このOECD調査から浮かび上がるのは、子どもたちに対して、「なんでもかんでも言われたことを鵜呑みにするのではなく、自分の頭で論理的に考えてみなさい」と教育するのは、社会や文化に関係のない「世界の常識」ということだ。
が、この常識に頑なに背を向けて、我が道をつき進む国が1つだけある。そう、我らが日本だ。先ほどの調査で47の国・地域が40〜87%の範囲におさまっている中で、なんと日本だけが12.6%と、ドン引きするほどダントツに低いのである。
ちなみに、これほどではないが、日本の教員がほとんど実践しない指導がもう1つある。「明らかな解決法が存在しない課題を提示する」という項目だ。48ヵ国平均が37.5%という中で、日本は16.1%。下にはチェコやリトアニアという旧共産圏の国しかなく、ビリから3番目だ。
つまり、我々は何かにつけて、「ここまで識字率が高くて、レジでもお釣りの計算を間違えない国民が多い国は他にない」などと日本の教育レベルの高さを誇るが、実は一方で、世界のどの国でも当たり前にやっている「複雑な問題を先入観ゼロで自分の頭で考える」ということを子どもに教えない、ダイナミックな教育理念を持つ国だったのである。
「ゼロから調べるレポート」で
宿題の存在意義を調べてはいけない不思議
そう言われてみれば、皆さんも身に覚えがあるだろう。小中高の授業で先生から、「世の中で当たり前となっていることを疑ってみる」というようなことや、「そもそもなぜそんなルールがあるのか」などということを考えさせられたという経験のある人は、かなり少数派ではないか。もちろん、それは最近の学校も変わらない。
少し前、知り合いの子どもから非常に興味深い話を聞いた。その小学校では、夏休みの宿題として、自分が興味を持ったことをゼロから調べてレポートにするという課題が出された。テーマは自由で、「なんで地球は丸いのか」ということから、「なぜ戦争がなくらないのか」というような壮大なものまで、興味を持てばなんでもいい。レポートは休み明けに、クラスのみんなの前で発表する。
そうした教師の説明を受けて、盛り上がる子どもたちの中で1人がこんなことを言い出した。
「じゃあ、僕はなんで学校には宿題があるのかについて調べます」