渋谷は明るい文化の街というイメージ構築を始めた」のだそう。
その後1979年、西武(セゾングループ)を追いかけるように東急グループがSHIBUYA109(当時の名称は「ファッションコミュニティ109」)を建てる。
創業当時の「マルキュー」は今のイメージとは異なるもので、顧客も今より年齢層が高かった。
オイルショックの影響で客足が遠のく中、唯一me Jane(ミージェーン)だけが依然好調であり、一挙にほかのテナントもハイティーンをターゲットにしたブランドに切り替えたことで今のマルキューになったのだと石井教授は言う。
「だれかが『これを売ろう!』と主導して実現したわけではなく、渋谷に来ている人たちが自分たちで選んでいって、店も淘汰されて、洗練されて、そうして文化が生まれてきた。
ファッションだと渋カジ、音楽だと渋谷系サウンド、そういうのも若者たちが自発的に集まって作られたのです」(石井教授)
シブヤ・ビットバレーと混沌から生まれる文化
ところで、渋谷は「ビットバレー」と呼ばれることがある。
IT企業が集まることが由来しているのだが、「渋谷」の地名にちなんで「渋い=bitter」「谷=valley」を略して「Bit Valley」と命名された。
渋谷が渋谷たらしめる個性と影響力を持っていたころ、多くのIT企業が近辺に集中してオフィスを構えていた。
Google(2010年までセルリアンタワー)、Amazon(2012年まで渋谷クロスタワー)もかつて渋谷に拠点を置いていたIT企業だ。
現在、100年に一度の再開発といわれる改革でなにが大々的に変わるかといえば、オフィスを保有できるビルの新設である。
ご存じの方も多いと思うが、昨年2018年に建てられた渋谷ストリームには、先月2019年10月からGoogleがオフィスを移転させている。
一度は規模が合わず渋谷を離れた企業が戻ってきているのだ。
石井教授はこう言う。
「ネットで『渋谷 IT 地図』で検索するとマップが出てきますが、大手から小さなベンチャー企業までたくさんの会社が見られます。
たとえば新宿や丸の内のような完成された街であればこういうことにはならない。
大手から零細企業まで幅広く共存できるのは、それだけ猥雑な街だということです」
「やはり文化というのは混沌や猥雑の中から生まれてくるもので、大企業が戦略的に進めても本当にそれで新しい文化や企業が育つかどうかはわからない。
もともと街が持っている雰囲気や過去、我々が見つめるまなざしの中で、渋谷は今後ビットバレーを拡大させていくでしょう」
世界唯一の都市
「ニューヨークにもロンドンにもパリにもない、まったく新しい街だと思います」(石井教授)
その理由は、今回の再開発で作られつつある形状にある。
「今渋谷がやろうとしているのは地下を繋げることではありません。
地下街に関しては東京駅や大阪、名古屋なども活性化されています。
多くの店舗が並び、そのままビルの上層階にも移動できる。
新宿などもそういったつくりになっていますが、渋谷はそれらとは違うんです」
「広大な地下街が広がり、その上に立ち並ぶビルの上層階にも直接行け、そしてそれだけでなく、地上2階でも道が繋がるんです」
たとえば山手線で渋谷に降りた場合(地上1階)、2階の改札を出ると、渋谷ヒカリエとも渋谷ストリームとも、2023年に誕生予定の「渋谷駅桜丘口地区」プロジェクトとも道が繋がっていく。
地下街では人が賑わい、地上では車が行き交い、さらにその上の2階でも人々が動いている、そんな光景が日常になるわけだ。
「渋谷駅はそもそも谷底の地形なので、それを囲む道玄坂も宮益坂も公園通りもすべて上がっていく形になります。
その周囲に高いビルが増えていき、最下では地下5階を走る東横線と副都心線、最上には地上3階を走る銀座線が8階分もの高さを越えて接続し、その中を常時人々が移動している、…これは世界でもほかに見られません」
東横線が地下化したのは2013年。
そのときに駅舎は86年の歴史に幕を閉じた。
今はその跡地に渋谷スクランブルスクエア、そしてそれと高架橋で繋がる渋谷ストリームがそびえ立つ。
地上を走る最終日の2013年3月15日、東横線は最後の地上駅舎の姿を見ようと押し寄せた乗客で混雑はしていたものの、最終電車まで通常どおり運行していた。
そして翌日には、さもそれまでどおり「昨日の続き」という風情で地下に潜る線路を走った。
運行中も工事を推し進め、最終電車から始発電車が走るまでの短時間で完成させたのは技術力あってこそであり、それは称えられるべき功績であると思うが、東横線ユーザーでもある筆者はそのとき妙な違和感を覚えた。
驕りでなければ同じ気持ちを抱いた者は少なくないのではないだろうか。
そしてその違和感は、地上へ上がるまで複雑に入り組まれた構内のつくりへの不満へと変わっていく。
「シブヤ」というカルチャー
一旦、前項末尾に触れた渋谷駅構内の複雑なつくりについては説明を先延ばしにして、改めて渋谷という街がこれまでに築いてきた流行や文化について述べていきたい。
この街のことを考えたとき、ギャル文化を発信した街だという印象を抱く人は多いだろう。
1995年ごろ、当時絶大な人気を誇った安室奈美恵さんが履いていた厚底ブーツがマルキューで販売されているという話が広まり、渋谷の街に「アムラー」と呼ばれる、ロングの茶髪・小麦色の肌・細眉・ミニスカート・厚底ブーツといった恰好の女性たちが自然発生的にあふれた。
そしてその肌色をより強調すべく、日焼けサロンなどでさらに強く焼いたり元の肌色よりも濃いファンデーションを使ったり、目元を白く塗ったりした「ガングロ」と呼ばれる女性たちが現れはじめ、その延長線上に、ガングロよりもインパクティブに進化させたメイクと金髪やメッシュの入った髪を特徴とし、時にシールなどを顔に貼ってデコレーションした「ヤマンバ」スタイルが生まれる。
また、最近でいうと「渋ハロ」という略称もなじんできたハロウィンの文化もある。
石井教授の著書『渋谷学』(2017年)には、それまでは特段盛り上がっていなかったが2015年に突然爆発した、と書かれているが、2010年ごろ、ほとんどだれも仮装をしていなかったころから仮装をして渋谷を訪れていた筆者もそれは同感である。
毎年少しずつ渋谷で仮装する人口は増えてはきていたものの盛り上がっているといえるほどではなく、だからこそ時を同じくして仮装をしてこの街に現れた自分たちは同志だという妙な親近感を覚え、他人同士で写真を撮り合ったり酒を交わしたり楽しんだ。
2014年10月31日、駅前には地面が少しも見えないほどの人々(ただし仮装していない者も多い)が群集し、翌年へと続く予感があった。
そして2015年の急激な盛り上がりは、自分たちのしていたことは間違っていなかったんだという自信にも結びつき、余計にその親近感が強まる感覚があったのだが、その後のナンパや盗撮、ゴミ問題、2018年の軽トラック横転事件などの騒動に繋がってしまってからは、悪しき文化と思われても仕方ないものがあると思う。
ヤマンバについては派手な恰好をしていただけだが、当時援助交際やセンター街において家出少女が深夜まで屯するという時代背景もあり、批判する声も少なくなかった。
このように、純粋な流行が盛り上がった末に形を変えてしまったのは、いずれも自発的に生まれたもので、だれに導かれたわけでもなく、あるいはだれに制されるわけでもなく、それゆえにエスカレートし続けてしまったことが原因なのかもしれない。
そもそも2010年、まだだれも仮装をしていない渋谷にハロウィンを楽しむ目的で訪れたのはなぜなのか、筆者は「どんなことをしても受け止めてくれる街だと思った」からだと自覚している。
おそらく当時の「同志」たちも同じ感覚だったのではないだろうか。
「なにか変わったことをやっても奇異に見られたり後ろ指をさされないという空間、場所は、東京だけでなく日本全体で考えても渋谷以外では考えにくいのではないでしょうか」と石井教授は言う。
「ちょうど谷底になった地形もあって、人が集まりやすいんです。
たぶん囲まれていることでほっとするんでしょう」
異世界と繋がる街
ギリシャ語で「場所」のことを「トポス」というらしい。
それはただの場所を指すのではなく、特別な場所を指す。
前述の『渋谷学』には、渋谷駅からすぐの場所に位置する金王八幡宮の祭礼についての記載があるのだが、神社と町会の人々にとっては3年ぶりの神輿の巡行を、通行人は特に気にとめる様子もなく横切るという。
日常と非日常が同一の場所で存在している。
しかも金王八幡宮は渋谷を地元としていて通行人はそうとは限らないことを考えると、日常と非日常がそれぞれに逆転しているということも考えられる。
それを可能にするのが都市というトポスなのだ。
若者文化にも精通している石井教授は、映画『バケモノの子』(2015)で渋谷が異世界と繋がっていたことに触れた上で、「『幼女戦記』(2011~)とか『転スラ(『転生したらスライムだった件』の略称、2013~)』とか、今『異世界ブーム』が起きていると思いますが、異世界にも繋がりうる可能性のある空間を考えたら渋谷が一番簡単に想像できると思います。
実際、道路がまっすぐじゃないということもあって、空間をゆがめたら異世界に繋がるというのも納得できるのでは」と言う。
話を少し戻すが、渋谷は東横線が地下に移設して以降、駅構内が複雑化していて「ダンジョン化」したといわれている。
しかもそのことにようやく慣れてきたユーザーも、先日の渋谷スクランブルスクエア開業に伴って地下出入り口の番号が一新されたため、また新しく覚え直さなくてはならなくなった。
「再開発が終了する2027年にはもっといろんなところに通り抜けやすくなっているとは思いますが、それでも渋谷は使いこなすのが難しいんじゃないでしょうか。
おそらく世界で一番の迷宮都市を最先端技術で作ってしまったんです(笑)」
「でもそれを受け止めて楽しんだ方がいいと思います。
たとえば地下2階を歩いていたつもりがスロープになっていて知らぬ間に地下1階に移動していたりすることもありますが(笑)、渋谷駅の上下移動はアーバン・コアもあり、どんどんスムーズになっていくと思います」
「もともと谷の構造で坂に囲まれているから上り下りが多く、騒々しい繁華街と百軒店のようなレトロな街並みとラブホ街と、一本道をそれただけで雰囲気の変わる街です。
坂を上ったり下ったりすると、それだけで景色も変わり、つまり視野が変わるのでどこか感覚も変わるのではないでしょうか」
かつてオウム真理教は渋谷区と港区の境目に位置する交差点角に拠点を置いていた。
法の華三法行も本部は静岡にあったにも関わらず渋谷区松濤に施設を構えていた。
渋谷に集まるのはなにも若者だけではない。
人はこの谷底の地形に、滑り落ちたものでさえもすくう受け皿のような存在を見出し、刺激を求める一方で安穏を求めるのかもしれない。
日常と非日常が逆転する街であれば、それらもまた表裏一体であるはずだ。
そしてそれは通常の世界線と、それとは異なる別世界が繋がることを意味しているのかもしれない。
2027年にこの100年に一度の再開発は一旦完了する予定だが、石井教授はその後も大規模ではなくとも工事が続くことを示唆する。
「オフィスが増えるので今後は昼食難民が出るんじゃないかといわれるほどサラリーマンやOLが増えます。
そして商業施設も増えエンタメ性が上がるので主婦などの層も増えます。
若者に限らず、それだけ人が増えたらおもしろい組み合わせが生まれ、また新しい文化が生じる可能性も考えられます。
なにより、渋谷が翳ったら日本はもうおしまいなんじゃないかと思えるほどの重要性がまだまだこの街にはあると感じています」
現代の最先端技術をもって新しく生まれ変わろうとしている渋谷。
だけどこの街はきっと永遠に生まれ変わるなんてことはなく、これからもずっと未完成であり続ける。
そして訪れた人や時によって見せる顔を変えて、私たちとともに生き、呼吸をしながら記憶に残り続けるのだ。
もしかしたら刺激を求める者には刺激を与え、安穏を求める者には安穏を与え、時に気まぐれに逆転させたりするのかもしれない。
それはつまり、だれかにとってはまさしく異世界へと繋がる入り口になるのではないだろうか。
取材協力:石井研士教授(國學院大學)
撮影:Lucas Eizo