更科梨沙(セリア・レーヴェン)視点 3-㊵
遅れてすみません。お詫びに明日もう1話更新します。
(え、は? 最後の試練って……え?)
状況が理解できない。いや、理解することを脳が拒否している。
だが、私が拒否したところで状況は動く。頭上で空中の炎文字が突然弾け飛んだかと思うと、左右と前方の壁に引火した。
いや、壁ではない。燃えているのは、三方の壁際に設置された本棚に並べられている書物だ。膨大な量の書物が赤々と燃え上がり、暗い室内を明るく照らす。
(マズッ、早くここから出ないと……でも、どうやって?)
こんな密室では、熱を遮断できても窒息死してしまう。
とりあえず駄目元で消火しようとして……奇妙な現象に気付く。
燃えていないのだ。いや、どう見ても燃えてるはずなのだが、実際には燃えていない。
熱も感じないし、煙も上がっていない。燃え広がっているのに、火が大きくならない。いや、むしろ小さく……書物に吸い込まれていっている?
そう思った直後、三方の本棚の一番下の段から火線が迸った。いや、ただの火線じゃない。細く小さな炎文字が連なった、火で書かれた文章だ。
それが、私に向かって一直線に地面を奔ってくる。そして、避ける間も無く私の腕に触れ、そのまま腕から肩、肩から頭へと上って……
「ぎ、いぁぁああぁぁーーーー!!!」
激痛。神術で痛覚を麻痺させているにも拘らず、頭の中心に電極を差し込まれたかのような尋常ではない痛みが頭の中で爆発した。視界が一瞬ホワイトアウトし、全身が激しく痙攣する。
そして、視界が回復すると同時に、目の前に見知らぬ人影が浮かび上がった。
『よくここまで辿り着いた。これが最後の試練だ。さて、君は私の全てを受け継ぐことが出来るかな?』
(だ、だれ……ぐ、あぁぁ)
誰? いや、私はこの男を知っている。違う、知ったんだ。たった今。
「う、ああっ!!」
まるで糸車から糸を引き出すように、本棚の下段の左端から炎の文字列が押し寄せてくる。それが私の中に入り込むに連れて、神力と共に私の中に知らない知識、見たことのない光景が流れ込んでくる。
『ヴァンはすごいわね。私の自慢の息子よ?』
『素晴らしい、これは歴史的発見ですよ! ヴァレント様!!』
『流石は冒険王様。この短期間で目的の神器を見付け出してしまうとは』
光景だけではない。聞いたことのない声が脳内で響き、知らない人影が頭の中に浮かんでは消える。
(な、ん、これ、は……聖人ヴァレント、の……?)
全てを受け継ぐ。どうやらそれは言葉通り、あらゆる知識と記憶を継承するということらしい。だが、これは……
「ぎ、いぃぃぃ! じぃぃぃ!!」
知識の継承なんて生やさしいモノじゃない。これなら白い通路の精神干渉の方が遥かにマシだ。
これは立派な精神侵食。いや、魂の上書きとも言えるほどに暴力的な何かだ。
脳の中に他人の知識と経験を無理矢理焼き付けられ、私自身の記憶が徐々に塗り潰されていく。
(ふ、ざけるな! こ、んなっ!!)
こんなものを、求めてたんじゃない!!
「うああぁぁーー!! 私の中に、入ってくるなぁぁーー!!」
絶叫を上げつつ、流れ込んでくる情報の奔流に必死に抗う。
だが、押し寄せる情報の侵食力は圧倒的で、その意識すらも千々に乱され、吹き散らされる。
いっそのこと気を失えればどれだけ楽か。だが、頭蓋を貫く凄まじい激痛でそれすらも許されず、ただひたすら痛みに耐え、自分が失われていく恐怖に怯えるしかない。
「う、ああっ……」
まだ、本棚の下段が終わったところだ。あとまだ4段ある。だが、もう既に私は息も絶え絶えになっていた。
こんなのもう耐えられない。このままじゃ全てが終わる前に発狂死する。
「く、そっ、消えろ! 消えろきえろぉ!!」
頭を掻き毟り、地面に額を打ち付ける。でも、もうその感覚も曖昧だ。このままでは、私自身が完全に聖人ヴァレントの記憶に乗っ取られる。
『ヴァン、今度はここに行ってみないか? 凶暴な害獣の棲み処になってるらしくて、ここ数十年誰も立ち入っていないらしい』
脳裏に
(違う! 知らない! お前なんて知らない!! 消えろ!! 消え──……消す? 消す方法、なら……)
不意に訪れた閃き。だが、危険だ。まだ数えるほどしか使ったことがないし、自分自身に使ったことは一度もない。それに、今の状況ではちゃんと手加減できるか自信がない。
(でも、やるしかない、か)
覚悟を決めて、私は右手を持ち上げた。
そこに神力を込め、想像力を振り絞る。
私の固有神術“記憶消去”
現在から遡って一定時間分の記憶を丸ごと消去する神術。これなら、今強制的に植え付けられている情報も消せるはずだ。加減を間違うとどうなるか分からないが……覚えておくことは2つだけ。試練が終わるまで記憶を消し続けることと、全てが終わったらランを助けに行くこと。それだけでいい。
「ああぁぁぁ!!」
それだけを自分自身に頭に刻み付けると、私は自分の頭目掛けて拳を振り下ろした。
「……うぐっ! いっ!? 」
(なに? 意識が飛んでたの? ぐっ、この神力の気配……そういうことか。なら、もう一度……)
「あぐっ!」
(な、なにが……なんで私は……いや、そうか。なるほど)
「痛っ!!」
(あれ? いつの間に炎があそこまで進んで……うぐっ! そうだ、消さなきゃ。全部消さなきゃ……)
……どれくらいの時間が経っただろう。
なんだか一瞬の忘我と痛みによる強制覚醒を、何度も何度も繰り返した気がする。
やがて炎が本棚の上段右端まで到達し、遂に鎮火した。
「はあ、はあ、終わった……?」
グッタリと倒れ伏しながらそう呟くも、答える声はない。再び聖人ヴァレントの幻影が語り掛けてくることもなかった。
いや、本来ならこの時点で侵入者は完全に聖人ヴァレントの記憶を受け継いでいるのだから、そんなものは必要なかったのか。幻影で伝えるまでもなく、この試練の仕組みも分かっているはずなのだから。残念ながら私は情報を強制インストールされる端から削除し続けたので分からないが。
(ま、聖人ヴァレントが何を思ってこんな試練を用意したのかなんて、どうでもいいけど)
私は早々にそこから意識を外すと、自分自身の状態を確認した。
(私は、更科梨沙……今世での名前はセリア・レーヴェン。この大迷宮には、地球に帰還する方法を探しに来てて……)
……どうやら大丈夫そうだ。
なんだか脈絡がない記憶や覚えがない知識が交じっていて頭の中がグッチャグチャだが、落ち着けば整理も付くだろう。それよりも、私が私を保てていることが何より大事だ。
(……そうだ! ラン!)
つらつらと自分自身を分析し、ようやくそこに思い至る。
「痛っつ!!?」
反射的に上体を起こし、背中に走った激痛に悲鳴を漏らす。そう言えば、私は今背骨を損傷しているのだった。思い出すと同時に、痛みと下半身の不気味な違和感が蘇る。
だが、悠長に治療している暇なんてない。ここに来てからどれだけの時間が経ったのかは不明だが、早くランを迎えに行かなければ。
聖人ヴァレントの記憶と共に神力も流れ込んで来たのか、“記憶消去”を何回も使ったにも拘らず、神力には余裕がある。これなら“空間接続”も十分使える。
(集中して……早く、ランの元へ!)
右手に神力を集中し、神獣がいた広場を出来るだけ鮮明に思い描く。
「繋がれ!!」
そして、光の門を出現させると同時に“飛行”でその向こうへと飛び込んだ。
(ラン! いた! あいつは……っ!!)
空中から地上を見渡し、今にも倒れ伏すランに向かって紫炎を放とうとする神獣の姿を確認する。
「やめろぉ!!」
神力を集中しつつ神獣目掛けて飛ぶと、頭がこちらに向いた。その喉の奥に紫炎がチラつくが、私は気にせずに意識を集中すると、その顔を睨みながら叫んだ。
「更科梨沙が願う! 従属せよ! ヴァレント=ラ・ウェヌエ!!」
そう告げた瞬間、神獣……ヴァレント=ラ・ウェヌエの体が硬直した。
その隙を逃さずに接近すると、その胴体に突き刺さったゼクセリアの柄を握る。そして、すかさず“疑似剣聖”を発動!
「はああぁぁぁ!!」
一気に剣を上に振り抜き、その胴体を両断した。
痛みで洗脳が解けたのか、半分になった体で再び動き出すがもう遅い。もう、お前には何もさせない。
「終わりよ!」
牙を剥いた頭部がこちらを振り向く前に、一撃でその首を撥ね飛ばす。更に、地面に落ちたその頭部に長剣を突き刺し、地面に縫い付けた。
そこまでやってようやく、この神獣は完全に動きを止めた。頭部を失い、2つに分かたれた胴体が重々しい音と共に地面に崩れ落ちる。
「ラン!」
それを確認するや否や、私はランの元へと飛んだ。
「リア、か……最奥の宮には、辿り着けたのか?」
弱々しいが、間違いなくランの声。生きてる。生きてる!
「うん! 約束通り迎えに来たよ!」
「そう、か……ならよかった……」
「ランも、生きててよか──」
その言葉は、ランの姿を視界に収めた瞬間途切れた。
喉の奥でヒュッと空気が音を立て、それ以上声が出ない。
「すまない……ちょっと、腕をやられてしまってな……」
そう苦笑を浮かべながら、
ランの両腕は、二の腕から先が無くなっていた。
「まあ、死ななかっただけよかったと思うべきか……」
「ラン……ラン……」
引き攣った苦笑いを浮かべながらそんなことを言うランに、喘ぐように呼び掛ける。まさか、気付いてないの? 分かってないの? 今、自分がどんな状態なのか!
「傷口が焼けたせいで出血はないんだが、とりあえず痛み止めだけでも──」
「ラン!!」
そこでようやく金縛りが解け、私はランの元へと飛び込むと、その肩を支えた。
“疑似剣聖”で無理矢理下半身を動かし、地面に正座すると、ランの頭を膝の上に乗せる。
「おい、リア……?」
「もうしゃべらないで! 今、今すぐ治療するから!!」
私は“念動”を発動させると、
そして、ランの目元を左手で覆い隠しつつ、仰向けになったランの体に“聖霊の慈悲”を最大出力で掛ける。
ランの体は、両腕が欠損しているのに加え、胸から下の体の前面がきれいに無くなっていた。
肋骨の下の方が見えてしまっているし、内臓も丸見えだ。太腿から膝に掛けても骨が見えてしまっている。傷口が炭化しているおかげで失血死は免れているが、本来ならとっくに死んでいてもおかしくない。
「治れ……お願い、治って!」
私の絞り出すような祈りに反して、傷の治りはあまりにも遅い。傷口が焼けているおかげで死なずに済んでいるのだが、その一方で細胞の再生能力も失われてしまっている。
「リア……お前の目的は果たせたのか?」
「果たせたよ、ランのおかげで。だから今はじっとしててっ」
「そうか……なあ、リア」
「なに!?」
「教えてくれないか? サラシナリサについて……」
それは、ランが足止めを引き受ける対価として私に求めたこと。
今まで私の事情に一切踏み込んでこなかったランが、初めて訊いてきた質問。誰にも明かしていない、私の秘密。本当の私。
「教える! 教えるから! だから──」
死なないで。
その先は言葉にならなかった。ランに自身の現状を悟られるのが怖くて。そして……口にしたら、死がより現実のものとして近付いてくる気がして。
その予感を振り払うように、私は思い付く限りの治癒系神術を試した。
だが、私自身もうとっくに気付いていた。私が使えるどんな神術を使っても、この傷は治せないと。
(イヤだ! 治す! 助ける! 友達、私のたった1人の友達──)
でも、どれだけ足掻いても現実は非情で。
ランの傷は、一向に塞がる気配を見せなかった。
「助ける、絶対に助けるから!」
「……」
その声に、もう答えは返らなかった。