イミオラ・ユーゼイン視点②
目の前の男を、わたくしは最大級の警戒と共に睨む。
“破魂の呪術師”ゾレフ。真光教団の幹部……否、現首領と目される超危険人物。
関与が確定している分だけでも、神術師を過去に30人は殺している。その護衛なども含めれば、優に100人は殺しているだろう。表に出ている分だけでこれだ。実際には何百人殺しているのか想像もつかない。
「……真光教団の首領とも呼ばれるあなたが、このような場所に何の御用ですか?」
時間稼ぎと情報収集を兼ねてそう問い掛けると、男はその場に突っ立ったまま、静かに「交渉だ」と答えた。
その答えを証明するように、男の色に害意はほとんど感じない。ただ、少しその色の見え方が妙だった。
色自体は基本的に青。その奥に少しだけ赤色。懐に刃を隠し持って交渉に挑む人間の色としては極めて正常だ。
だが、その色の境界が妙にはっきりしているというか……それぞれの色の彩度が極端に高過ぎるのが不穏だった。
まるで、笑いながら激怒しているような……2つの相反する感情が、混ざり合うことなく同居している。どうにも得体が知れず、不気味だった。
「……交渉? 我々が、テロリスト相手に交渉するとでも?」
「本来なら我々も貴族相手に交渉などしない。他ならぬお前達だからこそ、俺も仲間の反対を押し切ってこの場を設けた」
「……そもそも、どうやって聖地への侵入を果たしたのです? この地に部外者が立ち入ることは不可能なはずですが」
この聖地はその周囲を巨大な塀と堀にぐるりと囲まれており、中に入るには東西南北四方にある門と橋を通らなくてはならない。
門には当然門番がいるし、塀にはそこを起点に聖地全体を覆う強力な結界が張られている。更には堀に満たされた水には神力感知能力があり、事前に登録されていない神力の持ち主が堀を通れば、自動的に攻撃が加えられるようになっている。
その攻撃を凌いでここまで侵入したとしても、術者であるわたくしが一切感知できなかったというのは異常だ。となれば、このゾレフという男の神力が事前に登録されていたと考える方が自然。
(この男……まさか、元王国貴族? そうだとすれば声に聞き覚えがあるのも当然……けれど、いくら王国貴族とはいえ、神殿に属さない神術師で常時登録が行われている人間など極わずか。その内の誰かなら、わたくしに分からないはずが……)
全力で思考を巡らせながら放ったわたくしの質問に、しかし男が答えることはなかった。
「交渉はただ1点。聖杯と聖杖を差し出せ。そうすれば無駄な血が流れることはない」
「……愚かなことを……無駄な血が流れない? 聖杯と聖杖が奪われれば、一体どれだけの民が飢えると思いますか? 聖杯と聖杖の力を以て、この聖地を中心とした一大耕作地を築いているからこそ、王国の食糧事情は──」
「説教を聞く気はない。大人しく差し出すか、力尽くで奪われるかのどちらかだ。後者を選べばこの地に多くの血が流れることになる。聖杯公、お前も当然例外ではない」
「脅しのつもりですか? だとしたら残念ですね。わたくしは今更自分の命を惜しむつもりはありません。聖杯公の地位を継いだ時点で、この身は全て王国の民に捧げました」
「だろうな。だからこそ、交渉の余地くらいは残しておいてやろうと思った」
「……あなた方の目的は何です?」
これは確かに時間稼ぎだったが、同時に切実な疑問でもあった。
「わたくしは……あなた方真光教団のことを、神権派貴族の被害者だと考えていました。平民出身の神術師を、呪術師と蔑み迫害する彼らの犠牲者であり、その目的は、彼らへの復讐にあると」
そう、この見解は多くの王国貴族の間で一致している。
であれば、彼らがこの聖地を狙う理由が分からない。
神殿が彼らの復讐相手でも、積極的に敵対する存在でもないことは、彼らとて重々承知しているはず。むしろ、自分達から敵対するにはあまりにも危険な相手だということも。
それどころか、仮に神殿が壊滅すれば、神権派貴族が暴走するのは想像に難くない。それらのリスクを踏まえてなお狙う価値が、聖杯と聖杖にあるとは思えなかった。
「聖杯と聖杖を武器に、彼らへの復讐をしようと考えているのなら無駄ですよ。七大神器の力は確かに絶大ですが、そう簡単に扱えるものでもありません。わたくしとて、この聖地の力を借りなければその真価を半分も発揮できないのですから」
「承知の上だ。それと、お前は根本的に勘違いをしている」
「勘違い……?」
「そうだ、俺の復讐対象は神権派貴族でも、貴族派閥の貴族でもない。この国の王侯貴族全てだ」
「っ!!」
男の口調は淡々としたものだった。しかし、その凶悪な殺意を示すように、外側の青色はそのままに、内の赤色が更に彩度を増した。
「……だが、お前は貴族であって貴族ではない。俺達呪術師を差別せず、むしろ保護していることは知っている」
それは事実だ。たとえ貴族でも元の名前を捨て、世俗との関わりを断つ神殿だからこそ、はぐれ神術師の保護が可能なのだ。
公にはぐれ神術師の保護を行っている訳ではないし、保護した者達にも自分が元平民であることは明かさないよう口止めしているが、神殿内にいる者は全員その事実にうすうす感付いているだろう。そして、一部の貴族も。察した上で、誰もが黙認しているのだ。
「大義のためとはいえ、
「別の理由……?」
「その前に、1つ質問がある」
その時、視界の端に2つの色が揺らめく光景が映った。
「質問? なんですか?」
そちらに視線を動かさないよう前に立つ男を注視したまま、何気なく髪を掻き上げる振りをして、そちらに指信号を送る。
(彼らなら、これで気付いてくれるはず。あとは……)
質問を聞く振りをしつつ、その実わたくしの意識の半分以上は窓の外に潜む彼らに向いていた。
しかし、続いて放たれた男の質問に、わたくしの意識は否応なくそちらに引きずり戻された。
「お前は、神の名を知っているか?」
「なっ……!?」
予想の埒外にあった質問に、思わず素で驚愕を露わにしてしまう。注意を外に向けていたのが
「その反応……何の話か分からないという訳ではないようだな。これは僥倖だ」
「っ!」
「要求事項に1つ追加だ。神の名を教えてもらおう。知らないというなら、知っている人物について話してもらおうか」
「あなたは……!」
その瞬間、わたくしの危機感は最大限に高まった。
七大神器、神の名、この2つを求める理由など、わたくしが思い付く限り1つしかない。
「真なる神意召喚……いえ、神格召喚を行うつもりですか?」
「……」
「たとえ我々からそれらを奪ったとしても……剣は国王陛下が、玉は聖女王陛下が守っておられます。それに、扇、天秤、燭台はもう長く行方不明……あなたの目的は果たせませんよ」
「誤魔化しても無駄だ。行方不明の神器の在り処は既に目星は付いている。天秤も燭台も、杖があれば入手はそう難しくはない。お前もそのことは分かっているはずだ」
「……」
確かに、その通りだ。
代々神器《フルメニウスの杖》を継承するクーリガン公爵家に伝わる伝承によれば、審問官エルブラムスはその寿命が尽きる際、天秤が持つ過ぎたる力を恐れ、それを人の手の届かぬ場所に封じるよう儀仗官フルメニウスに頼んだそうだ。
当初、フルメニウスは天秤を地中深くに埋めるつもりだったようだが、神官長の「地中に埋めてはどこにあるのか分からなくなる。人類が本当にその力を必要とした際に、再び手に出来るようにすべきだ」という言に従い、地面の一部をくり抜き、巨大な柱を造ってその上に天秤を封じたという。それが天の
伝承が真実なら、確かに杖があれば天秤の入手は可能だろう。天の階を造ったのは杖なのだから、それを再び地上に戻すことも不可能ではないはずだ。そこに辿り着くまでに、いくつもの危険地帯を通らなければならないという問題はあるが。
そして、燭台は大迷宮の奥に封じられているという情報がある。こちらも、杖で大迷宮そのものを破壊してしまえば入手は可能なはずだ。原初の御業を用いれば、山1つ崩すことくらいそう難しくはないだろう。
最後の扇は……実のところ、これの正確な在り処はわたくしも知らない。だが、誰がそれを持ち去ったのかは知っている。
これは一般には知られていないが、扇はずっとファルゼン王家の最終兵器として王城に保管されていたのだ。しかし、その扇は600年前の鮮血の大粛清の後、その力を王家に持たせておくことを危惧した聖女アンヌによって持ち去られてしまった。
以来、扇は聖女アンヌと共に行方不明となっているが……その足跡を追うことが出来たなら、見付けることは不可能ではない。
(王家がどれだけ調べても分からなかった聖女アンヌの足跡を、テロリスト集団が見付けられるとも思えませんが……)
だが、目の前の男に虚偽の色は見えない。つまり、はったりではないということだ。
(神の名、それに“神格召喚の儀”……秘中の秘事であるそれらをどうやって知ったのか興味はありますが……聞き出す余裕もなさそうですね。なにより、この男は危険過ぎる!!)
わたくしが密かに決意を固めると同時に、男が一歩こちらに近付いてくる。
「話は終わりだ。答えを聞かせてもらおうか」
「そうですね……」
再び髪を掻き上げる仕草の振りをして、外に指印を送る。
そして、外の2つの色が真っ赤に変わるのを視界の隅で捉えると同時に、素早く手を伸ばし、照明にかぶせられていた覆いを剥ぎ取った。
「むっ──」
解放された光の神具の明かりが、正面から男の目を灼く。
それと同時に窓を開き、音もなく、滑るような足取りで間合いに踏み込んだ騎士が、咄嗟に前に伸ばされた男の右腕を肘の上から断ち切った。
直後、背後に回り込んだもう1人が至近距離から電撃を放ち、男の意識を奪う。素晴らしい連携だ。わたくしが覆いを取ってから制圧まで、5秒と掛からなかっただろう。
「ありがとうアーク、ヒリッジ」
「とんでもございません。お部屋を汚してしまい、申し訳ありませんでした」
「このような侵入者を許してしまったこと自体が我が失態でございます。責められこそすれ、褒められることなどございません」
「いいえ、それでもわたくしの身を守ってくださったことは事実ですから。お礼の言葉は受け取ってください」
「……はっ」
「勿体なきお言葉」
駆け付けてくれた神殿騎士のアークと神殿術師のヒリッジは、手柄を誇るでもなく静かに頭を下げた。まったく、2人揃ってお固いことだ。
「それで、この男は如何いたしましょう?」
「そうですね、とりあえず──」
そう言いながら何気なくアークに組み伏せられている男を見下ろし、わたくしは固まった。
(? なぜ、まだ色が……?)
男はどう見ても意識を失っている。なのに、感情の色が消えない。
いや、外側の色は消えている。だが、内側にあった赤色だけが、まだ残って……。
「っ!!」
その時、男のフードがずれ、隠されていた素顔が見えた。そして、その顔は確かにわたくしにとって見覚えがあるものだった。
(ミディーヌ伯の……ロチャード様? 違う! この男は──)
頭の中で瞬時にいくつもの情報が組み合わさり、わたくしは反射的に叫んだ。
「今すぐその男から離れなさい!! 離れてっ!!!」
その瞬間、男の全身から凄まじい神力の気配が噴き上がった。
わたくしの指示に反応して、ヒリッジが素早く跳び退り、わたくしの前に盾になるように陣取った。
しかし、アークは……迷ってしまった。そして、一瞬の躊躇の末に、跳び退ろうとした足を押し止め、全速で剣を鞘走らせた。
「シャァ!!」
抜き打ちざまに、倒れ伏す男の首に一閃。一撃のもとにその首を撥ね飛ばす、が……
「だめ!! 逃げ──」
男が死してなお、術は止まらず。
閃光が、爆ぜた。
* * * * * * *
「あら、おかえりゾレフちゃん」
「交渉はどうなりました? まあ、あれを見る限り聞くまでもなさそうですが」
「……決裂した。みすみす聖杯と聖杖を渡すくらいなら、徹底抗戦を選ぶようだ」
「ふぅん、まあそうなるでしょうねぇ」
「予想通りですね。ゾレフ、もういいでしょう?」
「ああ、もういい。……行くぞ、開戦だ」