ヒリッジ視点①
「イ、イミオラ様……ご無事、ですか?」
背中の激痛を堪えながら、腕の中に庇ったイミオラ様に声を掛ける。
「ええ、無事です。ありがとうヒリッジ……」
その言葉に、ほっと胸を撫で下ろす。
ゆっくりとこちらをご覧になったイミオラ様のお顔は、粉塵に汚れてはいたものの、特に苦痛は浮かんでは……
「イミオラ様、血が……」
「ヒリッジ!」
「え──?」
イミオラ様の悲鳴じみたお声を怪訝に思ったその時、視界の上から滴り落ちた血がイミオラ様の顔に付着した。
(ああ……なんだ、俺の血だったのか)
イミオラ様のお顔に伝う血に、一瞬イミオラ様がお怪我をされたのかと背筋が冷えたが、どうやら俺自身の血が付着しただけだったようだ。
「すぐに治療を──」
「私は……大丈夫です。それより、アークを……」
「アーク……アーク、は……」
俺の肩越しに俺の背後を見、表情を歪められるイミオラ様に、状況を察する。
咄嗟に風の防壁を張りつつ、全力でその場から飛び退いた俺ですらこの状態なのだ。
いくら鎧甲冑を身に着けていたとはいえ、至近距離で爆発の直撃を受けたアークは、ひとたまりもなかったのだろう。
「イミオラ様!」
「ソフィ!」
バタバタと人か集まってくる気配の中、悲鳴のような呼び声が聞こえた。
そちらに視線を向けると、イミオラ様の側近であるソフィ様がこちらに駆け寄って来られるところだった。
「ソフィ! すぐにヒリッジの治療を! 急いで!!」
「は、はい! ヒリッジさん、こちらへ」
ソフィ様の言葉にようやくイミオラ様のお体から手を離すと、ソフィ様に体を預ける。
「すみません、お願いします……」
「しゃべらないでください。ああ、なんて酷い……」
どうやら、俺の傷は思った以上に重傷のようだ。だが、その甲斐あってイミオラ様をお守り出来たのだから問題はない。イミオラ様を無傷でお守り出来たのなら、この程度の傷どうということはない。
(アーク……)
治癒の光に包まれつつ、イミオラ様が集まった者達に指示をしてらっしゃるのを聞きながら、俺は爆発が起きたイミオラ様のお部屋に視線を向けた。
そこには、上半身だけになったアークの亡骸が転がっていた。
「う、ああ……」
喉の奥から、しゃがれ、掠れた声が漏れる。予想していた光景でありながら、その凄惨な死に様に胸の奥から怒りとも悲しみともつかない感情が湧き上がってきて叫び出したくなる。
アークは、俺の幼馴染であり、一番の親友と言っていい相手だった。
子供の頃からどこまでも生真面目で礼儀作法にうるさい奴で、育ちが悪い俺は、同年代の中でも特によくアークと衝突していた。
地元の悪ガキ相手には無敗を誇った俺も、代々優秀な騎士を輩出している名門貴族出身のアークには歯が立たず、それがまた悔しくて、なんとかそのいけ好かない澄ました顔に一撃加えてやろうと、必死に神術を練習した。
しかし、そうして何度も喧嘩をしては一緒にシスターの折檻を受ける内に、俺はアークの出自を知った。
アークの両親は貴族の政争に負けて処刑され、アークは小さな妹と共に行き場を失っていたところを、ビフォン様に保護されたらしい。
お高く留まった貴族様だと思っていたアークは、貴族の陰謀によって両親を奪われていた。そのことを知って、俺は初めてその過去に共感を覚えた。そして、その過去を乗り越えて、「私はビフォン様の騎士となる。私と妹の恩人であるビフォン様を、この命を懸けてお守りする」と語るアークに、憧れを覚えた。
俺も、同じだったから。俺も、貴族に母親を奪われ、イミオラ様に救われた身だったから。
でも、俺は貴族を恨むばかりで、
それから数年後。俺は神殿術師として、アークは神殿騎士として、若手の中でも頭1つ抜けた実力を評価され、大神殿に駐在することとなった。
その頃には、「イミオラ様をお守りする」という決意は俺の中で本物となり、俺とアークは似た思いを持った親友として、共に頑張っていこうと誓い合った。なのに……
「……──」
「?」
「──ジ」
「っ!? アーク!!」
微かに聞こえた俺の名を呼ぶ声に、俺は自分自身の怪我も忘れて駆け寄る。
「アーク!」
「──ㇼッジ……ユリナと、ビフォン様を……たの、む……」
「っ! ああ、任せろ!! 2人共、必ず俺が守る!!」
「──りが、とう……」
その言葉を最後に、アークは動かなくなった。
唯一の肉親である妹と、剣を捧げた主を守る意志を俺に託し、アークは息絶えた。
「……状況説明は以上です。このことを早く、ビフォン様にも──」
アークの無念を思ってギリギリと歯を食いしばる俺の耳に、背後からイミオラ様のお言葉が飛び込んできた。
「イミオラ様、そのお役目、私に任せていただけませんか?」
「ヒリッジ? ですが、貴方は……」
「もう、大丈夫です。ソフィ様、ありがとうございました」
「あ、まだ……」
平静を装って立ち上がると、背中にズキンと痛みが走り、視界が少し揺れた。
だが、このくらいなら問題ない。ソフィ様を始めとした神術師がこれだけいれば、イミオラ様は大丈夫だろう。
それよりも今は、事件の当事者としてこの一件をビフォン様にお知らせしなければ。そして、親友としてアークの死に様をビフォン様にお伝えしなければならない。それが、生き残った俺の務めだ。
「ビフォン様には私の口からご説明いたします。では、失礼」
言うが早いか、俺は廊下の窓を開けて外に出ると、突風をまとって屋根の上に飛び上がった。
詠唱を用いない神術……いや、呪術の使用。イミオラ様やビフォン様には人前で使わないよう命じられていたが、緊急事態なので許してほしい。
「今の時間だと、ビフォン様は……」
その時、俺はようやく非常事態を告げる鐘が神殿中に鳴り響いていることに気付いた。
一瞬、イミオラ様のお部屋で起きた爆発によるものかと思ったが、すぐに違うと気付く。この鳴り方は……
「敵襲? どこから……っ!?」
その瞬間、南の方角から数十の炎弾が飛来した。
しかし、それらは神殿の敷地内に入った瞬間、見えない壁に阻まれて四散する。
大神殿を中心とした神殿群を守る結界だ。聖地を囲む結界ほどの強度はないが、中級神術程度ならいくら撃ち込まれようと小揺るぎも──
「ん……?」
その時、南の方角で先の炎弾を遥かに上回る量の炎が赤々と燃え上がった。
「なんだあれは……長槍? いや、破城槍か? だが、この距離では……」
炎の中心にある黒い影。それは、長い槍。あるいは巨大な矢に見えた。
そう考えた直後、俺は不吉な予感に
(巨大な……矢? いや、まさか……)
その、まさかだった。
赤々と燃え上がっていた炎が一際火勢を上げたかと思うと、それを支えていた周囲の人影を焼き焦がし、吹き飛ばしながら、巨大な火矢と化して凄まじい勢いで飛んできたのだ。
バギャア!! ドドドガガガガ!! ドガァァァーーーン!!!!
結界を粉砕、貫通し、進路上の建物をついでのように破壊しながら、火矢は大神殿の鐘楼に突き立ち、爆炎を吹き上げた。
直後、神殿群を守っていた結界が焼失し、大神殿各所に炎をまとった瓦礫が降り注ぐ。
「な、なんて、なんてことを……」
許しがたい蛮行に怒りと驚愕が飽和し、口が上手く回らない。しばし自失状態に陥り、南方から再び炎弾が飛来してようやく我を取り戻す。
「くっ!」
唇を噛み切って動揺をねじ伏せると、荒れ狂う感情をそのまま叩きつけるように、炎弾を突風で迎撃する。
同時にあちこちで神術が発動し、同じように炎弾を迎撃する。しかし、全てを打ち消すことは出来ず、いくつかの炎弾が着弾し、炎を吹き上げた。
「ふざ、ふざっけるなぁ!!」
怒りのまま飛び出しそうになり、すんでのところで踏み止まる。
そうだ、俺には、ビフォン様にこの状況をお伝えする使命がある。
今すぐに飛んで行って、こんなことをしでかしたクズ共を八つ裂きにしてやりたいという思いを必死に押さえ込み、俺は反対方向に足を向けた。
(この時間なら、ビフォン様は執務室か寝室にいらっしゃるはず。騒ぎに気付いて出て来られたなら……あの辺り)
再び風をまとい、屋根から屋根へと飛び移る俺の背後で、神殿から襲撃者への応射が行われた。
炎の球が、風の礫が、夜天を裂いて飛び、襲撃者がいると思わしき場所へと次々に撃ち込まれる。
「っ!!」
俺は宙を舞いつつその光景を視界に収め、息を呑んだ。
空を駆ける炎によって照らし出された、襲撃者達の人影。
結界が消えた神殿に向かって、草原を疾駆する無数の人影。
撃ち込まれた炎弾の数から推測したよりもずっと多くの人影が、こちらに殺到してきていた。
多い。100や200じゃない。どう少なく見積もっても500はいる。
そのうちの何人かは先程の応射で吹き飛ばされたようだが、その程度気休めもならないし、敵にも一切怯んだ様子がない。
それに、チラッと見えた限りでは、既に先頭集団が神殿の敷地内に差し掛かっている。
敵の規模も、その侵攻速度も、予想よりも遥かに上だった。
「くそっ! あんな数、一体どこから侵入したんだ!?」
思わず悪態を吐きつつ、眼下に視線を巡らせる。そして……
「見付けた!」
2人の騎士と3人の術師を連れ、1階の廊下を駆けるビフォン様のお姿。
驚かせないよう、廊下に面した庭に着地すると、警戒されないよう声を張った。
「神殿術師団第1部隊所属、ヒリッジでございます! 襲撃者について、至急神官長聖下にお伝えしたく参りました!!」
「ヒリッジ!」
「無事だったか。突然持ち場を離れたから心配したぞ」
「申し訳ございません。イミオラ様のお部屋に不穏な気配を感じまして、騎士アークと共に様子を見に行っておりました」
「お兄様?」
ビフォン様のお傍にいた先輩術師達にそう答えると、ビフォン様の背後から聞き覚えがある声がして、俺の心臓は跳ね上がった。
そこにいたのは、アークの妹であるユリナだった。実の兄が壮絶な死を遂げたことなど知る由もない彼女は、不思議そうな表情で俺の背後に視線を巡らせていた。アークが共にいないことを訝しんでいるのだろう。
予期せぬ遭遇に言葉が出ないでいる俺に、ビフォン様が護衛の後ろからお声を掛けてくださった。
「よく戻ったの。報告を聞こう」
「……はっ! 敵は真光教団、その数最低でも500はいる模様。神殿群の南方に布陣し、一部は既に敷地内に侵入しているものと。奴らを率いているのは、恐らく“破魂の呪術師”ゾレフと思われます。奴は洗脳した人間を遠隔操作して、副神官長聖下に聖杯と聖杖を引き渡すよう要求したようですが、副神官長聖下がそれを拒否したため、神術で洗脳した人間諸共自爆させました」
「なっ……聖下はご無事か!!」
「はい、聖下には怪我1つございません。ですが……」
そこで、ビフォン様の後ろに立つユリナを見る。俺の視線に何かを感じたのか、ユリナの表情が強張るのが分かった。
「……自爆を食い止めようと、術者を斬り付け……そのまま爆発に巻き込まれて、戦死しました」
「……え?」
ビフォン様が静かに瞑目され、その場にはユリナの呆然とした声だけが響く。
「冗談、ですよね? え? だって、お兄様が、死ぬはずないじゃないですか。もうっ、ヒリッジ様ったら不謹慎ですよ? そんな冗談を言ったら、お兄様に怒られて……」
目を見開き、引き攣った笑みを浮かべながら、俺の言葉を笑い飛ばそうとするユリナ。
俺は見ていられず、悔恨と共に視線を逸らすと、ただ一言「すまない」と喉の奥から絞り出した。
「そ、そんな……いやっ! いやぁ!! 信じない! わたしは信じませんから!! お兄様! お兄様ぁ!!」
半狂乱になりながら兄を探しに駆け出そうとするユリナに、先輩術師の1人が手を掲げた。
すると、ユリナの目が一瞬虚ろになり、それまでの動揺が嘘だったかのように大人しくなった。
「……そうか、よく知らせてくれた。あとで正式に、アークの冥福を祈ろう」
ビフォン様はそう仰って略式のお祈りをされると、素早く表情を切り替えて、次の動きを検討された。
「さて、敵の狙いが聖杯と聖杖である以上、やはり儂は霊廟に向かうべきじゃろうな」
「はっ、お供します」
ビフォン様のお言葉に、周囲の者達も同意する。俺も同行を申し出ようとして──
「ヒリッジ!!」
「!?」
騎士の1人──クレイさんが上げた警告。そして、背後から聞こえた風切り音に、俺は素早く横に転がった。直後、俺がいた場所に剣が突き立つ。
「ヒリッジィ!! 伏せろぉ!!」
奇襲を避けられたことで一瞬気が抜けかけるも、クレイさんの言葉に慌てて地面に伏せる。
一瞬後、頭上で鈍い金属音が響き、すぐ近くにクレイさんの足が着地する。
「ヒリッジ! 下がれ!!」
その指示に慌ててビフォン様のお傍に退避すると、俺の横を先輩術師2人が放った電撃と衝撃波が通り抜け、俺に時間差で斬りかかってきた2人の襲撃者に襲い掛かる。
しかし、1人は衝撃波を軽く避け、もう1人は地面に剣を突き刺すことで電撃を逃がした。
「オオッ!!」
そこにすかさずクレイさんが斬りかかり、電撃を浴びた襲撃者を一撃で斬り伏せる。
その背中にもう1人の襲撃者が襲い掛かるが、クレイさんは素早く体を反転させると、上段から切り下された相手の剣を横薙ぎの一撃で弾いた。
「援護した方が、いいでしょうか?」
「いや、クレイ殿ならあの程度問題ない。むしろ、我々が手出しすれば邪魔に──」
「聖下!!」
俺が先輩術師と話していると、ビフォン様のお傍に控えていたもう1人の騎士──ボロムさんが鋭く警告を上げながら襲撃者と反対側に剣を振るった。
ガギィン!!
激しい金属音に慌てて視線を転じると、そこにはいつの間にか1人の軽装の男が立っていた。
「おやおや、防がれましたか。神殿騎士というのは思った以上に腕がいいのですね」
緊張感のない様子でそう言う長身瘦躯の男は、黒の上下に胸甲を身に着け、両手に緩く反った細身で片刃の剣を持っていた。
(なんだ、あの剣は……?)
その2本の剣からは、尋常ではない神力の気配がした。しかし、その一方で……
(この男……神力の気配がしない? まさか、神術師ではないのか?)
怪訝に思う俺の前に、ボロムさんが立った。
「聖下、ヒリッジとユリナと共に先へ。ここは我々が」
「うむ、分かった。ゆくぞ、2人共」
「え……」
「畏まりました。行くぞ、ユリナ」
「あ……」
未だにどこかぼんやりとしているユリナの背を押し、先を行く。
「逃がすとでも?」
気負いのない声と共に、男がぬるりと踏み込んでくる。
しかし、それをすかさずボロムさんが迎撃し、更に2人の襲撃者を倒したクレイさんもそこに加わった。
2人掛かりの攻撃に、男が下がる。と、そこにすぐさま先輩術師が放った神術が襲い掛かり、男は更に距離を取る。
「ご武運を!」
背後の4人にそう叫ぶと、俺は前を向き、もう振り返ることなく霊廟へと向かった。