ハロルド・ファルゼン視点⑦
淑やかな笑みを浮かべ、完璧な礼を取る年若い少女。しかし、その正体は王国でも有数の大貴族であるレーヴェン侯爵家の現当主。
ナキア・レーヴェン女侯爵。彼女こそが、今回の密会の相手だ。
「そうなりますね。無理もありませんわ。現在、王家と当家は少し関係が拗れておりますものね?」
「……」
笑みを浮かべながら何気ない調子でいきなり核心を突かれ、思わず口ごもる。
確かに、今王家とレーヴェン侯爵家の関係は微妙だ。元々レーヴェン侯爵家は王家に忠実な武家であった。だが、セリアが出奔したことに関して、王家は実質その全責任をレーヴェン侯爵家に押し付けたのだ。
しかし、早々に前当主夫妻がセリアを虐げていた兄リゼルを廃嫡し、自らも当主の座を退いて隠棲したために、王家の思惑に反してレーヴェン侯爵家は潰れることなく残ってしまった。
言ってしまえば王家の立場を守るためにトカゲのしっぽ切りをしようとしたところ、しっぽの方が先に切れてしまったために、王家は振り下ろそうとした刃の行先を失くしてしまった状態だ。
「……今回この場を設けたのは、その関係を修復するためだ」
なんとかその言葉を絞り出すと、ナキア嬢の前に座って姿勢を正す。
「単刀直入に言おう。陛下は貴家が王家に対してこれまでと変わらぬ忠誠を誓うなら、レーヴェン侯爵家に対してこれ以上の追求はしないとお考えだ」
それはつまり、レーヴェン侯爵家が王家と敵対するならば、多少強引な手を使っても潰しに掛かるということ。実質脅しだ。
先に責任を押し付けておいて随分と虫のいい話だとは思うが、それでも王家としては出来ればレーヴェン侯爵家と敵には回したくない。
今回の一件で揺らいでいるとはいえ、レーヴェン侯爵家は王国でも有数の大貴族。味方につけておけば心強いし、逆に敵に回るのであれば、この機に潰してしまおうと父上は考えているのだろう。
「陛下の御恩情に感謝いたしますわ。もちろん、我が侯爵家は王家に変わらぬ忠誠を誓いますわ。わたくし、ナキア・レーヴェンの名に懸けて」
「っ!」
自身の名に懸けた誓約。この大神殿でそれを行う意味に関しては言うまでもない。
まさか、これほど容易く言質を取れるとは……予想外の事態に、またしても反応が遅れてしまう。
「んんっ! 貴殿の誓約、
「ええ、陛下にも確とお伝えください」
「無論だ……お前達、少し外してくれ」
どうにも会話の主導権を握られている気がし、私は流れを変えるためにも、部下を部屋の外に退出させた。
「ラルフ、あなたも」
「畏まりました」
こちらの意を汲み、ナキアじょ……レーヴェン女侯爵も、側近を下がらせる。
王太子と女侯爵とはいえ、仮にも未婚の男女。2人きりになるのは本来色々と問題があるが、ここは神殿だ。この聖域ならば、いらぬ邪推はされない。
「さて……すまないが、どうにも調子が狂ってしまうので、以前と同じように話したいと思うのだが、構わないかな?」
「ええ、構いませんわ。殿下。急に色々と立場が変わってしまって、わたくしも正直戸惑っておりましたから」
そう言って困ったような笑みを浮かべる彼女は、以前セリアと共に何度も言葉を交わした彼女と何も変わらないように見えたが……。
(変わったのは……君の方だ)
かつてのナキア嬢は、明るく話し上手で、人当たりのいい令嬢だった。
しかし、今はどうだ。姿も、笑い方も同じなのに、今の彼女に感じるのは警戒心。私が積み上げてきた経験値が、彼女が確かに大貴族の当主なのだということをはっきりと告げていた。
(いや、そもそも表面上以前と変わらないという時点でおかしいか)
ナキア嬢が侯爵位を継いだことで事実上立ち消えとなったが、ほんの一時とはいえ、一度私達の間には婚約の話が持ち上がっているのだ。
私ですら少なからずそのことを意識せずにはいられないのに、彼女はそんなこと全く気にした様子もなく平然としている。どう考えても、並の令嬢の精神力ではない。
(まあ、味方と思えば頼もしいことではある、か)
内心そんなことを考えつつ、私は表面上穏やかな笑みを浮かべながら口を開いた。
「当主の座を引き継いで以降、随分と辣腕を振るっているようだね。正直、驚いたよ」
「お褒め頂き光栄です。ですが、それも優秀な部下のおかげですわ」
「謙遜しなくてもいい。近隣の領との取引を短期間で元に戻した君の手腕は本物だ」
セリア出奔後、レーヴェン侯爵領は近隣の領との取引を停止されていたのだが、ナキア嬢が主催した爵位継承パーティーの後から、続々取引は正常化されていったらしいのだ。
どのような手段を用いたのかは不明だが、緩やかに衰退していくところだった領地を守ったのだ。その功績が新領主である彼女にあることは間違いない。
「手腕だなんて……わたくしはただ、オトモダチに少しお願いをしただけですわ。皆さん、家族の犯した罪の後始末を押し付けられたわたくしの境遇に、同情してくださいましたの。本当にステキなオトモダチですわ」
「……」
家族の罪。それは、前当主夫妻とその長子であるリゼル殿が、聖女であるセリアを虐げたことを指しているのだろう。
公式には、ナキア嬢は両親の方針に逆らえず、家中でセリアが虐げられているのを見て見ぬふりをするしかなかっただけで、セリアに対する虐待は行っていなかったことになっている。それ故、前当主夫妻とその長子が貴族社会から身を引いた後、唯一罪を負っていなかった彼女が家督を継いだのだと。
だが、本当にそうだろうか? 今の彼女を見ていると、どうしてもことはそう単純ではない気がしてくる。
「レーヴェンこ……いや、ナキア嬢。これは王太子としての立場とは無関係に訊くのだが、君は……セリアとは、実際どうだったのだ?」
私がセリアの名を口にした瞬間、ずっと隙のない笑みを浮かべていたナキア嬢の目元が、一瞬引き攣った気がした。
しかしそれも一瞬のことで、ナキア嬢は自然に笑みを薄れさせると、軽く首を傾げて考える素振りをした。
「どう、と言われましても……一言で言うなら、相互不干渉という感じでしたわ。わたくしは前当主夫妻に姉との接触を控えるよう命じられておりましたし、姉もわたくしには無関心でしたから」
「そう、か……」
それはたしかに、セリアが言っていたことに符合する。
かつてのセリアは、私の前で兄と両親に関する不満を口にしていた。だが一方で、妹であるナキア嬢に関する不満を口にしたことはなかったのだ。
以前なんとなくそのことが気になって、一度ナキア嬢との姉妹仲について尋ねたのだが、その時セリアは曖昧に笑って「良い悪い以前に……会話がないかな」と言っていた。それが、前当主夫妻に命じられてのことだったのなら納得は出来る。実際、以前3人でお茶会をした時も、気まずそうにしているのはむしろセリアの方で、ナキア嬢の方には特に含むところはなかったように見えた。
「つまり、君とセリアは別に仲が悪い訳ではなかったのだな?」
「良い悪い以前に、会話がございませんでしたわ」
「そ……んんっ、そうか。なら、君にもセリアが何を思って王国を出て行ったのかは分からないのだろうか?」
「残念ながら見当もつきませんわ。そのご様子ですと、殿下もでしょうか?」
「ああ……情けないことだが」
本当に情けないとは思うが、実際セリアが何のために出奔したのかは分からない。
仮にも家族であったナキア嬢なら、あるいはと思ったが……空振りだったか。
「分からないものは仕方がない。だが、セリアを探し出すことが、君の家にとっても王家にとっても重要なことであることには違いない。何か思い出したことがあったら私に……少しでも早くセリアを探し出すため、レーヴェン侯爵家にも是非力を貸して欲しい」
「お断り申し上げます」
「……は?」
変わらず笑みを浮かべたまま、本当に何気ない調子で言われた言葉に、思わず呆気にとられる。
「今、なんと?」
「お断りします、と申し上げました。命令ならばともかく、飽くまで要請であるならば……我が侯爵家はその要請を拒否させて頂きます」
「な、なぜ……君の家や王家に対する貴族派閥の追及を収めさせる一番の方法は、ことの発端であるセリアに出て来てもらうことだ。それは君も分かっているだろう?」
「ええ、それはそうでしょうね」
「なら、なぜ?」
今、王家やレーヴェン侯爵家が窮地に立たされているのは、セリアが出奔した理由、“神意召喚の儀”を行った理由が不明であるということが大きい。
本人が何も説明しないまま去ってしまったために、残された貴族達は好きなようにその行動を解釈している。
やれ王家のせいで聖女は王国を見捨てただの、レーヴェン侯爵家は聖女の怒りを買った、関わる者には神罰が下るだの。挙句の果てには、聖女は神に王国の滅亡を告げられたから国を去った。このままでは王国は滅びるだの。
中には王家やレーヴェン侯爵家だけでなく、セリアの名誉も大きく損なうような噂を流す者もおり、私としては「セリアがそんなことするわけがないだろう!!」と言ってやりたい気持ちでいっぱいだった。
だが、今私が何を言ったところで説得力がないことは分かっている。だからこそ、セリア本人に真意を尋ねる必要があるのだ。
それで、都合よく王家に対する許しを得ることが出来るとは思っていない。しかし、現時点では許しを請うことすら出来ないのだ。そのせいで、他の貴族に言いたい放題言われてしまっているのだ。
この現状を打破するには、セリアに公の場で自身の真意を語ってもらうのが一番の近道だ。
それは、レーヴェン侯爵家も同じだと思っていたのだが……。
そんな私の予想に反して、次にナキア嬢から告げられた言葉は、あまりにも予想外な言葉だった。
「なぜ、というなら……それは、わたくしが姉のことがきらいだからですわ」
「は……いや、だが君は先程、セリアとの仲は悪くはなかったと……」
「ええ、ですがきらいなものはきらいなのです」
そうはっきりと言い切るナキア嬢に……私は少なからず衝撃を受けると同時に、どこか違和感を感じた。
「あの姉に追いすがり、惨めに許しを請う? その慈悲の元に、家を存続させる? そのような屈辱、真っ平ごめんですわ。わたくしはあの姉の力など借りずとも、家を守ってみせます。仮に姉が戻ってきたとしても、もう当家に姉の居場所などございませんので。それにもし姉が殿下とよりを戻し、未来の王妃となったりしたら、それこそ悪夢ですわ。あの姉の臣下として働くなど、わたくしには耐えられません」
薄い笑みを浮かべながら、ナキア嬢はセリアに対する嫌悪を露わにする。
だが……その口からセリアに対する負の感情が飛び出す度に、違和感は増していく。何かが……何かが、どうもおかしい。
「そもそも、こう言ってはなんですが……姉は、王妃の器ではありませんわ。神術師としての実力はともかく、貴族としては……」
そこで、はたと思い直したかのように、口を噤む。しかし、私はそこでようやく違和感の正体に気付いた。
言っている言葉に反して、ナキア嬢の態度が一貫しているのだ。変わっていないのだ。セリアが聖女として目覚める前と後で。
普通、嫌いな相手が力を付ければ、焦りや嫉妬や怒りといった感情が湧くものだ。
それでなくとも、突然地位や実力を身に付けた相手に、それまでとは違った態度を取ってしまうのは人として当然のことだ。それが貴族社会に生きる者であればなおのこと。
なのに、ナキア嬢の態度は変わっていない。ナキア嬢は、先程からずっと自分の姉を……ただ1人の人間としてのセリアを語っている。聖女であるかどうかなど関係ない。いや、意識すらしていないように見える。そんな人間を……私は、自分以外で初めて見た。
「……失礼しました。少々余計なことを口にしてしまいましたわ。どうかお許しください」
「君は……いや」
この先は、きっと触れるべきではない。
そう直感的に悟った私は、すっと席を立つと、自らもまた、自分の思いをはっきりと伝えた。
「君の思いはどうあれ……私は、セリアのことを愛している。彼女ともう一度会って話がしたい。そして、出来れば……もう一度、私と共に歩んで欲しいと思っている」
「……左様でございますか」
「君の考えは分かった。君がそう言うならば、セリア捜索の件はこれからも王家の方で進めさせてもらおう」
「殿下のご厚情に、感謝申し上げます」
「話はこれで終わりだ。今日はご苦労だった」
頭を下げるナキア嬢に背を向け、部屋の外に向かう。
しかし、扉の取っ手に手を掛けたところで、背後からナキア嬢に呼びかけられた。
「殿下」
その小さな呼びかけに振り返ると、ナキア嬢は壁の絵画の方を向きながら、静かに言った。
「姉は、自分の居場所を見付けたのです。どこか遠くに……だから去った。きっと、それだけなのです」
その表情は、私の位置からは見えない。だが、強いて確認しようという気にもならなかった。
「そうか……そう、か……」
私は顔を前に向き直してそう小さく呟くと、振り返ることなく部屋を後にした。
「わたくしがどう思おうと……戻ってきはしないのですわ。あの家には……初めからお姉様の居場所はなかったのですから」
「ほほう、ええのうええのう、何やら青春しとるのう」
「何を堂々と盗み聞きしているのですかジジイ」