「それでは、出発します」
「――――お願いします」
ニンブルが操る馬車に乗り、帝城を後にする。
帝都の門まで送って、魔導国の馬車に乗り換えれば彼の仕事はそこで終わりだ。
「お父さま~! お母さま~!」
「また遊びに来るからね~!」
クーデリカとウレイリカが窓から身を乗り出し、城の入り口から見送る両親に手を振っている。
仲睦まじく寄り添い。穏やかな笑顔で手を振りながら見送る両親は、なんだか一気に年を取ったように感じた。
置いていくような感じがして、少しだけ申し訳なさを感じながら、アルシェも控えめに手を振る。
やがて二人の姿が見えなくなる。
両親はそれまでずっと手を振っていた。
「お姉さま。また会えるよね?」
「ウレイリカもまた会いた~い」
「――――うん。次に連休が取れたら、ね」
次に会う機会があることに喜び、はしゃぐ二人。
そう、魔導国とは友好国なのだから会おうと思えばいつでも会える。
両親に対する胸の内にあったわだかまりも、今はもうほとんどなくなっている。
次はもっと晴れやかな気持ちで帝国に来られることだろう。
◆
「ふ~む……」
アインズはアルシェから渡された学園建立に関する資料を読み、唸る。
「あ、あの……何か問題があったのでしょうか?」
「いや、そうではない。むしろ良く出来ていると感心していたのだ」
「あ、ありがとう御座います」
その言葉を聞いたアルシェはホッと胸を撫で下ろすように息を吐いた。
(しかし本当に良く出来ているな)
帝国魔法学院の制度を多く模倣してあるそうだが、生徒目線での細かい問題点が指摘されていたりと、より良いものに仕上ようという意思が感じられる。文句をつける箇所は特に見当たらない。
なにより驚かされたのが帝国魔法学院の元々の完成度だった。
例えば奨学金制度。
優秀であると評価されれば無償で入学可能。卒業後、さらに大学院を志望し、合格すれば無償奨学金が提供される。無償といっても将来的には国の行政機関のどこかで働くことが前提となる。
アインズも最古図書館で学校について少しだけ調べたりしていた。
その際に「こんな制度があった方がいいんじゃないだろうか」と自分なりに考えたりしたのだが、アルシェが作った資料にはそれらアインズが良さそうと考えるもののほとんどが詰め込まれていた。
科学が発展したリアルと比べて、魔法があるとはいえ文明レベルが低いと思っていたこの世界において、高等専門学校かと思わせる洗練された機関にただただ驚くばかりである。
「これなら問題なく運営出来そうだな。ただ、完成しても数年間は入試試験の免除も考えなければならないところか」
魔導国民の識字率は王国時代を引き継いでいてかなり低い。
一応、孤児院で文字の勉強を実施してはいる。さらに今後はどんな者でも学べる私塾のようなものを各都市に設置する必要がありそうだ。成果が出るには時間がかかるだろうが必要なことだ。
「――――そのあたりの調整も思案します」
「うむ、頼んだぞ」
アインズは自分の国をリアルのようにはしたくない。
貧困層の立場にあった自分には弱者の気持ちが理解出来るからこそ、こんなことをしているのかもしれない。
そんな気持ちが、少しだけあった。
しかし、どこまでいこうとアインズにとって大事なのはやはりナザリックだ。
魔導国を繁栄させるのも、技術を向上させるのも新たな何かを発見することを期待してだ。ものによっては独占すればナザリックの利益になる。
この世界ではユグドラシルには存在しなかった魔法も開発可能だ。
極端な話、他のプレイヤーの誰も知らない高位階の魔法が開発できればかなりのアドバンテージになる。
武器や防具、マジックアイテムにしても同じこと。
そのための仁政である。
この世界のレベル帯を考えればあまり期待は出来ないが、発展させ過ぎて、ナザリックの脅威にならないように管理、調整は必須だろう。
アインズは誰も彼も救う気でいるのではない。
聖人君子ではないし、なるつもりもない。
「さて、これで学園の建設にかかれるだろうが、本当の意味で成果が出て来るには数年から十年はかかるだろう」
「――――はい」
「信賞必罰は世の常。もはや大役を果たしたと判断して問題あるまい。約束していた褒美の件だが、すでに決まっているなら聞くぞ」
何事も成果を挙げて、初めて評価されるもの。
しかし、その成果が何年もかからなければ認められないものだったら働く意欲を失いかねない。
計画書もしっかりしたものだったし、大きくコケることもないだろうと判断して報酬の先渡しを決める。
「――――お心遣い、感謝します。では……」
(おっ、すんなり受け入れてくれるのか)
アインズはアルシェが自らの望みを口にしようとしたことに、嬉しさにも似た感情が湧き上がる。
ナザリックの者たちであれば、アインズのために働けることこそが至上の喜びとして、中々対価を得ようとしてくれない。ほぼ毎回「やると言っているのだからちゃんと受け取れ」というやり取りをしている。
(ナザリックの皆も、アルシェのように素直に自分の望みを言ってくれるようになってくれたらな)
意識改革も進めなければならない。
そんなことを考えていると、目の前の少女が望みを口にする。
「――――私を、陛下の妾にしてください」
(……………………またかよ)
(――――言った……もう後には引き返せない)
今回の仕事を引き受けた時には、褒美を受け取る気はなかった。
それはそうだ。こちらは魔導王に対してとても大きな恩がある。魔導王自身が何とも思っていなくても、恩を返さぬままさらに何かをいただこうなど、厚顔にも程がある。
そう思っていたが、アルシェは褒美を受け取ることにした。
アルシェの中のもう一人のアルシェが言ってくる。
『恥知らず』
(うるさい!)
『恩を返さないまま、さらに褒美を貰おうなんて、貴方はどれだけ強欲なの』
(知るか!)
これが今の自分の気持ちに沿ったものなのだから、どれだけ
そもそもな話、一国の王に対してどうすれば恩に報いれるのかが分からない。
武力や権力といった力は圧倒的。本人も超絶な魔力を有し、財力や美しい女性も多く持つ相手に、第三位階が使えるだけの小娘に一体何が出来るというのか。
何も出来ない。
今のままでは。
だから二つ目の褒美で解決しようと決めた。
それは魔導王の弟子にしてもらうこと。
神話でしかなかった十位階魔法を習得している魔導王から指導を受け、いつかは自分も高位魔法詠唱者になれれば、きっと何かの役に立てるはず。
ついでに、夢だった歴史に名を残す魔法詠唱者になれるだろう。
そうなれた時に、全てをかけて恩返ししよう。
大恩ある相手から指導を受け、それで得た力で恩返しなど、とても褒められた方法とは言えない。
そんなのは自分でも分かり切っている。
一つ目の願いは自分自身の欲望のため。
二つ目にも自分の欲望が含まれている。
なんと欲深いことだろうか。
それでもアルシェは自分の気持ちを順守した。
とても困ったような顔をしている魔導王だが、忘れているのだろうか。
アルシェが元貴族であったことを。
魔導王は確かに口にした。
望みがあれば叶えると。それも二つも。
アルシェが望んだものは、どちらも魔導王自身で叶えられる範囲にある。
言質は取っている。
ナザリックの支配者であり、一国の王でもある方が、まさか自分の発した約束を反故にしたりはしないだろう。
アルシェは自身のために、我がままに、相手の逃げ場を封じて迫る。
私の願いを叶えて。
◆
「それで、アルシェは魔導王陛下の妾兼弟子になれたんだ。良かったじゃない、おめでとう」
「――――うん」
イミーナは恥ずかし気に応えるアルシェを優しい声で祝福する。
いつも妹のことばかり気にして、自分のことを疎かにしていたのが気になっていた。
それがどういう経緯があったのか詳しく知らないが、ようやく自分のために行動してくれたのが嬉しかった。
アルシェが魔導王に対して抱いていた好意が、恋愛感情も含んでいたとは気付かなかったが、それがこの娘の望みであるなら、それはそれで一向にかまわない。
魔導王の女。色々と大変そうではあるが、本人はいたってやる気満々でいるので、こちらとしては全力で応援するのみである。
「それに、弟子に認められたのも凄いわね。第十位階魔法が使える師匠なんて、もうアルシェの夢も叶ったようなものなんじゃない?」
「――――それなんだけど、魔法の指導はしばらく保留になってる」
「そりゃまた、なんで?」
「――――なんでもアインズ様は誰かに教えたりしたことがないからだって…………それに、私の方にも問題があるのが分かった…………」
「問題?」
アルシェが抱える問題。それは帝国に行った際にフールーダ・パラダインに指摘されたものらしい。
アルシェの能力は限界に到達しかかっている。
今後は生涯をかけて研鑽しても、せいぜい第四位階。第五位階に到達する可能性は低いだろうとのこと。
「…………そう、なんだ…………」
せっかくアルシェが夢に向かって進めるかと思ったのに、その事実はあんまりだ。
取り繕うことも出来ず、暗い表情をしてしまう。
だが当の本人が全く悲観していない様子で言う。
「――――そんな心配してくれなくていい。それに関してはアインズ様から解決策があるかもしれないと言ってもらえた」
なんだ、そういうことなら安心だ。
他でもない魔導王がそう言うのであれば、必ずや解決してくれるのだろう。
「――――それよりクーデとウレイの方が心配」
「どゆこと?」
「――――アインズ様の妾になったことでこれからは王宮暮らしになることを伝えた。そうしたら、二人が『私もアインズ様の妾になる~』なんて言いだした」
どうしたものかと悩むアルシェになんと言えば良いのか分からない。
クーデリカもウレイリカも、『妾』の意味をちゃんと理解して言っている訳ではないんじゃないかと判断して、そのことは一端保留することになる。
イミーナもアルシェも、反対する理由は特に思い当たらない。
時の流れに任せることにした。
それからは例の学園について相談に乗ることになった。
主にイミーナが知らない、帝国で話をつけてきた件について。
「じゃあ、その、ジエット君だっけ? アルシェの弟分とその子の幼馴染の子が、手伝いで引っ越して来るのね」
「――――うん。それで学園が完成したら生徒会を立ち上げてもらおうと思ってる」
そのジエットなる少年の母親は特殊な病気を患っているらしい。
その病気を癒すのを条件に引っ越しを快諾したようだ。
魔導王であればその程度のことは造作もないだろう。現に治療は済んでおり、現在は引っ越しの準備をしているそうだ。
ジエットの幼馴染の少女は貴族らしく、一家で引っ越しとはいかないそうだが、ネメルは手伝いとして、ネメルの姉は働き先として近々魔導国へと来るらしい。
「一杯頑張って来たのね。えらいえらい」
アルシェからの相談と言うよりは報告を聞いて、本当に頑張っていたのだと分かって感心した。
“フォーサイト”の可愛い妹を労おうと、頭を撫でようとしたが、ヒョイっと避けられてしまう。
「――――そんなに子供じゃない」
「あらっ、つれないわね…………まあいいわ」
対象を失った腕を上に伸ばし、背伸びをする。
帝国での話は粗方終わっただろうから、そろそろお開きにしようと思う。
アルシェは妹共々王宮住まい。
門限があるかは知らないが、あまり遅くに帰るのは問題があるかも知れない。
「ちょっと待って」
席を立とうとすると、アルシェから待ったがかかる。
「ん? どしたの?」
「――――実は…………仕事とは関係がないけど、一つだけ相談したいことがある」
「そりゃあ、構わないけど」
席に座り直し、聞く体制を取る。
「――――その…………」
何故か言いにくそうにしている。
モジモジしている様子はとても可愛げあり、顔も赤くなっているのが分かる。
一体どんな相談事だと言うのか。
根気よく待っていると、やがてアルシェの口から紡がれる。
「――――よ、夜のことなんだけど…………お、男の人って…………その、一回したらしばらくは出来ないって思ってたんだけど、ち、違うの?」
「夜って…………はは~ん」
ピンっと来た。
アルシェは魔導王の妾となったのだ。
もう子供ではないと言っていたが、つまりはそういうことだろう。
「なになに、夜のことねぇ。確かにヘッケランとかは一回したら、しばらくは休まないと無理だったりするわね。一般的にはそんなもんでしょう。それでぇ、魔導王陛下様は一体何回、してくれたのかしらぁ?」
妙におばさん臭い言い方になってしまう。
まだお子様だと思っていたが、少女から女になったことは祝福すべきことだろう。
「――――っい…………」
「えっ、なんて?」
ぼそぼそと喋るものだからよく聞き取れなかった。
今度はしっかり聞こえる様に、耳をそばだてる。
アルシェもこちらの耳元に口を寄せてもう一度言ってくる。
「――――っ回…………」
「……………………マジ?」
アルシェの告げた回数に驚き、にわかには信じられなかったが、恥ずかしそうにコクンと頷くアルシェの顔に嘘はなさそうだ。
「――――途中で頭が真っ白になってしまったから、正確な所は分からないけど、多分そのぐらい」
「あ~、なんて言うか~…………流石は魔導王陛下ね、ハンパないわ」
その後。
この世界で発掘された『七色水晶』を使用して、アルシェの成長限界を突破することに成功する。
アインズ指導の下、職業レベル『ワールド・ディザスター』を得るに至ったり、フールーダが完成させた禁術で老化を完全に止めたりと色々あったりするが、それはまだ先の話。
『七色水晶』はソシャゲ『オバマス』に出てきた物をちょっと仕様変更して拝借。
超位魔法『星に願いを』でも良かったのですが、せっかくそれらしいのがあるのでこっちで。