どんどん少なくなるパン給食 | 幕内秀夫の食生活日記

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 ごはん(玄米・ゴマ塩)、味噌汁、うどの煮物(じゃこ・油揚げ)、納豆、鯖の水煮(缶・ねぎ)

学校給食「パンが出ない」 パン工場は廃業の危機

名古屋市熱田区にある「旗屋小学校」。名古屋市で最初に学校給食を始めた学校です。この日の献立は、米粉パンにマカロニグラタン、キャベツのサラダ。

 実はこの給食を巡って、最近ある異変が起きているといいます。

「ご飯が多い」
「普段はパンじゃなくて、ご飯が多い」(児童)

 今給食では、パンがほとんど出ないといいます。この日は、11日ぶりにパンが登場しました。残ったパンをめぐって争奪戦が…。

「(パンは)月に3~4回くらい」
「もしかしたら、本当にご飯ばっかりの時代がくるかもしれない」(旗屋小学校 給食調理員)

  “愛知県の学校給食の主食について、パン・ご飯の回数を表したグラフ”を見ると、かつてはパン食が中心でしたが、1987年度以降はご飯が中心になっています。

なぜパンからご飯に?
 

 ではなぜ、給食はパンからご飯が占めるようになったのでしょうか?給食の食材を管理する愛知県学校給食会を訪ねました。

「地場産物を(使う)ということが、給食ではテーマとなっていますので。米は日本国内でとれるんですけど、小麦はどうしても輸入小麦なので」(愛知県学校給食会 加藤雅巳 物資課長)

 学校給食の歴史は、第二次世界大戦後にまでさかのぼります。当時敗戦国だった日本は、深刻な食糧難。そのため、給食のほとんどがアメリカ産の輸入小麦によるパンが中心でした。

 学校給食でご飯が出されるようになったのは、高度経済成長期の1970年代から。それから、徐々に国内の食材を使う方針が打ち出され、ご飯食が中心になってきたといいます。そして、今パンは給食ではあまり見かけない、貴重なモノとなっているようです。

パン工場は廃業の危機?
 

 一方、戦後から長年給食パンを作り続けてきた、愛知県一宮市にあるパン工場「東海パン」では、この現状に対して苦しい胸の内を語ります。

「給食パンは最低でも週2回はいりますね。これ以上パンが減ってくると、パン工場がどんどん無くなる」(株式会社東海パン 長谷川正已 社長)

 愛知県学校給食会によりますと、40年前は57軒あった給食パンを作る工場が、最近では半分以下の20軒にまで減ったといいます。その理由の多くが、給食パンの発注が減ったことや後継者不足だといいます。

 生き残っていくために、東海パンでは70年代にご飯の製造も始めました。現在愛知県内で残っているパン工場の多くは、給食用のご飯の製造も行っている所がほとんどだといいます。

「小学校から英語を習う時代なんだから、国際化に遅れちゃいけないでしょう。やっぱりパンを増やさないとまずいでしょう」(株式会社東海パン 長谷川正已 社長)

 長年給食パンを作ってきた長谷川社長は、食育の面からもその重要性を訴えています。

 

中京テレビNEWS

▼学校給食の目的は、「子どもの健全な成長のために実施しなければならない」という法律を忘れた酷い記事ですね。ただ、この記事を読むと、うれしい部分もありますね。私たちは子どもの健全な成長を願うのなら「完全米飯給食」にすべきだと訴えて運動をしています。少しは頑張った成果が出ているのか?と思いますね。実際、愛知県でも運動をしてきて、完全米飯給食になった自治体があります。ただし、再度確認すれば、それは子どもの健康を考えてのことです。学校給食は一部の食品メーカーのためにあるわけではないということです。

「パン工場の廃業」?気の毒だとは思いますが、仕方ないことだと思います。もっともそれを言うんだったら、国内の稲作農家は「減反」を強いられてきました。米の消費が減ったからです。なぜ、消費が減ってきたのか?成長期の子どもたちに学校給食を通して、パン食を普及したことが最大の原因です。パン食が普及すれば、魚を食べることも減ります。お茶を飲むことも減ります。その結果、食料自給率も下がってしまいました。

 国内の稲作農家よりも、外国の小麦農家のが大事なのか?と言いたくなります。それにしても、パンを食べないと「国際化に遅れちゃうでしょう」は笑い話のようですね。学校給食って何なのかを忘れた記事はどうしようもないですね。