とある村の少女視点
「お母さん、しっかりして!」
ベッドの上の母にそう声を掛けるが、母は苦しそうに呻くばかりで反応らしい反応を返さない。
「お母さん……」
「お姉ちゃん、お母さん大丈夫?」
「入っちゃダメよ! 自分の部屋にいなさい!」
心配そうに部屋を覗く弟と妹にそう言い放ち、母の額に濡れた布を乗せてみるが、気休めにもならない。やはり、ちゃんとした薬を飲ませて治療しなければダメだ。
「ごめんなさい、お母さん。少し行ってくるわね」
病床の母にそっと告げると、素早く身支度を整える。
「薬師のババ様のところへ行ってくるわ。あなた達は部屋から出ちゃダメよ!」
そして、下の子達にそう注意をすると、足早に家を飛び出した。
いつもなら農具を持った男衆や元気な子供達が行き交う村の大通りが、今は人っ子一人いない。どの家も固く扉を閉ざし、すっかり静まり返ってしまっている。
その中を、私は村外れに住むババ様の家に向かって走った。
一体、どうしてこうなってしまったのか。
始まりは、猟師のおじさんが村の外で見たことがない獣を発見したことだった。
灰色の不細工な犬のようなその獣は群れを作っており、村を襲う危険性があったため、村の猟師が一丸となって追い払うことにした。
幸いその獣は大して強くはなく、何匹かを仕留めたところで残りは逃げて行ったという。
しかし、その数日後、仕留めた獲物を持ち帰った猟師達が次々と倒れ始めた。
全員が一斉に高熱に出し、肌に紫色の斑点が浮かび上がってきたのだ。しかも、それはやがて猟師の家族にうつり、勢いを緩めることなくあっという間に村中に広がってしまった。
なぜかうつるのは体力がある大人ばかりで子供はまだ倒れていないし、今のところ死者も出ていないそうだが、それも時間の問題だろう。
「ババ様! お母さんが苦しそうなんです! 助けてください!」
辿り着いた家の扉をドンドンと叩きつつそう叫ぶと、扉の向こうからしゃがれた声が聞こえた。
『また来たのかい? 何度来ても無駄だよ。あたしにあれを治すことは出来ない』
「でも、本当に苦しそうで……せめて、痛み止めをください!」
『無理だね……もう薬草がないんだ』
「なら! 私が採ってきます!!」
『無理だって言ってるだろう? あんた気付いてないのかい? 昨日から、あの忌々しい犬共がこの村を遠巻きに包囲してるんだ』
「え……!?」
告げられた言葉に絶句していると、ババ様は更に衝撃的なことを口にした。
『あたしはやっと気付いたよ……あの害獣は疫病犬さ。猛烈な感染力を持つ病を流行らせ、群れの中で体力がある大人達を弱らせてから一気に襲い掛かって来る……気付くのが少し遅かったけどね』
「そんな……なら、早く逃げないと!」
『子供が病人を連れて逃げられる相手じゃないよ。昨日の内にまだ動ける大人は町まで救援を呼びに行かせた。間に合うかは分からないし、そもそも町まで辿り着けるかも分からないけどね。あんたは、これ以上あいつらを刺激しないよう家でじっとしてな』
「そんな! ババ様!!」
しかし、それからどれだけ叫んでも、ババ様はそれ以上何も言ってくれなかった。やむなく、家まで戻ることにする。
(どうすればいいの……町までは馬に乗っても2日は掛かる。救援が来るまでには最短でも4日。それまで害獣は待ってくれるの? 最悪妹達だけでも……でも、お母さんは?)
なんとか家族を救う方法を必死に考えるが、いい考えは浮かばない。それにババ様が言った通り、下手なことをすれば害獣の襲撃を早めてしまうかもしれないと思うと、迂闊なことは出来なかった。
(……あれ? 門の前に誰かいる……)
村を囲う柵を回り込み、門が見えてきたところで、そこに見慣れない人影が立っていることに気付いた。
同時に向こうもこちらに気付いたようで、フードに覆われた頭がこちらを向く。
「どなたで──」
足早に近付き、そう声を掛けたところで、私はその人物が着る服の上等さに気が付いた。
白銀の光沢を持つ、恐ろしく綺麗で滑らかなコート。村に時々来る役人なんか目ではない。こんな服を着られるのは、本当に限られた人間だけ……つまり、貴族だ。
そこに気付くと同時に、私は素早くその場に跪いた。
「お貴族様。この村では、今流行り病が蔓延しております。どのようなご用件かは存じませんが、中には入られないことをお勧めします」
……大丈夫だろうか。何か、失礼なことはしてないだろうか。
(あれ? 今の言い方って聞きようによっては厄介払いしようとしてるように聞こえるんじゃ……うそ、私殺されちゃう?)
今にも「無礼者!」という叱責と共にその腰の剣が抜かれるんじゃないかと思うと、冷や汗が止まらない。だが、予想に反して聞こえたのは怒鳴り声ではなく、素っ気なくも優しい声だった。
「知ってる。だから来た」
その声を聞き、私はこのお貴族様が自分と同じくらいの少女であることに気付いた。
恐る恐る視線を上げると、目の前に赤い液体が入った綺麗なガラス瓶が突き出された。
「これを1、2滴ずつ病人に飲ませて。そうすれば病気は治る」
「え、あの……」
反射的に受け取ってしまってから、そのガラス瓶が見たこともないほど透明で美しい形をしていることに気付き、固まる。
そして、チラリと見上げた視線の先。フードから覗くお貴族様の顔がこれまた見たこともないほど綺麗な容姿をしていることに気付いて、また固まってしまった。
「早く」
「は、はい!」
そう急かされて初めて、人の顔を不躾に眺めてしまっていたことに気付き、慌てて立ち上がる。
そこで、門の反対方向から獣の声が聞こえてバッと振り返る。
そこには、十日ほど前に見たあの灰色の害獣が3体、こちらに駆けて来る姿があった。
「うそっ、もう!?」
もう襲撃が始まったのか。一瞬そう思ったが、すぐに違和感に気付く。
害獣の様子がどうもおかしいのだ。
こちらに襲い掛かって来るというよりも、どちらかというと何かから逃げているといった感じのような……。
「はあ……」
首を傾げる私の隣で、お貴族様が小さく溜息を吐くと、スイッと右手を持ち上げた。次の瞬間。
ズガアアァァァン!!!
その指先から稲妻が放たれ、3体の害獣を貫いた。
突然の閃光と轟音に視界が真っ白になり、耳がキーンとなる。
そしてそれが少し収まった時には、もう3体の害獣は地面に倒れ伏して煙を上げていた。
「行って」
「は、はひ……」
もしかして、今のが神術というものだろうか。
初めて目にする神の御業に心臓が激しく鼓動するのを感じつつ、私は家に向かって走った。
そして家に駆け込むと、苦しむ母の口を開かせ、お貴族様にもらった赤い液体を一滴垂らした。
この薬が本当に効くかどうかなど分からない。でも、私は先程奇跡を目の当たりにした。その奇跡を起こした張本人が渡してくれた薬なら、もしかしたら……。
私の縋るような思いは、すぐに報われた。
数分も経たない内に母の表情が穏やかになり、首元まで上がってきていた紫色の斑点が嘘のように消えて行ったのだ。
「あら? わたしは……」
「お母さん!!」
うっすらと目を開けた母の首筋に、思いっ切り抱きつく。
奇跡だ。信じられない。村を覆い尽くしていた絶望が、一瞬にして吹き飛ばされてしまった。
「そうだ、他の家にも行かないと……」
手遅れになる前に、他の家にもこの薬を届けなければ。
まだ母の側にいたい気持ちを必死に抑え込むと、妹と弟にあとを任せ、再び家を飛び出した。
それから1時間もしない内に、村中に蔓延していた病は残らず消え去ってしまった。
全ての家を回った後、私は村の外に出てあの方を探したが、もうその姿はどこにもなく、また村に戻って来ることもなかった。
「これ、どうしよう……」
私の手の中には、赤い液体が数滴だけ残ったガラス瓶がある。
出来ればお返ししたいのだが、返すべき相手がいなくてはどうしようもない。
「……とりあえず、私が持っておこう」
いつかあの方が、またこの村を訪れた時にお返ししよう。
もしその機会がなければ……その時はこれを家宝にしよう。そして、今日起こった奇跡と共に長く語り継ぐことにしよう。
* * * * * * *
「お~いリサ、そっちは終わったかぁ?」
「大丈夫。全員治ったみたい」
「そうか、流石は癒しの聖女の秘薬だな。肉体の欠損だけでなく疫病まで治すとは」
「というか、討ち漏らしがこっちに流れてきたんだけど? ちゃんと全滅させたの?」
「すまない、ちょっと予想以上に素早く逃げ散るものだから、お前の方に逃げた分に関しては後回しにしたんだ。他はちゃんと全部仕留めたから安心しろ」
「ならいいけど……それで、調子はどう?」
「ん……まあこいつで補助しているからそれほど問題はないが……やはり筋力が落ちているな。腕の筋肉と腹筋はまたイチから鍛え直しだ」
「そう……」
「そんな顔をするな。お前が気にすることじゃない。……っと、そう言えばさっきたまたま害獣が逃げた方向にいた商人を助けたんだが、興味深い話を聞いたぞ?」
「なに?」
「なんでも、王国の王太子が帝国に来ているらしい。時期からして、お前を探しに来たんじゃないか?」
「……え?」
これで第3章、帝国の大迷宮編は終了です。
長かった……いや、読者の皆様からすると「お前が言うな」って話でしょうけど、作者としても予想を遥かに超えて長引きました。書きたいものを書きたいように書いていたら、大迷宮の話が異常に長くなってしまいました。これでも削ったんですけどねぇ(!?)
年明け、2020年からは第4章を開始します。彼や彼女、他にも今まで登場したあんな人やこんな人も登場しますので、どうぞお楽しみに。
新年もまた拙作にお付き合い頂けると嬉しいです。それではよいお年を。