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少女が旅立ったその後で 作者:燦々SUN

第4章

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ハロルド・ファルゼン視点⑥

遅れてすみません。貴族同士の会話って難しいです……。

「聖杯公、今年の“名奉じの儀”も無事終えることが出来たこと、陛下に代わって感謝申し上げます」


 儀式の後、大神殿の一室で聖杯公に儀式の礼を伝える。今回私は父の名代として参加しているが、やはりこの方とサシで話すのは緊張する。

 しかし、それも無理からぬことだろう。なぜなら15年前、私の“名奉じの儀”を担当したのも、他ならぬこの方なのだから。


 聖杯公、イミオラ・ユーゼイン女公爵。今年で御年37歳となるそうだが、その容姿は20代前半と言われても通用するほど若々しく美しい。

 しかし、それでいてその落ち着いた雰囲気と透徹した瞳には、長年聖杯公という重責を負ってきた者としての確かな風格が備わっていた。


「そのように緊張なさらなくともよろしいですよ。楽になさってくださいな」

「……はい」


 どうやら、イミオラ様には私の緊張など筒抜けだったようだ。クスリという笑みと共にそう言われてしまえば、私はもう素直に頷くしかない。

 それから聖地や王都の様子についてあれこれと話し合った後、不意にイミオラ様が笑みを含みながら言った。


「それにしても、殿下は儀式の最中、ずっと心ここにあらずといった様子でしたね」

「っ……」

「ああ、責めている訳ではございませんよ? 気掛かりなのは……セリア様のことでしょう?」

「……私はそんなに分かり易いでしょうか?」

「他の方ならば気付かなかったでしょう。ですが、ここは大神殿でありわたくしは聖杯公ですので」

「……左様ですか」


 私には分からない感覚だが、イミオラ様はこの大神殿内部にいる人間の感情が色で見えるらしい。

 これは歴代の聖杯公と聖杖公に受け継がれている能力の1つで、邪心を持つ者を神殿内から排除するのに一役買っているそうなのだ。どうやら、普通の神術とはまた異なる力らしいのだが……。


「ほっほっほ、まあ殿下がセリア嬢のことが気掛かりで仕方がないのは、そのようなものに頼らずとも明らかですがなぁ」


 背後から突然聞こえた声にビクッとすると、イミオラ様が少し険のある声を上げた。


「いい加減、その気配を消して人を驚かせる趣味はおやめになってくださいと、何度申し上げれば分かって頂けるのでしょうか。ビフォン様?」

「すまんのぉ、こればっかりはやめられんわ。ひゃっひゃっひゃ」


 噂をすれば影が差すというのか……私の背後から現れたのは、ビフォン・クーリガン公爵。当代の聖杖公であり、この大神殿の神官長を務めている人物だ。

 彼と副神官長であるイミオラ様が、この聖地と大神殿、そして王国が誇る七大神器、聖杯と聖杖の管理者だ。


 この聖地並びに大神殿は、隣接する2つの公爵領の境界に存在しており(実際は聖地を中心に公爵家の領土が分けられたのだが)、代々両公爵家は聖杯と聖杖を継承する神術師を家から選出し、その者が聖杯公、聖杖公と名乗って聖地の管理を行う。

 つまり、聖杯公と聖杖公は飽くまで称号であって、両家の当主はまた別にいるのだが、彼らが有する影響力は他の貴族とは一線を画している。

 なにせ、彼らは国王以外で唯一“名剥ぎの罰”を執行する権限を有しているのだ。

 神に奉じた名を奪い、その祈りが神に届かないようにする、神術師にとって死刑宣告に等しい神術。その対象は国王ですら例外でなく、聖杯公と聖杖公両名の合意がなされた場合、国王であろうとも容赦なく名を奪われることとなる。

 それだけの権限を持つ代わりに、聖杯公と聖杖公は俗世から離れ、生涯未婚を貫く。その高潔な在り様から、聖杯公と聖杖公は王国の全ての神術師に一目置かれ、敬われるのだ。が……


「それで? ハロルド坊は、セリア嬢のこと心配で心配でたまらんと。愛しの君が行方不明で夜も眠れんと。そういう訳じゃな?」

「いえ、まあその……」

「ん? どうなんじゃ? 儂に詳しく話してみぃ」


 ……なんというか、ビフォン様は話してみるとなかなかにゲス……茶目っ気のある方なのだ。外見だけ見ると、長いひげに優し気な目をした好々爺なのだが……。


「殿下に失礼ですよ。それと、警備の方は問題なかったのですか?」

「異常無しじゃよ。静かなものじゃ。あとは騎士長と警備隊長に任せてきたわい」


 そう言って肩を竦めるビフォン様。

 “名奉じの儀”の際にはこの大神殿に多くの貴族が集まるため、聖地を守護する警備隊も普段にも増して警備に力を入れており、ビフォン様も神殿騎士団を率いてそれに加わっていたのだ。

 しかし、私がお2人に用があったため、儀式が終わると同時にこの場に呼び戻して頂いた。


「両聖下が揃われたところで、陛下よりお2人にお願いしたいことがございます」


 軽く咳払いをしてから私がそう切り出すと、お2人も表情を改めた。


「両聖下もお聞き及びのことと存じますが、セリア・レーヴェン侯爵令嬢の出奔に伴い、貴族派閥……特に神権派の勢いが増しております。つきましては、これに対抗するため、両聖下のお力添えを頂きたい」


 これが父上に与えられた一番の任務。ここに来た本題だ。

 だが、この依頼にお2人が簡単には頷かないことは分かっていた。なぜなら両聖下はあらゆる貴族、そして王族から独立した存在だからだ。

 主権を握っていることから、一応王家の方が立場は上ということになっているが、王家に両聖下に対する命令権はない。故に、お願いという形を取るしかないのだが……。


「まずお聞きしたいのですが……その力添えというのは、具体的にどういったことを指すのでしょうか?」

「実際に実力行使を求めるつもりはありません。ただ、貴族派閥を牽制するためにも、両聖下が王派閥についたという事実が欲しいのです」

「具体的には、1週間後の貴族会議に王派閥として出席……最低でも、その前の建国記念パーティーに出席して陛下に挨拶をする、といったところでしょうか?」

「……その通りです」


 貴族社会から離れているにも拘らず、ここまで正確にこちらの要望を見抜く辺りは流石と言うしかない。

 だが、実際そこが王家から両聖下に求めることが出来るギリギリのラインだ。

 聖杯公と聖杖公はあらゆる貴族から独立した存在。どの貴族にも、また王族にも味方することはない。それは、その配下である神殿騎士団や神殿術師団に家名の返上、または改名を義務付けていることからも分かる。

 では何の味方なのかと問われれば、聖杯公と聖杖公は民衆の味方だ。

 元より、地震や水害を鎮め、豊かな土壌と清潔な水をもたらすことで民衆の生活を支えることこそが、聖杯と聖杖の第一義なのだから。


 そして、民衆の味方であるからこそ、可能性はある。

 貴族派閥、特に神権派に苦しめられているのは、他ならぬその民衆なのだから。

 神権派……貴族派閥の中核をなす派閥で、王家にとって長年の頭痛の種であり、腐敗貴族の温床のような存在。

 自らを神に選ばれた特別な人種だと信じて疑わず、神術師ではない平民を家畜のように扱い、自らがばら撒いた種から生まれた平民出身のはぐれ神術師を呪術師と称して殺し回る外道共。

 かつて聖女アンヌの鮮血の大粛清で一度は根絶やしにされるも、600年の時を経て再び蘇った王国のガン。

 奴らを制するためであれば、両聖下も手を貸してくれる可能性はある。


「殿下」

「はい」


 イミオラ様の静かな呼び掛けに、真正面から答える。

 だが、私はこの段階で次に続く言葉を察してしまっていた。


「残念ですが、わたくし達が王家に手を貸すことは出来ません」

「……なぜですか。神権派の貴族が罪なき民草に行っている悪行は、あなた方もご存知のはずです。陛下も何も、両聖下に彼らと直接刃を交わすことを望んでいる訳ではありません。ただ、彼らがこれ以上増長しないよう、牽制して頂きたいだけなのです。それでも動いては頂けないのですか?」

「殿下」


 興奮のあまり軽く声を荒げてしまった私に、イミオラ様は飽くまで静かな声で告げた。


「貴族が増長し、民を虐げているというならば、その責は真っ先に王家に問われるべきでしょう」


 その言葉に、私は冷水を掛けられた気がした。

 一瞬にして思考が冷めた私に、イミオラ様は淡々と語る。


「わたくし達に“名剥ぎの罰”の執行権が与えられているのは、何よりもまず王の専横に抗うため。かつて王家を含む貴族が著しく堕落した際、王家は真っ先にこの聖地を押さえました。当時の聖杯公並びに聖杖公を排し、七大神器3つを王家の管理下に置くことで、権力の増強を図り、誰も王家に逆らえないようにしたのです。わたくし達は、同じことを繰り返すわけには参りません」


 そのことは私も知っていた。王家の決してぬぐえぬ汚点。

 堕落した王は諫言をした聖杯公と聖杖公に話し合いの場を設けると言って騙し、聖王剣を用いて両名を問答無用で斬り殺したのだ。


「イミオラ様は……王家を、信用ならぬと?」


 私の掠れるような問い掛けに、しかしイミオラ様はゆっくりと首を横に振った。


「いいえ、わたくしはただ立場の違いを明確にしただけです。元より貴族をまとめ、御するは王家の務め。そこに我々が介入するとしたら、それは今の王家に貴族をまとめる力がないと判断した時のみです」

「……」


 その言葉を聞いて、私はお2人の言い分を完璧に理解した。

 つまり、貴族の腐敗はそれを御するべき王家の責任であると。それをどうにか出来ないのであれば、その時は両聖下が貴族だけでなく王家にも容赦なく断罪の刃を振るうと。

 今お2人が動かないのは、貴族派閥の横暴を軽視しているからでも、まして王家に負の感情を抱いているからでもなかった。むしろその逆。王家がこの状況を収拾することに期待をして、手出しを控えてもらえているのだ。


(なるほど、これはとんだお門違いだったようだ)


 まったく、随分と恥知らずなことをしたものだ。

 猶予を与えられていることにも気付かず、よりによって見逃してくれている相手に助力を求めるとは。


「……よく分かりました。両聖下の御意志は、私の口から陛下にお伝えします」


 深い理解と落胆を胸にそう告げると、それまで黙っていたビフォン様が口を開いた。


「それはそうと、どうなんじゃ?」

「? どうなんじゃ、とはなんのことでしょう?」

「ほれ、セリア嬢のことじゃよ。お主はどうしたいのじゃ?」


 一気に話を戻され、思わず脱力する。

 これまでの真面目な話し合いは気にもならないのか……なんというか、本当に自分のペースで生きている方だ。


「どうしたいか、と問われましても……私はただ、もう一度彼女と会って話がしたいだけです」

「ほう、会って愛を囁くと」

「いえ、そういう訳では……」

「言葉を濁さず、全部打ち明けてみぃ。儂は男女の仲に関しては経験豊富じゃぞ? なんせ数え切れないほどの結婚と離婚を取り持ってきたからのぉ。ふぇっふぇっふぇ」

「……」


 取り持ったというか、ビフォン様は結婚や離婚の際の家名の変更に際し、“名奉じの儀”を行ってきただけなのだが……噂によると、ビフォン様はいわゆる恋バナや男女の愛憎劇といった話が大好物らしいのだ。

 たしかにそういった面では経験豊富と言えるのかもしれないが……相談相手としては間違いなく不適格だ。面白がられる気しかしない。


「お気遣いありがとうございます。ですが、これは私と彼女の問題ですので」


 もう本題は終わったし、このままここにいてもいいことはない気がしたので、そう言ってすぐ席を立つ。


「両聖下の御意志を知ることが出来てよかったです。それでは私はこれで」


 そして別れの言葉を告げ、部屋を出て行……


「殿下」


 ……こうとしたところで、背後からビフォン様に静かに声を掛けられた。その声に、自然と足が止まる。

 そして振り返ったその先で、ビフォン様は静かに私の目を見て言った。


「自分の内なる声に耳を傾け、その声とよく向き合いなされ」


 まるで何かを見透かしているようなその言葉に、鼓動が跳ねる。


「それは……自分の心に素直になれ、ということですか?」


 動揺を隠せないまま、私はわざと分からない振りをした。

 しかし、ビフォン様はその誤魔化しすらも見抜いたかのようにその問いには答えず、言葉を続けた。


「内なる声と向き合うことを避けてはなりませぬ。その声と向き合い、出した答えならば、たとえどんな結果になろうとも後悔はしないでしょう」

「……」


 その言葉はとてもありきたりなようでいて……今の私には、酷く重く響いた。


「……そのお言葉、よく心に留めておきます」


 絞り出すようにそれだけ言うと、今度こそ部屋を辞する。

 そして、大きく深呼吸をして意識を切り替えると、部屋の外に控えていた従者に問い掛けた。


「彼女は?」

「はっ、こちらにお待ち頂いております」


 そして、その案内に従って神殿内を進む。

 今回、両聖下とは別に、私はこの神殿である人物と密会をすることになっていた。密会と言っても別に陰謀を企てる訳ではないが(そもそも神殿内でそんなことは許されない)、お互いに公の場では顔を合わせづらい微妙な立場なので、この場を利用させてもらうことになったのだ。


 辿り着いた神殿の一室、従者が扉を開けるのに続いて部屋に入ると、中にいた女性が立ち上がって礼を取った。


「待たせたな」

「いいえ、こちらの見事な絵画を拝見していましたらあっという間でしたわ。お久しぶりです、殿下」

「ああ、き……殿、が爵位を継いでからは初めてとなるかな?」


 つい以前の調子で“君”と言い掛け、ギリギリで貴殿と言い直す。

 そんな私の咄嗟の言い直しに気付いているのかどうか。彼女……ナキア・レーヴェン女侯爵は、静かに笑みを浮かべた。

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