イミオラ・ユーゼイン視点①
「そう、ハロルド殿下が……」
「はい、最低限の公務を終えられた後、10日ほど前に帝国に向かわれたそうです」
側近であるソフィの報告に、先日この地を訪れた王太子殿下のことを思い出す。
「慌ただしいことですね。まだ社交シーズンは始まったばかりだというのに……」
「それだけ王家としては、セリア・レーヴェン侯爵令嬢の確保を重要視しているということでしょう」
「ええ、そうでしょうね」
「それに、ここまで急いだのはやはり殿下の私情が大きいのでは? 殿下はセリア様に随分とご執心のご様子でしたから」
「そうかもしれませんね」
ビフォン様にからかわれている最中の様子を見るに、それはその通りだと思えた。
「セリア様、ね……」
わたくしがあの方の“名奉じの儀”を執り行ったのは、今から15年前のこと。
当時、赤子の身でありながらわたくしを遥かに上回る神力量を有するあの方に、わたくしは確かに聖女としての力の片鱗を見た。同じ年に儀式を受けたハロルド殿下も、王族の中でも頭1つ抜けた神力量を有していたが、セリア様はそれを優に上回る保有神力量だった。
しかし……実際に“名奉じの儀”を行った際、わたくしはいつにない違和感を感じた。
何かがしっくりとこない。
そうはっきりと感じていながらも、しかし儀式は無事完了し、わたくしは聖女特有の何かがあるのかもしれないと考え、その違和感を胸の奥に押し込めた。そして、わたくしはその後、そのことをずっと後悔することとなった。
事の発端はその6年後、セリア様に神術の才能がないということが判明したという話が、この聖地に伝わってきたことだった。
その話を聞いた時、わたくしは何かの間違いだと思った。しかし、それはどうやら事実であり、セリア様がつらい立場に置かれていると聞いた時、わたくしは儀式のことを思い出した。
── もしや、セリア様に行った“名奉じの儀”に、何か不手際があったのではないか。
その疑念は日に日に膨らみ、その2年後、ついにわたくしはセリア様を個人的にこの神殿にお呼びした。
そして、その姿を見て驚愕した。
そこにいたのは、子供らしさの欠片もない、恐ろしく感情が薄い1人の少女だった。
我々聖杯公と聖杖公は、神殿内にいる人間の感情を色で見ることが出来る。そして、その時のセリア様は……ほとんど色がなかったのだ。
まるでお人形のように美しく整った、その可愛らしい容姿に虚ろな笑みを張り付け、その水色の瞳に一切の光を宿さないその姿に……わたくしは胸の奥から言いようのない感情が湧き上がり、気付けばその小さな体を力いっぱい抱き締めていた。
そして、まるで懺悔するように儀式のことを話し、謝罪した。
「“名奉じの儀”に何か不手際があったのかもしれない」「今の貴女のつらい境遇の原因は、わたくしにあるのかもしれない。本当にごめんなさい」
そう話し、何度も謝罪を繰り返すわたくしに、セリア様はようやく素の感情を見せてくださった。
それは、ただの困惑であったけれど。それでも、この小さな少女の心が摩耗し切っていなかったことに、わたくしは強い安心感を覚えた。
その後、わたくしはセリア様を儀式場に連れて行き、特別に再び“名奉じの儀”を行った。
しかし……結果は同じだった。ビフォン様にもやって頂いたが、結果は変わらなかった。
儀式自体はきちんと完了している。神術が発動したことも確か。
なのに……どうにも拭い去れない違和感が、そこにはあったのだ。
ビフォン様と2人で首を傾げるわたくしに、しかしセリア様は責めるようなことは一言も仰らなかった。
そんなセリア様に、わたくしはせめてもと、神殿術師団への勧誘を行ったのだ。
神殿術師団は、王国の神術師が希望すれば基本的に誰でもなることが出来る。
しかし、それまでの名前を捨て、世俗との関わりを絶つこと。そして、神殿に忠誠を誓うことが絶対条件だ。
高位貴族のように贅沢な暮らしは出来ないが……それでも、貴族社会で“神に見放された者”などと揶揄され、冷たい目で見られるよりは、この聖地で静かな生活を送る方がずっといいのではないかと思ったのだ。
しかし、セリア様はわたくしの提案に儚い笑みを浮かべられ、「私はハロルドの婚約者ですから」と仰られたのだ。
その姿に確かな信頼と希望を感じ、わたくしはそれ以上の無理強いは出来なくなってしまった。
ただ、つらくなったらいつでも来るようにとだけお伝えし、結局その後、わたくしがセリア様とお会いすることは一度もなかった。
(いつでもお迎え出来るようにはしていたのですけれど、ね……)
あの方は、ハロルド殿下と共に歩まれるか、それともこの聖地に来られるかのどちらかだと思っていた。
あの方にとって、貴族社会で生きる唯一の希望はハロルド殿下なのだと思ったから。だから、もしハロルド殿下との繋がりが無くなれば……あの方は、この聖地に来られると思っていたのだ。
しかし予想に反し、あの方は聖女としての力を手に入れられた後、なんと全てを捨てて去られた。その話を聞いた時わたくしは驚愕し……同時に、そうするだけの何かをあの方が見付けられたということに安心した。
それでも……今でもなお、心の中には罪悪感がある。
わたくしが、あの方の人生を狂わしてしまったのではないか。
そんな疑念が胸の奥にこびりついて今なお離れない。無駄だと分かっていながら、考えても仕方がないことだと分かっていながら……もっと早く、多少強引にでも、あの方の手を引いていればよかったのではないかと。
そう、今でも思うのだ。
「気になりますか? セリア様のことが」
ソフィに問い掛けられ、内心を見抜かれたようで気まずくなる。
「そうですね、少し。そういう貴女こそ、殿下のことが気になっているのでは?」
そう切り返すと、ソフィはクスクスと笑みを零してから、「そうですねぇ」と言って少し首を傾げた。
「一応、可愛い甥のことですからね。気にならないと言えば嘘になりますが……」
ソフィは、元の名をフィオーレ・ストレインといい、現王妃であるキアーラ・ファルゼン殿下の妹に当たる人間なのだ。
だから、甥の恋路が気になるのは当然だと思ったのだが……。
「わたくしなどは、姉の王太子妃の座を争う権力闘争を間近に見て、貴族社会に嫌気が差してしまったクチですから……どちらかと言うと、セリア様の味方をしたい気持ちなのですよねぇ」
「あら……」
「ふふふ、イミオラ様も同じお気持ちなのでしょう?」
「……そうですね、殿下には申し訳ないですが……あの方を、これ以上貴族の都合で振り回して欲しくない、という気持ちはありますね」
あの方はもう十分過ぎるほどに苦しみ、耐えがたきを耐えたのだ。これ以上、王国があの方に何を求める権利があろうか。
しかし、その思いに反して……貴族派閥の増長を食い止めるためには、あの方の協力が必要なのも確かなのだ。
そして、貴族派閥の増長を食い止めることが出来なければ、その時は……わたくしはハロルド殿下に暗示したことを、実行しなければならなくなる。わたくしは聖杯公として、腐敗貴族と……その腐敗を許した王家を、断罪しなければならない。それが、聖杯公と聖杖公の務めなのだから。
でも、出来ればそれは実行したくない。なぜなら、この神殿に属する神殿術師団と神殿騎士団。その多くもまた……元貴族なのだから。
彼らは、わたくしとビフォン様が立てば
だが、いくら家名を捨てたとはいえ、家族に対する思いまで完全に捨てられる訳ではない。
彼らの多くは貴族社会に嫌気が差したり、家に居場所がなかったりでここに来たのだが……中には、神権派貴族である家族の横暴に耐えられず、その家族の罪をわずかでも
そんな、家族の罪を少しでも軽くしようと神に身を捧げた彼らに、自分達の家族に刃を向けよと。その手で断罪の刃を振り下ろせと。そんなことは、とてもではないが言いたくない。
「ふぅ……ままなりませんね。叶うことなら、王家の手で事態を収拾して欲しいところなのですけれど」
「イミオラ様……いざという時は、どうか迷われませんよう。わたくしは、もう覚悟は出来ております」
「ソフィ……」
それは、姉である王妃と敵対することも辞さないという覚悟。どこまでも神殿への忠誠を貫くという決意だった。
「ありがとう、ソフィ……安心してください。その時は、迷いません」
「はい」
2人で、静かに笑みを交わす。そこには、長い歳月を掛けて培われた確かな信頼感があった。
と、その時、夜9時を告げる鐘の音が神殿内に響き渡った。
「あら……今日のところは、これくらいにしておきましょうか」
「はい、お疲れさまでした。イミオラ様」
「ええ、貴女もね」
2人で執務室を出ると、巡回している騎士達に挨拶をしながら神殿内を進む。
そして、自室の前でソフィと別れると、わたくしは1人で自室に入った。
「ふぅ…………?」
肩の力を抜いて一息ついたところで、わたくしはふと違和感を覚えた。
反射的に、照明の神具に付けられている覆いへと伸ばしていた手を止め、暗い室内に慎重に視線を巡らせる。
見慣れたベッド、クローゼット、本棚にテーブル。
どこにも、特におかしなところは……っ!
「誰っ!?」
違う、おかしなところはあった。
全く意識していなかったけれど、考えてみればここにはあるはずのないもの。感情の色が。
なぜか見過ごしてしまいそうになった、クローゼットの陰にあるその淡い青色の光に鋭く声を飛ばす。
改めて注視して、わたくしはようやくそこにフードを目深に被った大柄な男がいることに気付いた。そのフードの男が、わたくしの誰何を受けて観念したかのようにクローゼットの陰から出てくる。
「ふん……気付かれたか。これも、聖杯公と聖杖公が持つという感情を見る力のおかげ、か?」
「わたくしは誰か、と訊いているのですよ? その声、神殿の者ではありませんね」
神殿内に、このような低くざらついた声の持ち主はいない。
いや、だが……この声は、どこかで聞いた覚えも……?
目の前の男を警戒しつつ、この声をどこで聞いたのか記憶を探るわたくしだったが、男が発した次の言葉で、強制的に思索は中断させられた。
「俺の名はゾレフ。“破魂の呪術師”、などとも呼ばれているな」
「っ!! 真光教団!?」
そのわたくしの言葉を肯定するように、男の胸元で光の十字架が揺れた。